「小説家(ライター)になろう講座」だより...vol.23(2010.5.24)

小説家(ライター)になろう講座
4月講師・平山夢明氏
「作家になること、そして喰い続けること」
 


  hirayama1004.JPG 4月の講師は作家の平山夢明氏。2006年に『独白するユニバーサル横メルカトル』で第59回日本推理作家協会賞を受賞し、2010年に『ダイナー』で第28回日本冒険小説協会大賞を受賞している。多くの怪談話を手がけ、映像作家やラジオDJとしても活躍。多方面で注目を集める鬼才である。

 またゲストとして、角川春樹事務所の編集者中津宗一郎氏(『怖い本』『怖い人』シリーズ担当)と、竹書房の編集者溝尻賢司氏(『東京伝説』『「超」怖い話』シリーズ担当)をお迎えした。

 22年度初回にあたり、後援のさくらんぼテレビから新年度の挨拶、ならびに今年度より山形県生涯学習文化財団との共催で運営を行う旨の説明があった。続いて講座の世話人である文芸評論家の池上冬樹氏より、新年度の挨拶と、講座出身の作家で顧問の深町秋生氏と柚月裕子氏の紹介がなされた。

ikegami100401.JPGそのあと池上氏より講師紹介がなされ、平山さんが自己紹介を兼ねた挨拶を行った。

「えーと、物なんか書いてる平山夢明です。このとおり風体のあやしい男で、今日も東京から来るときに新幹線で3回も職務質問に遭いまして(笑)。『お前は誰だ。なにをしているんだ』と言われたんですが……よくあちこちで職質を受けるんですけれど、まあ書いてる内容も内容なので仕方がないと思います(場内笑)。みなさんまじめに小説家になろうということのようですが、締め切りもろくに守れない私の話なんぞがどれだけ力になれるかわかりませんが、今日はよろしくお願いします」

 さまざまなトークイベントで場内を沸かせている平山さん。独特の語り口でこの講座でも何度も爆笑の渦を巻き起こしていた。 

  今月のテキストはエッセイ3作品と小説3作品。

『共鳴』(槙村潤/エッセイ2枚)
『しぐれ』(槙村潤/エッセイ2枚)
『澄んだ眼』(槙村潤/エッセイ2枚)
『冬休みの思い出』(下田寛子/小説16枚)
『春休みの思い出』(下田寛子/小説16枚)
『だいだら』(斎藤健太/小説5枚)

 

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 ■『共鳴』『しぐれ』『澄んだ眼』(槙村潤)

 女性コーラスに参加し、ベートーベンの第九を合唱した『共鳴』。美容師となった息子兄弟の喧嘩に心を痛める母親の心情を描いた『しぐれ』。幼いころから十代までの思い出と情景を記した『澄んだ眼』。自らの過去や家族に関する短いエッセイである。3作品まとめて講評がなされた。

 作者の槙村さんは昔からたくさんのエッセイを書いていたが、テキストとして提出するのは初めて。とくに字数制限を設けなかったとのこと。


●中津氏の講評nakatsu1004.JPG

  3つのうちで『澄んだ目』がもっとも優れているように思えた。エッセイは日常生活で思ったことを書くが、人に見せる場合は読者の目線を意識する必要がある。『澄んだ目』では「子供っぽい」と自分の子供からバカにされても、自分が大事にしていきたいとものをはっきりと打ち出していく結末や全体の構図が見えやすかった。子供たちにこれだけは伝えたいというものを中盤で書けば、より読者に訴えられるのではないかと思う。『しぐれ』は『澄んだ目』に比べるとまとまりが悪く、ラストに登場する民謡「さんさ時雨」と端唄の「春雨」がどんなものかがわからない。唄に関する描写を増やし、最終的に息子兄弟が喧嘩をしたのちにどうなったのかを書くなど、読者の目線を意識したほうがいい。


●溝尻氏の講評

rinjin1004.JPG    『共鳴』では、ベートーベンの第九にコーラスとして参加したエピソードを書いているが、オーケストラを前にしてコーラスをする際の緊張や感動、自身のこれまでの音楽体験など、もっと細やかなディテールがほしい。そうすれば読み手に緊迫感や臨場感を伝えられるはず。そうすれば息子さんが熱を出しながらも見に来てくれたというエピソードもより盛り上がる。さらに書きこむことでそれこそ読者も「共鳴」できたと思う。2枚では足りない。


●池上氏の講評

 たとえれば、エッセイは散歩のようなものです。読者をつれて散歩にいく。でも、槙村さんの文章は、読者がついていけなくなるほどスピードが早い。ぐんぐん早足でひとり勝手に進んでいき、読者にゆっくりと風景を見せてくれない。
エッセイではまた、その人の体験が大事です。どこを見て、どう考えて、どう感じたか、そのあたりの手触りを必要。とくに生きる手触りこそ、エッセイの要諦でしょう。
 槙村さんは、結論を早く言いたがるが、話し方と同じでもっとゆっくりと。僕も早口で、みなさんから早口でわからないと何度かいわれて、ようやく普通になった(笑)。もっとゆっくりと歩き、ときに立ち止まり、自分が見たもの、体験したものを自分の過去の人生で咀嚼して、それを読者にあずけましょう。


●平山氏の講評。 

 池上さんと意見が重なりますが、原稿用紙2枚で書けるのは1場面だけですね。たとえるなら「道を歩いていた小僧が転んだ」、2枚ならそれで話は終わりです。その小僧が転ぶ姿を書くだけでね。
 槙村さんは、冒頭と結末は非常に苦心されている。『澄んだ目』では「ママの鼻って、よく見ると低いね」で始まり、『共鳴』の冒頭では「アーレメルシェン メルデンヴリュデル」とドイツ語の歌詞を書いてらっしゃる。またこの作品の結末では「あの時の感動共鳴は、生涯不変の絆となって心に残るものと私は信じている」と高らかに宣言されている。
 ただ、ぼくの持論ですが、エッセイというのは、あんまり人に言えないようなことを書いたほうがおもしろいんですよ。たとえば「店でバナナを買うときは、まっ黒になって地べたで並べて売られているようなものを、安く買うのだ」とかね。「隣の家のオヤジが気に入らんから、そこの池の鯉に油菓子を投げこんで食わしている」とか(笑)。                     jukousei1004.JPG
   やっぱりお金を払って買ってもらい、しかも貴重な時間まで奪うわけですから、そんじょそこらに落ちているものには価値がないんですよ。なにを書いて金を払ってもらうかが重要になってくる。そのためには、読者になにかお土産をあげる必要がある。高尚な知見とか蒙を啓くでも、まったく逆に下品な噂話程度のものでもいい。なにかしらものをあげるのが大事。
 槙村さんは非常に多くの経験をされている。台湾での暮らしやめずらしい幼少時代など。書く材料は豊富にあるので、あとは読者を蹴飛ばすようなインパクトを与えてください。あんまり強く蹴っ飛ばすと死んじゃうんですけれどね(笑)。後ろを向いている人を振り向かせるような感じで書くといいですよ。エッセイの場合はやさしく入って、途中から読者を引っ張りこむ。3編の結末はいいけれど、途中の道のりでもっと奇妙なことを書いたほうがいいと思います。


 ■『冬休みの思い出』『春休みの思い出』(下田寛子)


○梗概                       yokome1004.JPG

『冬休みの思い出』

  中学三年の冬休み、私は受験勉強に追われていた。中学受験に失敗していた私は今度こそ失敗できないという思いがあった。そのころから両親との関係はぎくしゃくとし始めていた。
 中学受験を控えた弟と同じ塾に通いながら、弟も自分と同じように受験に失敗すればいいと願った。毎日ゲームをしている弟に対して怒りが募った。しかしながら結果として、弟と私はお互い志望する学校に合格した。
 高校三年、両親との関係は相変わらずで私は家での居場所を失い、河川敷によく行った。センター試験の前日にインフルエンザにかかった弟をなじると、母親に怒られ逃げるように河川敷に行き、そこにいた猫を殺した。私は試験当日インフルエンザをこじらせ、大学受験に失敗した。すべて弟のせいだと思った。

『春休みの思い出』 

 大学四年になる春休み、私は就職活動に追われていた。いつになったら終わるのかわからない、無制限なその行為に疲弊していた。 
 そんな中、面接を終えて家に帰ると、家の前に弟がいた。家に入れて何とかして嫌いな弟を帰そうとした。二人で話しているうち、弟の言動に耐え切れなくなった私は、机の中にいれてあったサバイバルナイフを取り出して、弟を殺した。弟を刺しながら、今まで押し込めていた感情があふれた。弟の最後の言葉に、我に返ったが、目の前の血の光景は変わらない。私はその後、声を失った。
 警察に行って、取り調べの最中に弟の用意していた手紙を渡される。その手紙の言葉に涙を流す。私は、そのときになって、初めて後悔した。

 下田さんは、主人公を通じて孤独感や疎外感を書きたかったという。平山さんからの質問で、ひとつの作品にかかった執筆時間は30分ほどだとわかった。

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 ●溝尻氏の講評。

 主人公である兄が虐げられていると訴えるが、読者には虐げられている様子が見えてこない。中学3年から大学4年までと長い期間に渡る話だが、虐げられているところの描写が足りず、単に主人公が自分勝手なキャラに見えてしまう。具体的な学校生活や弟とのエピソードが必要だと思う。また弟が兄を慕っていたという結末も平凡に感じられる。むしろ弟が兄を返り討ちにするような意外性がほしい。


●池上氏の講評。

 セリフで説明するのが多いですね。もっと行動や仕草で描いていったほうがいい。セリフは読者に向けて簡単に訴えることができるけれど、小説としては底が浅くなる。そして問題点は弟があまりにも善人すぎるところ。もっと毒のある、実は嫌な人物であったというオチや驚きを用意すべきでしょう。


 

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●平山氏の講評。

 執筆時間が30分というのは短いな。荒っぽい。それに兄弟という重いテーマをトータル32枚で挑むのはいかにも難しい。『ケインとアベル』(新潮文庫絶版)というジェフリー・アーチャーの小説がありましたけど、あれも上下巻ぐらいの長い小説だった。でもあれぐらいの長さがないと難しい。この作品では猫を殺すといった過激な描写で、その短さをカバーしようとしているように見えるけれど、それだと作品に対する嫌悪感のほうが強くなってしまう。それは損なんだよな。
 ぼくもいろんなものを潰したり、殺したりして、「ひどい野郎だな」なんて言われたりするんだけど(笑)。ただそうしたものを書いてきてぼくが学んだのは、やっぱり作品自体を嫌悪されると損だということ。
 それにいくら推敲したとしても、その執筆時間では厳しいよね。なぜ執筆にかかった時間を訊いたかというと、作品中に出てくるのは全部単純な正面攻撃なんだな。兄である主人公の孤独感を描こうとしているけど、ここにあるのはお兄さんが弟に攻撃されているところだけなんだ。アイディアの煮詰めが甘いから、正面から攻撃されてばかりで、どこかで読んだような印象しか受けないんだよ。
 (下田さんの顔を見て)あ、ちょっと厳しい? ヤなこと言ってると思ったら言ってね? 「バカッ」って。(場内笑)。

 

  読者というのはおもしろいもので、理解できないものは読みたくないけれど、読んだようなものも読みたくない。だから正面攻撃ばかりではなくて、裏から撃ってみるといい。
 この作品のお兄さんは、中学で受験に失敗している。それで家族のなかで疎外感を感じているというのなら、たとえば「両親がこっそりと庭になにかを埋めている」なんてシーンはどうだろう。「なんだろう」と夜中に隠れてそっと掘り出してみると、家族写真のお兄さんのところだけ埋められているとかさ(笑)。自分の写真だけ土のなかに埋められていたら、そりゃショックだよね。取り出すわけにはいかないから、また埋め返しちゃうけど。あのへんから母親の作ったカレーがうまくなくなった・・なんてなるわけだ。
 疎外感を描くのなら正面だけでなく、虚をついてみる。そうすると「なんて親だろう」とお兄ちゃんの孤独も読者にちゃんと伝わる。無理解な家族のなかに、主人公が立ちすくんでいる感じが出る。そうしたアイディアは簡単に出ないけど、これがゼニをもらうための卵なんだ。物書きで喰うためには、そういうアイディアをよっくと磨かなきゃならない。sakuhinhirayama1004.JPG

 テーマはいいんだよ。今の世の中は、この主人公と同様に、孤独で充足感が得られない人が多くいるようだから。テーマはいいけれど、もうちょっとゆっくり考えて書こう。また短編の場合は、ワンアイディアで“殺す”ということだね。ちょっと育ちが悪いので、“殺す”なんて言葉を使っちゃったけど(笑)。要するに、短い文章で読者を「まいった」と言わさなければならない。
 短編の基本は、辻斬り。隠れていて、バッと斬って逃げていく。だから唐突に始まってもかまわないし、むしろ丁寧に頭から書いていくと、枚数が決まっているので中身が薄くなる。いろいろ書きたいことはあるだろうけれど、直球で寿司のトロを読者に食べさせることが大事なんです。(下田さんの顔を見て)あ、怒ってないかい? 大丈夫?(場内笑)

 


■『だいだら』(斎藤健太)

○梗概

 死ぬ前に、春の海が見たいと妻が言う。私も妻も人間ではない。かつては山であり、人に名を貰ったのち「だいだら」という存在に成ったモノだ。人の言い伝えに、私たちの名前がのぼるたび、遡ってしるしを残した。今夜、まもなく死ぬ妻を背負い、私は初めて人の願いではない所作をしている。

 妻が亡くなるとは、人の記憶から土地の記憶から妻が消えるという事だ。妻が消えたのち、果たして私は妻を憶えているのだろうか。そんな事を思いながら、背中越しに、人々との思い出を詰めに向けて語りながら、稜線を歩き続ける。

 妻の口から、歌が聞こえることに私は気づく。はるか昔、盲いた童女が教えてくれた歌だ。妻は亡くなったのち、あの娘と再び出会えるのだろうか。

 やがて、私たちは夜明けのせまる海辺へと辿りつく。妻の歌に併せるように、朝日が金色に海原を染めて、山肌に咲いた桜が浮かびあがる。祈り続ける私の前で、太陽はますます景色を輝かせる。

 作者の斎藤健太さんは「黒木あるじ」というペンネームで、2009年に「第一回『幽』怪談実話コンテスト」(選考委員には平山さんも加わっている)で、平山賞=ブンまわし賞を受賞。受賞作品の「ささやき」は『怪談実話コンテスト傑作選 黒四』(MF文庫ダヴィンチ)に収録されている。

kuroyon1004.JPG●中津氏の講評

 世界観がむずかしいとの感想も生徒の間からはあったが、私は逆で、枚数5枚という短さのなかで、聖的な存在となっている男山と女山をはっきりと描かず、あえて読者に悟らせるという手法で書いているところがカッコよく感じられた。もっと長い枚数で読みたい。難解な漢字にはルビを振っており、読者の目をかなり意識しているようで好感が持てた。

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 深町氏の講評

 世界観がしっかり確立されていておもしろかった。ただ急いで書く癖のようなものがいつもあり、今回も季節の情景がありきたりに思えた。とはいえ文章のリズムもよく、感動を覚えた。 

 ●池上氏の講評

 この手の短編をいくらでも書ける実力者なので、すこし辛く感想を述べたい。世界も、物語も、文章もひどくかっこつけているように思えてならない。きれいにスイートに(笑)書こうという意識が先にあり、ついつい自分の言葉ではなく、よそから借りてきた言葉をそのまま使ってまとめようとする。最後に「幽(かそ)けく」なんて言葉が出てくるけれど、これは決まり文句ですよ。「葬儀がしめやかに行われた」の“しめやかに”と同じくらいの決まり文句。何も語っていない。「本当に自分でもそう思って言葉を選んだの?」と思いましたね。作者がその世界に入り込んでいたら、もっと決まり文句ではない、別の表現が出てくるでしょう。葬儀にいって、「葬儀がしめやかに行われました」なんて言わないようにね(笑)。自分の体験・感覚を書きます。そういう自分の内部から言葉が出て来ないから、“かっこつけ”なんです。きれいにまとまっていますが、表面をなでただけの印象ですね。

●平山氏の講評

  この作品に出てくるのは人間じゃなくて山なんだよな。山のかあちゃんが死にかけてるんだろう? 山のかあちゃんが微笑んだら、山のとうちゃんがうなずいて額をなでた? キャラクターはどんな形してるんだろう。『もののけ姫』に出てくる山の精霊みたいなもんかな。どんな姿をしているのかがわからなかった。
 人間が眠っている間に、じつは巨大なものが動いているというアイディアは、ダイナミックでとてもおもしろい。だけどなぜ「私」という一人称にしたのか。一人称は書きやすいし、こうした難しい物語にも入りこめやすい。ナイフみたいに切れ味がよくなるけれど、一人称だと前方はよく書けるけれど、(後頭部に手をあてて)後ろのうなじは書けないんだよ。

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 この話だと、精霊みたいな存在の主人公を一人称にしているものだから、自身の姿が書けなくなってる。三人称という形で外から主人公の姿をとらえ、そのダイナミズムを描いたほうがいい。一人称はやりやすいけれど、その分うなじの部分が書けなくなって、読者がついてこれなくなるときがあるんだ。たとえば災害モノの場合、一人称だと深くは書けるけれど、主人公の視点でしかとらえられず、ダイナミズムに欠けてしまう場合がある。
 またこの作品では、文章を書くことに熱中しすぎるあまり、物語がとまってしまったように見える。器用に書けるぶん、なおさら気をつけたほうがいい。

(ここで、斎藤さんの作品の講評に付随して、平山さんがエンターテインメントの重要なポイントを教えてくださった)

 斎藤さんが「黒木あるじ」名義で『幽』怪談実話コンテストに送ってきた「ささやき」は、たった6行の、極端に短い作品でした。ほかの選考委員は否定的だったのですが、ぼくはとてもおもしろいと思った。ただ、いくらなんでも6行の作品だけでは、やらずぼったくみたいなところがあるから、続きの部分を書くなら賞をあげますよ、という条件つきで、「ブンまわし賞」というのを彼に与えました。
 ぼくらがやっているのはエンターテインメントです。エンターテインメントの定義は、作家ひとりひとり違う。通常の意味で言えば「娯楽」という意味になるんでしょう。でもぼくは「徹底的」という意味で使っています。いつも徹底的にいく。誰にも捕まらないような勢いで、それこそブンまわしでね。


  以上の講義のあと、深町氏が聞き手になり、平山さんの多彩な経歴や小説への姿勢について語っていただいた。そちらの模様は近日中に、同サイト内の「その人の素顔」でアップいたします。あわせてご覧ください。

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 【 講師プロフィール】

◆平山夢明(ひらやま・ゆめあき)氏
 1961年、神奈川県生まれ。『「超」怖い話』シリーズで実話怪談の名手として注目を集め、94年にノンフィクション『異常快楽殺人』を発表。96年、『SINKER―沈むもの』で小説家としてデビュー。2006年には、「独白するユニバーサル横メルカトル」で第59回日本推理作家協会賞・短編部門を受賞。同作を表題作とした短編集『独白するユニバーサル横メルカトル』(光文社→光文社文庫)が「このミステリーがすごい!」2007年版で第1位に輝くなど、高い評価を得た。ほかに短篇集『ミサイルマン』(現在光文社文庫)、『ダイナー』(ポプラ社。第31回吉川英治文学新人賞候補作)がある。数多くの連載を抱えながら、映画を始め、他メディアへも活躍の場を拡げている。