
■河野裕子/『母系』(青磁社)
<書籍>
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旧知の女性編集者から、“わたし産休に入ります”という電話をもらって、短歌アンソロジー『現代の短歌』(高野公彦編、講談社学術文庫)に入っている歌を思い出した。
あるだけの静脈透けてゆくやうな夕べ生きいきと鼓動ふたつしてゐる
産むことも生まれしこともかなしみのひとつ涯として夜の灯り消す
われの血の重さかと抱きあげぬ暖かき息して眠りゐる子を
河野裕子(かわの・ゆうこ)の歌である。『現代の短歌』をひもとくたびに、いつも河野裕子の歌を読み返してしまう。力強くて、温かくて、生命感にあふれている。何よりも表現が素晴らしくいい。“あるだけの静脈”が“透けてゆくやうな夕べ”なんて、もうそれだけで圧倒されてしまう。かそけき美しさの底に“生きいきと鼓動”している彼女自身の心臓と、もうひとつの小さな命。もう一度読み返せば、“あるだけの静脈の”の“あるだけの”に、河野自身が、どれだけの思いをこめているのかもわかる。
そんな河野の、約30年後の第13歌集が『母系』(青磁社、2008年11月)である。生まれた子たちも大人になり家庭をもち、子供が生まれ、そのぶん河野も年をとり、50代なかばで病をえる。乳癌である。冒頭で引用したように8年前に乳癌の手術をうけ、昨年の夏に転移が見つかり、化学療法に入っている。
しつかりと静かに立つてゐたいのだ採血検査の順待つ時も
歩くことも覚つかなくて猫のトムにつかまりよいしよと階段のぼる
病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ
四十キロに及ばずなりしこの身体素足すべらせ体重計よりおりる
闘病の姿が痛々しいが、河野には己が体以上に心をくだくことがあった。認知症をわずらい、やがて死の床につく母親の姿である。歌人河野裕子は、母親を凝視し、歌によんでいく。『母系』では、その悲しみ、苦しみ、嘆き、孤独、不安をこまやかにうたいあげている(以下に出てくる“君江”というのは、作者の母親の名前)。
卵巣も膵臓ももはや打つ手なしこの母にゆつくりと今年の夏来よ
このひとにこれから何度あへるのか 山羊の眼のやうに色あはき眼(まみ)
お母さんあなたは私のお母さんかがまりて覗く薄くなりし眼を
わたしはいい子だつたでせう いい子でしたよ 額(ひたひ)をあてて私が訊けば
君江さんわたしはあなたであるからにこの世に残るよあなたを消さぬよう
藤井貞和のように短歌に句読点をつけるなら、「わたしはあなたであるからに、この世に残るよ。あなたを消さぬよう」という言葉の強さ。生命は脈々と受け継がれているようで、しかし現実には、目の前の存在は消えていくのだ。だからこそ、その肉体と精神のなかに入りたくなる。
このひとのこの世の時間の中にゐて額(ぬか)に額あてこの人に入る
薄い目をあけて私を見る人が今ひしひしとたつた一人の母
死んでゆく母に届かぬ何もできぬ蛇口の水に顔を洗ひ泣く
死ぬことが大きな仕事と言ひゐし母自分の死の中にひとり死にゆく
「このひとの、この世の時間の中にゐて、額(ぬか)に額あて、この人に入る」という歌が切実である。とりあえず精神のなかにだけでも入り込みたいという思いが胸をうつ。「薄い目をあけて私を見る人が、今ひしひしと、たつた一人の母」という歌も、とりわけ印象的だ。
いわばこれは、河野裕子版「死にたまう母」である。“死にたまう母”といえば、斎藤茂吉の『赤光』が元祖といえるが、この『母系』はまさにその系譜にあり、近年のひとつの収穫といえるのではないか(終盤はほとんど絶唱に近い)。ただ明治の時代よりもはるかに高齢化社会であり、母親は認知症を患い、看取る者もまた癌におかされ、二重三重にも病がのしかかり、死は絶対化されずに相対化され、それがまたふだんの死として認識される。しかしそれでも痛みと悲しみはかわらない。
そのいちだんとやわらかく優しく包まれる死を、エモーショナルに謳いあげて、読む者の胸をうつ。生活と人生の実感をうたうという、本来の短歌の魅力を十全に示した傑作歌集でもある。先日、今年の斎藤茂吉短歌文学賞を受賞したが、それも当然だろう。
■“官能的な”ミステリ3冊
官能的な小説を読みたい。といっても、ポルノグラフィのことではない。セックス以外のところで五感を刺激するような小説、感覚描写に秀でている小説を読みたいのである。最近、そういう精緻な書き方をする作家が減り、残念な思いをしていて、どうしても過去の作品になる。そこから三冊。

まずは、「このミス」のベスト1にも輝いたので、ご存じの人も多いかと思うが、セオドア・ローザックのゴシック・スリラー『フリッカー、あるいは映画の魔』(文春文庫)は、読むものの官能をくすぐる、きわめて感覚的な作品だった。
物語は、映画学科の学生が吸血鬼やゾンビ映画など「低俗スリラー」を撮っていた映画監督マックス・キャッスルの人生を探るという内容で、重要になるのは、映画のフィルムに仕掛けられた“装置”の謎。この謎を探るために映画の一コマ一コマが、まるで愛する者の肌の表情を愛でるように、ことこまかに分析されていくのである。その官能的な手触りといったら! 節々で披瀝される映画批評と映画の裏面史、次々に出てくる奇天烈な人物たち、そして大きくクローズアップされてくる異端の宗教史。これらが渾然一体となって分厚い物語を形成する“映画批評的ノワール”です。
次は、ジョン・モーガン・ウィルスンの『夜の片隅で』(ハヤカワ文庫)。
元新聞記者がゲイの殺人事件を追及する物語だが、冒頭の風景描写からして心が震えた。砂漠から“悪魔の呼気のような”暑い風が吹き、七月のロサンジェルスの街は“陽光に焼かれて黄金色に輝き、眩いばかり”だという。そういう風景を見ていると、“乳首が突起し、心がそぞろになり、体が肉欲と説明不可能な恐怖に震える”ときがあるが、“その日はまさにそんな一日だった。体は心地よい暖かさに包まれているのだが、同時に、背筋に不吉な戦慄を感じる”というのだ。それはまるで“名前を知ることもなしに別れることになる美しい人間から、最初に体に触れられたときの戦慄に、それは似ていた・・”と。
どうです、この素晴らしい描写の連なり。風景を皮膚感覚で捉え、さらに別の過去を想起し、躯を震わせる。文章のすみずみまで官能の震えがあるではないか。読んでいるだけで主人公が感じる不安、期待、恐怖、快感が喚起される。この渾然となった官能の震えこそ、本書の最大の魅力である。
キース・アブロウの『悪夢のとき』(二見文庫)も忘れがたい。当時、ほとんど誰も評価しなかったけれど、これはもっと読まれていい。
精神分析医が連続殺人事件を追う物語で、プロットが弱いけれど、トラウマとコカインから逃れられないヒーローと、同じくトラウマに囚われている女たちとの関係がやるせないのだ。もはや何ひとつ人生と社会に期待していないのに、何とかして相手と繋がりたいという切なる思い。その切なる思いが性行為のなかで溢れるのである。ときに祈りにも似た行為と再生の物語が胸をうつ佳篇である。
残念ながら『悪夢のとき』も、翻訳第二作『抑えがたい欲望』(文春文庫)も、ほとんど話題にならなかったけれど、いまや若き巨匠のデニス・ルヘインがいうように、“キース・アブロウはサイコロジカル・スリラーの王者”であると思う。心ふるわせるサイコ・サスペンスなのである。後者の解説を担当し、魅力を詳しく分析しているので、ぜひ読まれよ。
■映画ベスト5
自称「スーパー・エディター」の安原顯が編集長をつとめていた文芸誌「リテレール」には何本も原稿を書かせていただいた。天才ヤスケンは根っからのベストテン好きで、何々ベストテンというのを多数企画し、そのたびに寄稿した記憶があるのだが、いまそれを探すのが難しい。というのも当時のワープロのフロッピーがほとんどよびおこせないからである。唯一、よびおこせたのが、「ミステリ、文庫、映画の各ベスト5」。今回は、その中から映画だけをとりあげてみよう。10年前、僕は、以下の5本を選び、以下のようなコメントをつけた。

1『ダーティハリー』(ドン・シーゲル)
2『日曜日が待ち遠しい』(フランソワ・トリュフォー)
3『乾いた花』(篠田正浩)
4『チャイナタウン』(ロマン・ポランスキー)
5『殺しのドレス』(ブライアン・デ・パルマ)
ここ数年は年間五十本を切ってしまったが、十代の時は百本弱、二十代から三十代にかけては最低二百本の映画を見ていたので、とても五本に絞るのは難しい。映画の感想を記したノートやメモがたくさんあるのだが、それを見ると収拾がつかないので、“もう一度見たい映画ベスト5”という線で選んでみた。
まず1は、何度見ても飽きのこない映画である。切れ味のいいショットの数々、それをつなぐテンポのある画面作り、ロマンティシズムがほのかに漂うブルース・サーティーズの撮影、バックに流れるラロ・シフリンの心踊る音楽、これ以上のハマリ役はないといったクリント・イーストウッドの恰好良さ、軽口のおかしさ、彼と対決する冷酷非情な“さそり”の完全無欠な「悪」の凄さ等々魅力はつきない。
2は“素敵な”映画である。奥床しく魅惑的な四十年代のフィルム・ノワールの匂いがあり、それが繊細でエレガントな物語にとけこみ、えもいわれぬ情感を醸しだしている。男女の心が触れ合う夜の丘のシーンのあえかな抒情といい、女性の歩く姿を見つめるトランティニアンの優しくシャイな表情といい、そしてそんな彼に自分の歩く姿を見せるアルダンの茶目っ気といい、あるいは色気だけの女に見える女が一本指で鮮やかにタイプを打つユーモアといい、映画の細部があたたかく息づいている。トリュフォーの映画はみな好きだが、今日の気分では『日曜日』(たぶん明日の気分では『逃げ去る恋』あたりか)。
3は、いつまでも忘れがたい映画の一本。画面にたちこめる濃密な夜の匂い、虚無的な人物たちの醒めた熱気、ときおり響く無機的でシンボリックな音楽(武満徹&高橋悠治)。刑務所を出た男が女と知り合い、なかば女に見せるべくヤクザの親分を殺す物語は、ヤクザ映画を装いながら、文体はあくまでもフランスの犯罪映画(フィルム・ノワール)であり、主題はどこかアメリカの実存的ハードボイルド作家ホレス・マッコイを想起させる。
4は、守備範囲の私立探偵物から一本。アーサー・ペンの『ナイト・ムーブス』やロバート・アルトマンの『ロング・グッドバイ』なども捨てがたいが、ノスタルジックムード溢れるチャンドラー調の世界がたまらなくいい。
5は、大好きなヒッチコック作品(たとえば『裏窓』『サイコ』『めまい』)とは雲泥の差なのだが、でも何故かダリオ・アルジェント(『サスペリア2』)や本作のデ・パルマの持つ、いかがわしい“官能性”に惹かれてしまう。本作の例でいえば、ディキンソンが男と出会う美術館のシーン。カメラがゆっくりと館内をめぐっていくシーンは何度見ても陶然となる。
その他の作品では『天国の日々』(テレンス・マリック)、『海辺のポーリーヌ』(エリック・ロメール)、『天城越え』(三村晴彦)、『挽歌』(五所平之助)、『審判』(オーソン・ウェルズ)、『ワイルド・ブラック/少年の黒い馬』(キャロル・バラード)などが思い出されるが、明日になると、別の作品(好きなアクションやホラー映画など)にすべて差し替えになるかもしれない。
・・以上が、10年前の原稿である。“もう一度見たい映画ベスト5”という基準だったが、実際にもう一度見たのは1と5で、この2本は、もう一度見てもいい。いや、はっきりいって、1はオールタイム・ベスト1なので、これからも何度も見るだろう。イーストウッドの主演作品も監督作品も好きで、主演作品としては、あまり評価されていないが、ダークな犯罪映画『タイトロープ』が大好きだし、監督作品ではやはり、これぞ西部劇&ノワールともいうべき『許されざる者』にとどめをさす。
5のデ・パルマも大好きだが、ここ10年のあいだに『ミッドナイト・クロス』『ボディ・ダブル』を見直して、やはりヒッチコックの模造品という印象を強くした(リアルタイムで見たときは昂奮したのだが)。それでも紛い物には紛い物の良さがあって、つまりうさんくさく、くどく、いびつで、通俗的な(皮膚感覚的な)エロティシズムがあって悪くはない。困ったことに。それでもやはり、デ・パルマを見るたびに、ヒッチコックがいかに上品で洗練されているかがよくわかるけれどね(というのも、ここ10年間にヒッチコックの旧作を見直して、デ・パルマの模倣がよくわかったから)。
2のトリュフォーは、ウディ・アレンとともにわが最愛の映画監督のひとりといっていい。上には書いていないが、トリュフォー作品でいちばん好きで、回数多く見たのは、『恋愛日記』である。この映画に関してはいつか本欄でとりあげます。
3は、ものすごい傑作です。いちど見て、ずっと忘れられなくて、もういちどずっと見たいと思っていた。どうやらDVDとして6月26日に発売されるというので、楽しみ。
4は問答無用の傑作。ひじょうに重々しくて完成度が高いので、のんびり何々しながら見るわけにもいかず、10年間一度も見ていない。そのかわり軽くて緩くて流れるような傑作の『ロング・グッドバイ』はDVDをあがない2回ほど見てしまった。純文学風の村上春樹訳『ロング・グッドバイ』ではなく、現代ハードボイルド風の清水俊二訳『長いお別れ』的テイストが満開といったほうがいいか、いちだんと猥雑でポップでムーディでいい。
そのほかでとりあげた6本は、傑作です。とくに『天国の日々』はすばらしい。
■紙媒体に書いた書評から。みなお薦めです。
●檀一雄『リツ子その愛・その死』(新潮文庫品切れ)
「・・これは二冊別々に刊行されたものを一冊にまとめたものだが、前半は純粋な夫婦愛の小説として忘れがたいし、終盤は母失った父子小説として実に泣かせる。これは名作中の名作ではないかと思う」--「文蔵」3月号特集「いま買えない、でも読みたい“とっておきの10冊”」より
●石川淳『至福千年』(岩波文庫品切れ)
「石川淳は“散文とは精神の運動である”ということをどこかに書いていたが、それは小説を読めばわかる。・・格調高くて力強く、言葉一つひとつが生命をもち、人物がアナーキーな存在をみせて、物語には無限のエネルギーが生まれる。もうすさまじいものです」--「文蔵」3月号特集「いま買えない、でも読みたい“とっておきの10冊”」より
●角田光代『森に眠る魚』(双葉社)
「・・作者はそれほど内面の奥深くまで踏み込んでいる。/実際の事件では、一人の母親が殺人者となってしまうが、本書ではべつの結末から、人間の真実をえぐっている。読者はその濃密でエモーショナル筆致に昂奮し、しばし圧倒されるだろう(少なくと僕は圧倒された)。ネタばらしになるので詳しくはいえないが、これは純文学出身の角田光代だからこそ書けた純文学ミステリの成果といえる。」--産経新聞3月8日付
●エド・マクベイン編『十の罪業 BLACK』(創元推理文庫)
「・・ベストはアン・ペリーの「人質」。北アイルランドを舞台にしたプロテスタント強硬派の指導者一家の葛藤を捉えている。家族を浸食する政治の力学をスリリングに描ききって見事」--「週刊文春」3月12日号
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