「小説家(ライター)になろう講座」だより...vol.18(2009.12.21)

小説家(ライター)になろう講座
11月講師・原田宗典氏
 「しっかり切り捨てる事も大切です。」 


11月の講師は作家の原田宗典氏(プロフィールはページ下に記載)。


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小説のほか、軽妙な文体のエッセイや戯曲でも知られるマルチな才能をもつベテラン作家である。

ゲストとして新潮社の編集者、小林由紀氏と冨澤祥郎氏をお迎えした。

 今回は何と、この講座のために原田さんが生原稿を何枚も持ってきてくださった。貴重な生原稿に触れながらの講座どなり、生徒達も感動した。

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 まず、講座は冒頭、本講座の世話役である文芸評論家の池上冬樹氏から講師紹介がなされ、そのあと原田さんが、講座の生徒達に自己紹介を兼ねた挨拶をおこなった。

「今回この小説家講座に来る事になり、皆さんのテキストを読んで、とても励みになりました。「ああ、こんなに同志がいた! 短編を書いている!」って嬉しくなった。日本中探しても、こんな馬鹿な事やっている人なんてもういないと思っていたから(笑)。
昔、小劇場に行った時に、劇団員を募集するチラシを配っていたんですが、そこに「僕たちと一緒に人生を棒に振ろう!」と書いてあったんです(場内爆笑)。
でも、本当に文学や芝居ってそういうものなんですよ。僕なんかも一生を棒にふっているようなものですから。そういう仲間がここにもいたと思えて、とても元気になりました。今日はよろしくお願いします」
 

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 今月のテキストは小説3作品と詩1編

・『双子は似たもの』(下田寛子作/小説・原稿用紙24枚)
・『冬都』(神崎文明作/小説・原稿用紙26枚)
・『つきよのこと』(柴柊作/小説・原稿用紙27枚)
・『ギロチン』(柴柊作/詩・ 原稿用紙2枚)


■『双子は似たもの』(下田寛子)

○梗概
 2話のエピソードからなる物語である。
骨董屋に一人のあやしげな男が現れた。男はある茶碗を買いたいと言い出す。しかしその茶碗は、3年前に誰にも売らないという約束で、500万円で買い取ったものだった。店主は逡巡するものの、男が2億で買いたいというので喜んで売ってしまう。やがて店主の帰った店内では、骨董品がざわざわと騒ぎ出して……。
旨いと評判のラーメン屋に一人の男が現れ、店で一番美味いものを食べたいと言う。しかし、店員は何が一番美味いのかがわからない。そんななか店主は、祖父の話していた定食屋だった時代のことをい出す。店の前で倒れていた男におむすびと味噌汁をあげて大層喜ばれたと言う話だった。同じものを男に出すと、喜んで食べた男は、お礼に不思議な石を置いていく。そして、店には幸福な偶然が起こる……。

 作者の下田さんは「双子といっても双生児ではなく、怪しいものを置いていく人とそれを回収する人を“双子”になぞらえたのです。そこからタイトルが生まれた」そうです。
 

▼小林氏の講評
 両話ともアイデアは悪くないけれど、作品に対する文章の作り方や吟味が足りないように感じる。「ゆっくりと」「にっこりと」などの表現が出てくるが、その言葉を用いる事なく、人物の面白さや不気味さなどを表してほしい。
展開的にもやや駆け足のきらいがある。読者をもう少し信頼して、書きこみすぎずに言葉を連ねても良いかと思う。
勧善懲悪や因果応報を含んだ話にするよりも、奇妙な味の小説として決定的な結末をつけずに、読んでいる味わい自体を楽しむ小説に仕立て上げたほうが良いのではないか。  


▼冨澤氏の講評
 作中に骨董屋さんが出てきますね。ほとんど客が来ないお店だと書いているけれど、一見するとガラクタみたいなものを並べている骨董屋が、実は地方へ何百万もするものを買い出しに行っていたり、意外と裏で大きな商売をしている事もある。 tomizawa-2.JPG骨董屋という商売に書き手がどのくらい興味を持っているのか、作品に登場させる職種や人物を、どれだけ探っていけるかは、作品の深みを作るうえで重要です。
また、文中に茶器という言葉が出てきます。下田さんは茶道の茶碗のつもりでお書きになっているのかもしれないけれど、茶器というのは茶道具全般を指すんですね。そういった詳細な部分のリアリティーも大切にしてほしかったです。
2億円というお金も、普通ならば何かあやしい、犯罪にからんだお金じゃないかと思ってしまう。細かい疑問点をないがしろにせず、相撲でいう徳俵の部分で踏みとどまって、作品を深めてほしかった。

 

 

▼池上氏の講評
 ラーメン屋のエピソードに出てくる、先々代であるおじいさんの作る「生姜焼き」のくだりを細かく書けば、色々な展開に膨らみが出せる。そこを使ってほしかった。
短編で求められるのは、話の切れ味です。その切れ味を高めるのは細部の連繋。ディテールや伏線をきちんとはっていく事で、2億円というありえない金額が気にならない、説得力のある物語になると思う。


▼原田氏の講評
 お三方ともに、いい読み手ですよね。僕が言う事は何もなくなっちゃった(笑)。  

seito0911.JPG下田さんの作品を読んで、僕の作品をお読みいただいているのかな、もしくは僕と読書体験がとても似ている方なのかなと感じました。だから、こういった短編を書かれた気持ちが良くわかります。
アイデアがとても良いですね。欲しいくらい(笑)。骨董屋さんで預かった品物と、それを買いに来た人間、売るかどうかの逡巡。現実にありそうな物語で、その生々しさがいい。だからこそ、僕だったらおとぎ話のような流れにしないで、主人が2億円を手にした直後、最初に売った人間が「思ったよりも早く金が出来たから返してくれ」と店に来てしまう展開にする。そのほうが「さあ、どうする」と読者も感じるでしょう。殺し合いになるかもしれない(笑)。
そんな発想がでてくる良いアイデアだから、是非これで終わりにしないで、考えて、膨らませて、きちんと書いて欲しい。もし書かないなら、僕が貰ってお芝居のネタにします(笑)。
今回は、テキスト以外にも応募してもらった原稿すべてに目をとおしています。下田さんの作品も、他に何作か読ませてもらいました。繰り返しになりますけれど、どれもアイデアが良い。アイデアがたくさん浮かぶという事は、それだけ作家になる要素が強いという事ですから。あとは根気。根気根気只(ただ)それだけだと、宇野浩二も書いています。  



■『冬都』(神崎文明)

○梗概
 ここ二日、何も口にしていなかった男は、冬の東福寺で突然気を失い、寺守の夫婦に助けられる。寺守の家で一夜を過ごした男、村岡修平は、倒れた彼を最初に見つけた造園屋の娘、綾子に送られて京都を離れる。
しばらくすると、修平から、また京都に行くから夕食に誘いたいと電話が入る。
一週間後、綾子は、修平が予約した料亭であい、互いの過去と現在を話し合う。冬の河原町を歩き、バーでのひとときを過ごしたあと、結ばれる。
十数年ぶりの大雪が降った数週間後の土曜日。綾子は母親に偽り、修平から求められた若狭への一泊旅行のため、レンタカーで鯖街道を北上する。
渋滞にはまった車は六時間以上をかけて若狭湾沿いの道へ出る。さらに深くなる雪景色の中、修平が見せた一瞬の険しい表情に不安を覚える綾子。未来を約束しようと言った修平のことばに承諾した綾子だったが、このまま幸せな未来は来るのか。
宿をとった集落へ到着した二人は、主人が指定する駐車場で迎えの者を待つ。二人の車へ近づく人影。それは宿からの迎えではなかった。

 作者の神崎さんは今まで100~400枚ほどの長編を書いており、短編は今回が初めてとのこと。

 

kobayashi.JPG▼小林氏の講評 
一行アキで季節や状況が変わっているが、それがあまり成功していない。移り変わりが鮮明ではなく、ちぐはぐしている。大切な読ませどころが簡単に流されている部分があって、そこが残念。人柄とか生活背景などをもっと見せてほしかった。べったりとした時系列の流れもあって、書かれている情報以上の何かが見えてこない。文章につづられている以上の深みを書いてほしい。

▼冨澤氏の講評
 率直に申し上げて、長編の梗概のように感じました。
30枚という枚数ならばポイントを絞って、特に登場人物二人がお互いの過去・現在・未来を語り合う部分に絞って書くべきですね。そのほうが自ずと舞台である京都、男と女の模様が浮かび上がってくる。お寺や造園業の話はきちんと造形しておいたうえで、男女の感情をもっと丁寧に描いてほしい。
読んでいる途中から、このあと何が起きるのかもわかってしまう。それならば最後の展開を予定調和から変えてしまうなどの思い切った転換を考えてみても良いのかと思います。


▼池上氏の講評
 一番の問題は視点の乱れですね。新人賞の応募などでは視点の乱れは一番チェックされる箇所です。視点が乱れていると、非常に安易で素人っぽい印象を受ける。
海外の小説などでは視点の安定しないものが普通ですし、かつては日本のエンターテインメントでも視点の乱れたものが多かった。いまだに日本の純文学では視点問題に関しては緩いですし、厳しいことはいわれませんが、ikegami0911.JPGでもエンターテインメントの現状では、視点の乱れはマイナスです。厳しいチェックポイントです。一人称一視点で通すのか、三人称一視点なのか、多視点でいくのか。あるいは一人称と三人称の二視点でいくのかと、バリエーションはいくらでもあります。
つまりは、何を描きたいのかを見極めることです。それによってどの視点が効果的なのか、おのずと見えてきます。
 

▼原田氏の講評
 文章はとてもお上手なんです。けれども、ご自身の考えた物語にこだわりすぎて、肝心な部分を見落としているように思います。
井伏鱒二のエピソードでこんな話があります。友人宅を訪ねたとき、部屋にある障子と窓の間に蝿が挟まって身動きが取れないのを見つけた。出ようと思えば出られるのに、わざと塞がった方に向かってしまい、いつまでも蝿は出る事が出来ない。それを見ていた井伏鱒二が「小説の書き出しというのはこういうものだよな」と言ったそうです。「小説家は、自分の作り出した困難に執着する」とは小林秀雄の言葉です。松尾芭蕉は「書きおおせて何になる」という言葉を残しています。
神崎さんは最初に書いてしまった物語に執着しすぎているのかなと感じます。書いてみて、これは駄目だなと思った部分、もしくは小説そのものを、しっかり切り捨てる事も大切です。
あと、タイトルも、もう少し悩んでもいいかもしれない。一番初めに読む、小説の顔とも言うべきところですから。僕はタイトルがしっくり来ないと書けない。タイトルに関してはどんなに凝っても悩んでも、損はないと思います。  


■『つきよのこと』『ギロチン』(柴柊)

○梗概
 ときは冬、ところは寒村。
男やもめの吾兵に飼われる猫のぬいは、山の木の洞の集まりで、貉(むじな)から、名主の家に預けられた珍しい雄の三毛猫の話を聞く。後日、かごに入れられた件の猫と顔を合わせるが、相手の失礼な物言いに腹を立てる。
そんな折、吾兵に嫁が来た。少しさびしさを覚えたぬいは、向かった山の木の洞で、顔なじみの野兎が鉄砲に撃たれた話を聞かされる。ふらふらと里に戻れば、今度は、知っている黒猫が三毛にちょっかいを出したと人に殴り殺されたのを知る。
ぬいは三毛の雄を訪れて「お前が来てから悪い事ばかり起きる」となじった。三毛の雄はなじられた事に頓着せず「寂しいなら旦那になってやろうか」とかごから抜け出す。
村から、二匹の猫が姿を消した。

併せて提出した「ギロチン」は、少し不思議な風合いの詩。作者の柊さんは「ギロチン」は「ザ・セル」という映画の中の、輪切りになる牛を見て発想したそうです。「つきよのこと」は三毛猫のオスが航海のお守りになるという話を聞いて、それをヒントに生まれた物語だそうです。


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▼小林氏の講評
「つきよのこと」は、ご自身の作品世界を作り上げて、そこに見合う言葉を選び出しているなと感じて好感が持てる。三毛猫も雄猫も、魅力的に描かれている。
すんなり物語が行きすぎて、これはどういった小説に当てはめるべきなのかなという部分はやや悩むところではある。 

▼冨澤氏の講評
 世界を上手に作られていますね。洞に動物達が集まってくる意味、いつもはそれぞれの種族でしか会話できない動物達が、月夜の晩には会話できる意味などをご自分の中でしっかりとらえて書く、イマジネーションを膨らませて、登場する動物の動きを緊密に考えていくと、もっと世界や登場してくる動物、そしてラストの部分に説得力が生まれますよね。
安部公房が「書き手は、必ず自分の中に読者を一人持っているものだ」という言葉を、三島由紀夫との対談で言っています。自分が作ったどこにもない世界のリアリティーを、きちんと自分の中にいる読者に納得させるかで、物語は違う味のものになると思います。
「ギロチン」は詩なんでしょうか。ここから何が言いたいのか、ご自分の何がそこに入っているのかが出てくると、また良い方向に出てくると思います。

▼池上氏の講評
 宮沢賢治を彷彿とさせる世界ですね。ひとつの世界が完成していて、動物達はとてもチャーミングなのだけれど、人間がすこしおざなりです。登場する人間がもっと詳細に描かれていれば、もっと彩り豊かな世界になったのではないでしょうか。いずれにせよ、これは連作にして、ストーリーを広げるのもいいかもしれません。少なくとも僕は、続きを読みたいと思いました。
「ギロチン」は、まだ中途半端ですね。自分の中で消化しきっていない印象を受けます。


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▼原田氏の講評
 「ギロチン」は詩とのことですが、詩の定義って難しいですよね。どこからが詩でどこからが散文なのか難しい。
詩論で一番わかりやすいのは武者小路実篤で、「人間は歩く。歩行という行動が、ある瞬間から舞踏になる。それと同じように言葉にも羽が生える瞬間、そこからが詩だ」というような事を言っています。澁澤龍彦は、「散文を訓練するには、詩を殺す事だ」と言っています。僕は文章を書いていて「詩的だな」と思った部分は削ります。韻があっていたり、形容詞に凝っている部分を殺していく。それでもどうしても殺せない部分がある。それが詩だと僕は思っています。難しいよね(笑)。
「つきよのこと」は、逆に詩的なイメージを活かして書いていくべきだと思います。一生懸命考えてあるし、文章も達者だと思うから、あとはどれだけ自分の中にある世界がどんなにも豊かで個性的なものかを僕らに伝えるために、細部を作り上げていくかですね。
文中に垣間見える山形弁も良いです。方言はしっかりとした武器です。宮沢賢治などは黒板にチョークで「下ノ畑ニ居リマス」と書いただけで、ちゃんとそれが詩になっているからね。それは多分、その言葉が岩手弁で書かれているからです。
僕も岡山で高校時代を過ごして、岡山弁を武器にしました。最近はみんな標準語ですから。しかし方言は上手に使わないと諸刃の剣だから、使う時は細心の注意をはらって書いてください。


 講評をおえたあとに、原田さんが、生徒に向けて「新人賞を獲るコツ」を教えてくださった。

「新田次郎さんが若かりし頃に、応募した賞を軒並みかっさらって「文学賞あらし」と呼ばれていた時期があった。「何でそんなに文学賞を獲れるんですか」と編集者が訊いたら「コツがあるんですよ」と教えてくれたそうです。
新田次郎の作戦は「頭を面白くする」事だったそうです。具体的には、まず、どこからでもいいから書き始めていく。最初は迷いながら書いていたものが、だんだん面白くなってくる。「よしよし、いいぞ、面白くなってきた」と思ったら、そこから前の文章を全部捨てる(笑)。そして面白くなってきた部分を書き出しにして、小説を作る。
一次審査だろうが最終審査だろうが、最後から読む人間はいません。頭から読むわけです。その冒頭を面白く書く事が、受賞に繋がります。下読みをしている人や編集者の話では、ほとんどの人は頭の1行、せいぜい10行くらい読めばおおよそのレベルがわかる。だからこそ、書き出し、頭の部分で読んでいる人を引きつけるような小説を書く事が重要です。皆さん、がんばってください。いえ、がんばらないでください。(笑)」

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以上の講義のあと、池上氏が聞き手になり、原田氏の多彩な経歴や小説への姿勢について語っていただいた。
そちらの模様は数日中に、同サイト内、「その人の素顔」でアップいたします。あわせてご覧ください。
 


【講師プロフィール】
◆原田 宗典(はらだ・むねのり)氏

1959年生まれ。
小説のほか、エッセイ・戯曲などを手がける。
早稲田大学第一文学部演劇学科卒業後、コピーライターとして働く傍ら、1984年『おまえと暮らせない』で第8回すばる文学賞に入選。その後フリーとなり、作家としての本格的な活動を開始する。代表作は、「優しくって少しばか」「スメル男」「十九、二十(はたち)」「スバラ式世界」「むむむの日々」など。“青春”をテーマにした作品群、軽妙で独特のユーモアに彩られたエッセイは若者の絶大な支持を得ている。