
■岡井隆『瞬間を永遠とするこころざし 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)
<書籍>
わたしは、今でも、毎日ことばによるデッサンをくり返している。
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新刊、旧刊、映画という構成で、旧刊では個人的な好みに走ってもいいが、新刊だけはわりと一般読者が愉しめるものをと思って紹介してきた。
というと、今年だけでも、河野裕子の歌集『母系』や『角川春樹句会手帖』など、ずいぶんマイナーな本をとりあげているではないかといわれそうだが、それでも、僕のなかでは普遍的な面白さをもつと思ってとりあげたもので、短歌と俳句というだけで敬遠する人たちには入門書になるのではないかと考えたからである(だからいまだに読んでいない人がいたら、ぜひ二冊をお読みください。特に『角川春樹句会手帖』は比較的入手しやすいので、とりあえず書店で立ち読みでもしてください。立ち読みすればもうあとは読みたくなるでしょう)。
だから、とうぜんマイナーな(もっとマイナーな?)本は敬遠することにして、紹介しなかったのだが、しかし個人的好みで、今年一年を振り返るときにどうしてもあげたい本が何冊かある。その一冊が、岡井隆の『瞬間を永遠とするこころざし 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)である。これは、日経の名物コラム「私の履歴書」で連載したものをまとめたもので、歌人としては最長老格であり、短歌関係の文学賞を多数受賞し、さきごろ芸術院会員にも選ばれた文学者の回想記である。僕は歌人としてよりも文芸評論家岡井隆が好きで、彼の評論は暇があるといつも読んでいるし、その優しくやわらかなスタイルに魅せられているのだが、それは今回の書物でもかわらない。
わたしは一九七〇年七月に、長年すみなれた東京を離れて九州へ行った。その時、今までの職場とそこでのキャリア、歌壇におけるそれまでに築いて来た経験や名などをすべて失ったが、これは自分がとった行動の結果だから当然のことである。しかし、家族その他周辺の人々、職場や集団に対して犯した罪は、一生かかっても拭いがたいもので、わたしはその償いのために心身に負荷を負い続けて今も歩いているといってよい。(「逃亡以後の生と歌」)
いきなり、こんなところを引用するのもなんだが、これは岡井の苦い過去のひとつである。1928年生まれなので1970年というと42歳のときになるが、岡井隆は“逃亡”した。若い女性との不倫の果ての逃亡とされているが、それによって上にあるように「すべてを失った」のである(すべてを失っていまの名声を獲得したのはある意味で凄いことであるが)。
この回想記が見事なのは、そのような自分が犯した過ちなども告白して、当時作った短歌を引用しながら、実に客観的に時代と己が精神の変容を語り尽くしている点である。映画の言葉を使うなら“セルフドキュメンタリー”ということになるだろうか。自分の歴史がそのまま戦後の日本の歴史とクロスする。いかに時代と向き合って歌を作り、評論を書いてきたかを振り返る内容で、そこに自ずと普遍的な時代の深層があらわになる。
しかし、読んでいて心惹かれるのは、それよりも現在の岡井隆の心境だろうか。その最たるものが、冒頭に引用したアルチザン(職人)的日々である。岡井はいま81歳である。生きている歌人のなかで、最高クラスの歌人である。その歌人が、“毎日ことばによるデッサンをくり返している。・・うまくゆけば単純によろこび、失敗すれば何度も書き直す”というのである。
アルチザン(職人)という言葉があり、アーティスト(芸術家)と対比されることがある。わたしは、一芸を技術的に磨き上げたいという志において、アルチザンに徹したいと今でも思っており、これは十七歳で作歌を始めてから今まで変わることはない。だから、基本的な技法をマスターするために修業をし、その上に立って、あらゆる技法を模索しつづけることが理想である。わたしは、いい歌人といわれるより、技のたくみな歌人といわれることを誇りとしたいのである。(同)
81歳の歌人が、“アルチザンに徹したいと今でも思って”いる、“基本的な技法をマスターするために修業をし、その上に立って、あらゆる技法を模索しつづけることが理想である”ともいうのである。このような謙虚なことを、小説の大家はいうだろうか。また、“わたしは、いい歌人といわれるより、技のたくみな歌人といわれることを誇りとしたい”とも。だから岡井隆は若いのだろう。
新作の『鴎外・茂吉・杢太郎 「テエベス百門」の夕映え』(書肆山田、08年10月)の紹介でも、こんな風に書いている。
もう一冊は若いころから目標にして来た森鴎外、斎藤茂吉、木下杢太郎という三人の大先達の詩歌について、その伝記とからませながら書いた本である。もとよりこの三人には遠く及ばないにせよ、まだ勝負はきまってない。わたしに余力があり余生がある限りそう考えるべきだろう。(「瞬間を永遠とするこころざし」)
繰り返すが、81歳の歌人である。その歌人が、“遠く及ばないにせよ、まだ勝負はきまってない”というのである。“わたしに余力があり余生がある限りそう考えるべきだろう”と。この挑戦的な闘争心が気持ちいいではないか。
そういったあと、“もの暗い世の中だからといって、もの暗い歌ばかり書く必要はないだろう。秋のはじめ中秋の名月の夜に、伊豆山神社で行われた源頼朝ゆかりの歌会に加わって、次のような歌を奉納した”といって、「瞬間を永遠とするこころざし無月(むげつ)の夜も月明(あ)かき夜も」という歌を紹介する。そして、“生きているこの「瞬間」を「永遠」のものに定着する志だけは、失いたくないと思って今日もまたペンを握っている”と結ぶのである。“生きているこの「瞬間」を「永遠」のものに定着する志だけは、失いたくない”。簡単なようで、とても難しいことを、たえず挑戦し続ける、それが岡井隆の余生なのだろう。
■佐藤正午『小説の読み書き』(岩波新書、2006年6月)
<書籍>
第26回でとりあげた佐藤正午の『身の上話』が、『2010完全保存版ダカーポ特別編集「Book of The Year」』 (マガジンハウスムック) の国内ミステリベスト10の第一位
に輝いた。前々からずっと佐藤正午の小説はミステリである! と連呼してきた者には嬉しくなるが、しかしいきなり一位となると、それでいいのか? という思いもする(笑)。選考委員の香山二三郎と杉江松恋の好みが出たともいえるけれどね。ちなみにベスト5は、飴村行『粘膜蜥蜴』、米澤穂信『追想五断章』、道尾秀介『花と流れ星』、佐々木譲『暴雪圏』と続く。
それはともかく、佐藤正午の語りの巧さやプロットの巧緻さはどこから来るのか、いやそもそもどんなふうに小説のことを考えているのか。
それを考える上で最適なのが、『小説の読み書き』である。本のコピーをそのまま引用するなら、この新書は、“小説家は小説をどう読み、また書くのか。近代日本文学の大家たちの作品を丹念に読み解きながら、「小説の書き方」ではない「小説家の書き方」を、小説家の視点から考える斬新な試み”となるだろうか。
具体的には、近代日本文学(夏目漱石『こころ』、志賀直哉『暗夜行路』、川端康成『雪国』)から現代文学(三島由紀夫『豊饒の海』四部作、吉行淳之介『技巧的生活』、開高健『夏の闇』)、さらにミステリ(松本清張『潜在光景』、結城昌治『夜の終る時』)をテキストにしながら、最良の「小説の書き方」ではない、あくまでも「小説家の書き方」を、ひとりの小説家の視点から捉え直している。
佐藤正午は、抜群のストーリーテラーであるから、まずどのように小説を始めるのかをチェックしていく。細かい句読点をどううつのか、主語を省略するのかしないのか、主語を繰り返すのかどうか、挿話をどのように形にするのかといった細々としたことを、実に丹念に見ていく。しかも単なる名作鑑賞ではなく、あくまでも現役の小説家の視点からどのように刺激を受けるのかも書ているから、興味がつきない。
なかでも出色なのは、森鴎外の『雁』をサバの味噌煮から読み解き、人物の些細な好き嫌いが人の運命を狂わせることの可能性を詳らかにするところだろう。そしてサバの味噌煮を別のものに置き換えて新たなストーリーを生み出していく。「小説の書き方の練習問題」として機能させるのである。学者や評論家たちが絶対に目をつけないところに着目して、作品の勘所をつかみ、いまだに刺激を与え続ける文学の原動力を語る。
毎月、山形の「小説家(ライター)になろう講座」や仙台「小説家・ライター講座」に関わり、作家の講評にふれていると、かくも作家と評論家の見方は違うのかという場面にぶつかるが、この新書にもそれがいえる。
最後に「追記」があり、そこでは自分の無知をさらけだしているのだが、それがほとんど芸として愉しませてくれるから、驚く。巧緻な物語を抜群の語りで読ませる佐藤正午ならではの自信のあらわれだろう。
■DVD/『サンセット大通り』(1950年。監督ビリー・ワイルダー)
小説『ロンドン・ブールヴァード』(ケン・ブルーエン、新潮文庫)

いまから12年前になるだろうか、1997年の5月に、三谷幸喜の舞台劇『バイ・マイセルフ』(松本幸四郎&市川染五郎主演)が話題になった。そのストーリー紹介を読んだとき、僕は未訳だったドナルド・E・ウェストレイクの『セイクリッド・モンスター』(2005年『聖なる怪物』として文春文庫から翻訳出版された)を思い出した。ちょうど仕事で原書を読み、90年に「ミステリマガジン」に原書レヴューを書いたことがあったからだ。
劇のほうは、老俳優の自伝を書くべくゴーストライターが引退した名優の家を訪れ、名優の隠された秘密(ある殺人の真相)を知るというものらしいが、『セイクリッド・モンスター』は、新聞記者が取材で、かつての名優のもとを訪れ、秘密の過去(殺人)が明らかになるというものだった。あれれ、そっくりじゃないか? と思ったのだが、たまたま似たのかもしれない。演劇ファンにはミステリファンが多いので、巨匠ウェストレイクの未訳のサスペンスの佳作が話題にならないこともないかと思うが、わざわざ似せる必要はないからね。
それはともかく、二作の類似を、1老俳優を訪ねる青年、2二人の葛藤、3明らかになる過去の殺人という共通項で語ったが、一歩引いて、屋敷で暮らす名優にまつわる謎という風に考えると、この二作は、あるハリウッド映画の古典の影響下にある。そう、いうまでもなく、ビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』(1950年)である。実際、『セイクリッド・モンスター』は、“これは現代版『サンセット大通り』だ”(デトロイト・ニュース)と評されたほど。
この映画はいまだに多くの作家たちに影響を与えているようで、今年、ケン・ブルーエンの『ロンドン・ブールヴァード』(新潮文庫)が翻訳されたけれど、これも『サンセット・ブールヴァード』(原題)にインスパイアされたもの。刑務所から出てきたばかりの男が、神経の病んだ女優と、女主人に忠実な執事のいる屋敷に入り込むことになる話である。
50年代のロサンジェルスの話を現代のロンドンに置き換えているから、いちだんと野卑かつ暴力的になっているが、しかしブルーエンだから、下世話なユーモアとあちこちから箴言を引用して、脱力するような、でも危険にみちた物語に仕立てている(この辺のバランスの取り方がブルーエンは抜群にうまい)。小説では、最後の最後に痛烈な一言を女優にあびせ、映画とは一味もふた味も違う視点からの物語であることをあらためて感じさせている。一言でいうなら、すさまじいまでの女優の狂気とそれに盲従する執事の妄執を描くのがワイルダーの映画ならば、狂気にみちた世界を軽やかに生き抜く一人の男を描くのがブルーエンの小説といえるだろうか。
小説はやや尻切れトンボ的で、もうひとつ食い足りないけれど(それでも読む価値は充分にある)、映画『サンセット大通り』のほうは、いまみても圧倒的な迫力である。女優を演じるグロリア・スワンソン、執事役のエリッヒ・フォン・シュトロハイムはまさに鬼気せまって見事であり、売れない脚本家役のウィリアム・ホールデンは対照的に優男の印象で、それが悲劇であり同時に喜劇でもある物語の重力にぴったりである。
というのも、映画を見た人ならしかと覚えているだろうが、ホールデンが冒頭、プールに浮いた死体として登場するからだ。しかも彼が語り手となって、なぜ自分がプールに浮く死体となったかを回想するのである。死者の一人称による語りという、画期的なスタイルの映画であり、これに勝るものはいまのところない。見ていないことが恥ずかしいような古典である。
■書評の蔵出しです。品切れ本もありますが、すべてお薦め。傑作揃いです。
●ロバート・キャンベル『鮫とジュース』(文春文庫)
「・・先がまったく読めず、意外性に充ち、それでいて決して作り物の印象がない。人物たちのこせこせとした欲と見栄と意地の張り合いが物語の進展を微妙に変えていくのだ。この変化が何とも面白い。全くうまく作られている。嘘がない。いや、花も実もあるフィクションだが、ここには豊かな人生讃歌があり、それが小説を生きたものにしている。刑事から悪党、脇役の影の薄い女まで、各自に見せ場がある。性格作りが秀逸なのだ。・・(キャンベルの時代が来るかもしれない)そんな予感を抱かせる秀作だ」--1993年11月22日付産経新聞読書面
●重松清『日曜日の夕刊』(毎日新聞社)→新潮文庫
「・・重松清を読むたびに僕は山本周五郎を思い出す。あるいは山口瞳や向田邦子を。けれんのない自然な語り口で人生の哀歓を掬いあげた作家たち。繊細でユーモラスで情感豊かな小説の数々。そこに生きる忘れがたい愛すべき人物たち。もう彼らの新作は読めないけれど、僕らには重松清がいる。本書はそんな重松清の代表作。直木賞の有力候補だろう」--1999年12月26日付北海道新聞読書欄
●奥泉光『坊ちゃん忍者幕末見聞録』(中央公論新社)→中公文庫
「夏目文学へのオマージュを推理小説&SF仕立てにした傑作『「吾輩は猫である」殺人事件』同様、ユーモアと風刺が利いていて、読者は笑い通しだ。正に語り口とキャラクターの勝利。・・『グランド・ミステリー』『鳥類学者のファンタジア』など、近年ジャンル・ミックスを発表している鬼才の新たな収穫だろう」--2001年12月2日付朝日新聞読書欄
●ジャスパー・フォード『文学刑事サーズデイ・ネクスト1 ジェイン・エアを探せ!』(ソニーマガジンズ)→ヴィレッジブックス
「・・途方もない奇抜な設定に驚き、紡がれる奇想に魅せられて本を繰る手がとまらない! 物語は実にシュールで、知的で、波瀾にとんでいて、わくわくする。文学が好きであればあるほどトリヴィアなディテールに血が騒ぐだろう。古今の文学への批評精神にみちあふれた秀作。文学ファンは必読! 採点は★★★★1/2。」--「週刊文春」2003年11月13日号
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