『BOOKトピックス』vol.5

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vol.5
 『かれん』
安達千夏氏

~すべての細部が重なり繋がりあう物語をめざして~

 安達千夏(作家)×池上冬樹(文芸評論家) ゲスト=山田剛史(角川書店編集者)



■ベストセラー『モルヒネ』/生と死の観察の文学/性愛の描写をめぐって

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 -- 安達さんといえばなにより『モルヒネ』ですね。40万部を超えるベストセラー。すごいですね。自分でどう思いますか。

 安達 わからないですね。実感がないです。

 -- これは末期がんの元恋人と、女性の医者が再会する物語です。「うずくまって泣きました」という書店員がポップにつけたコピーがうけて、究極の恋愛小説、もしくは泣かせる恋愛小説というイメージが定着しましたが、作者にとっては予想外だったのでは?

 安達 そういう意味で書いてませんからね。いわゆる「泣ける小説」というジャンル的なものもありますが、私の作品はそうではないし、コピーを作ってくれた書店員さんにお話を聞いたら「そういう意味で泣いたんじゃないんです」っておっしゃってました。いままで自分で生きてきたなかで感じてきたこととか、自分の心の中にあったことが、この物語とシンクロする形で泣けてきたということであって、決して涙涙の悲恋ものとして思ってはいないという話でした。


 -- 泣かせる作品ではなくて、本来の文学、つまり生きることと死ぬことをしっかり見つめ、観察する作品ですよね。それは安達さんのデビュー作『あなたがほしい』もそうです。女性が好きなんだけど男性と代償行為的なセックスをしているレズビアンの話です。舞台は山形で、レズビアンの小説でデビューというと、興味本位の雑音が多かったのではないですか。

 安達 いえ、なにもなかったです。

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-- この作品には性愛の場面がなんども出てきますが、とても美しいですね。リリカルだし明晰です。自分で性愛の場面を書く覚悟をどうもっていますか。

 安達 私的にはなにも変わりないです。横断歩道を渡っているシーンも、セックスシーンを書くのも気持ち的にはまったく変わりないです。

 -- それは男女の精神的、もしくは肉体的な快楽を書こうという感じではないんですか。狙いはそこにあるのでしょう?

 安達 『あなたがほしい』に関しては、たまたま主人公が心と身体が乖離している状態だったので、そういう人だというように思って書いてはいます。


■家族というテーマ/純文学とエンターテインメントの書き分け/舞台としての山形


 -- 『モルヒネ』(祥伝社文庫)の解説で島田雅彦さんが、『あなたがほしい』に関して次のように述べています。「あなたの小説は乾いた悲しみや思わずため息が漏れるようなやるせなさに満ちています。私はそれを懐かしいと思います。樋口一葉の人情話の読後感にも似ています。現代小説から失われた「もののあはれ」があなたの小説にはしっかり刻み込まれているという気がします」と。「やるせなさ」「もののあはれ」というのは面白いですね。それについてどう思われますか。

 安達 島田さんは新人賞のときの選考委員なので、なにも逆らえないのですが(笑)、どうなんでしょうね。島田さんは実際は硬質な文体をもつ純文学どまんなかの方なんですが、大変頭のいい方で、文章を読むだけでどれだけ頭がいいかがわかるんですが、ただ、あの人も実は奥に少しリリカルなものがあるんですね。あまり表に出さないし、ご本人にいうと怒られると思うんですが、そういう点で島田さんが少し通じる部分を感じてくださったのではないかと思っています。280anatagahosii.jpg

 -- 島田さんはまた、「素朴な感情の流れを日記風に綴る「今清少納言」みたいな女性作家が大勢登場し確実に読者を増やしてきた」といってます。みな都会が舞台で、そういう都会を描く人たちは「自分と同じ境遇の人間にしか興味を示しません」「もっぱら独身女性の恋愛幻想、女同士の友情、もてない男たちの自我の迷走といった形態」をとる。「夫婦や親子関係を正面から見据えた作品は意外と少ない」。そんななかで安達さんは地方を舞台にして、親子関係をしっかりと見据えていると。たしかに『あなたがほしい』『モルヒネ』など、安達さんの作品に共通しているのは、家族関係ですね。家族間の不和、葛藤、それがある種トラウマのようになっている部分があります。それが安達さんのなかの大きなテーマですか。

 安達 大きなテーマというか、書き始めたきっかけがそこにあるのではないかと思います。自分自身、あまりいい家庭で育っていないので(笑)。結局、持っているものを書きはじめにするのだと思います。プロになってしまうと自分がもっていないものも書かなければいけないし、ほかの人物になりきって書かなければいけない。しかし、出だしは自分が持っているものからはじまるので、自分が持っているものはなんなのかと考えると、家族に対するいろんな問題だったんですね。だから、そこからはじまっていったんだな、と思います。

 -- 『あなたがほしい』はすばる文学賞受賞作で、芥川賞にもノミネートされました。『モルヒネ』はエンターテインメントの出版社から出ましたし、どちらかというと物語の展開に重きをおいたエンターテインメントでしょう。自分ではどのように書き分けていますか。

 安達 テーマで書き分けていますね。テーマが違えばおのずと文章の作り方や主人公の位置づけ、描写なども変わってくるので、それによって「すばる」になったり「野性時代」になったりする。たとえば最近だと「すばる」に書いているのは戦争の記憶に対してですね。私ぐらいの戦争の記憶を持たない人たちと、戦争の記憶を持っている前の時代の人たちとの交流のなかで、戦争を描きたいというのがあって、でも、それをもしもエンターテインメントでするとなると難しいものがあるので、それをやれるのは文芸誌だな、という選択のしかたはしますね。

 -- 小説の舞台の話になりますが、『あなたがほしい』は山形が舞台です。山形を舞台にしようと思った理由はなんですか。

 安達 山形を舞台にして現代的な若い女性が心情をさらけ出す小説が、私が知る限りはあまりみあたらなかったんですね。山形が舞台というと『おしん』のイメージがあり、古い時代の苦しい生活の話の印象が強いのですが、現代女性が山形で暮らしていて、それで話が始まったほうが視点として新しいと思いました。
 あともう一点は、雪ですね。作品のなかに出てくるんですが、主人公が住宅会社に勤めていて、その宅地分譲する場所を見にいくと雪で真っ白だったりするんですね。そういうところを書きたいというのがあって、そうなるともう東京ではだめなので、変に「雪国の町です」と曖昧に書くよりも、はっきりと山形と限定しようと思いました。


■『かれん』について/人が人を思う気持ち/挿話が重なり合う精緻な作品

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 -- 物語の舞台と家族関係の問題は、最新作『かれん』にも繋がる話です。この作品は29歳のフリーアナウンサー雪乃が、あるオーディションに合格する場面から始まります。その仕事は変わっていて、半年前になくなった地図製作会社の社長夫人の千勢の代役。娘の死を認めない千勢の父親の会長は視力が弱く、また病に臥しているので短時間で十分だった。こうして雪乃は湯島のマンションに住まわされ、御茶ノ水の聖橋を超えて駿河台の会長の家に通う。そこに彼女自身の家族の問題、さらには千勢と関係のあった男が出現し、次第に雪乃との関係を深めていく。
 『あなたがほしい』や『モルヒネ』と比べるとずいぶん静かですが、山田さん、これも恋愛小説といっていいでしょうか。

 山田 キャッチコピーを考えるときに苦労したんですが、生と死と広い意味での愛を描いた作品だと思います。


 -- 安達さんはどうですか。

 安達 人が人を思う気持ちを描きたかったんです。ひそかに、それぞれの事情で誰かを思いながら生きている。広い意味での恋愛小説といっていいのではないでしょうか。

 -- ここには男女の愛だけではなく、家族の愛もありますね。タイトルの「かれん」は、千勢が残したメモにあった北回帰線が通る都市の名前でもあり、いったいなぜそのような地名を残していたのかという謎を探る物語であるんですが、もうひとつ、この「かれん」は亡き義理の姉の名前でもあり、彼女とのありえたかもしれない姉妹愛をめぐらす話でもある。ひとつひとつのエピソードがみんな関連するんですね。
 雪乃から千勢へと変わる地理的境界、つまり湯島と駿河台の間を流れる神田川さえ、過去を悔い、記憶をさかのぼる旅のたとえとして現前する。あらゆる風景と挿話が比喩として使われ、抽象化され、それぞれの人物の人生と行動のなかで置き換えられ、意味づけられる。実に精緻ですね。なぜ、このような難しい話をつくったのでしょう。

 安達 そういうのが好きだからというのもあります。どうせなら、ひとつの世界をちゃんと一冊の本のなかで形作っていていきたいと思う。でも、ひとつの世界を形作ろうと思っても、ひとつひとつのエピソードがばらばらに出てくるだけでは面白くない。
 エンターテインメントとしてストーリーを読んでいくなら、たとえば最初に謎が提示され、読んでいくにしたがって謎が解決されていくという流れがあると思うんですが、そういう方法もとりたくない。できればぐるっとまわって最後にすべて一緒にまとまりました、という形にしたいというのがある。そうなるとすべて関連付けなければならない。ストーリーに謎があり、それを解決する話だと一直線に流れますが、そうではなくて、すべての細部が複雑に絡み合い、たくさんのエピソードがひとつにまとまる。たくさんの登場人物がいるけれども、それらがすべてなにかの理由によって重なり繋がりあって、ひとまとまりになっているという、縦目線ではなくて丸くまとまる目線の小説という形でつくりました。

 -- “丸くまとまる”と一口にいっても大変です。雪乃が信三の前で朗読する江戸川乱歩の『押絵と旅する男』のモチーフは雪乃と会長の信三の関係に置き換えらますし、泉鏡花の作品もそう。過去の文芸作品の挿話が、雪乃が経験する物語の上で重なり合い、響きあう。そのあたり非常にうまいし、細かい一場面がきちっとかみ合うように作るのは相当大変だったでしょう。

 安達 大変です。長編を一冊書くにあたって、私は大学ノート一冊分書きつぶすくらいのメモを取りますが、そのなかから形になるのは10のうち1か2でしょうか。一冊つぶすくらいのメモを取りますが、執筆に入ったらそれを見ないんです。たくさんの言葉やエピソードやらが頭に入っているので関連付けられて出てくるんですね。そういうふうに作っています。


■人生という「地図」/泉鏡花の作品との関係/安達文学の最高傑作

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 -- そもそも、この物語の着想はどこから得たんですか。地図製作会社を書こうと思ったのはなぜですか。

 安達 地図が人間の人生と似ていると感じた部分がありました。少しずつ開拓されていって地図に書き込まれていくこととか、時代によって変わっていくこととか、あと、知らないことは地図には書けないんですね。知りえたことだけが地図に書き加えられていくということが人間の記憶にも似ているし、過去の地図、現代の地図の違いというのも比喩として面白い。
 たとえば娘が死んだことを認めない会長は古い地図を見ていて、まわりは彼の娘が死んでいる状態を知っているので新しい地図を見ているともいえる。

 -- そして雪乃自身も、千勢の人生という「地図」を手にいれて、新しい男性の出現を知ることになるし、千勢の代役だった雪乃が今度はその男性に惹かれていく。サイド・ストーリーがいくつも並行していく。ひじょうに込み入った話です。これは担当編集者としてはかなり意見は言ったんですか?

 山田 最初のプロットの段階で、このような話を書きたい、というのをいただいて、それなら登場人物はこういうふうにしていきましょうかとか、謎の男に惹かれていったほうがいいんじゃないかとか、あと、『モルヒネ』の続きというか印象があるので、その生と死といっても相手が亡くなるのはやめましょうとかの話はしましたが、ここまで精密に作られているとは、原稿があがるまでわかりませんでした。

 -- 精密というか、本当に精緻に作られた作品で、よくぞここまで書いたなという驚きがありますね。これは疲れますよね。

 安達 疲れます(笑)。とくに苦労したのは体力です。書いていると体重が減ります。下手に食べないで書きはじめるとハンガーノックを起こして脳が働かなくなるんですね。とにかくよく食べて、一時間後に書きはじめようと思ったら、その時点でおなかをいっぱいにしてそれから書くようにしています。

 -- 『かれん』で一番読んでほしいところはどこですか。

 安達 基本的にどの作品に関しても、それはないですね。好きに読んでいただきたいです。ただ、この作品はいろんなリンクがあってひとつの世界になっているということ、とりわけ泉鏡花の作品がキーポイントになっているので、詳しい方がいらしたら、この小説で泉鏡花がどのように料理されているかということに気づいていただけると楽しいかな、と思います。

 -- 泉鏡花が大正時代に発表した「日本橋」という作品ですね。

 安達 芸者さんとエリート医学博士の、せつない話です。医学博士は、自分を育ててくれたお姉さんに気持ちがあって、でもお姉さんは行方不明で、という話です。

 -- いわば『かれん』は「日本橋」の本歌取りともいえるのですが、しかし大事なのは、これは安達さんの作品すべてにいえることですが、人間関係の襞を一つひとつあらわにしながらも、決して事実の重さで真実をはかるのではなく、あくまでも普遍的な真理を追求している点ですね。とくに『かれん』は、人物がまとう秘密や隠された意図を少しずつ明らかにするといったエンターテインメントとしての面白さをみたしながらも、そこから人間と世界の関係のありかたを考察するという純文学としての面白さもみたしている。キャラクターもプロットも素晴らしく、まさに安達文学の最高傑作だと思います。

 安達 ありがとうございます。

 -- 自分で手ごたえはあるんじゃないですか? うまく書けたなという。

 安達 うまく書けたというのはわかりませんが、そのときそのとき、自分が持てる力を全部注ぎ込んで書いているつもりです。

 -- まさに、持てる力を全部注ぎこんだ力作ですね。しかも、しなやかでやわらかいリリカルな小説であり、何度もいいますが、とくに小説好きの人にお薦めしたい精緻な作品です。みなさんに注目してほしいですね。今日はありがとうございました。
 

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                    09/6月 山形遊学館にて


◆安達先生&山田先生が講師をつとめられた『小説家になろう講座』の模様はこちらから

 


プロフィール

◆安達千夏(あだち・ちか)氏

山形県生まれ。1998年「あなたがほしい」ですばる文学賞を受賞しデビュー。社会からはみ出した男女の絆を、性愛を通して描いた同作は選考委員から絶賛され、話題となる。2003年に上梓した書き下ろし長編『モルヒネ』は、06年に文庫化されるや究極の恋愛小説として話題となり、40万部を越えるベストセラーとなる。著書に『おはなしの日』『見憶えのある場所』がある。最新作は5月末刊行の『かれん』。
 


 

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