― インタビュアー/文芸評論家・池上冬樹 氏
◆最終選考に残った知らせは通夜の席/冷静を装った感激の声/選評に励まされた
--まずは、受賞おめでとうございます。
<中村> ありがとうございます。
--受賞の知らせをきいてどのような感想をもたれましたか? 受賞できる予感はしましたか?
<中村> 実は、最終選考に残ったというお話を頂いたのは、姑の通夜の席でした。その日から、受賞が決まるまでの間は、しきりと姑の夢を見ました。賞をいただけるような予感は何もありませんでしたが、どうも、あの世のものらしい船の夢を見たことがあります。そこには姑が乗っているはずだと思って、「お母さん、なんとか受賞できるように神様にたのんでくれますか」と呼びかけますと、船から、困ったような、照れたような笑い顔をした俳優の武田鉄也氏がとことこ出てきた・・。その夢は、今でも思い出して、ひとりで笑います。情けないくらい、賞が欲しかったのだと思います。受賞のお電話を頂いた時は、仕事中でしたのでなんとか冷静を装いましたが、声が震えました。
--その喜びあふれる緊張感にみちた静かな声が印象深かったと、電話連絡した担当者からも聞きいています。
さて、さくらんぼ文学新人賞はほかの賞とは異なり、一次選考からしっかりと選考経過がコメントつきで公開されます。その過程ではどのように感じていましたか? さらに選考委員の北上次郎さんと唯川恵さんの選評をどう感じましたか?
<中村> 選評の過程がわかるというのは、これは本当に有難いと思いました。透明性ということも、もちろん大事ですが、わたくしたちの側にすれば、応募作品が通過していく段階で、もし、次の段階に進めなくても、そこから立ち上がる力になるからです。
この作品は、最初150枚くらいで、ある地方文学賞に応募したものでした。一次も通過できなかったのですが、改めて見直すと、確かに説明文のようで小説にはなっていなかったのです。書きたいテーマだったのに、それを生かせなかったことが悔しくて、初めて、小説ってなんだろう? ということを考え考え書き直しました。
それでも、わたくし自身は、自信が全く無くて、一次通過を見なかったのです。「そろそろ、さくらんぼの審査だけど」と思って、あきらめつつも、のぞき見たのは、二次通過の後でした。興奮が収まってから、改めて、一次の講評を読みました。本当にあの時の評の嬉しかったことは忘れません。「これからも、書いていていいんだ」と思いました。たとえ、賞まで届かなくても、その過程が十分励みになるというのは確かなことです。
そして最終選評も身にしみました。小説としての面白さを追いかけすぎて、中身が膨れてしまった。最終選評で、つめこみ過ぎというお言葉をいただいた時に、そのことは本当に納得がいきました。もっと、もっと考える。すぐに書きだしてしまいたいところを、もう一度粘ってみるということが、不足していたと思います。
◆趣味ではなく真剣に書く/“自分をかなぐり捨てる”/何度も読み直す
--「記憶」を最初に読んだとき思ったのは、これは一次選考で読んだ下読み委員で作家の柚月裕子さんもいってますが、“ああ、ものが違うな”ということでした。年季が入っている、書き慣れている、どのように書くべきかをきちんと考えているということ感じさせる文章です。作家をめざして長いあいだ書いてきたのではないでしょうか?
<中村> 小説の勉強を、特別にしたことはなく、書き始めたのは、5年くらい前からです。でも、その時はただ、楽しみで書いているだけで、満足していました。時々、ぽつぽつ投稿したり、自費出版したりして、いい気分になっていました。趣味を持ちたかったのです。でも、おととしになって、自分が時々応募していても、一次も通過しないし、誰にも相手にされていないなということに、気がつきました。気が付くのは、大抵、人よりずっと遅いたちなので。
いかに趣味であっても、これは寂しいと思いまして、とにかく、昨年は一次通過を目指して書き、4作をあちこちに送りました。書いているうちに、だんだん、真剣になりました。わかったのは、これまでは、真剣になるのが怖くて、趣味にしていたのだということです。真剣に書いて、相手にされないのは苦しい。悲しくて、つらいので、それを味わうのが厭だっただけなのです。書くことで、それがわかりました。
--それは立派ですね。でもそうしないといけないのです。自分を追い詰めないと、本当にいい小説は書けません。
<中村> そう思いました。どこかで、「自分をかなぐり捨てる」ものがなければ、いけなかったのだなあ、と思うのです。それからは、だんだん、小説の読み方が変わりました。面白いと思って、ただ、読んでいたものを、「ああ、こういう風に書くのか、こうして、話をつなげるのか」と、いうように何度も何度も読み直してみるようになりました。しっかりした書き方がわからないと、胸のうちにあるものが、遠くなるばかりで、かえって苦しいということも今になってみれば、よくわかるのです。 でも、まだまだ、書き方については「この方法」というのは見つかりません。実はずっとこのまま見つからないのでは、と思うと怖いです。
--怖くていいのです。一歩一歩手探りで自分の方法を見つけていけばいい。
◆祖父の人生に忘れてはならない真実を探す/誰にでもある「悔しさ」を書きたい
--作家になりたいという人はたくさんいます。でも、ほとんどは、作家になりたい人たち=有名になりたい人たちです。早い話、書きたいもの、書かねばならないものをもたない人たちです。でも、中村さんの「記憶」をよみはじめてすぐに、ああ、この人は書くべきものをもっている、書かねばならないものをもっているという印象をもちました。「記憶」という作品には、そのようななにか個人的な思い入れを感じるのですが?
<中村> わたくしの祖父は、もちろん、とっくに鬼籍にはいっているのですが、小説の中と同じで、台湾で警察官だったそうです。一体どんな警察官だったのか、家族はどう暮らしていたのか。もう誰にもわかりません。母も産まれてすぐに、横浜に戻ったので、何も覚えていません。でも、祖父が見たもの、聞いたことのうちには、本当はわたくしたち家族が忘れてはいけないものがあったはずだという思いは、ずっとありました。
この小説を書く前に、マッサージを受けていまして、その時にとなりに居た男の人が、傍らの人に、「台湾は良かった、楽しかった。あそこは日本が好きだね。日本に感謝しているんだね」という話をしていたんです。それを聞いてから、家に戻って、この作品の、基になる小説のあらすじを書きました。ふっと、これはどうしても、書いておきたいと思いました。なにかの賞に応募しようと考えるよりも、とりあえずは書こうと。ですから、最初は、この作品の大きな部分は、おじいさんの台湾での思い出ばなしのところでした。いろいろなエピソードや、主人公の造形はあとから、パッチワークのように重ねていったのです。でも、そのままでは、社会科の教科書のようにしかならず、その後何度も書き直すうちに、今の形に変貌したわけです。
--「記憶」のテーマは、アイデンティティーですね。国籍、人種、そしてセクシャリティ。そこに男女の愛や同性愛的な葛藤、深層意識などをのぞかせて、愛することの意味、コミュニケーションをとることの困難さ、現代までにのしかかってくる過去の戦争の傷痕を問いかけて、ひじょうに奥行きのある物語に仕立てている。なぜそのような物語になったのでしょうか? だれにむけて書いたのでしょうか?
<中村> この作品は、誰か特別な人に向けて書いたものではありませんが、書きたいと思ったのは「悔しさ」についてでした。「怨み、つらみ」といってしまうと、強すぎるのですが、もっと誰にでもある「悔しさ」を、わたしは書きたいのだと思います。講評に、「人が人を裏切る話か」と書いて頂けて、とても嬉しかったのは、自分ではどう、表現していいのかわからなかった、もどかしい言葉の先を言って頂いたという気持ちがあったからです。人を裏切り、裏切られ、置いておかれ、忘れられてしまった気持ち。
例えば、人を不幸にしておきながら、「何をずうずうしい」と思われるほど、居直ってしまうことがあるけれど、そういう時、人は、反省の言葉を吐きながらも、どこかで、とことん自分を悪者だと認められないのかもしれない。どうしてかと言うと、その人の胸のうちに、どこかで自分を弁護する言葉、誰に言っても仕方無いから、さすがに言わない言葉があるような気がしています。それが「悔しい」という言葉なのかなあと、そんなことを思います。それは、自分自身の悔しさが動機かもしれません。ああいうことがあった、こういう目にあわされたという、怨み節とは、ちょっと違っているので、簡単に言葉にできません。
◆影響を受けた作家/第二作について/読むこと・書くことの中毒性
--読み進むうちにどんどん人間がまとうものがとりはらわれていく。それが面白い。
<中村> 書いているうちにどんどんむき出しになって芯に近づく、エゴの部分、そこに貼りついている、自分が存在していること自体の悔しさとでも言えるもの、そういうものを書きたい。それこそが、小説でないと書ききれないのではないかと思っています。今は、書いても書いても、かえってぼんやりしたものになってしまいますが、いつか、「ああ、書いた」と思える瞬間を目指していきたいです。
--そのアプローチは純文学的ですね。ドラマを核にしてストーリーを展開するエンターテインメントよりも、場面や人物の心象風景を象徴的に捉えるものにひかれている。中村さんはどのような作家にひかれてきたのでしょうか? 好きな作家や作品がありましたら教えてください。
<中村> 若い時に、好きだったのはヘンリー・ミラーでした。それからウイリアム・サローヤンも。両者にどんな共通点があるのかわかりませんが、その人にしかない文章の香りが、何を読んでも漂ってきて・・。おいしい、おいしいとおもいながら、本を読むという、あの気分を教えてくれた作家です。
このごろ、ああ、おいしいと思ったのは、ミラン・クンデラの小説です。自分の目がとらえたものを、ひとつ残らず表現してみようという力に、こちらの体力がついていかない、と思う時もあるのですが、この世界で、こういう言葉を書く人が消えてしまったら、すごく悲しい。読み終わるとつくづくそう思います。どんな絶望を描いても、そこで終わりにしない。そのあとに続くものの種が、ちゃんと残してある小説がとても好きなのですが、自分はまだ希望が描けない。全然駄目だなあと、実は最近も思っているところです。
あと日本の小説では、やっぱり、たくさんの人がその名前を挙げる、宮本輝の『錦繍』です。どうして、こんな奇跡のような小説が生まれたのかと、何度読んでも思います。
--やはり根っこは純文学なんですね。さくらんぼ文学新人賞の受賞者は新潮社とのつながりができます。第二作はどのようなもの考えていますか? どのような作家になりたいと考えていますか?
<中村> 「ベトナム解放詩集」という本の中にある「ふるさと」という一篇を読みまして、その詩の印象を膨らませて書いている最中です。その中の主人公たちは残念ながら、今のわたくしより、ずっと若くて、わたくし以上にベトナム戦争のことを知りません。この登場人物たちに、どうやってあの戦争のことと現代のことを結びつけて考えてもらおうかと、そればかり、最近は思っています。「法律で裁けない罪」とは、何だろうと思います。残酷のあまり、ニュース番組を消してしまうような事件が続きます。なぜか、どう法で裁いても、この人の胸には、届かないのではないかという、ひどく、空しくもやりきれない思いにかられます。誰かではなく、何物かが、この人の胸を揺さぶる瞬間を書きたいと思うのですが、なかなか難しいです。
--それは面白そうですね。でも、かなり難しそうですね。
<中村> 本当に小説というのは読むのも書くのも、どうして、こんなに苦しくも、やめられない、中毒症状をひきおこす業なのでしょう。誰かに読んでもらえない時があっても、あきらめないで、ずっと書く。喜びながらずっと続ける。そのつもりで書いていきたいと思います。
--ぜひ書き続けてください。期待しています。