

vol.3
『臨床真理』
柚月裕子
~人間はひとりだからこそ~
柚月裕子(作家)×深町秋生(作家)
■ハードなテーマ/書かざるを得ない衝動 深町 このたびは第7回「このミステリーがすごい! 大賞」受賞おめでとうございます。さっそく受賞作『臨床真理』(宝島社、2009年1月)拝読しました。作品の内容は、臨床心理士の主人公美帆が、知的障害者の養護施設で起きた自殺事件を追及するもの。美帆は、少女の自殺に深いショックを受ける同施設の青年、司のカウンセリングを担当するものの、なかなか心を開かない相手に苦労する。すこしずつ司は徐々に打ち解けていくが、その過程で養護施設内の醜悪な事実が明らかになっていく。スリリングな展開とリーダビリティを有した社会派サスペンスに仕上がっていると思います。 柚月 ありがとうございます。
柚月 以前から人の心に強く興味を持っていたことがあります。今回の主人公は女性の臨床心理士なのですが、人の心というのは内科や外科よりもさらに、なにが正しくて、なにが悪いのか、なかなか判断の下せない難しい世界だと思うのです。その時代によって、また見方も変わってくる。だけど、そうした判然としない領域だからこそ興味を持ち、あえて書いてみたいと思ったんです。 深町 なるほど、たしかに知的障害者の養護施設での調査や、美帆が勤める病院の診察、とくに美帆が担当する青年の司のカウンセリングを行う場面が新鮮ですね。ここからは緊迫感が伝わってきます。これはかなり取材されたでしょう。病院にお勤めした経験とかありましたか? 深町 え! 本当に? すごいなあ。とてもリアリティがあって、筆力を感じました。その実力がねたましく思えるほどうまい(笑)。
深町 今回の作品でとくに舌を巻いたというか、白眉だと思えたのがそのカウンセリングのシーンです。美帆と司が徐々に心を通わせていく過程がとても美しい。それに偉そうな態度を取りながら、なんだかんだ言いつつ美帆に協力する警官の栗原。激しくも純粋な心を持った魅力的な人物が多数登場します。誰かモデルなどはいらっしゃるんですか? 柚月 まったくいません(笑)。 深町 まったくですか(笑)。 柚月 はい。でも、読んでくださった方のなかには「美帆はあの女優が演じたらおもしろいよね」と言ってくださった方もいました。
柚月 誰かをイメージして書いていたわけではなかったので、逆にそう言ってくださると新鮮に思えて愉しかったですね。それに受賞するとは思っていなかったので、誰か実在の俳優さんを当てはめたりとか、そんな余裕はまったくなかったですね。 深町 ああ、わかります。受賞するかどうかもわからない時点で、「映画化されたあかつきには、この登場人物は俳優の誰々が演じてくれたらいいなあ」とか考えていたとしたら、ちょっと気恥ずかしいものがありますね。 柚月 そうそう(笑)。「もうそんなことまで考えているのか。お前は」とか言われそうで(笑)。
柚月 人間、百人いれば百通りの苦悩がありますよね。誰が幸福で、誰が不幸かとか単純には図れない。たとえ幸福そうに見えていても実は計り知れないほどの苦しみを抱えているかもしれないし、あるいは条件や環境が整ってなくても幸せを感じている方もいらっしゃるでしょう。この作品の登場人物もそれぞれが苦しみを抱えています。でもそれは誰もがみんな抱えているもので、形や環境は違っていてもけっして特別な苦悩だとは思っていません。条件や環境で苦しみは図れないと思います。 深町 それが今回の作品のテーマの一つのように思えます。白黒はっきりつけられないグレーゾーンがあるところですね。 柚月 私はつねに善悪の線引きが曖昧で、ときには「この世に罪を犯してない人間なんているの?」と問いかけたくなることさえあります。この作品の登場人物たちも、それぞれが罪を犯すまでの理由をもっています。 深町 うん。それが骨太な社会派ミステリになってますね。松本清張や森村誠一といった巨匠が頭に思い浮かんだのですが、柚月さんはどういった作家の影響を受けてらっしゃるのですか? 柚月 今回の作品を読んでくださった方から、「ミステリだけどミステリじゃないところでも愉しめた」という意見をいただきました。単純な犯人当ての部分だけではなくて、登場人物たちの思いに引き込まれたと言ってくださったんです。私が小説というものに最初にはまったのがシャーロック・ホームズの物語でしたが、魅力を感じた理由は謎解きや暗号解読よりも、ホームズとワトソンの関係だったり、人間らしさだったんですね。清張作品でもそうで、作品のなかに描かれている人間の逃れられない業とか、犯罪にいたるまでの動機とかに強く魅かれます。そうした人間の感情や深い部分を描く作家の作品を好んで読んできたように思えますね。以前、酒田市出身の作家である北重人さんが山形市で行われている「小説家になろう講座」の講師として来てくださったときに「人間を描きなさい」と言われたことがありましたが、その言葉は今でも印象に残っています。
柚月 哲学というほど大それたものではないのですが(笑)。でも基本的に人間はひとりだと考えている部分はあります。
柚月 親子であっても、夫婦であっても、恋人であっても、相手のことを100%理解していると考えるのは、ある種、傲慢ではないかと思うんです。どんなに理解しているつもりでも、それはほんの一部分にすぎないし、自分もまた理解されているのは一部分でしかないのではないかと思っています。 深町 けれど美帆は人を理解しようと一生懸命ですよね。 柚月 ええ。それには二つの理由があります。美帆は弟を理解できなかったという悔いがあります。弟を理解していたら、まだ隣に弟はいたのではないか、という自責の念ですね。だからこそ同じような境遇にある司に向かっていく。もうひとつは先ほどお話したように、人間はひとりだ、とみなさんもどこかで感じていることなんじゃないのかと思うんです。だからこそそれが錯覚でしかなかったとしても、誰かと繋がれたと思えた瞬間はとても嬉しい。わかりあえるのが当たり前で簡単であったならば、喜びなんて感じられないでしょう。他人とわかりあえて、一体感を得られたように思えたときに喜びを感じるのは、それは誰もがひとりであるのを心の底で認識しているからだと思うのです。ひとりだからこそ、誰かとの繋がりを欲するのだと思います。
柚月 相手のことを理解できないと逃げ出すのは簡単です。でもそうではなく、自分も苦しみながら相手とともに理解し合おうと努力するところに意義があるように思えます。 深町 答えはそう容易には出ない、という感じでしょうか。
柚月 人間、欲というものを誰でも持ち合わせている。そこを欠いたまま果たしてひとりの人間をきちんと描けるのか、という考えがずっとありました。障害者をテーマとしたとき、配慮と繊細さが求められますが、その結果、知的障害者が無垢で天使のような清らかな存在として描かれる場合が多々あります。でもそうではなくて、私はひとりの人間である以上、誰でも食欲と同じように性に対する欲求も存在すると思うんです。そこを描きたかった。 深町 たしかに。そこに触れないかぎり、ある種無礼とも言えますね。 柚月 昔に比べると、知的障害者に対して配慮はされていても、一般社会から隔絶されている感があります。隠されてしまっているというか……。 深町 読者からの抗議や版元や流通の自主規制といった危険もからみますしね。ご苦労されたんじゃないですか? 柚月 どのような事柄においても、当事者とそうでない者との間には深い溝みたいなものがあります。その部分は自分なりにわかっているつもりです。 深町 その結果とても真摯な作品になっていると思います。
柚月 考えていません。受賞できると思ってはいなかったので、続編までは全然考えていなかったんです。 深町 では次回作は? 柚月 やはり人間を描きたいというのはありますね。さきほどお答えしたように、人間の業というか、内面に迫るような感じでしょうか。今、必死に、必死に構想を練っているところです。 深町 必死に二回繰り返すところに、本当に必死なんだな、という感じが伝わってきます(笑)。「人間を描きたい」という曖昧な答えが返ってくるところとか。 柚月 よくおわかりですね。やはり先輩です(笑)。そう、まだ次作の構想は曖昧な答えしか出ていない段階なんです。早く形にしなければと思っています。 深町 必死に頑張ってください(笑)。 柚月 必死に頑張ります(笑)。 深町 さて最後の質問です。前に私もこのコーナーで訊かれたのですが、執筆の際になくてはならないものってありますか? この質問ってけっこう面白いですよね。作者の嗜好が出るというか。 柚月 ルナです。 深町 ル、ルナ? 深町 欠かせないと言ったって……おとなしくしてないでしょう。猫は。執筆のときにきちんと隣にいるわけでもないでしょうし。 柚月 パソコンに乗ってきたりとかね(笑)。私の場合、執筆のときに「からっぽの時間」が必要なんですね。 深町 精神統一というか、頭の切り替えが必要になってきますね。現実の雑事を忘れられるような時間というか。 柚月 そうです。日常、小説のことだけを考えていられません。やるべきこと、やらなければいけないことなど、常に追い立てられている感がある。しかも、今は携帯電話もあるし、なかなか純粋に個の時間というのを持つのが難しいんですね。でも、自分には個の時間がとても必要なんです。ルナをなでていると、なにも考えずにいられる。ただただ「かわいい、かわいい」だけで頭のなかをからっぽにできる。いまの自分にとって、一番身近で手にいれられるからっぽの時間がルナじゃないでしょうか。 深町 なんかいままでの答えのなかで、一番、力がこもってますね(笑)。 柚月 そんなことないですよ(笑)。 深町 では、このホームページをみている方に一言お願いします。 柚月 う~ん、難しい。とにかく書くしかありません。一作、一作、ていねいに書き上げていこうと思っています。これからもどうぞよろしくお願いします。 深町 こっちは力がこもってないような……いや、冗談です(笑)。ありがとうございました。
◆柚月 裕子(ゆづき・ゆうこ)
◆深町 秋生(ふかまち・あきお) 1975年生まれ。山形県在住。 2004年、宝島社主催の第3回「このミステリーがすごい!大賞」大賞を受賞。 受賞作である『果てしなき乾き』(宝島社)でデビュー。 2006年11月『ヒステリック・サバイバー』、2008年8月『東京デッドクルージング』(ともに宝島社)出版。 新聞雑誌においてコラムやエッセイを多数執筆。独自の鋭い視点には定評がある。 |
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