死に遅れながら生きる宿命「さよならもいわずに」
大学生のときに、こっぴどい失恋をした。当時ぞっこんだった女性から、「もう終わりにしましょう」と電話で告げられたのだった。
ささいな口ゲンカが原因だったのだが、怒りにまかせてなじった結果、相手のプライドをひどく傷つけてしまい、なんとか関係を修復しようと謝罪を繰り返したものの、もはや手遅れ。相手の心はすでに離れていた。
身から出た錆であるから、黙ってその申し出を受け入れたのだけれど、その後の喪失感はすさまじいものがあった。なにかおいしいものを食べたとしても、「あいつと一緒に食べたら、もっとうまかっただろうな……」と思い、また映画を見ても、「あいつだったら、どんな感想を持ったかな……」と考える。なにをやってもせつない痛みに襲われ、胸に開いた穴から気力がじょぼじょぼと漏れていくような毎日がしばらく続いた。
上野顕太郎の実話コミック『さよならもいわずに』(エンターブレイン)を読み終えたときに、そんな自分の苦い青春時代を思い返していた。この本に描かれる喪失と苦悩は、言葉を失うくらいに壮絶なものだった。
2004年の年末、ささやかながら幸せな家庭を築いていた作者に不幸が襲いかかる。喘息と鬱に苦しんでいた妻に、突然先立たれてしまうのだ。二階の仕事場でその日の作業を終えた作者が、住居である一階のリビングでうつぶせに倒れている妻を発見。そこから作者の絶望の物語が始まる。
上野顕太郎は通好みのするギャグマンガ家であり、その作品のなかに自分や妻を模したキャラがけっこうひんぱんに登場していた。妻が亡くなったことは作品中にも触れられるし、2007年に発売されたギャグ短編集『星降る夜は千の眼を持つ』(エンターブレイン)のあとがきでも述べられている。一読者にすぎない私も「あの奥さん、亡くなったんだ」と、ちょっと驚いたのを覚えている。
本作では、持ち前のギャグや軽妙なダジャレは封印されているが、喪失感や悔恨、妻と過ごした最後の日々や失ってからの悲しみを、これまでのギャグマンガのなかで培った独特の技法を用いて、全力で読者に伝えようとする。
倒れた妻の心臓マッサージを行い、救急車を呼び、懸命に蘇生を試みるシーンでは、まるで水のなかにもぐっているかのような歪みが表れる。夫として淡々と葬式を終え、職業意識を発揮して、その月の作品をきっちり仕上げるものの、セリフさえも塗りつぶすかのように真っ黒な染みが画を覆う。胸のうちにわだかまる悲しみを描くために、谷口ジローや小林まことといった他のマンガ家のキャラクターを模写して表現するところも、パロディを得意とする上野ならではの方法といえる。
マンガ家が自分を主人公にした自伝的な物語が最近は多く、なかにはかなりプライベートな秘密にまで踏みこむサービス旺盛なものもあるが、本作品はさらに強烈だ。妻の乳房がとりわけ好きだった作者は、自分が撮った8ミリビデオテープのなかに、妻の乳房が映っているシーンがあることを偶然発見。こらえきれなくなってモニターにすがりつき、そしてついには世界の誰かが自分と妻のセックスを盗み撮りしてくれていないだろうかと、非合法な盗撮DVDをインターネットで探そうとする。その姿は狂気さえ感じさせる。
恋人や親や子といった、大切な人を失う物語もそれこそ山のようにあり、この手の話には、一部の難病モノのように腹がたつほど陳腐な作品も少なくないのだが、ここには描かなければ生きていけないかのような狂おしい情念と、悲痛なまでの鎮魂の念がこめられている。息苦しくなるような絶望の彷徨の果てに、作者は最後の最後で希望の光を見出す。誰もが逃れられない大切な人の死という宿命を、読み手に否応なく意識させるおそろしい傑作だった。