第25回 『あなたに有利な証拠として』

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■スティーグ・ラーソン『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』(早川書房)


<書籍>


 

 

「・・このシリーズはいつまでも読み継がれるだろう。世界各国に翻訳され、世界中の読者に愛されるにちがいない。さまざまなジャンルをもつミステリの面白さ(それは同時に物語の面白さでもあるが)をあらためて感得させてくれる傑作シリーズであり、同時に、いつの時代でも暴力とむきあわざるをえない女性たちを励ます力強い小説でもあるからである」(池上冬樹の解説より)

 

 

 昨年の暮れに出た『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』、四月の『ミレニアム2 火と戯れる女』、そして七月の『ミレニアム3 眠れる王と狂卓の騎士』で、ミレニアム三部作が完結した(三作とも早川書房)。前二作も本欄で紹介したし、おいおいまたかよとお思いの人もいるかもしれないが、またまたなのである。こんなに凄いシリーズを紹介しないなんて無能に等しい。ミステリファンなら誰が読んでも昂奮するし、これほどの傑作はそうそう生み出されないからだ。

milennuimjyou3_220.jpg 簡単にいうなら(以下、解説と内容がダブルが)、スティーグ・ラーソンは三部作にミステリのあらゆるジャンルを盛り込んだのである。第一部『ドラゴン・タトゥーの女』は、気鋭のジャーナリストのミカエルとコンピュータ・ハッカーの女性調査員リスベットの二人が、四十年前に孤島から少女が忽然と姿を消した事件を追及する物語で、孤島ミステリ、見立て殺人、サイコキラー、そして横溝正史ばりの一族の闇をめぐる本格ミステリが備わっていた。
 第二部『火と戯れる女』は、リスベットに殺人の容疑がかけられて逃亡する物語で、警察小説やノワールの魅力が満載だった。
 そして第三部『眠れる女と狂卓の騎士』では、そのリスベットと父親の確執が語られ、いちだんと精神的にも肉体的もリスベットは追い詰められていく。とくに素晴らしいのはスパイ小説とリーガル・スリラーの要素がきわめて濃いことだろう。

 前作で明かになったリスベットの父親(元スパイ)を助けるべく、かつてのスパイたちが集まり、現場の指揮権をうばいとり、各方面へと人員を動かし、あらゆる情報を入手して、勝利をおさめようとする。その辺のスパイたちの陰謀と画策ぶりが実に読ませる。

milennuim3_220.jpg もうひとつのリーガル・スリラーの側面も手に汗握る。緊迫感にとんだ白熱した法廷劇が終盤に用意され、検察と弁護側が丁々発止とやりあっていく。とりわけリスベットが敵意を抱く悪徳精神科医との対決が凝っているし、何よりも一つひとつの証拠がためが見事である。

 それにしても、一冊の小説のなかに、スパイ小説とリーガル・スリラーの魅力を盛り込んだ作品など過去にあっただろうか。しかも高い水準で、さらに十二分に社会派的視点をもちながら。つまり行き過ぎた資本主義、権力をチェックするジャーナリズムの衰退、危険にさらされている女性たちの性、暴力、強制売春、人身売買といった主題を強力にうちだしているのだ。ミステリのあらゆるジャンルを包含した物語の万華鏡でありながら、同時にきわめて社会性の濃い、豊かな現代小説なのである。

 おそらく今年のミステリのベストテンでは、上位に入ることは確実だろう。票がばらけてしまうかもしれないが、『ミレニアム三部作』としてくくれるなら(実際3部作は繋がっている)、間違いなくベスト1に輝くだろう。


 残念ながら作者は、三部作を上梓したあと急逝したが、スティーグ・ラーソンはミステリ史に名前を残したと思う。スウェーデン産のミステリであるが、その内容は、全世界共通であり、世界標準の、きわめてレベルの高い傑作ミステリ・シリーズといえるだろう。必読!

 


■わが愛しの(世間では忘れられている)作品2/
バーナード・ショーペン『大いなる沈黙』『荒野の顔』(ともにミステリアス・プレス文庫)


<書籍>

 



「私はこの冬を砂漠で過ごし、広大な空の星で位置を知る無限の空間と、
大地に刻まれた無限の時間に囲まれて暮らしていた。
その広漠として静まり返った無の世界では、生命は呼吸と心臓の音に凝縮される。
ほかのすべて--記憶、夢、欲望--は何の意味もなくなる。」(『荒野の顔』)


 

 

ooinaruchnmoku230.jpg ネヴァダ砂漠を舞台にしたバーナード・ショーペンの2冊のハードボイルド、すなわち『大いなる沈黙』(90年7月)『荒野の顔』(91年10月)はほとんど話題にならなかった。あまりにロス・マクドナルド的で、プロットが複雑すぎて、家系図を作らないとわからなかった。それも後期のロス・マクを彷彿とさせるし、そもそもショーペン自身が、ハードボイルドを研究する学者で、ロス・マクに関する評論を書いているほどである。“彼女が微笑むと顔に影が差した。影に縁取られた笑みには、昔の苦悩や、希望の残骸、青春の名残りがちらついていた。”(『荒野の顔』320頁)という風に比喩もロス・マク的である。

 でもしかし、ここには独自色もたくさんある。そのひとつが物語の舞台、砂漠である。ミステリでも普通小説でも数多くあるけれど、これほど砂漠を魅力的に描いた作品はそうはない。上に引用したように、砂漠では“記憶、夢、欲望”は“何の意味もなくなる”はずなのに、私立探偵ジャック・ロス(この“ロスは”明らかにロス・マクからとったものだろう)が追求するのは記憶・夢・欲望なのである。

kouyano230.jpg 深夜三時にあらわれた娼婦の依頼は、四十年前、殺人を犯して砂漠に消えた祖父ローレンス・パーカーを捜してほしいという突拍子のないものだった。私立探偵ジャック・ロスは断ろうかと思ったが、友人のハスケルのたっての依頼でもあり、調査に乗り出す。
 ローレンスの家系をたどっていくと、ネヴァダでも有数の富豪一族にゆきあたり、複雑な人間関係があらわになっていく。やがてハスケルが何者かに殺害され、過去と現在を結ぶ悲劇が浮上してくる。(『大いなる沈黙』)

 何もかもいやになり、ネヴァダ砂漠でテント生活を送っているロスのもとに、テレビの女性レポーター、ミランダが訪れる。私立探偵の免許を更新もせず、もうなかば人生をおりていたロスだが、女性が突き出した写真をみてぐらつく。四人の男と二人の女が写っていたのだが、女のひとりはミランダの母親ベル、もうひとりの女はロスの母親セレステだった。セレステは二十五年前に事故死したことになっていたが、ミランダによればギャングの金を持ち逃げして殺されたという。ミランダの依頼は、行方不明のベルを捜してくれというものだった。(『荒野の顔』)

 どうだろう、ストーリーを少し紹介しただけでも読みたいという気持ちがおきないだろうか? とくに『荒野の顔』が読みたくなるのではないか。自分の母親はいったい何者だったのかということに焦点があわさり、入り組んだ家系が明かになっていく。ときに複雑すぎて非難されてしまうこともあるが、作者がほんとうに書きたいのは、各自の人生にひそむ物語、それが重なり錯綜する物語なのである。荒野に生きる敗残者たちの悩み、苦しみ、悲しみ、諦め、孤独といったものを見事に捉え、あるものは浄化し、あるものは沈殿させている。静かな、とても静かな、それでいて極めて暴力的な世界でありながら、ロス・マクドナルドのように沈鬱で、ジェイムズ・クラムリーのように悲しく、いつまでも読み続けていたくなる。

 ハードボイルドに正統派も通俗派もないけれど、前者を純文学派、後者をエンターテインメント派というなら、ショーペンはまさに前者であろう。スティーヴン・グリーンリーフ以降、“正統派”の形容がもっとも似合う本格的な作家といえるが、残念ながら翻訳紹介は二冊で終わってしまった。ジャック・ロス・シリーズはあと一作あるので、ぜひとも翻訳してほしいものだ。ハヤカワのポケミスあたりでどうだろうか?

 


■『ミステリー作家90人のマイ・ベストミステリー映画』


 前回に続いて、小学館文庫オリジナル『ミステリー作家90人のマイ・ベストミステリー映画』(1999年1月)で芦辺拓さんと対談した時に参考にした映画リストです。
 前回は警察・ハードボイルド関係とサスペンス映画のジャンルを扱いましたが、今回はリーガル・スリラー、アクション、ホラーのジャンルです。
 なお作品名の前についた記号は、◎=超お薦め、○=お薦め、△=時間と関心があれば見るべし、●=無視していいよ、という意味です。


■リーガル・スリラー(法廷劇・法廷サスペンス)

sinjituno200.jpg○『真実の行方』(監督グレゴリー・ホブリット)・・・ウィリアム・ディールの原作(福武文庫。絶版)を先に読んでいると、まったく楽しめない。原作のストーリーを忠実になぞっているだけなのだ。よきダイジェスト版。おそらく原作を読んでいない人間ならかなり愉しめるだろう。ただし、原作のほうがヒーロー小説としての面白みがある。もっと屈折した悩みを抱えていて、ひじょうに読み応えがある。映画よりも原作を!

△『スリーパーズ』(監督バリー・レヴィンソン)・・・現代アメリカ青少年版『モンテ・クリスト伯』である。少年院で性的虐待を受けたから、そのときの相手を射殺してもいいという映画である。それに加担する元少年院出身の検事補と、過去を知ることになった神父。背景としては確かにそういうひどい実態があるのだろうし、その実態に感情移入できるような、同じ“被害”が至るところにあり、加害者は罰すべし、たとえ法も宗教的教えも破っても、であるのはわかる。これはハリウッド映画としてのハッピー・エンド志向もあるだろう。でもね、リーガル・スリラーとして見たとき、神父のアリバイ証言を安易に使うあたりが虫が良すぎる。ヒーロー側は裁判においてたえず有利というのはいけません。ヒーロー側は劣勢にたたないと面白みがない。その劣勢をいかに挽回して、勝利するのか、それがエンターテインメントの基本中の基本。もっと手順を踏んで困難をクリアしてほしいのに、それをしないんだな。これはこの映画にかぎらず、近年のハリウッド映画みなそうですが。

●『陪審員』(監督ブライアン・ギブソン)・・・原作よりもヒロインの強さを前面に押し出した内容になっている。デミ・ムーアが熱演しているが、悪人のティーチャーの性格がサイコとして弱いのではないか。

●『評決のとき』(監督ジョエル・シューマッハ)・・・ネタばらしになるので詳しくは書けないが、原作のグリシャムは理想主義者である。そのために逆に(グリシャムの意図とは違って)、黒人がずるがしこく、白人の弁護士が間抜けであるという皮肉な真実を映し出す。人種差別撤廃という理想に燃えるのはいいが、そのためにプロットとキャラクターを細心に作り上げないと意図せざる結果になる。そこまで思いが至らないのは、グリシャムがミステリ作家としてしょせん“小結”(北上次郎)クラスだからだろう。
 だいたい、心情に訴える最終陳述で勝とうなんて、あまりにも芸がなさすぎる。グリシャムってつくづく凡庸だと思う。

●『チェンバー 処刑室』(監督ジェイムズ・フォーレイ)・・・ここでも理想主義的なグリシャムの側面が顔を出す。罪を悔いうることよりも、まずそもそも死刑制度そのものが良くないと訴える。犯した罪の贖いを考えないで、死刑制度の是非だけを分離して考えるのは物語作家のすべきことではない。死刑制度廃止という前提で物語を作るなら、冤罪で死刑に処する場合もあるというふうにすべきなのに、罪を犯した人間の償いも悔いも堀りさげないで、死刑制度の是非ばかり論じるからしらける。エンターテインメントとしても、文学としても失格。グリシャムってとことん凡庸だと思う。

●『NY検事局』(監督アラン・J・パクラ)・・・事件の粒が小さすぎる。主人公が知るべきことがらはすでに観客のほうがだいたい予想がつく。しかも事件の収拾においても、これで終わり? という落胆がある。もっと展開があるはずなのに。脚本が悪すぎる。読者の一歩手前、できれば半歩手前をたえず行くことが理想だろう。

●『ゴースト・オブ・ミシシッピー』(監督ロブ・ライナー)・・リーガル・スリラーの読者はいわば“陪審員”である。自分が陪審員なら、有罪にするか無罪にするか。それを証拠を元に考える。だから当然映画を作る側も、証拠をもとにして判決へと積み上げていかなくてはいけないのに、それがない。法廷劇を楽しみたくても楽しむすべがない。どんなに崇高な演説でも、テーマでも、最低限の証拠の立証がなければ駄目だろう。いわゆるリベラル派のための映画なら、なおさら具体的な事実を大事にして裁判劇を見せてほしい。

■アクション映画

faceoff200.jpg◎『フェイス/オフ』(監督ジョン・ウー)・・荒唐無稽な設定なのにエモーショナルで悲しい。迫力にとむ銃撃シーンはときにリリカルで、アクション場面はときにうんざりするほどしつこい(ほめ言葉です)。

◎『ロング・キス・グッドナイト』(監督レニー・ハーリン)・・平凡な主婦が実は名うての×××だったという設定はありえないのだが、演じるジーナ・デイヴィスのアクションの切れ味が実によくて、ありえるかもと思ってしまう。貧乏くじをひく相棒のサミュエル・ジャクソンとのコンビネーションも最高。続篇を作ってほしかったなあ。監督とジーナが別れてしまったので企画がなくなったのか。残念!

○『ジャッキー・ブラウン』(監督クエンティン・タランティーノ)・・どこにどう転ぶかわからない物語がいい。エルモア・レナードの原作(『ラムパンチ』)も面白いが、やはり映画のほうが出来がいいか。何よりもやはり黒人女優パム・グリアの復権が印象的。50歳前後(?)でも十二分に色気があり、悩ましい姿をもっている。

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○『エグゼグティヴ・デシジョン』
・・・緻密に作られた映画。最近では珍しくプロセスをひじょうにこまかに追っていて、サスペンスを盛り上げている。正統派のアクション映画。大根のアクション俳優を早々と殺してしまうあたりも潔くて面白い。

○『ミッション・インポッシブル』(監督ブライアン・デ・パルマ)・・・デ・パルマの特筆すべき文体、つまりスプリット・スクリーンがもうひとつ効果的でないのが不満。それでも充分に楽しめましたが。

○『ピースメーカー』・・・悪くないのだが、あまりに一直線すぎる。もうすこし男女の描き方があると思うのだが。良くも悪くも見せ場・アクション至上主義のハリウッド映画の典型でしょう。



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△『バッド・ボーイズ』/『コン・エアー』(ともにマイケル・ベイ)
・・・ベイ監督はアクション映画の撮り方を知っているが、ただあまりに現代ハリウッド映画の呪縛(見せ場至上主義)に囚われすぎていて単調になる。

●『トゥモロー・ネバー・ダイ』・・水準作。
●『セイント』・・もうひとつ盛り上がらない『ミッション・インポッシブル』
●『ジャッカル』・・2大俳優の共演がもうひとつ。
●『絶対絶命』・・愚作。金よりも時間を返してほしい。
●『ブレーキダウン』・・いかにもありそうな話ではあるが、だからといって真に迫ってくるわけではない。悪役たちにもうすこしひねりが欲しいところ。




■ホラー

△『ラスト・サマー』・・・この程度のホラーでもついつい見てしまう。フーダニットの興味がホラー映画にあるからでしょう。
●『スクリーム2』・・『スクリーム』はホラー映画の傑作だが、これは愚作。サスペンスはゼロ。
●『イベント・ホライゾン』・・下手な『エイリアン』。
●『ファングルフ』・・パンク・ホラーとして貴重。
●『痩せゆく男』・・まあ、こんなもんでしょう。
●『スポーン』・・もろアメ・コミ風で、ちょっといいですね。

 


■紙媒体に書いた書評の蔵出しです。いまなお読む価値のある作品です。

●京極夏彦『嗤う伊右衛門』(中央公論社)→角川文庫→中公文庫
「・・江戸が舞台でも親子関係から女性の自立、精神的外傷、近親相姦、幼児虐待など現代的なテーマをひそませている。おどろおどろしい怖さを強調する怪談というより、人物の内面を深く掘りさげた緊密度の高い心理劇なのだ。・・だが、それもラストに至って反転する。・・怪談でも心理劇でもミステリーでもなく、実は運命に翻弄された伊右衛門とお岩の悲恋物語であることがわかるのだ。・・」--1997年8月24日付朝日新聞読書欄「売れてる秘密」より

●ドン・ウィンズロウ『ボビーZの気怠く優雅な人生』(角川文庫)
「・・エルモア・レナードを一段とコミカルにした小説といったらいいか、軽薄と紙一重のしなやかさで犯罪喜劇に命を吹き込んでいる。その武器は作者得意のユーモア。他愛のないギャグからブラックな笑いまで次々に繰り出し、危険を乗りきり、ときに罠にはまり、そしてあっけらかんと敵を倒したりする(そのバラエティに富む諧謔生よ)。・・終盤で関係者全員が交錯・収斂するプロットと、軽快でありながら、まるで叙事詩のような響きをもつリズミカル文体(翻訳家東江一紀の名調子!)が特に素晴らしい。間違いなくベストテン候補だろう。採点は、★★★★1/2。」--「週刊文春」1999年8月5日号

●高村薫『晴子情歌』(新潮社)
「・・物語のうねりはないけれど、読者の官能をからめとり、なぶり、もてあそぶ言葉のエロスがある。・・人物たちの生理、時代によって刻み込まれた躯と感情の記憶を生々しく喚起させ、心震わせるような戦きにみちている。つまり高村薫はアクチュアリティを人物たちの精神と肉体のなかに刻み込んだのである。結局ようやく高村薫は理想の小説を見いだしたのである。人物たちの外側にあった事件としてのアクチュアリティではなく、あるいはひとつの大きな事件を柱にした現実社会の透視図としてのミステリでもなく、無数の出来事の集合体としての小説を、すなわち個人と社会の歴史を言葉のエロスで掴みとる純文学である」--「文學界」2002年8月号



 


 

 

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