
◆開高健『夏の闇 直筆原稿縮刷版』/直筆と活字のあいだ
多くの文学賞の予選委員や下読みの仕事をしていると、数はかなり減ってきたものの、いまだ手書きの原稿に出会う。作家志望の人間にとってパソコンを使わないで手書きで小説を書くというのは、作品数をこなせないことを意味する。うまくなるには、どのくらい作品を書き上げたかによることもある。エンドマークをうたずにいつまでも同じところに立ち止まっていては、作家としての成長がおぼつかない。
その意味で、手書きよりもパソコンの書き手のほうが熟達しているし、実際、手書きの原稿はほとんど二次にあがることはない。といってもこれは一般論で、何事にも例外があり、つい先日のこと、ある新人賞の二次選考に手書きの時代小説があがってきて、夢中になって読んでしまった。二次選考のベスト1で、最終選考にいくのではないかと思ったほど素晴らしかった(そういうこともある)。
それから、もうひとつ余談で、上の話と矛盾するかもしれないが、いまのパソコン世代の作家志望者たちは逆に、若いときにエンドマークをうちすぎて(作品を書きすぎて)、うまくはなっているが、つるつるして何の個性もない原稿を続けて書く傾向にある。パソコンも一長一短なのである。
いうまでもないことだが、昔はすべて手書きだった。いまでも北方謙三、浅田次郎、大沢在昌、柴田哲孝は手書きである。柴田哲孝のように、パソコンが出来るのに、ワープロを放り出して、手書きにもどった作家もいる(詳細は、柴田哲孝さんの「その人の素顔」参照、
http://www.sakuranbo.co.jp/livres/sugao/vol.07.html)。いまもどうかはわからないが、高橋源一郎は、第一稿を手書きで書き、それをパソコンにとりこんでから第二稿を仕上げていくとエッセイに書いていた。
僕自身も、書評家以前の翻訳家(もう廃業しています)のときまでは手書きで、2Bの鉛筆を使って書いていた。手書きとパソコンではさほど文体に違いはないというけれど、いまある自分の文体が、手書きの体験をへていなければ、まったく別のものになっていたような気がする。もっと滑らかな(といっても、いまの文体がごつごつしているとは思わないが)、ひっかかりのないものになっていただろう。
さて、枕が長くなってしまった。手書きの話ではじめたのは、直筆原稿をそのまま本にしたものを店頭で手にとり、読みふけってしまったからである。不思議とひとつひとつの文章が頭に入ってきて、逆に驚いた。すでに文庫で何回も読んでいるにもかかわらず、その読書体験はいままででいちばん深い気がする。作者の息づかいや迷いなどがそのまま出ているからだ。開高健の『夏の闇 直筆原稿縮刷版』(新潮社)である。
『夏の闇』には性的な体験がたくさん出てくるので、あえてそれにならっていうなら、きれいに撮られた女性のヌード写真を鑑賞するのではなく、女性そのものがそばにいるような生々しさがある。息づかいや仕種、その音やにおいなどがじかに感じ取れる。言葉の滑らかさ、たどたどしさ、迷いや緊張といった口吻も伝わってくる。もちろん肌のきめのこまやかさや荒れなども見えてくる。
文章を書くということが、あらためてひとつひとつの言葉を考えて、字にあらわし、ときに消して、ときに別の表現をあてながら枡目をうめていく行為であることを、知らしめてくれる。僕自身かつてそうやって悩みながら文章を書いていたことを思い出した。
ところが、きれいに印字された原稿では、その過程がわからない。活字の本では、言葉だけが整然と並び、きれいに包装された精神だけが浮かび上がっているが、この直筆原稿を読むと、どのようにして世界を作り上げていくのか、どのような精神状態で書いていたのかが見えてくる。訂正や加筆によって、どのように一つ一つの仕種や場面、関係を定着させていくのかが見えてくる。その葛藤と苦しみが如実に見えてくる。ありえたかもしれない小説の方向性があらゆるところでかいま見ることができるのである。
またファンに嬉しいのは、単行本と文庫本の異同が詳細に書いてあることだろう。巻末で詳しく紹介されていて、いかに開高健が推敲していったのかもわかってくる。ファンにはたまらない本である。
それにしても、iPadや電子書籍が話題になっているときに、直筆の原稿を本にするというのは、出版社としては英断であろう。もちろん開高健の丸っこい字が目にやさしくて読みやすいこともあるが、それにしても、まさか直筆原稿でまるまる一冊とは思わなかった。すでに他社で直筆で本にしていることはあるけれど(集英社新書『直筆で読む「坊ちゃん」』)、こういう直筆による本というのはもっと作ってほしいものである(※なお開高健に関するなら、直筆による『直筆原稿版 オーパ』集英社もある)。
電子書籍の時代に、直筆の作品を読むというのは時代に逆行しているようだが、いずれ電子書籍の時代になれば、この直筆原稿も画面上で読めるときがくるだろう。本にするには時間も金もかかるが、データとしてとりこみやすいので、もっと手書きの原稿がそのまま読める時代がくるのかもしれない。それを真似して手書きで書いてみる作家も出てくるかもしれない。歓迎したい流れである。
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