
小説家(ライター)になろう講座
6月講師・大沢在昌氏
「小説家サバイバル術」
6月の講師は作家の大沢在昌氏。1979年に『感傷の街角』で第1回小説推理新人賞を受賞し、デビュー。1991年に『新宿鮫』で吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞を、そして『無間人形 新宿鮫4』で直木賞を受賞。多数の作品を発表するとともに、2006年から2009年までの間、日本推理作家協会の理事長を務めるなど、ミステリ界の巨匠として知られている。
また今回は、ミステリ評論家の西上心太氏、新潮社の藤本あさみ氏と照山朋代氏、大沢オフィスの薩田博之氏と、多くのゲストをお迎えした。大雨が降るなか、たくさんのファンが会場に足を運んだ。
講座は冒頭、本講座の世話役である文芸評論家の池上冬樹氏による講師紹介、それから大沢さんによる挨拶が続いた。
「大沢です。こちらの講座には、2002年にも講師として話をさせていただきましたね。今年でデビューして31年になります。かなりベテランというか、窓際な感じになってまいりましたが(笑)。昨年まで、日本推理作家協会の理事長をやってましたが、東野圭吾さんにその座を譲って悠々自適の生活かというと、まったくそうではなくて相変わらず、ひいひい言いながら書いてます。 代表作である刑事小説の『新宿鮫』シリーズの10作目にあたる最新作を、ウェブサイトの『ほぼ日刊イトイ新聞』(http://www.1101.com/index.html)にて週刊ペースで連載しています。無料のウェブで、『新宿鮫』シリーズを連載するということで、新聞社や雑誌などからインタビューをたくさん受けましたが、今年後半ぐらいから、電子出版が日本の出版業界にも入ってきて、大きな変化がでるのではないかと思いまして、私はじつは原稿を手書きで執筆するアナログな人間なんですが、今日はそんな話もみなさんにできればと思っております。
具体的に言いますと、タブレット型コンピューターのiPadが発売され、アマゾンのキンドルですとか、ソニーやシャープも年内中に電子書籍端末、本を読むだけに特化した電子ブックリーダーを日本国内で発売する予定です。そうなれば自宅にいながら、本屋さんに行くこともなく、本をその場で買えてしまうわけでして、これが紙の本を駆逐してしまうのか、それとも読者人口を増やすことにつながるのか。とくに高齢者の方にとっては電子書籍端末というのは便利なもので、小さな文字でもすぐにその場で文字の拡大ができますし、読めない漢字熟語があれば、タッチすると辞書機能が働く。あるいは登場人物の名前を見ても、「この人誰だっけ?」とわからなかったら、プロフィールがパッと出てくる。そういう便利なものなんですね。まだどれほど売れるかわかりませんが、これから先、一千万台とか二千万台といった数字になったときに、いろんな意味で本の市場や出版の流通に大きな変化が訪れるでしょう。そんな未来についても触れようと思います。
今月のテキストはエッセイ1本と小説2本。
・『深深』(吉村彩子/7枚)
・『チューニング』(安部百平/68枚)
・『白峰抄』(柴柊/60枚)
◆『深深』(吉村彩子)
老いた母が、疎遠になっている息子を思っている日常の様子である。絵を描いたり、車を運転したり、料理をしたりして、ひとり暮らしを前向きに生きているが、こころの底では、さびしさを消しきれない。街の美術展に、出品されていた茶器に惹き付けられた。
前回5月に引き続き、息子さんへの切実な想いをつづっている。
●薩田氏の講評
淡々としていていいお話です。エッセイというよりも小説だと思って読みました。息子さんとの思い出をつづったラスト二行がキモだと思いますが、もう少し息子に対する心情や、疎遠になってしまった理由、子を思う親心などが入っていると、いい掌編小説になったのではないかと思います。
●藤本氏の講評
私も小説として読みました。淡々とした描写のなかにも、経験を積んできた女性の生活観と言いますか、庄野潤三さんの作風に似て、長い人生を生きていた方の視線がうかがえます。息子さんから連絡がめったになくてさみしい、それに美術展で飾られている自分の作品を見てもらいたいと、二箇所だけ主人公の感情を書いてますが、ここを直接ではなく、間接的な描写だけでその感情を表現できたら、さらによくなったと思います。

●照山氏の講評。
自然描写がよく、とてもみずみずしい文章だと感じました。毎日のささいなものを新鮮な目でごらんになっている方だと思いながら読みました。もう少し物語をドラマティックにするために、たとえば説明をしないで品を順々になぞり、読む側に「これはなにを意図しているのだろう」と思わせておいて、じつはそれが息子の思い出の品ばかりだったと明らかにする。そういった工夫があればもっとよくなったと思います。
●西上氏の講評。
散歩の様子や日常の風景描写など、当たり前に思えて、いざこういうのを短く書くのは、けっこう難しいものです。自動車を運転して田舎の方に行ってから、ウォーキングをされるということですが、冒頭の散歩のシーンでいきなり説明もなく「車」が出てきたので、まさかそういう事情とはわからなかったのです。それとラスト二行で視点が変わるところも、少し腑に落ちない。意図的なのか無自覚なのか、判然としないところもあって、気になりました。
●池上氏の講評
前回はエッセイでしたが、喜代という三人称で書いているから、今回は小説として読むべきでしょう。今回でいよいよ息子との関係がはっきり描かれるのかなと思ったら、前回同様にあいまいで、でも抑えに抑えて最後の二行で、やっぱり息子さんに対する深い想いが表れる。しみじみしますね。ラスト二行でたしかに視点がぶれますが、なかなかいいです。
問題はタイトル。『深深』ではなく、もっと簡単でいいでしょう。茶碗の名前のようですが、ここはもっと簡単に、陶器のおもちゃとして出てくる『おたまじゃくし』のほうでどうでしょう。軽いタッチのタイトルでありながら、深い内容で読者に感じさせるというほうがいいと思いますね。
●大沢氏の講評
今回いただいた3本のなかで、私はこの作品が一番好きですね。非常に文学的だなという印象を持ちました。風景描写にリアリティがあって、しみじみとした味わいがあります。かつてこういう短編小説が文芸誌でも価値が見出されて、小説雑誌に載っていたと思います。ただ今は商業ベースだと難しいだろうなと。吉村さんがプロを目指されるのかはわからないですが、こうしたタイプでプロデビューというのは相当難しいです。
ただ非常にいいものを持ってらっしゃる。ラスト二行に出てくる、当時流行したダッコちゃんですが、私もそれで遊んだ世代です。主人公の息子と私は同世代じゃないかな。ラストで“年寄りの母は”と、喜代という三人称一視点から神視点のようになりますが、これは狙ってお書きになったのでしょう。この掌編のなかで、もっとも言いたいことを、このラストにこめたのだと思います。
ただ表現の密度にバラツキが目立ちます。たとえば、山歩きをした場面は非常に密度が高い。山道を歩いて、うぐいすが鳴いて、胡桃が葉を茂らせている。ここは細かい描写があって密度がきわめて高い。ここが一番の読ませどころになっています。だけどこのあとはどうか。最後の四行目で、喜代はバスタブに陶器のおたまじゃくしを浮かべます。そこは喜代の家でしょうが、どういう家で、どういう風呂場なのかがちっとも出てこない。山歩きのシーンとうって変わって、とてもスカスカなんですね。山歩きの次は、美術展の駅ビルの会場、それから善光窯という焼き場の場面に移りますが、密度がだんだんと薄くなっていく。全部同じ密度で書けば、おそらく枚数も変わるでしょうし、全部をべたっと同じ密度で書く必要はないですが、お得意そうな自然描写以外は果たしてどうなのだろうと疑問を感じます。
それに人物描写も足りてない。茶碗の作者にしても、“サラリーマン風の男性”としか書かれていない。この男性がいくつぐらいで、喜代より上なのか下なのか。それがわかるだけで人物の存在感というのは大きく変わります。表現の密度を、もう少し均一にしたほうが小説全体に厚みが出ると思います。
またこれは吉村さんの文体でしょうが、語尾があるところからずっと同じになってます。冒頭、“いっしょに歩く友達がいる”“~よし子さんである”“~収穫している”“~乗せてもらうのである”“~お休みである”このあとに“~雑木林が現れてくる”“~うぐいすが鳴いている”“~被さってくる”“~砂利道が延びている”
語尾が韻を踏むように現在形がずっと続きます。ところが後半になると“~ひっそりあった”“~標識があったが~”“~陶器たちが、並んで置かれてあった”“~静かさだった”“~置かれていた”“作者は言った”今度は過去形がずっと続いている。これは癖でしょうね。自分が書かれる文章が、自分を引っ張ってしまうんです。こういうのは現在形が続きすぎてはいないか、もしくは過去完了形が続いていないか。その語尾を留意されると、文章のリズムがよくなります。同じ“~た”“~た”“~た”“~る”“~る”“~る”だと、文章が読みづらくなりますので。初歩的なテクニックですけれど、同じ語尾が続いていないか、読み直されるときに意識されたほうがいいです。あえて文章を短くして、語尾を同じにする手法もあります。アクションシーンなんかで我々は文章を短く、そして語尾を同じセンテンスで続け、畳みこむようにして文章のテンポをあげていく。そういう技術もあります。
自然描写というのは、なかなか頭では書けません。この「頭では書けないものを小説で書く」というのは難しいですね。経験していることと、それをうまく文章化するのとは違いまして、経験していても文章化できない人、経験してないのにうまく文章化できる人、いろいろいます。ここでは毎日の山歩きの経験が、この文章を作っている。これは本当に味わいがあって、読み手がその場面をすんなり心に浮かべ、そしてどこか心がほぐれていくのを感じるようになっている。これは文章の力以外の何ものでもないですね。それはやはり吉村さんの力ですので、さらに文章の密度というものを留意されると、物語に厚みが出てくる。息子と別れている老いた母の寂しさ。題材もいいと思いますが、もっと均一な密度があれば、喜代の想いが読んだ人の心に残るんじゃないかなと思いました。
◆『チューニング』(安部百平)
ある深夜。青年、シュンは愛用のバイク、ハヤブサ1300を馴染のバイク屋で受け取った。バイクにはエンジンチューニングが新たに施されている。シュンは、このバイクで住み慣れた街を離れ、渡米するつもりだった。高速のICへ向かう途中、シュンは携帯の着信履歴に目を通す。そこには親友のケイスケの名前が記録されていた。シュンは携帯をへし折って、ゴミ箱に捨てる。
シュンとケイスケは、バイクの競争をきっかけに親しくなった。今はふたりで、覚醒剤を独自ルートで密輸する、仲間でもある。
最近、その密輸手法が他の組織でも使われはじめ、当局の取り締まりが厳しくなっていた。シュンは手を引きたいと考え、続けたいケイスケとの間には意見の対立があった。
シュンは、ケイスケの殺意を感じ、先手を取っての殺害を決意。対立組織にケイスケの行動予定を報せ、彼らの手による殺害を計画、実行したのだ。後味の悪さを感じながら、シュンは東京へと向かう。だが激しく追走してくるクルマに遭遇。それはケイスケのクルマだった。バイクを懸命に操って逃走を図るシュン。デッドヒートを繰り広げるうちに、ケイスケとの間で、走りが同調する感覚を思い出す。
バイクと車のチェイスシーンをまず書きたかったとのこと。テレビで覚せい剤の取引のニュースを見て、二週間ほどで書いたという。
●薩田氏の講評
たのしく読みました。とくにトラックを追い抜くチェイスシーンはリアリティがあります。ただまずはカーチェイスが先にあって、覚せい剤の取引うんぬんは言わば後づけですよね。素人ふたりが、覚せい剤ルートを作るのは簡単なことではないため、そこがひっかかりました。それと殺人の決断もあっさりしてますね。現実でもさしたる理由もなく、人は人を殺しますが、小説である以上、殺人の決断にいたるまでの葛藤をもう少し書くべきだと思いました。
●藤本氏の講評
おもしろく拝読しました。物語の展開は、なにも言うことがないぐらいにまとまっています。ただ文章のひとつひとつが多く感じます。説明がいらないものに関してまで書いている。たとえば冒頭に“マナーモードに設定していた”とある。その一文がなくとも、前の文章で“振動音がした”とあるので、マナーモードについては書かなくともわかります。携帯の音に関する説明が多いですが、かなり省いても成立するのではと思います。高速道路のシーンでも、おもしろい比喩などもあるのに、書きすぎのおかげでスピード感が損なわれていくように感じました。
また学生時代からネットで商売してきた二人が、どちらかが裏切ったからといって、拳銃を持って追いかけてくるというメンタリティーが、今の若者にあるのかどうか。むしろ化かしあいのような頭脳戦のほうがしっくりきます。「裏切られたから、追いかけてくる」というシンプルな展開に疑問を持ちました。
●照山氏の講評
スピード感のある作品でたのしく拝読しました。また書きなれてらっしゃるとも思いました。とくに四章の、“シュンは、テールライトの赤い色を見つめた。赤は危険を知らせ、注意を促す信号色だ。/十日前、ケイスケのマンションで、シュンはそれを感じた”ここの過去の時制に入っていく場面展開が巧みに感じられました。ただちょっとバイクと車の詳細な説明が長いので、そこで「あ、これは自分向きじゃない」と感じる読者がいるんじゃないでしょうか。
ですので、たとえば死んだはずのケイスケが追いかけてくるわけですが、シュンが「あいつは死んだはずなのに。どうしてだ」と戸惑うシーンを冒頭にもってくるなど、構成を変えて、最初に読者をひきつけておくと、読者も知らない専門用語が出てきても、読み続けてくれるのではないかなと思います。カフェレストランやドレッシングルームなど、主人公が20代のわりには、じゃっかん古さを感じました。

●西上氏の講評
大変おもしろく読みました。バイクや車に詳しくない人間にとって、うんちくが多すぎるという意見が生徒さんからありましたが、たしかにごもっともですが、これくらいはOKだと個人的に思っています。うんちくのためのテクニカルタームや専門用語の羅列ではなく、きちんとそれがクライマックスでの伏線にもなっていますし。
またひとつの現象が二回、三回と出てくるんですね。冒頭、“振動音がした”とあって、またさらに2ページで“振動音がした”、11ページで携帯電話をへし折る。こういう描写のひとつひとつで、一体なにが起こるのかなと期待させてくれて、ページをめくる手を止めさせないのがいいですね。最初のふたりの出会いでも伏線が用意されていて、バイクと車のカーチェイスシーンで伏線を回収する。とても手馴れていて、よくできていると思います。
はじめにチェイスシーンありきで書かれたのではと思いましたが、どうやら正解だったようですね。やはり相手を殺すほどの恨みのプロセスや動機づけが必要で、それで麻薬絡みにしたんだなと予想しておりました。二人が知り合ったときは互いに好青年で、ネットビジネスをやることになるまではわかるのですが、そこからなぜ二人が転落してしまったのか、麻薬ビジネスを手がけるようになったのか、麻薬取引のリアリティですね。短編小説ですから、背後の説明を大胆に省略することも可能ですが、殺すほどの動機や命がけのカーチェイスをするまでの過程を出してほしいです。それがクリアできれば、商業誌の新人賞にぜひ応募していただきたい。一次選考はまず突破できるレベルだと思います。ただ微妙に既視感を覚えるのも事実で、大藪春彦さんの作風に似ていると思いました。
●池上氏の講評
うまいです。テンポもいい、人物もいい、カーチェイスもいい。文句はないですが、やっぱりラスト三行、“案外悪くない”とあります。死んでも悪くないという想いが、読者には共感できないんですね。なぜなら男たちの友情や憎悪がまるっきり書いてない。カーチェイスがスポーツみたいなノリになって“悪くない”という気持ちになるんだろうけれど、その前に友情関係があって、憎悪に変わって、殺し合う。そこを詳しく書かないと、このラストの“案外悪くない”が生きてこない。「死んで満足だ」という意味でしょうが、どうみても満足に生きているとも見えないし。それも満足な人生を獲得しているわけでもない。もっと別の着地にすべきでしょう。
●大沢氏の講評
安部さんはおいくつですか?(作者に問いかける)46歳ですか、なるほど。“バイク屋の建屋(たておく)”という単語が出てきまして。難しい言葉で、工場の建物とかに使いますが、ぼくら小説家はあまり使わない言葉なんですね。建築関係の仕事をされているのかなと思いまして、いずれにしても若い方ではないなと思いました。
またこれを読んで片岡義男さんを思い出しました。『ラジオが泣いた夜』とか。それに70年代にぼくが書いた短編の雰囲気によく似ているなあと。ハードボイルドとして読むと悪くないです。乾いたタッチとストーリーがうまくかみ合ってます。バイク描写がうるさいかなと感じましたがギリギリOKでしょう。最後のカーチェイスのシーンでも、ナラシをしないでバイクのアクセルを全開にした結果、エンジンがトラブって、ひっくり返ってしまう。この伏線を生かすために冒頭のバイク屋とのやりとりも必要になりますから、これくらいの描写がいるでしょう。アクションシーンはまちがいなくうまいです。安部さんはバイクに乗られるようですが、やっぱり乗らなきゃここまでは書けないでしょうね。
ところが作品自体は、ちょっと古めかしい感じがします。ラストでシュンが撃たれる直前に、“案外悪くない。そんな気がした”と思う。これはもうヘミングウェイですよ。ヘミングウェイがあって、片岡義男さんがあって、北方謙三さんがあって、ぼくがある。ぼくらが書いてきた主人公のニヒリズムですね。「べつに死んでも生きても関係ねえよ、今おもしろければいいんだよ」という70年代や80年代の暴走する若いエネルギー。この臭いが古く感じる最大の理由です。今の若い人にはこういうニヒリズムはないですから。それが文章化されると「なんだか古臭いなあ」と感じちゃうのは、今の若者ではなくて、おじさんたちがかつて持っていたニヒリズムだからですね。
よくぼくらは「エッジの効いた表現」というんですけど、ここでは主人公とケイスケの友情が決裂するまでの説明がない。ハードボイルドですから、ぼくはアリだと思うんですけど、ただ人を殺す決断をする側のせつなさですね。この場合はシュンが主役で、まずシュンがケイスケを殺そうとする。裏切って暴力団に密告します。己が生き残るために友を捨てるわけですよね。「おれは生き残りたいからお前に死んでもらうよ」と。これはストーリーからすると、殺しにくるケイスケのほうが有利にあるんですね。「お前はおれを裏切って密告したじゃないか。殺そうとしたじゃないか。だからお前は殺されて当然だ」と。ケイスケのほうがまともで、主人公のシュンのほうがずるいんですね。自分はチクっておいて、手も汚さない。そしてアメリカに逃げようとしているんですから。だからそういう自分を許せないでいるシュンの気持ちというのがあると思うんです。「おれは汚い」と。せめて殺すのなら、自らの手を汚してやるべきなのに、暴力団に密告してしまう。かなりひどいやつですから、その本人のどろどろとした感情やせつなさをどこで埋めるのか。そういう部分がないですね。友を裏切って、酒やドラックや女に溺れていたというのでもない。裏切る自分を許せないでいるところを書くと、エッジが効いてくると思います。
シュンもケイスケも一種の人形です。作者の作ったキャラクターですから。お人形でいい。ドライで、死ぬこともたいしたことだと思ってない人間じゃないとハードボイルドは成立しません。ただそれをそのまま描くと、さっき言ったように古い小説になる。エッジの効いた小説にするには、迷いやドロドロとした部分をシュンに入れてやる。ラストは“悪くない”と思うんじゃなくて、いっそ口にだして言わせてやる。たとえばぼくの考えですが、シュンが口に出して「悪くねえよ」と言う。ケイスケが「ふざけんな」と言ってパンと撃つ。これのほうが今の感じがしますね。ゴダールの映画『勝手にしやがれ』で、主人公が「最低だぜ」と言って死んでいきましたけれど、それと同じで「悪くねえよ」「ふざけんな」と応酬して、パーンと撃たれる。そういうやりとりを重ねていくことで、今になっていくと思います。たしかに新人賞の最終まで残るかもしれないけれど、この古さがネックになるでしょうね。ぼくが選考委員だとしたら、周りから「こういう小説、昔お前がいっぱい書いていたじゃん。もういいだろう、こういうのは」と落とされてしまう。今を感じさせるものを入れてください。
それからこういう題材であれば、クスリや暴力団というのは使いやすいです。ただもう少し勉強したほうがいい。素人が覚せい剤をさばくのはほとんど不可能だから。やった瞬間に地元の暴力団にわかります。すぐに殺されることはないとしても、暴力団の下働きをさせられて、おいしいところを吸い上げられて、最後は殺されたり、警察に売られたりする。それが暴力団とアマチュア犯罪者の関係ですから。暴力団の怖さなどが見えてくると、また物語に深みや怖さが出てくると思います。
カーチェイスのシーンはとてもいいです。アクションシーンとセックスシーンは似ていまして、その作者の運動神経がないと、どんなに一生懸命書いてもおもしろくない。いっぱい性描写があっても、ぴくりともしないのもあれば、さらっと書いた二三行で思わずむらっとくることもある(笑)。そのあたりは運動神経みたいなもので、書く人のセンスによります。勉強しただけではできない。安部さんはカーアクションがすごくいい。書けるものを持っている。アクションシーンは言わばおにぎりの具ですから、あとはうまく銀シャリをつけてやってください。またハードボイルドの世界では、緊密な文章を心がけるべきで、説明過多や視点のブレといった文章の甘さがあると、読者は一気にがくっとさめてしまうので注意してください。
◆『白峰抄』(柴柊)
人に化ける蛇、白峰は同族と賭けをしている。人の男を惚れさせられるか? 惚れなければ男の勝ち。惚れたらその命は白峰のもの。人の指の五指に余る男の命を奪った。その白峰が、人の男に惚れた。同族に背を向け、男の女房になった。
姑に嫌な顔をされながらも、男の女房として、白峰は幸せだった。だが、少しずつ倦んでいく。蛇の本性と決別する事ができない。そして、見破られる。一旦山に逃れたが、どうしても男の顔が見たくて、蛇退治の邪魔をさせぬようにと、村人に閉じ込められている男の元に向かう。男は、協力を頼んでいた村人に小屋を外から開けさせて、白峰の手を取った。二人で山に逃れた。だが白峰は、山の小屋に男を置いて、男を探しに登って来た村人の前に、大蛇となって姿を見せる。そして討たれる。
今年3月に提出した物語と同じ世界観で、そのときに登場した蛇を主役にして書きたかったとのこと。恋愛物語を書きたかったという。
●薩田氏の講評
連作と聞いて、納得しました。一本だけ読むと、背景などでわかりにくいところもあったのですが腑に落ちました。変な言い方ですけど、ケチのつけにくい作品だと思います。ところどころ表現の甘さが気になりましたが、表現を磨くとさらにおもしろくなると思います。連作短編としてまとめると、いい作品になるでしょう。
●藤本氏の講評
とても端整で、傷のない作品だと思います。おもしろかったです。時代が今ではなく、そして異形同士の恋愛となれば、官能描写が非常に生きてくるといいますか。恋愛だけに集中して描くことができるので、それを淡々と済ませているところがもったいないなと思います。主人公の蛇がネズミを呑むシーンですが、ここはとても官能的ですね。もっと性愛描写を入れると、恋愛小説としてより衝撃的な話になったでしょう。ちなみに新潮社では女による女のためのR-18文学賞(http://www.shinchosha.co.jp/r18/)という短編の賞をやっていますので、興味がありましたらぜひ応募してみてください。
●照山氏の講評
今回3作のなかで一番好きな作品ですが、不可解なところもあります。姑が白峰をあきらかに追い出す意図で男の小屋に行かせますが、その男の人物像が見えにくかったり、どうして姑がその男を選んで白峰に行かせたのか。けっきょく男は白峰に同情して、手助けまでするくらいですから、もっとちがう設定の男にすべきではと、疑問が残ります。鳥の描写なども、もう少しうまく伏線として入れられたのではないでしょうか。とはいえ官能小説として読むと、言葉の選び方がエロティックで、蛇としての性や人間になったときの性描写など、とても読ませる内容だと思いました。ぜひ官能に特化した作品にしていただいて、R-18小説大賞に応募していただきたいです。
●西上氏の講評
動物民話シリーズ3作目と聞いて、なるほどと思いました。おもしろい狙いだなと。蛇の主人公がぶっきらぼうな感じで、それなのに人間の男に惚れ、自分の死をかえりみずに行くところまで行く。これはハードボイルドだなあと思って読みました。
またたしかにエロティックで、最初の四行目の“……手足が邪魔だ”という描写にぞくっときましたね。それとやはりネズミを呑むシーン、それとラストの弥一とのセックスシーン。非常に感覚的な描写で、同時に磨きがいのある作品だと思います。みなさんのアドバイスを参考にしてください。
●池上氏の講評
じつは一度、私が原稿を読んで、「官能だけでなく、食べるシーンをもっと書きなさい」とアドバイスしたんです。それでネズミを食べるシーンが追加されたのですが、これはいいですね。とてもよくなっている。さて今度は弥一という男に白峰がなぜそれほどまでに魅力を感じるのか、それと弥一とどんなセックスをしたいのか。文章は高いレベルにあるので、さらに追加するといい作品になるでしょう。
●大沢氏の講評
文体に味がありますね。生き物の理(ことわり)を書いていて、まったく違和感がない。ネズミやカラスや蛇。彼らには彼らの世界観がそれぞれあると、それをきっちり書きわけていて、物語のなかのルールづくりもできている。このスタイルで連作短編でまとめたら、おもしろい商売になるだろうなという印象です。そこで問題は、この白峰がわざと男をかばって殺されます。なぜ白峰がそうまでするのか、ただ女の憐れとか、添い遂げられないから、絶望のためにそうしたのか。そもそもなぜ弥一という男に惚れたのか、今までの男とどれほど違うのか。それを書けばこの作品はもうOK。商売になる作品だと思います。また弥一を失うくらいなら、白峰は自分の命を捨ててもいいとまで思う。まさに情念の世界で、自らの命をさしだす。さらに白峰が抱えていた卵を、狐が踏み潰してしまう。読んでいてぞくぞくとしました。一冊の本を書くとすれば、ここは中核になるシーンでしょう。
ただこの作品のテーマは性愛ですね。ここからが難しいんですが、横に渡辺淳一先生がいると想定して聞いてください(場内笑)。性愛というのは、作者の恋愛経験や性体験というものが明らかに影響として出ます。柴さんがどんな経験を積まれたのかについて言及するつもりはありませんが、ネズミを呑みこむときの官能的なシーンに比べると、弥一と白峰のセックスシーンはいかにも淡白。作者がこめたいものを感じない。別に嘘でもいいんですよ。官能小説を山ほど読んで、想像で書いてもいい。だけどそれが入っているのと、いないのとではあきらかに密度が異なる。セックスシーンなんて誰でも想像がつくから書かなくてもいいじゃないかと思われるかもしれませんが、このタイプの物語には絶対に必要です。それがあるから物語のフックとなって生きてくる。これで読者を興奮させたいとまで考えなくてもいいのですが、性愛なら性愛、アクションならアクション、物語にはそれぞれ必然のある描写というのがあるんです。安部さんの『チューニング』のときには、車やバイクの専門用語が必要だと話しました。同じようにここではセックスシーンがどうしても必要。それがなければ画竜点睛に欠く。そこで作者が照れてしまったり、恥ずかしがったり、無視してしまったら、けっきょくは入れ物ができても、中身が入っていないのと同じです。こういうものを書くのなら、柴さんは絶対に頑張らなければならない。きちんと書いたら、きっと渡辺淳一さん大推薦です(笑)。
人間世界があって、動物世界があって、それぞれ理はちがう。だけどそのなかで同じものがあるとすれば、それはまさに性と愛なんですよ。お互いに子孫を残すためにまぐわうのですから。狐が蛇の卵を踏み潰すシーンも、まさに子孫を残させまい、物の怪をこれ以上作ってはいかんという狐の想いが、性愛の世界につながっていく。つまりタブーを犯す物語ですね。タブーというのはおもしろいんです。それを書くためのセックスというのは絶対に必要ですから。そこはがっつりいきましょう。
以上の講義のあと、大沢氏にプロ作家としての心構えや電子出版といった出版界の未来について語っていただきました。そちらの模様は数日中に、同サイト内、「その人の素顔」でアップいたします。あわせてご覧ください。
【 講師プロフィール】
◆大沢在昌(おおさわ・ありまさ)氏
1956年愛知県名古屋市生まれ。慶応義塾大学中退。1979年「感傷の街角」で第1回小説推理新人賞を受賞し、デビュー。1986年「深夜曲馬団」で日本冒険小説大賞最優秀短編賞受賞。1991年には、刊行直後から高い評価を得ていた「新宿鮫」で第12回吉川英治文学新人賞と第44回日本推理作家協会賞長編部門を受賞。以後この作品はシリーズ化され、不動の名作として今もなお多くのファンを獲得し続けている。
1994年「無間人形 新宿鮫4」で 第110回直木賞受賞。2001年「心では重すぎる」日本冒険小説大賞を、2002年「闇先案内人」で日本冒険小説大賞を連続受賞。2004年には「パンドラアイランド」で第17回柴田錬三郎賞受賞している。