
■ヘレン・マクロイ『殺す者と殺される者』(創元推理文庫)
<書籍>
正直に告白するなら、ヘレン・マクロイの『殺す者と殺される者』を読む前、1957年のサスペンスということで、果たしてどうかなと思っていた。この小説はもともと1960年に創元推理文庫から上梓されたものの、その後、きわめて入手困難になり、古本に法外な値段がついていた(ちなみにアマゾンのユーズド価格は22000円なり)。復刊アンケートにより、半世紀ぶりに新訳で復刊されたのだが、かつて『暗い鏡の中へ』『読後焼却のこと』を読んでもさほど感心した覚えもなくて(つまらなかった印象もないが)、どうかなという疑問があった。ましてや、有名なトリックの走りという情報もあって、その手のものはバリエーションのほうに傑作が多いから、なおさらどうかなという思いもあった。
というのも、密室でも記憶喪失でも交換殺人でもなんでもいいけれど、現代になればなるほど、トリックのアレンジは難しくなる。手品(マジック)を想像してもらえばわかるだろう。昔は箱に入った女性を鋸で切ったり、串刺しにしたりしただけで充分に驚いただろうが、いまではそんなもの誰も驚かない。大胆なアレンジやさらなる過激な技を見せてくれないと愉しめない。それと同じことがミステリのトリックにもいえて、オリジナルのトリックでも、ネタを知った段階で興ざめになる。いまや自由なトリック(もしくはジャンル)の組み合わせこそが大事であり、それだけ難易度が高くなっている。たとえオリジナルというだけでは、読者は満足しないのである。
とはいえ、一応とりあえず古典の確認のために読んでみるかという軽い気持ちでひもといたわけだが、いやあ数頁読んで、ものが違うと思った。マクロイの文章の密度の濃さはわかっていたが、その落ち着いた文章だけでも嬉しくなる。
物語を紹介するなら、心理学者のハリーが故郷へ移住し、人妻となった想い人と再会し、新生活を送るもうちに、彼のまわりで小さな異変が続発し、ある事件が起きるというものである。いわゆる心理サスペンスである。それも・・・いやいや、いえないか。
たいていの読者なら、あのトリックかな? と想像がつくのではないかと思う。いまではありふれたというか、手垢のついたトリックである。だから実際三分の二で明かされる真相に驚きはしない。しかし本書が凄いのは、実はそこからである。この小説の3年後(1960年)に作られたサスペンス映画の巨匠の名作もそうだが(ちなみに元になった原作は1959年)、たいていはネタが明かされて、説明が施されて終わるのに、この小説ではそこからサスペンスが醸成される。マクロイは最初から、この二段階のストーリー展開を考えていて、そのために周到に伏線を張りめぐらしている。その伏線がすべて回収されていき(これがもう鮮やか。驚くほど鮮やか)、サスペンスをいちだんと高めていくのである。
主人公をとりかこむ問題がすべて説明されたにもかかわらず、物語は終わらない。主人公の内なる葛藤がはじまるからだ。選択に迷いが生じる。その迷いの原因は関係者への愛であり、疎外されている自己の哀しみである。いったいどういうふうに、その愛と哀しみに折り合いをつけるのかという興味で読んでいく。引き裂かれるアイデンティティの苦悩と悲劇という点を捉えている点で、この小説は一気に現代的になる。
しかもあらためて驚くのはマクロイの卓越した技巧と巧緻なプロットである。それも単なる技術的なものではなく、あくまでも主人公のエモーションを生々しく喚起させることに重きが置かれているのが素晴らしい。トリックを考えついたのも素晴らしいが、それによりかからず、それを有機的に発展させて、いくつもの内的ドラマを作り上げているのが素晴らしい。「元祖にして至高」とは、本書を某誌で書評したミステリ評論家杉江松恋の言葉だが、まさに「元祖にして至高」だと思う。
■北原亞以子『まんがら茂平次』(徳間文庫)
奥泉光『坊ちゃん忍者幕末見聞録』(中公文庫)
<書籍>
PHPの小説・エッセイ文庫『文蔵』は、毎月意欲的な特集を組んでいて、しかも内容が濃くて読み応えがあるが、二月号は「知識ゼロからの幕末小説」。“「竜馬伝」で興味をもったあなたへ!”のブックガイドである。
そこでは書評家の大矢博子さんが、六つのテーマ、すなわち1「大河ドラマをもっと楽しむ」2「キャラにキュンと恋する」3「幕末史をしっかりおさえる」4「時代に翻弄された女たちに泣く」5・「たくましい庶民の力に共感する」6「史実にとらわれずに楽しむ」にそって、それぞれお薦め本を3冊ずつあげている。ひじょうに目配りのいい選択であり、入門編としては最適だと思う。
ただ、さすがにそれぞれ3冊では、膨大な数にのぼる幕末小説のなかでは紹介しきれないだろう。今月たまたま北原亞以子の『まんがら茂平次』(徳間文庫新刊)の解説を担当したけれど、これも幕末が舞台の幕末小説。千に三つの真実がせんみつなら、万に一つも本当のことのことがなくて空っぽという“まんがら茂平次”を中心にした群像劇だ。理想や大義がかまびすしい幕末にあって、嘘八百で時代の荒波を乗り切ろうとする男の生き方には、そのまま武士(志士)たちが掲げる理想も大義も嘘とほとんど同じではないかという批判精神がこめられている。幕末を、第二次大戦と重ね合わせる作者のリアリストの目が光る秀作といっていい。
もうひとつ、破天荒な作品を紹介しよう。間違っても正しいブックガイドからはこぼれてしまう異色作だ。奥泉光の『坊ちゃん忍者幕末見聞録』(中公文庫)である。
出羽の国は庄内平野のど真ん中、鶴ケ岡の城下で霞流忍術を修業している松吉は、ひょんなことから江戸に遊学する庄屋の息子、鈴木寅太郎の監視役になる。ところが寅太郎、剣術はまるで駄目で度胸もないくせに尊皇攘夷の思想にかぶれ、京の都へと向かう。そこで新撰組を勉強したいというのである・・。
もう語り口とキャラクターの勝利だろう。陰謀と敵意が渦巻く幕末の京都で、剣も忍術もあるけれど、ほとんど使えず、まさに徒手空拳の出たとこ勝負で危機を乗り切っていく話をたくみに読ませる。
面白いのは、物語のボルテージがあがるにつれ、坊ちゃん忍者が人事不肖になると、突如幕末の風景が現代のそれとかわり、侍たちが現代で殺陣をおこなうところだろう。実に突拍子もないようにみえて、これが少しも違和感がない。少しも不思議な感じがなく、むしろ読者の高揚感を高めていく。それは全篇に愉快な気分が横溢し、人物たちの生きるリズムが確かに刻まれているからだろう。生の鼓動に幕末も現代もなく、終盤、時間が自由に行き来し、突如現代の風景のなかに坊ちゃん忍者たちを彷徨わせても、何の違和感もない。むしろ楽しさが倍加されるほど。
戦争文学とミステリとSFが融合した一大傑作『グランド・ミステリー』、夏目文学とミステリとSFを合体させた秀作『「吾輩は猫である」殺人事件』、音楽小説とファンタジーの融合『鳥類学者のファンタジア』(作者の故郷である三川町が出てきます。とても印象的な場面だ)など、ジャンル・ミックスで才能を発揮する著者の会心の一冊。スラップスティックな歴史ファンタジーだ。
■ホルヘ・エルナンデス・アルダナ『夜のバッファロー』(07年/メキシコ)
<DVD>
今回はこれぞというお薦めがないので、ここ2週間で見たDVDの感想をメモ風に綴っていこう。まずはコミックの原作を映画化した作品から。
いくらコミックの映画化といっても、これほど無意味な物語と無駄な演技もないだろう。『G・I・ジョー』(09年。監督スティーヴン・ソマーズ)は、早送りする時間すらもったいないほど脚本がお粗末。刀をふりまわす韓国俳優(名前は書かない)は幼稚な演技をさせられて可哀相としかいえない。
同じコミックの映画化でも、『ザ・スピリット』(2008年。監督フランク・ミラー)は、まだコミックがもつ荒唐無稽とチープさを再現していて悪くはない。しかし制作者たちがひとつひとつの場面の造詣や映像に凝りすぎて、ストーリーがしばしば停滞し、コミックなのにぜんぜん笑えなくなる。むしろ原作者の伝説の漫画家ウィル・アイズナーの功績をたたえる特典映像のほうがドキュメンタリーとして見応えがある。
ジェイソン・ステイサム主演の『トランスポーター3 アンリミテッド』(2008年。監督オリヴィエ・メガトン)は、大ヒットシリーズの第3弾。僕の大好きなシリーズであるが、今回は駄作。悪しきハリウッド様式で、ストーリーよりも見せ場重視、カー・スタントの名場面集のためにストーリーをでっちあげたような代物で、もう見ていてあくびがでる。暴漢たちとの格闘も、ステイサムが強すぎて、単なる舞踊にしかみえなくなっている。このシリーズはステイサムと絡む女性の存在感が決めてなのに(主人公の行動原理との葛藤が生まれて、そこからエモーションが生まれるのに)、今回はそれがない。あまりにお人形さん的な女性像(騎士に救われる美女という絵に描いたような陳腐さ)で見るにたえない。
それなりに愉しんでみたのは、『ダウト』(2005年。監督ウェイン・ビーチ)だろうか。ただし演出がもうひとつだが。
市長選にうってでようとする地方検事フォード(レイ・リオッタ)が愕然となる。部下で恋人の検事補ノラが男を射殺したというのだ。ノラによるとレイプされそうになったために殺したというのだが、まったく異なる証言をする男があらわれる。いったい何があったのか。
監督のビーチは、『ホワイトハウスの陰謀』『アート オブ ウォー』の脚本を手がけた脚本家で、この作品が監督デビューとなる。脚本家が監督デビューするケースが多く、それなりに成功することもあるが、ビーチの場合は(愉しんでみたといってはなんだが)失敗だろう。先の読めない、ツイストのあるプロットはなかなかいいのに(愉しんだのはこのプロット)、演出に切れがない。はかったようなどんでん返しも、本来なら観客はびっくりするはずなのに、演出が決まっていないから驚きが足りない。
そもそも、そのまえの二転三転する展開だって、いくらでも驚きとともに見せることができるだろうに、それができない。クローズアップとか構図・逆構図とか、いろいろテクニックを駆使すればいいものを、ビーチはそのへんの知識がない。ケレンのある演出ができないんですね。この映画が災いしてか、ビーチはこのあと映画を撮っていない。
いちばん印象に残ったのは、『夜のバッファロー』(07年。メキシコ。監督ホルヘ・エルナンデス・アルダナ)になるだろうか。不満も多々あるのだが。
この映画をみたのは、脚本が、監督のアルダナとギジェルモ・アリアガであるからだ。アリアガは『アモーレス・ペレス』『21グラム』『バベル』『メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬』という傑作を送り出している脚本家。時系列を崩して、過去をモザイク状に組み合わせてドラマをもりあげていく。とくに『21グラム』と『メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬』は傑作だと思う(『アモーレス・ペレス』もそのうち再確認すべくDVDを購っているのだが)。アリアガは監督業にも進出して、『あの日、欲望の大地で』という映画も撮りあげている。
個人的にもっとも気に入っている脚本家なので、見たわけだが、これはアリアガの映画というよりも、アルダナという監督の映画ですね。青年が友人の恋人と妹と寝てしまい、複雑な関係に陥り、最後は友人が精神をやんで自殺する。もともと友人は自傷行為に走り(足の指を二本切断した過去をもつ)、精神的に不安定だったのだが、それでも自殺されて、残された青年と恋人と妹は困惑し、体の関係を重ねながら、苦悩を深めていく。
アリアガの脚本らしく時系列を崩しているところもあるけれど、ほとんどフラッシュバック風にやさしく説明的になっていて、やや平凡。わかりやすく過去の場面を説明的に並べて、現在の混沌とした心理の説明にあてている。それでいて、青年を翻弄させる恋人の存在(とくに心理)が謎めいていて、行動の意味がつかめない。ドラマが深まりそうなのに、はぐらかし、煙に巻き、着地点が曖昧で、消化不良が残る。おそらく動物園の狼が、なにかの象徴を担っているようなのだが、そこまではつかみきれない。それでも、何かしら、青年の不安な心理が、ざらりとした感触として伝わってきて、悪くはない。
■書評の蔵出しです。品切れ本もありますが、みなお薦め。
●サラ・パレツキー『バースデイ・ブルー』(早川書房)→ハヤカワ文庫
「・・本書でも、捜査の過程でホームレス、児童虐待、マネー・ロンダリング、外国人の不法就労などの問題が浮上し、(私立探偵)ヴィク(・ウォーショースキー)は権力者や周囲(恋人・友人・知人)と衝突していく。それは辛い正義の追求であり、苦い選択の連続でもある。でもヴィクは最後まで突っ走り、事件を解決へと導く。そして、結末で出会わざるをえない苦渋とそれを上回る温かさ。40歳を迎えたヴィクの新たなスタートを予感させる、実に感動的な作品だ」--女性誌「マフィン」1995年2月号
●斎藤純『凍樹』(講談社)→講談社文庫
「・・本書には『風土』や『海市』で知られる福永武彦の影響が見られる。つまり芸術と愛をめぐる孤独な魂の触れ合い、清潔で抒情的な作風、全篇にあふれるロマンティシズムと、まさに福永的な美しさをもつからだ。・・禁欲的な愛の切なさを謳うわす忘れがたき佳篇である」--「サンデー毎日」1999年2月28日号
●高橋克彦『蒼い記憶』(文藝春秋)→文春文庫
「・・記憶をテーマにした短篇が収められているが、いずれも巧みなプロットで、まったく先が読めない。・・次々によみがえる過去のイメージ、くつがえる事実、そして劇的に浮上する真実。この短篇(「棄てた記憶」)は「記憶」シリーズの雛型ともいうべき優れた作品だろう。(トマス・H・)クックほどの文学性はない。だが、クックにはない鋭い切れ味があり、しばしばどきりとさせられる。クック同様、読んで絶対損はしない本だ」--「財界」2000年2月29日号
●宮部みゆき『クロスファイア』(カッパノベルス)→光文社文庫
「・・超能力という際物になりやすい題材を選んでも、人物たちに真実味がある。様々な人物たちの悲しみや苦しみを掬いあげ、情感に富む、温かく優しい宮部ワールドを作りあげているからだ。・・人はスティーブン・キングの『ファイア・スターター』(新潮文庫)の影響を語るだろうが、僕はブライアン・デ・パルマの名作『キャリー』や『フューリー』を思い出していた。ここぞというときのスローモーションの場面など、まさにパルマの得意とするそれを想起させるからだ。/ともかく本書は、宮部があらためて語り部たる本領を発揮した力作。読むべし!」--女性誌「VERY」1999年2月号
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