
◆DVD/『キッスで殺せ』--恐怖のカルト・クラシック
アマゾンのホームページにとんだら、お薦め品として、ロバート・アルドリッチ監督の『キッスで殺せ』(1955年)のDVDがあるではないか。びっくり。おお、いつのまに販売されていたのだ、ぜひとも買わなくてはと、すぐにポチッとしてしまった。
僕が東京にいたころだから、おそらく三〇年近く前、深夜のテレビの名画劇場で、『キッスで殺せ』を見て、仰天したことがあったからだ。それ以来、ずっともう一度見たくてうずうずしていた映画だった。
いまでも、冒頭の場面は覚えている。深夜、どうみても裸の上にトレンチコートを羽織っただけの女性が道路をさまよい、両手をひろげて車をとめようとする場面から始まるのだ。何台か無視されたので、女性のほうも道路の真ん中にとびだして、それを避けようとした車が急ブレーキをかけて、路肩にとまり、女に毒づきながらも、男は女を車に乗せる。やがて車は、警察の検問にあい、精神病院から一人の女性患者が脱走した話をきく。男は女を守り、夫婦のふりをして検問を突破するものの、やがて暴漢たちに車をとめられ、殴られ、意識を失う。・・
という感じで、ストーリーはてきぱきと進む。アクションはダイナミックで、至るところで暴力が炸裂し、会話もいきがいい。
なぜそんなに覚えているかというと、原作がミッキー・スピレインの『燃える接吻』(ハヤカワ文庫絶版)であるからだ(冒頭の車に乗っている男は私立探偵のマイク・ハマーだ)。冒頭は原作通りに進む。おお、なんと格好いい映画だろう、迫力たるや凄まじいではないかと感激したのである。とくに驚天動地(という表現が大げさと思うかもしれないが、最初見たとき、ほんとにそう思った)のラストには唖然茫然、おいおいほんとかよ! こんな終わりでいいの! と仰天したものである。
ということで、だからこそ、喜びいさんでDVDを購ったわけだが、そして届いたDVDをすぐに開いて見たわけだが・・うーん、ちがうんだなあ、これが。
いやいや面白いことは面白い。迫力もいぜんある。悪くはない。「ヌーヴェルヴァーグの旗手となったゴダールやトリュフォーに影響を与え、タランティーノやデイヴィッド・リンチも自身の作品の中でオマージュを捧げている、異彩のフィルム・ノワール」というのも有名だし、納得できるほど闇の匂いが濃厚であるのだが、期待したほどではない。もっととんがっていて、狂気的だと思ったのに、意外とまともなのだ。
いやいや、繰り返すが、アクションはダイミナックだし、暴力描写にも切れがあるし、異様な雰囲気がみなぎっている。ただ残念なのは、冒頭のトレンチを着た女性にしろ、ハマーの永遠の恋人でもある秘書のヴェルダにしろ、あるいは鍵となる訳ありのリリーという女にしろ、どうにもこうにも(こんなことをいっていいのかどうか)趣味が悪い。都会的な洗練された美女ではなく、どこか垢抜けない田舎のオネーチャン風なのである。官能的な美しさに磨きがかからないのでは、こちらも意気があがらないではないか。
しかし、いちばんの失望は結末だろうか。拾った女とともに事故に見せかけられて殺されかけたハマーが、事件の謎を追及するうちに、ある鞄をめぐる争奪戦にまきこまれるという内容で、その鞄の中身とは何かがラストで判明し、それがものすごい結末を招くわけだが、その驚きが二度目となると、もはや驚きにならないのである。
今回のDVDには、特典映像として「もうひとつのエンディング」が収録されているが、そのもうひとつのほうが、ずっと長年流布してきた映画の結末であることがわかった。つまり、僕が30年前に見た映画の結末だ(ある時期からアルドリッチはオリジナル・マスターテープのほうを映画の決定版としていたようだ)。といっても、大して変わりはない。主人公たちがとりあえず家を脱出できたかどうかの違いでしかなく、この驚きの結末からいえば、家を脱出しようがしまいが、ほとんど変わりはないのである。どっちみち二人は(※結末を明らかにします。鞄の中身も。知りたくない人は次の段落にとんでください)、放射能の核物質の爆発でくたばるのだから。
スピレインの原作もざっと斜め再読してみたら、なかなか生きがよくて愉しく読めたが、ただし結末の鞄の中身がぜんぜん異なる。これはあきらかにアルドリッチのほうがいい。そこにあるのは、マッカーシズムが吹き荒れた50年代の「堕落したアメリカ社会への批判」であり、人がみな己が欲望に忠実になれば世界は破滅するという強力なメッセージである。それをタフガイのシリーズとして超人気を誇っていた原作の映画化の結末にすえているから、びっくりしたのだ。シリーズ・ヒーローを殺すこともびっくりなら、そこに何のためらいもないことに、さらに驚いたわけである。
原爆を落とされた日本人からすれば、そんなに簡単に核物質を持ち出して・・という想いもあるが、しかし問答無用で襲いかかる危険きわまりない物質という恐怖こそ、赤狩り=思想統制の恐怖の比喩でもあるだろう。それが明確にうちだされているからこそ、「究極のカルト・クラシック」といわれるのかもしれない。
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