推すことに迷いはなかった
唯川恵
初回の選考会に出席する時、いつもとても緊張する。選ぶ作品によって、文学賞の方向性が決まるという可能性もあるからだ。しかし今回、懸念は不要だった。第一回として上質の作品が選ばれたことを嬉しく思う。残念ながら賞を逃した作品も、それぞれ個性豊かで、ぜひとも再度の挑戦を期待したい。
『人魚姫の、白い足』
独特なスタイルを持った作品である。正直なところ、私には馴染めない文体だったが、この幻想的なストーリーには合っているとも言える。あと、この手の小説は、どこまで読み手にリアリティを忘れさせるかということになると思うのだが、時折、手を抜いてしまうところがあり気になった。独自の世界を持った方であるのは間違いないので、それを更に伸ばしていただきたいと思う。
『セイの、におい』
物語を作ろうという意欲に溢れた小説である。ちょっとしたエピソード、たとえば飼っているイグアナに母の名前をつけるところなど、読み手を十分に楽しませるセンスがある。ただそれが生かしきれず、物語の中に埋もれてしまうのが残念だった。難病の元彼と、出張ホストの対比は、そのまま死と生に繋がると思うのだが、そこも深みが足らず、大切なところをはぐらかされてしまったような物足りなさが残る。もしかしたら、テーマの選び方に迷いがあったのでは、などと想像する。文章力は素晴らしいものを持った方であることは間違いない。
『強欲なパズル』
私好みの作品で、女たちの嫉妬や憎悪が巧みに描かれている。何より、エツコが自分の頬にできたデキモノを楽しもうとする姿勢と、それを大喜びする友人たちの姿が、ある意味、悪趣味でありながら、その剥き出しの感情から目が離せない。とにかく出だしが強烈なので、そのテンションをどこまで持ち続けられるかに興味が向いたのだが、残念なことに、着地点は少々弱かったように感じた。これはあくまで私の個人的な考えだが、デキモノを持ちまわりにするなら、三人の関係にかつてもそういうことがあったような、それとない伏線があると、最後の一行がもっと光ったのではないかと思う。
『おねえさんの呪文』
文章についてかなりの論議が交わされた。全体にちりばめられた比喩や個性的な一文は、厳しく言えば、日本語として少々難があるのかもしれない。しかし、私はほとんど気にならなかった。作者の持つ世界に、抵抗なく溶け込めた。ただ「と、私は思った」「と、私は知った」と、一人称の小説でありながら、それを書き込むのは少々うるさく感じたというのはある。それでも、おねえさんはじめ、登場人物も魅力的で、主人公のクラスの中のいざこざも大人社会と通じるものがあり、説得力もある。私は○を付けた。不運だったのは、受賞した『ニノミヤのこと』と、テーマ的にかぶってしまったことだろう。僅差であったことを記しておきたいと思う。
『ニノミヤのこと』
この作品は早い時点で受賞が決まった。主人公が少女であるという設定は最近よく登場するので、正直を言えば食傷気味だったのだが、出だしも魅力的で、ドラマ性もあり、何より読者を惹き付ける力を持っている。ニノミヤが実は――というくだりでは、思わず声を上げてしまった。この驚きは、私にとっては大いにプラスに作用して「やられたな」という気になった。もちろん、気になるところもないわけではない。母親の立ち位置がご都合主義に感じた。最後の母親の語りも必要だったのか、疑問が残る。それでも、私はこの作品を推すことに迷いはなかった。受賞、おめでとうございます。
やわらかな魅力
角田光代
「セイの、におい」はていねいに描かれ、読みやすく仕上がっている。作者には文章力があると思う。けれど看護師の主人公と、彼女をふった恋人が過ごした、かつての時間の濃密さ、彼から切り出された別れの理不尽さが行間から立ち上がってこず、そのせいで、死にゆく恋人を看護する主人公の心の揺れが、今ひとつ立ち上がってこなかったように思い、それが残念だった。
「ニノミヤのこと」をもっともおもしろく読んだ。小学生にしては大人びている詠子の「どこにも属せない感」と、ニノミヤの「大人になりきれない感」がうまく重なり、彼らの過ごした時間の愛しさにつながっている。軽妙な文章と、作品世界がぴったり一致して、やわらかな魅力になっている。ラストに向けて、急ぎすぎて乱暴になってしまった印象があるが、それでも受賞に値する作品である。
「おねえさんの呪文」は、設定だけいえば「ニノミヤのこと」と似ている。この小説の核となる部分には惹かれるものを感じたが、しかしいかんせん、この作者独特の比喩の多い文章が、エピソードと比べあまりにも大仰に思え、言葉が先行してしまって光景や感情がなかなか見えづらくなっている欠点があると思う。余計な比喩や形容をそぎ落とせば、もっと魅力的な小説になったように思う。
「人魚姫の、白い足」の、この不気味で幻想的な世界を、ほころびを作らず書ききった力はみごとだと思う。けれど、物語を超えてこちらに迫ってくるものがないのが残念だった。歪んだ方法でしか人を愛することのできないかなしみを、もう少し生じさせることができれば、単なる物語を超えたのではないか。
「強欲なパズル」の文章は非常に乱暴だと思うが、他の候補作がどちらかといえば人の美しい面を書いているなかで、女性の持つ嫌ったらしさを滑稽味を混ぜて書いていて、印象に残った。結婚や出産や仕事などで、女性の立場がいともたやすく変容してしまうことを、客観的な視線で描いていて新鮮だった。女性三人の関係を最初からもっと明確に書いておけば、ラストがもっと強く生きたと思う。
小説を「作る」こと
小池昌代
「ニノミヤのこと」は、ニノミヤと「私」、そして「私」を取り巻く級友たちとの関係が、テンポよくあたたかく描かれていて好感を持った。でもわたしには、いくつかの点で、違和感や不満が残った。
最終選考に残ったすべての作品に言えることかもしれないが、作りすぎているという印象が残ったのだった。ストーリーを作りすぎている。小説は作るものだが、どこかで作るという自意識を手放したとき、綱を解かれた馬のように、作品は野を駆け出すのではないだろうか。もっと小さな一つか二つのことをじっくり展開してもよかったかもしれないのに、次々と、映像が安易に、いや、安易な映像が、立ち上がりすぎる。読者が想像力を使うひまがない。
ニノミヤは「私」の母の内縁の夫であり、「私」とニノミヤは、たいへんデリケートで微妙な関係である。ニノミヤもなかなか魅力的に描かれ、「私」はニノミヤに、恋に近い感情を持っているなと読み進めていくと、実際、「恋をしていた」という文章が表れた。だがその数行あとで、この微妙な関係を一挙に粉砕する、爆弾のような「事実」が明かされる。悲劇といってもいい。
小説はこの衝撃をおさめるような(別におさめなくてもいいのだが)、なんらの処理もなく、話はいきなり二十年後に飛ぶ。「私」は(偽善的にまで)善良な県庁職員と結婚することになっている。めでたくすべてがまとめられたが、これでいいのかという思いが残った。今後の作品に期待したい。
「セイの、におい」は、介護の現場やホストとの交際など、生々しく、時に汚れた生理的世界を描きながら、文章のなかに、不意に流れる清潔さがある。その一点に共振した。ストーリー主体でぐんぐん流れる小説が多い中、むしろ停滞することで複雑な味を残していた。
成長小説の秀作
北上次郎
親ではない大人、しかも世間の規範から少しズレている大人が水先案内人となって未知の世界に案内されるというのは、成長小説によくあるパターンといっていい。だから珍しいわけでもないし、新しくもない。その物語の大枠は私たちが昔から読んできたものだ。問題は、そこに登場する大人をどういう人物として造形するか、具体的な挿話をどう作り上げるかだ。それによって見慣れた風景が鮮やかに一変する。そこにこそ作家の腕が問われる、と言い換えてもいい。
長谷川多紀「ニノミヤのこと」は、そういう成長小説の一編だが、母親の頼りない同居人に心を寄せる少女の息づかいを鮮やかに描いた作品として印象に残った。その同居人が××であることが判明するラストについては、一部で作りすぎの声もあったが、それは同居人が母と住むことになった背景の基盤でもあり、物語に自然に溶け込んでいると思う。この「さくらんぼ文学新人賞」から才能あふれる新人作家が誕生したことを素直に喜びたい。
奨励賞にとどまった木々乃すい「おねえさんの呪文」も、同じモチーフの成長小説で、近所にすむ「おねえさん」と親しくなった小学4年生のなつめの日々を、巧みな造形とエピソードを積み重ね、成長の芯を描いている。こちらには、おねえさんの部屋にたむろしている大人たちが自由な人間というよりもただの酒飲みにしか見えないという批判があったが、私はそれよりも安易な比喩の使い方が気になった。ここを直すだけでも作品は大幅に変化する。そういう意味では、この作家にいちばん伸びしろを感じる。