
小説家(ライター)になろう講座
(7月講師・逢坂剛氏)
「小説という大きな嘘のための、小さなリアリティーを大切に」
7月の講師は、直木賞作家の逢坂剛先生。
1980年、『暗殺者グラナダに死す』(第19回オール讀物推理小説新人賞賞受賞)でデビューした逢坂先生は、1987年『カディスの赤い星』で第96回直木賞と第40回日本推理作家協会賞を受賞された。
警察小説と冒険小説を融合した『裏切りの日日』『百舌の叫ぶ夜』などの公安(別名“百舌”)シリーズ、スペインを舞台にしたトリッキーなサスペンス大作『斜影はるかな国』『燃える血の果てに』、さらに『禿鷹の夜』などのハードな悪徳警官ものやや『重蔵始末』などの時代小説といった、多彩なジャンルの作品を発表している。
「小説家(ライター)になろう講座」講座には、ゲストも含めると三度目の登場となる。
講座はまず、いつものように、本講座の世話役である文芸評論家の池上冬樹氏の挨拶からはじまった。
「今日は午前中、逢坂さんと一緒に、村山市にある最上徳内記念館に行ってきました。最上徳内は、逢坂さんの人気シリーズのひとつ、『重蔵始末』の第6作『北門の狼 重蔵始末(六)』(講談社8月刊)に出てきます。その取材のひとつですね。作家ですから当然なのですが、あらゆる資料を読み込んでいて、資料関係の問い合わせのために、お休みしていた学芸員さんにも出てきていただきました。いろいろお話を伺っているうちに、あっという間に時間が経ってしまいました。
今日は、生徒が提出してくれた三作の講評のあとに、その作家の取材方法、資料から何をよみとるのか、資料がない場合、どのように小説にしていくのかといった話をうかがう予定です」
池上氏から話を引き継ぐように、穏やかな口調で、逢坂氏が話し始める。
「最上徳内記念館なんて滅多に行く機会が無いもので、学芸員の方と話しこんだり、資料を熱心に見ているうちに、ついつい時間がかかっててしまいました。その後、村山市で蕎麦を食ったんですが、東京ではなかなか出会えない固い蕎麦で、食べ終わるのに時間がかかりました(場内笑)。
何度もこちらの講座にはお邪魔しているので、お話する事も同じ繰り返しになるかもしれませんが、私が繰り返すという事は、それだけ小説を書くうえで重視している部分です。今回も好き嫌いをあげつらうのではなく、基本的な部分を話したいと考えています。
3作の講評のあと、海外ミステリの最新作を題材に短い場面の講義をしたいと思います。それと語感の話も。
では、本日はよろしくお願いします」
■今月のテキストは3本。
・「姫蛍」(吉村龍一)
・「梅屋敷」(池子とら)
・「昼顔 Bell De Jour」(藤代京)
●「姫蛍」(吉村龍一)
○梗概
柏木透子は山形にある、ひなびた温泉旅館を訪ねていた。かつての不倫相手であった建築設計士、秋川と三年前におとずれた宿だった。
三年前、出張中の社員から聞いた姫蛍(ヒメホタル)というものをぜひ見たいと、秋川が透子を誘ったのだ。妻には現場視察と嘘をつき、透子とともに訪れた。その小川の上流で、幻想的な姫蛍の光に出会った二人は、その夜、はげしく睦みあった。
しかしあれから三年、透子は宮筋腫を患い、全摘出の手術を受けた。秋川はそんな彼女から離れていった。その悲しみを洗い流そうと足を運んだのだった。
湯船に浸かりながら悲嘆にくれる透子の前に、今年はもう見れまいと思っていた姫蛍が姿をあらわす。消え入りそうなまたたきに、透子は、新たな命を見る。
○作者の吉村氏いわく「蛍が好きなので、山形の温泉地にいる姫蛍を題材に書いてみたかった。蛍の描写が書きこめなかった」作品だという。
▼池上氏の講評
彼の作品は何本も呼んできました。いや、いろいろなものを書きたい気持ちはわかるけれども、今回は無理していますね(笑)。先々月は便所掃除の話だったんですが(笑)。アンモニアの匂いがぷんぷんする小説は巧いが、クロワッサンの匂いは書きにくいみたいですね(笑)。
肉体の生々しさを書くのが上手な吉村さんなのに、今回のはあまりにも綺麗すぎる。今の時代にしては女性が受け身でいすぎて、感情移入できないんですね。もう少し能動的に動く話にするべきです。
作品に則していうなら、もっと具体的に、主人公がどういう価値観で生きているのか、どういう生活を送っているのか、どういう人生を歩むのかをもっと書くべき。
女性が病気で失意の底にいるという、物語の冒頭も、ある種のステレオタイプです。そのパターンからどう脱却するか、どう展開してゆくかも、作家の腕の見せどころですから、もっと独自の展開を考えましょう。自分は展開が弱いなと思ったら、イメージの収斂や連繋によるテーマ把握という純文学的発想をするといい。吉村さんは明らかに純文学的志向なのだから、そういうイメージの収斂や連繋によるテーマ把握ということを深く追求してください。
▼逢坂氏の講評
とても書き慣れているな、という印象をもちました。ですが、新人賞をとるには、プラス、突き抜けるものが重要です。それは何かというと難しいんですが、自分だけのスタイル、読んだ人間が誰の作品かすぐわかるような文体を作っていく事が大切かなと思います。特徴のある文体、スタイルを創る事が、作家を目指すうえで大切です。
この作品は 面白く読みましたが、わかりにくい箇所がいくつかあります。
たとえば、主人公の恋人である男性が、ひなびた温泉街に建てた建物のくだりがあります。文中では近未来風な建物を建てようとしている事を仄めかしているが、結局その後にどうなったか、わかりづらい。頭で考えるだけではなく、書いた後に読み返して、読者の立場でわかりやすく伝わっているかどうか考えるべきです。
それと、(病気した)女性がお風呂に入るときに「ざんぶと…」と表現されているが、これは適切ではない。どういう女性が、どのような心情で、どのような行動をとるのかを考えないといけません。なんでもない部分だからこそ気をつけないといけない。
また、「子宮を失ったことで男は興味を失う」という部分も、私自身はそうだろうかと思いましたね。「子供が生まれないから丁度いいや」って逆の考えだってあるかもしれません(場内笑)。
そして最初のほうに「見れますか」と“ら抜き言葉”がある。作為的に使うなら良いけれど、地の文で無自覚に使うのはいけませんね。
あと、細かいですが視点の乱れが一カ所あります。アメリカの小説なんかには視点がばらばらのもありますが、私の感覚からすると、視点の統一は、読み手の感情移入を促すためにも重要です。
●「梅屋敷」(池子とら)
○梗概
吉岡は、飼い犬のあおいを連れて散歩に出たおり、崩れかけた古い家に遭遇する。その廃屋に覆いかぶさるように、一本の梅が花を咲かせていた。つよい香りと共に、梅の木が見つめ続けてきた歴史、吉岡の時代よりはるか昔の出来事が回想されてゆく。
「むめ」は、嫁ぎ先の義父から辱めを受ける。その事が義母に露見しそうになった時、飼い犬のハチがじゃれつき、むめを庇ってくれる。その後も義父から守るようにつきまとうハチだったが、ある日、義父によって打ち殺されてしまう。むめは義父の子をはらんだ末に堕胎するが、その後も義父の暴行は続く。
ハチを悪し様にののしる言葉を思い出し、むめの中の何かが切れた。義父の脳天めがけて粥の入った土鍋を叩きつけると、裏庭に出た、青い梅の実をかじる。
梅の木のまえにたたずむ吉岡に、ふと女の声がきこえてくる。長い白日夢だった。吉岡はあおいに噛みつかれて、覚醒する。
梅の木が見続けてきた、女達の悲しみや切なさを思いつつ、吉岡とあおいは梅の木のもとを去ってゆく。
○作者の池子氏によると「四年ほど前にテキストにした作品がもとになっています」とのこと。「そのときに町の描写が少ないといわれたので、今回は丁寧に描いてみました。“吉岡”は、自分が連作で書いている作品の主人公です。そのせいで吉岡の説明がついつい抜けてしまったのが反省です」と語っている。
▼池上氏の講評
連作のひとつなので仕方ないんですが、吉岡を登場させているがゆえに弱くなっている。というか、繋ぎが弱い。過去の話だけで充分じゃないかな。いちおう綺麗にはまとまっていますが、まとまっているがゆえに印象が薄い。いいですか、綺麗にまとめるのも問題があるんです。あえて不格好のほうが、とんがっていて面白いこともある。
とかもく、この枚数では動きが足りないですね。白昼夢のほうが筆が乗っている感じがするから、その部分をもっと肉づけして、義父との関係や犬の話を書くべきだったのではないかと思います。
▼逢坂氏の講評
池上さんと同じですね。前半と真ん中の話がつながっている必然が弱い。
私はむしろ現代部分に登場する犬のハチと、白昼夢の部分に出てくる犬のあおいが、動物的な勘でつながって、犬を媒介にむめの記憶が繋がっていく方が強い粘着力をもったのではないかと思いますね。
技術面を云々するなら、二行続けて「また」という言葉がある。やはり同じ語句は避けた方がよいです。「旦那さん」と「旦那様」が混ざっている部分もある。用語への配慮は大切です。
また、癖なんでしょうが、「・・であった」という語句が連続しているところがある。印象として硬い。私なら「だった」を使いますね。使う語句の癖はきっちりチェックしてください。
●「昼顔 Bell De Jour」(藤代京)
○梗概
主人公の「わたし」は、「母」の恋人である「彼」と男女の関係を続けている。
出会いは高校生の頃、フレンチレストランだった。離婚した父と兄と暮らしていた私が、母と会うために催される食事会に、彼はやって来た。母の新しい恋人だった。
その食事会が行われた店の名は「Bell De Jour」。仏語で「昼顔」を指し、カトリーヌ・ドヌーブが主演した同名の映画と同じ。そんなことを母の恋人と語り、やがて二人の関係は、「わたし」が大学入学を機に母と同居した事で変わってゆく。
ある日、酔いつぶれた母を寝室に送った男は、二人きりの部屋で、「わたし」に、自分が男として役に立たない事を打ち明ける。試してみるかと誘われた「わたし」の手によって、機能しないはずの彼の男性自身が元気を取り戻し、やがて、二人は男女の関係を結ぶ・・。
○作者の藤代氏いわく、「この作品は携帯小説の冒頭30枚でした。固有名詞を登場人物につけなかったのは、読み手が移入できるように、あえてそうしました」とか。
▼池上氏の講評
文章にスピード感がある。改行の多い、携帯小説的な文体ではあるのですが、単に改行のための改行ではなく、あくまでも省略のうえの改行で、文章の呼吸もいい。文章をうまく削っていて、ニュートラルな文体ですが、個性のないところに個性があるといったらいいか。悪くない。
勃起しない男性器を“中身の溶けた水枕”と表現するなど、比喩もきまっている。心地よい優しい文体で、そこにいやらしいエロティシズムがあるのですが、ただ、全体的に踏み込みがたりない。きれいに距離をとりながら書くのはいいが、ここぞというところは踏み込んだほうがいい。
▼逢坂氏の講評
書く側からすれば、携帯小説であろうが何であろうが、言葉の綿密な選択と推敲が必要なのは変わりません。冒頭、「わかっているはずだ」という言葉が、漢字と平仮名で出てきますね。作者自身が統合できていないんじゃないかな。
比喩の「・・のように」が連続したり、逆接の「・・けども」という言い方も注意されたほうがいいでしょう。新人賞などに応募する場合には、こういった言葉のあやふやさは印象が悪くなるから気をつけてください。
それと、人の心の流れとして、母が恋人である人物に向かって「あんたはただの小便棒だ」なんて言いますかね。愛している男ですよ。私だったらしばらく立ち直れないな(笑)。一見、悪口に思えても、そこにある愛が見えないといけません。
私だったら、この小説は一人称では書かない。最初に子供と書いておいて、あとから少女だと思ったのが実は少年だったりすると、読み手もびっくりするんじゃないか。・・いや、少しひねりすぎかな。
あらゆる展開を頭に入れながら書きましょう。読者はこういう予想をたてるだろう、その予想をくつがえしてやろうという意図も大事。読者の予想通りに進んだら物語は面白くありません。ある登場人物を犯人にするつもりで書いていても、途中から別な人物を犯人に仕立てることもあるでしょう。物語はそうやって広がりを持たせておくべきです。
■不自然な場面を作らない/細かいリアリティこそ大切
3作の講評のあと、逢坂さんが用意した資料が生徒に配られた。ある海外ミステリの新作の冒頭を数ページコピーしたものである。
「これはある小説の冒頭、プロローグの4ページです。これだけで判断は酷かもしれませんが、この文章を面白いと思った人、続きを読みたいと思った人は挙手してください。
(生徒があまり手をあげないのを見て)あまり続きは読みたくなかったみたいですね。
この作者は、本職が女弁護士で、この小説が処女作だそうです。たまたま読んでいたんですが、やはりこちらとしては常に書き手の意識がありますから、そういった視点で読んでしまうんですね。そうすると、いくつも引っかかる箇所があって読み進められない。しばらく読んで放り出しました。
コピーした問題の箇所は、主人公の女性弁護士と依頼人が顔をあわせるバーの場面です。女性弁護士にとっては初対面のはずが、実は、依頼主の男とは大学時代に一緒で、旧知だったということが判明する場面です。これはおかしいです。
そもそも、待ち合わせる場面まで、二人は電話をしなかったのか。していても気付かなかったのか。たとえ、待ち合わせの時間と場所のセッティングを事務所の関係者がしたとしても、主人公は名前をきいている。その人間の名前が、大学時代によく知っていた人間であると気がつかないはずが無い。
こういう風に人間の行動として違和感のある、読者に不自然さを感じさせるのは小説としては失格です。劇的なシーンを作るために無理が生じる。ドラマチックな展開を考えすぎず、むしろ落とし穴に気をつけるべきです。
小説は嘘を書くものですが、大きな嘘をつくためには細かいところのリアリティが大切なんです。
■語感を磨く
「では最後に、皆さんの語感を確かめてみましょうか。このふたつの文章の違いを考えてみてください」といって、逢坂氏は黒板に向かい、次のような文を綴った。
aに罠をかける
aを罠にかける
生徒からは「上の文は罠にかける前で、下は罠にかけた後ではないか」「上は罠を設置する場所、下は罠にかける人物を指すのでは」など、様々な意見が出る。
「なるほど、いろいろ意見が出ましたね。
私自身は、上記は未然、まだ罠をしかける前。下記は過去の話、罠をしかけたあとの事。そういう解釈で書き分けています。
このように、日本語には多様なニュアンスがあります。だからこそ、よく考えながら書いていただきたい。
そういうときに役立つ本があります。私自身、文章の表記を考える時に、とても役に立っている本なのですが、それを皆さんに紹介しましょう。三省堂から出ている武部良明の『日本語表記法の課題』という本です。けっこう分厚くて手強い本ですが、参考になります。古本屋さんで探してみてください。
たとえば「彼に大事を託す」という表現の時は、“大事”と漢字であらわすが、「君にだいじな話があるんだ」という時は“だいじ”と平仮名で書くべきだと武部良明は言っています。
ほかにも「制度を改める」という言葉の際には漢字で“改める”と書き、「あらためてお願いがある」というような場合には“あらためて”と平仮名で表記する、「命令に従う」は漢字で“従う”と書くけれども「したがって何々である」と使う際には“したがって”と平仮名にする、このように使い分けをするべきだと武部良明は教えています。
例外はありますが、私も同じように気をつけて書いています。方針を決めて書くと注意が行き渡る。常用漢字を使って、なるべく難解な漢字を使わないのも大切です。
以上の講義のあと、池上氏が聞き手になり、逢坂氏の取材への考え方や小説の書き方について語っていただいた。
そちらの模様は数日中に、同サイト内、「その人の素顔」でアップいたします。あわせてご覧ください。
【講師プロフィール】
◆逢坂 剛(おうさか・ごう)氏
1943(昭和18)年、東京生まれ。中央大学法学部卒。1966年博報堂に入社。
1980年「暗殺者グラナダに死す」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。
1987年『カディスの赤い星』で直木賞、日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞を受賞。1997(平成9)年6月に博報堂を退職、作家業に専念する。
公安警察シリーズ(『裏切りの日日』『百舌の叫ぶ夜』)、岡坂神策シリーズ(『あでやかな落日』『牙をむく都会』)、御茶ノ水警察署シリーズ(『しのびよる月』)、イベリア・シリーズ(『イベリアの雷鳴』)、禿鷹シリーズ(『禿鷹の夜』)、世間師シリーズ(『相棒に気をつけろ』)、時代小説の重蔵シリーズ(『重蔵始末』)などの人気シリーズのほかに西部劇『アリゾナ無宿』、このミスにランクインしたサスペンスの傑作『燃える地の果てに』など多数。
2001年から2005年まで日本推理作家協会の理事長をつとめる。
国産ミステリの重鎮的存在である。