第39回 『あなたに有利な証拠として』

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■ディック・フランシスの死


 ロバート・B・パーカーに続いて、ディック・フランシスも亡くなった。前者は探偵スペンサー・シリーズ、後者は競馬シリーズという世界的ベストセラーをもつ。
 前者については朝日新聞の2月4日付夕刊(地方では翌5日の朝刊)に、後者については産経新聞の2月22日付に追悼文を書いた。産経はまるごとウェブで読めますし
(ホームページは http://sankei.jp.msn.com/culture/books/100222/bks1002220729000-n1.htm )、朝日も近日中にアサヒ・コムに載るようなので、興味のある人はごらんください。
 ここでは、そこに書けなかったことをあれこれ書いてみたい。

rachelwallace220.jpg この二人の違いは、パーカーは人物設定を毎回同じなのに対して、フランシスは毎回人物も物語も設定も変えていることだろうか。
 パーカーについては名作『レイチェル・ウォレスを捜せ』(ハヤカワ文庫)、単行本の『沈黙』の解説に詳しいので、そちらを参照していただきたい。ちなみに、『レイチェル・ウォレス』の解説は、僕にとって最初の文庫解説である。


 さて、ディック・フランシスの競馬シリーズを夢中で読んだのは、20代半ばだったたろうか。競馬の馬券など買ったこともないのに、競馬シリーズに夢中になった。競馬に詳しかろうがなかろうが関係がなく、とにかく血わき肉おどるような冒険小説がいっぱいあり、毎日2冊のペースで未読のものを次々と読破していった。驚くのは凡作・駄作のたぐいがほとんどないことで、そのとき20数冊読んだけれど、『暴走』の一冊のみが水準に達していない感じがしたぐらいで、あとはすべて満足した。




■フランシス小説の妙、設定の妙

 競馬シリーズを読んでいて思うのは、とことん作者は小説のことを知っているな、ということである。だからこそ競馬に関心がない人も夢中になって読んでしまう。その利点や長所はたくさんあるが、やはり何といってもうまいのは、設定の生かし方だろう。競馬シリーズは同じヒーローを二度使わない主義であったが、ふたつ例外があり、そのうちのひとつが『大穴』『利腕』『敵手』『再起』に出てくる調査員シッド・ハレーである。元競馬騎手で、障害競争のときに落馬して左腕を負傷して引退し、調査員の活動をしているという設定。フランシスのヒーローのなかでも、とびぬけての不撓不屈の男である。その男の左手は義手だ。

meimon220.jpg おそらく障害者の潔い生き方を提示するための設定と思うかもしれない。事実、ハレーにいくつも関門を設ける。ヒーローが出来ることと障害者であるがゆえにできないことに直面させる。そのうちのひとつがテーブル・マナーで、そのときの客たちの冷淡な視線をしっかりと書く。ヒーローなのに、とことん苛め抜くのである。それがフランシスのやりかただ。
 しかし設定をたんに障害者であるがゆえのマイナス要因として捉えているのではない。もっとテーマに深くかかわる設定なのである。負傷した左手が問題なのではなく、唯一使える右手を拷問にかけたらハレーはどうするのか? ということだ。忠誠を尽くすべき相手がいて、守るべき情報がある以上闘い続ける。己が信条(悪に屈伏しない)があり、なおさら闘い続けるのだが、拉致され、唯一残っている正常な右手を拷問にかけられたら、ハレーは自白するのかどうかという問題である。そこまでフランシスはヒーローを追い詰める。だからこそ読んでいるほうは体が熱くなる。たんに肉体的な試練なのではないのだ。精神的な試練のほうにこそ重きをおく。右手かわいさのために簡単に自白するのか、自白したとして、一生屈伏したままで生きていられるのかどうか、と、そこまで考えさせる。

 シッド・ハレーものの設定が興味深いのは、その左手が負傷していて使えないということのほかに、別れた妻の父親と仲がよい、という関係もある。その関係に、別れた妻が不快感を覚えて、なにかと邪魔をするという設定。これが作品をおうごとに、それぞれ好きな相手ができて、いちだんと複雑になっていく。この辺はメイン・ストーリーではなく、サブ・ストーリーなのにしっかりと読ませる。産経の追悼文にも書いたけれど、フランシスの競馬シリーズが素晴らしいのは、メイン・ストーリーを裏側から支える形でいくつものサイド・ストーリーが織りなされていくことだろう。

bakkin220.jpg 設定といえば、フランシスがはじめてアメリカ探偵作家クラブ賞の最優秀長篇賞に輝いた『罰金』も印象的だ。競馬記者が、小児麻痺で寝たきりの妻を介護しながら事件を追う設定である。健常者と障害者(それも寝たきり!)のうるわしき夫婦愛を奏でるための設定かと思うかもしれないが、フランシスはどこまでも現実的である。記者は妻を愛しながらも健常者の女性を好きになり、その女性もまた記者の妻の存在を気にかけながらも記者の愛にこたえるという風になっていくのである。

 この三角関係がどうなるかは読んでのお楽しみだが(ラストはちょっと意外だった)、このように、物語や人物の設定をとことん生かしていくのが、フランシスに代表される海外ミステリ(小説)の書き方である。ヒーローの価値観がときに揺らぎ、ときに強固になるための装置でもある。また、物語のテーマと密接に絡み、物語のなかに新たな倫理を生み出すこともある。

 小説において設定を生かす(もしくは変奏する)ことは、ヒーローの行動のみならず内面のドラマをあぶりだすうえでも、また、価値観や倫理観をより際立つうえでも大切なことである。その設定の生かし方を中心に小説を読むことも面白いと思う。
 

■変化球の解説、フランシスの『名門』

 フランシスの文庫解説は『名門』だけである。ちょうど三冊目の解説だ。
 ロバート・B・パーカー『レイチェル・ウォレスを捜せ』(ハヤカワ文庫、1988年3月)、ジェイムズ・クラムリー『さらば甘き口づけ』(同、9月)、そしてディック・フランシス『名門』(同、10月)となる。自分でいうのもなんだが、僕にしては珍しい変化球的な解説で、男と女の会話スタイルにし、めずらしく採点表つきで、当時のシリーズの最新作まで全部★★★★★満点で採点した。早川からクレームがくるかなと思ったら、なんのクレームもなく載せてくれたのは嬉しかった。

               
■ディック・フランシスは「家内工業」?

DICK FRANCIS  A RACING LIFE220 .jpg フランシスは40をこえる作品を残したが、長年、メアリー夫人の執筆が噂されていた。フランシスがメアリー夫人とともに来日したときに、細かい作品のことをきかれるとフランシスが言葉につまるときがあったという。そのときに、すかさず助け船をだしたのが、メアリー夫人で、答は的確で、シリーズ全体の作品の細部をきわめてよく記憶していた。そこから、実際に執筆しているのがメアリー夫人ではないか、フランシスはプロットやキャラクターや細部の体験を担当しているだけではないか、という噂がまことしやかに流れるようになった。

 事実、フランシス一家と親しいジャーナリストのグラハム・ロードが『ディック・フランシス ア・レーシング・ライフ』(未訳)のなかでメアリー夫人が仕事のパートナーであることを明かしている。ただメアリー夫人は自分は黒子でいたいといい、表に出ることに難色を示していたという。

 この評伝が出たあと、メアリー夫人は病死し、フランシスは筆をおるようになる。数年後、フランシスは復活をとげ、やがてシリーズのリサーチャーをつとめていた息子のフェリックスとの共著の形をとるようになる。おそらく「ディック・フランシス」は、元競馬騎手のフランシスの名前ではなく、フランシス一家の企業名なのだろう。妻が、息子が書いて、智恵をだしあい、プロットをねりあげているのではないか。文字通り「家内工業」だと思うのだが、どうか。だから、息子のフェリックスがいるかぎり、競馬シリーズはずっと続くと思う。

 


 

 

 

 

  

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