第24回 『あなたに有利な証拠として』

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■チェルシー・ケイン『ビューティ・キラー2 犠牲』(ヴィレッジブックス)

<書籍>


「なぜ女が人を殺すのか」彼女はささやく。
「その原因は、恋人か、父親か、夫にあるにちがいない。
女が自分ひとりの力でそんなふうになるなんて考えられない」
「つまりきみは、フェミニストで殺人癖のある異常者というわけか」
「シリアル・キラー界のベティ・フリーダン(女性解放運動家)ね」

 


 「本の雑誌」でずっとヒーロー論(「荒野たちのヒーロー」)を連載しているので、小説や物語をヒーロー(ヒロイン)の造形を中心にみてしまいがちなのだが、それでもしかし、たいていのことには驚かなくなった。異常な設定を作っても、たいてい読ませる力がなく、設定倒れになることが多いからだし、むしろ平凡に思える設定からだんだんと読者に昂奮と畏怖の念を抱かせる物語のほうがはるかに難しいとわかっているからである。

 とはいえ、チェルシー・ケインの『ビューティ・キラー2 犠牲』(ヴィレッジブックス)をたまたま読んで驚いた。ヒーローの刑事があまりにみじめだからである。みじめだけど、そのみじめさが何とも切なく苦しい。安易に非難できないし、読んでいるとたしょう気持ちがわかるようになる。すぐにサドかマゾかと判定したがる人たちは、この刑事はマゾにきまっている! と断定するだろうが、もっと混沌とした恋愛感情に支配されているとみるべきだろう。

 どういう刑事なのかという前に、物語を説明しよう。『犠牲』の物語では、ふたつの事件が追及される。死体遺棄事件と上院議員の事故死である。前者を刑事のアーチーが、後者を女性新聞記者のスーザンが追及していくと、途中で二つの事件が交錯するという展開である。
 小説では、二つの視点で物語られるが、やはり気になるのはアーチーだろう。アーチーは、前作『ビューティ・キラー1 獲物』で逮捕した女性殺人鬼グレッチェンに会いに刑務所にいき、いまだ自白していない殺人事件を引き出す役目なのだが、しかし、それは建前にすぎない。自分では認めたくないが、どうしても足が向くのは、あいたいからにほかならない。なぜならグレッチェンとの関係に囚われ、性的関係をもちたい欲望を抱いているからだ。その欲望の存在すら否定し、あいにいくのをやめようとするのだが、それが完全にはできない。困ったことに、そんなアーチーの“気持ち”に相棒の刑事も、元妻ながら現在同棲している相手のデビーも気がついていて、やめさせようとするのだが、アーチーは殺人鬼に会いにいく。

gisei200.jpg いったいなぜそこまでグレッチェンに魅せれているのかは、『獲物』を読むとわかる。グレッチェンに監禁されて、愛という名の拷問の限りを尽くされたからである。具体的にいうなら、肋骨に一本一本釘をうたれて肋骨を六本折られ(!)、パイプ・クリーナーを飲まされ(!)、さらに脾臓までとられてしまったのだ(!)。そんなことをされてもアーチーは女殺人鬼に会いたい(どうです、なんともみじめでしょ?)。女殺人鬼はそんなアーチーに甘い言葉をささやく。いつもは拷問にかけて最後には殺すのに、あなただけよ、殺さなかったのは、というのだ。そんなことを相手にいわれたら、ついついふらふらといってしまうのが男でしょう(笑)。

 そんな女殺人鬼との会話が冒頭に示したものである。女殺人鬼は、男たち(警察たち)は男一人のせいで人生が駄目になり、それで連続殺人に走った風に考えたがるが、それは違うといっている。上の会話の女台詞“「その原因は、恋人か、父親か、夫にあるにちがいない。女が自分ひとりの力でそんなふうになるなんて考えられない」”は、正しくは、「・・・考えられない(という考えかたは間違っている)」という意味合いである。自分の判断で、人を殺しているのだ、と言いたいのだ。自分は、連続殺人鬼界の解放運動家である、と皮肉混じりにいっているのである。いやはや。
 
 ともかく、本書は、そんな女殺人鬼に囚われた刑事の物語であり、また女殺人鬼と刑事の歪んだ愛の物語である。警察小説とサイコ・スリラーと恋愛小説のジャンルに、ノワール的な妄執とサド・マゾ的な愛の要素を濃厚に盛り込んだ「恐ろしい小説だ」(スティーヴン・キング)。いくつかの書評で、「トマス・ハリス『羊たちの沈黙』の男女逆転・SM恋愛版、もしくはスティーヴン・キング『ミザリー』の発展的SMバージョン」という表現をしたのだが、ここはじかに確かめていただくしかない。いま引用した『ミザリー』(これは傑作です)のキングが、昨年の「ベスト10冊」のなかに『獲物』と『犠牲』の二作を入れ込むほど愛着を示す理由も、読めばわかるだろう。

 『犠牲』の訳者あとがきを読むと、第三作ではいっそう混沌とした展開になるようだ。『獲物』『犠牲』と続いてきた刑事と女殺人鬼の物語がどのような展開をとげるのか(正直言ってまったく予想がつかいなのだが)、気になってしかたがない。

 


■僕はこの文庫の解説を書きたかった2/小池真理子『冬の伽藍』(講談社文庫)

<書籍>

 

「悲しみも喜びも、前進も後退も、一切の出来事は混沌の中にあって、
混沌の中に消え去って行くように思えてならない」

 


 小池真理子の代表作『欲望』(新潮文庫)の文庫解説を担当できて、とても幸せだと思っている。だから、もっと解説を書きたいというのは贅沢な願いなのだけど、でも何本でも小池真理子の解説は担当したい。とりわけ『冬の伽藍』(講談社、2000年)は大好きな作品で、解説を書きたかったですね。

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 いとおしいのは、人や感情ではなく時間なのだと思った。小池真理子の小説を読むたびに、僕らはそこに流れる時間の厚みに圧倒されてしまうけれど、でも目頭を押さえながら読むことはあまりなかった。そのあまりないことを『冬の伽藍』で経験した。別に泣かせようとしているわけではない。でもしばしば胸をつかれてしまうほど、ここでは過ぎていく時間が、過ぎ去った時間が、とてもいとおしいのである。たとえ“悲劇”を体験したとしても、たとえ病魔におかされているとしても。

 一九八三年の冬、高森悠子は軽井沢に移り、兵藤内科診療所の薬剤師として働き始める。結婚で退職する女友達の紹介で、交通事故で夫が死んで三年、いつまでも悲嘆にくれている訳にもいかなかったからだ。
 やがて悠子は、孤独な影をまとう院長の義彦に惹かれていく。義彦もまた三年前に妻を亡くしていたからだ。だがそれは自殺で、義彦の岳父英二郎との関係が噂されていた。英二郎は六十なのに艶福家で悠子にも誘いをかけていた。不思議なことに悠子は抗いきれず、義彦に嘘を重ねていく。それが悲劇を迎えるとは知らずに・・。

huyunogaran200.jpg いつものことだが、恋い焦がれる女の苦しみと歓びに心揺さぶられてしまう。恋愛小説だから当然接吻の場面が出てくるけれど、これほど生々しく情感豊かな接吻の場面が近年の小説にあっただろうか。ちょっと思い出せないほど美しく、狂おしく、正視するのが憚られるほど淫らがましい。

 この辺の描写のこまやかさは、前々からあったことだけれど、年を追うごとに顕微鏡のレンズの焦点をあげてきた印象がある。『冬の伽藍』と同時期に出た二冊、すなわち『無伴奏』と同じ一九七〇年の仙台を舞台にした恋愛小説『水の翼』(幻冬舎。現在新潮文庫)と、多様な官能の風景を妖しく切り取った短篇集『ひるの幻 よるの夢』(文藝春秋。現在文春文庫)がそうだが、視覚や触覚や聴覚と同じくらいに嗅覚が冴え、嫌悪の対象とされる体臭や汗さえも甘美に捉え、官能の震えをますます濃厚に伝えているのだ。性的感覚がいっそう鋭敏になり、風景と内面が微妙に呼応するから、自然がエロティックに迫ってくる(『水の翼』の霊屋の森の妖艶さを見てほしい)。

 それは『冬の伽藍』についてもいえるだろう。二十八歳の悠子が三十三歳の義彦と付き合いながらも英二郎に惹かれる三角関係が、独特の官能美とともに描かれる。父親と同じ年頃の老人に惹かれていく悠子に読者は違和感を抱くかもしれないが、彼女には年齢も経歴も関係がない。なぜなら、“一切の出来事は混沌の中にあって、混沌の中に消え去って行くように思えてならない”からである(冒頭に掲げた文章がオリジナル)。軽井沢の冬ざれた風景のなか、純潔と淫蕩の狭間で揺れ動く愛の行方こそ重要なのである。

 ここで追求されているのは、一九八三年から九八年までの十五年間にわたる愛の軌跡である。心理サスペンスのような第一章から一転して書簡体で形成される第二章(辻邦生を思わせる静謐感あふれる手紙が素晴らしくいい)、視点をかえての第三章と移り、事件関係者の人生を静かにあぶりだしていく。女性が二人、まるで時の雫をひとつひとつ掬いあげるかのように現在と過去の時間を慈しんでいく。そして・・。
 いやいや、具体的には書かないでおこう。ただ、小池真理子がまた代表作ともいうべき傑作をおよそ10年前に書いていたという事実だけを強調しておきたい。

 


■『ミステリー作家90人のマイ・ベストミステリー映画』とお薦め映画
                          
 

 

      池上冬樹 『LAコンフィデンシャル』は非常によくできた映画です
      芦辺拓  正統派ミステリーという分野があるのなら『黙秘』が一番好き


 

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 古いフロッピーの整理をしていたら、十年前の個人的メモが出てきた。小学館文庫オリジナルの『ミステリー作家90人のマイ・ベストミステリー映画』(1999年1月)の巻頭で、作家の芦辺拓さんと対談したときに参考にしたリストである。
 お互いどんなミステリ映画が好きなのか、語るべき作品は何なのかがわかっていないと話がとぶのではないかと考えて(おおまかにわけるなら、ハードボイルド派の評論家VS本格派の推理作家となりますからね)、とりあえず僕が当時見た(2、3年内に見た)ミステリ映画をまとめ、それを芦辺さんと編集部に送り、対談のたたき台にしてもらった。
 以下は、そのときのメモで、ほとんどの作品にはコメントはなかったが、今回コメントできるものはコメントしてみた。記憶で書いている部分があるので、若干異なっている部分もあるかもしれないし、いま映画を見返すと別の感想をもつかもしれないが、まずは思いつくまま書いてみた(監督名が書いてあったりなかったり、不統一ですが。お許しを)。

 なお、『ミステリー作家90人・・』はお薦めです。いまなお活躍中の90人のミステリ作家が、それぞれ好みのミステリ映画をコメントつきであげている。作品やアイデアとの関係で、けっこう参考になりますね。

 アンケートを見てもわかるのだが、映画に関しては古い・新しいもない。以下の作品はほとんど10年前の作品になるが、いまなお見ても新鮮なのではないか。
 いちおうジャンル別にわけ、◎=超お薦め、○=お薦め、△=時間と関心があれば見るべしといった印をつけてみた。●印は無視してもいいよ、という作品である。
(※後記。長いので2回にわけます。今回はハードボイルド系とサスペンスのふたつのジャンルに絞りました)

■ハードボイルド系(警察もの・私立探偵もの)
lacon220.jpg◎『LAコンフィデンシャル』(監督カーティス・ハンソン)・・・原作者のジェイムズ・エルロイが絶賛した映画である。原作に忠実でありながら、見事にダイジェストして(原作をそのまま映画化すると10数時間はかかる)、なおかつ(ここからが大事)犯人特定のための手続きにオリジナルの仕掛けがある。この仕掛けが素晴らしい。エルロイもそこに感動したのだろう。これは傑作です。

◎『ファーゴ』・・・コーエン兄弟のベスト1ではないか。いずれ詳しく紹介したいと思うが、そのとぼけたユーモア、背中合わせの滑稽と絶望、優れたキャラクター・スタディ、悲惨であるがゆえに輝かしい人間性への愛という、コーエン兄弟がとりあげてきたテーマがもっとも鮮烈な形で描かれてある。

△『ダイ・ハード3』・・・まずまず楽しめる程度かな。
 

●『青いドレスの女』(監督カール・フランクリン)・・・黒人の私立探偵という立場が実によく出ている映画。ウォルター・モズリイの原作をだいぶ変えていて、とくにブルー・ドレスの女の“官能性”がほとんどゼロに近いのは致命的。まあ、デンゼル・ワシントンの私立探偵ぶりはいいけれど。でも、それだけか。

●『バッド・ボーイズ』(監督マイケル・ベイ)・・・黒人コンビの刑事もの。なかなか調子が良く、絶妙のコンビネーションで笑いをとる。アクションも豊富。

●『誘拐』・・・日本映画の貧しさを改めて見せつける凡作。テレビとなんら変わらない日本映画の限界がここにある。悪徳警官ものとしての素養も、警察制度の基礎的知識も、“プロフェッショナル”を描くものとしてある映画の最低限のラインも越えていない。駄作。
 
■サスペンス
mokuhi200.jpg◎『黙秘』(監督・テイラー・ハックフォード)・・・原作もいいが、映画はもっといい。母親と娘の葛藤をこれほど迫力にみちて、なおかつ美しく捉えた作品もないだろう。とりわけフラッシュバックが美しい。必見です。

◎『アウト・オヴ・サイト』(監督スティーヴン・ソダーバーグ)・・・『嘘とセックスとヴィデオ・テープ』の監督らしい、洒落た語り口の映画。アクション映画ファンとしては物足りないが、ジョージ・クルーニーとジェニファー・ロペスのコンビネーションがなかなかよくて満足。特にロペスの色香がいいですね(いまはすっかりなくなってしまったけれど)。エルモア・レナードの原作よりも映画のほうがいいかもしれない。

○『ゲーム』(監督デビッド・フィンチャー)・・・主演はマイケル・ダグラスで、「共演ショーン・ペン」ということまで、計算の内に入っている。どういう計算かは教えられない(笑)。映画ファンなら騙されますよね。物語と映画の“着地”も決まっている。

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△『バウンド』・・・
映画評論家ミック・マーティンが“クズ、それもスタイルのあるクズ”という表現をしていたけれど、僕も同感。もったいぶってスタイリッシュな映像をみせてくれるが、それだけですね。

△『誘う女』(監督・ガス・ヴァン・サント)・・・勝因はニコール・キッドマンの色気でしょう。次にドキュメンタリー風の構成をとった点。その二つがまずまずの成功作にした。

△『ボディ・バンク』・・・まずまず面白い。崇高で差し迫った脊髄損傷の医学研究のためにはホームレスたちを実験台に立たせていいのか? というテーマがよく生きている。もっと本音の部分で押し出しても良かったのではないか?






●『記憶の扉』・・・
煉獄という仕掛けが日本人には馴染みがないでしょうね。
●『コピーキャット』・・・この程度のサイコ・スリラーは小説にはごまんとある。
●『ニック・オブ・タイム』(監督・ジョン・ヴァダム)・・・時計の撮り方とか、若干ヒッチコック的な映像もあるが、でも、アイデアが少し乱暴すぎないか?
●『ミュート・ウイットネス』(監督・アンソニー・ウォラー)・・・途中まではなかなかサスペンスフルで楽しめたが、最後には助ける警官が出てきたあたりから、乱暴な作りになってしまった。サスペンスの醸成感などけっこう良かったのに。
●『ザ・インターネット』・・・そこら辺にいる“オーネチャン”というサンドラ・ブロックの個性が生きているおとなしいサスペンス。
●『身代金』(ロン・ハワード)・・・誘拐犯たちを挑発するとどうなるのか、というワン・アイデアの小説。ただし子供が殺されない場合に限るというわけだが、殺されない保証はどこにある? 現実を無視して、アイデアだけでつっぱしるという、いかにも現代ハリウッド映画の貧しさを露呈した作品。


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■紙媒体に書いた書評の蔵出しです。いまなお読む価値のある作品です。

●スティーヴ・マルティニ『依頼なき弁護』(集英社文庫)
「・・読みはじめたら途中で降りられなくなります。ある殺人事件の裁判が審理中に二転三転、いや四転五転するんですが、これが見事。リーガル・サスペンスというと昨今は、法廷外のアクションばかり増えているけれど、本書は王道とも言うべき、久々の“法廷劇”。弁護側と検事側の息詰まる対決は昂奮物ですし、フーダニットの興味を最後まで持続させている点も嬉しい」--「自由時間」1996年7月4日号

●スチュアート・カミンスキー『冬の裁き』(扶桑社ミステリー)
「・・愛と別れと死と老い。この誰もが出会う、時には理不尽な出会い方をさぜるをえない永遠の主題を、作者は限りない優しさで描きだす。読者の誰もが知る悲しみがまさにここにあるのだ。確かな慰謝と感動を与える名品である」--女性誌「マフィン」1998年7月号

●マイクル・Z・リューイン『のら犬ローヴァー町を行く』(早川書房)
「・・犬の視点から捉えられた視点は鋭く、至るところで微苦笑を誘う。環境問題や動物虐待などの社会的な問題から名誉や高潔など精神に関わるもの、さらには老いや死などの永遠のテーマまで幅広く、リューインらしい優しく温かな眼差しとともに掘り下げられている。ミステリファンのみならず小説ファンにも、犬派だけでなく猫派の人たちにも、大人だけでなく子供たちにも勧めたい素敵な挿話集だ。採点は★★★★1/2」--「週刊文春」2000年8月3日号

●奥田英朗『邪魔』(講談社)→講談社文庫
「・・とにかく固有名詞にあふれたリアリスティックな細部、人物と事件に収斂させていく巧みな語り、映画的手法を使ったダイナミックなクライマックス、そして現代人の精神情況に食い込む鋭いテーマ性と、まさに現代エンターテインメントのひとつの頂点がここにある」--女性誌「VERY」2001年8月号

 


 


 



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