「小説家(ライター)になろう講座」だより・・・vol.13(2009.6.22)

 小説家(ライター)になろう講座

(5月講師・山田剛史氏 ゲスト・安達千夏氏)


『いろいろな人物になりきって物語を生み出す』



 5月の講師は、角川書店の文芸編集者の山田剛史さん。山田さんは今回のゲストの安達千夏先生の担当者でもあり、祥伝社時代に40万部を超えるベストセラーを記録した『モルヒネ』を手がけている。祥伝社時代にはほかに本多孝好の『FINE DAYS』、角川に移ってからは石田衣良の『再生』なども手がけている。


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 今回のゲストは、作家の安達千夏先生。安達さんは山形市在住で、『あなたがほしい』(すばる文学賞)でデビューしたあと、ベストセラー『モルヒネ』、今年6年ぶりの長編書き下ろし『かれん』(角川書店)を上梓されている。(※お二人の詳しいプロフィールはページ下に記載)。


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 講座はまず、世話役の池上冬樹先生の話からはじまった。 



moruhine.JPG「山田さんとは長い付き合いです。『王妃の離婚』で直木賞を受賞された佐藤賢一さん(山形県鶴岡市在住)が山形市で結婚披露宴をあげられたとき、大挙して編集者たちがやってきたのですが、山田さんもその一人でした。お手元の(今日配布した)プロフィールにもありますように、祥伝社時代にいくつものベストセラーを記録した名編集者です。その手腕は高く評価されていて、文芸評論家の北上次郎さんと上京するたびに飲むのですが、いつもかならず“山田をよべ”というのが北上さんの口癖です(笑)。それほど新しい作家と作品について詳しく、たしかな視点をもっているから、話がつきないんですね。
 そんな山田さんが担当し、大きなベストセラーになったのが、安達千夏さんの『モルヒネ』です。安達さんは山形市在住ですが、あまりにマスコミには出てこない人で、お会いしたいと思ってもなかなかかなわずにいました。ようやく数年前でしょうか、山田さんを通じてお会いしたのが初めてです。

 今回、数年ぶりに書き下ろし『かれん』が出ると聞ききまして、それだったら二人を講座によぼうと思い、声をかけた次第です。

 今日の講座の進行ですが、3本のテキストを講評したあと、山田さんと安達さんへのインタヴューを予定しています。最新作『かれん』は傑作で、「本の旅人」6月号に書評を書かせていただきましたが、ほんとうに緻密に作られていて驚きます。その舞台裏を担当の山田さんと安達さんお聞きし、それまでの安達文学を振り返りながら、『かれん』の魅力に迫りたいと思っています。
 では、山田さん、安達さん、どうかよろしくお願いします」

 


 池上先生の挨拶のあと、山田さんの簡単な自己紹介にうつった。

「一貫して文芸畑を歩んできました。15年目の編集者です。現在、単行本、文庫を担当しています。祥伝社時代はエンターテインメント小説を担当していました。純文出身の方も担当していますが、基本的にはエンターテインメントを売り出してきた編集者なので、純文学の書き方を目指している方にとって満足のいく読み方ができるかどうかは不安ですが、その点はご了承願いたいと思います。
 安達さんの作品はエンターテインメント、純文学の垣根なく読者に手にとどくように作ってきたつもりです。その点もご理解いただき、なにかの参考にしていただければと思います。よろしくお願いします」

 続いて、安達さんの自己紹介。

「山形で生まれ、ずっと山形で暮らしています。東京の編集者からは「なぜ山形にいるんだ」と叱られますが。経歴に関しては(配布したお手元の)プロフィールを参考にしていただきたいです。純文学も読むし、エンターテインメントも読むので、私はどちらも守備範囲です。みなさんといろんな話ができればと思っています。よろしくお願いします」

 2人のご挨拶が終わり、池上先生の司会で、3本のテキストの講評に移っていく。
 


 今月のテキストは3作品。

『五週目』(H・S作/小説・原稿用紙6枚)
『蟻の住処』(佐藤良行作/小説・原稿用紙20枚)
『釘煮』(吉村龍一作/小説・原稿用紙81枚)



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■『五週目』(H ・S 作)

○概要

 五週目で、書道教室が休みの日。小学生の譲が立ち読みしていたら、書道教室で一緒のヒトミに声をかけられる。通行人に遮られ、よく聞きとれなかったが、同じ教室の幸太のことを言っていたようだ。幸太に何かあったのか、書道の先生に確かめる為、先生宅に寄る。
 買い物から戻った先生に「ヒトミに会った」と言うと、彼女のお習字が夕刊に載ったことをきかされる。幸太に何かあったのか尋ねるが、「何かあったの?」と逆に聞き返されてしまう。譲が帰ろうとした時、先生は譲が初めて教室にきたのも、今日のような五週目だったと、思い出を語る。
 帰宅途中、歩道橋から公園を見下ろすと、妹と遊ぶ幸太の姿があった。そのあぶなっかしさに、気をとられてしまい、「ぼんやりしてると、危ないよ」と、通りかかったおじいさんに注意される。

 

▼池上氏の講評 ikegami-0905.JPG

 今回が4作目になるのでしょうか、相変わらず短く、凝縮された世界です。詩的な才能で、世界の断面を鮮やかにみせてくれるのですが、それが今回は薄くて残念である。ただ、相変わらず独特の世界はある。ただし今回は、まだまだ未整理の印象をもった。
 まず、会話と地文の改行がなっていない。それがうまくいっていないので誰の視点なのか曖昧である。タイトルや会話をもっと整理してから書いたほうがよかったように思う。筆者は登場人物の不安感などを描くのが上手なので、そのあたりをもっと書いてほしかった。


▼安達氏の講評

 池上さんが言っていることがもっともな意見だと思う。自分の作品世界をつくろうという努力がよく伝わってきた。この筆者独特の雰囲気や空気感がある。しかし、作品のなかにト書きのような箇所が出てくる。目に映るものや作者の頭のなかで展開されている状況をそのまま書いてしまっている。物事を簡略化して、少ない言葉で適切に描き出すことは必要だが、それは目に入ってくるものを列挙していくだけになると、読み手の側がつらくなってきて平板になってしまう。五感に訴えるような箇所で作者独特の表現を持っているようなので、なるべくト書き的になる地の文のところを気をつけていくといいと思う。
 「五週目」は掌編だが、小説は短くなるほど大変である。自分も長年作家をしているが、長いほうが書きやすい。短くなるほど大変である。この難易度の高い掌編に挑む場合には考えなければいけないことがあります。それは、マラソンと短距離では走るときに呼吸が違うように、小説もそうで、枚数に応じて読み手側の呼吸も違う。掌編だと思って読むのと、短編や長編と思って読むのとでは、読み手のリズム感が違うので、書き手はそのあたりをもう少し意識して書いていくといいものが書けるように思う。この作者の空気感はいいと思うのでそこを伸ばしていただきたい。


▼山田氏の講評

 空気感の出し方に作者独特のものがあるし、そこが伸ばしていくところだと思う。ただ、逆に、文章の空気感を作るところに重きが置かれすぎて、全体のまとめに難があるし、6枚のなかで伝える思いが分散してしまっている。新人にありがちなのだが、文章で場面をつくろうとして、それに引きずられている。
 小説というのは、全体を読み通したときの内容、その核となるものが伝わらないといけない。それがない。場面を熱心に書くのはいいけれど、推敲の段階でそのあたりをきちんと考えながら整えていくことが必要だと思う。全体の長さと内容の調整も必要。少なくとも掌編はとても難しく、特に一回のミスも許されないような研ぎ澄まされたところが必要になってくる。
 特に今回の作品の場合、この短さからいって、三人の登場人物でも多いように思う。6枚という枚数は、一人のことを書くのが精一杯の長さだと思う。この作品で何を伝えたいのか、その配分を考えることは、読者に読ませるうえで大切なことのように思う。

 


■蟻の住処(佐藤良行作)

○概要

 涼(おれ)と美晴は、共に下半身麻痺を抱える身体障害者だった。
 両親に結婚を反対され、家を飛び出した。住まいを探したが、車いすのふたりに使い勝手の良い物件はなかなか見つからず、あっても屁理屈をこねて断られたりした。一か月の苦労の末、ようやく探し当てたアパートに暮らしはじめるが、その苦労がたたったのか、美晴は引っ越し後すぐに体調を崩し、涼が仕事と家事をこなす日々が続いている。
 その日は美晴も調子を取り戻し、ふたりで夕飯を作って食べた。そんな折り、涼の父から電話がかかってくる。近況を問う父に涼は冷たく応じる。電話は、母に住所を教えてやれという父の言葉で切れた。涼は教えるつもりはなかった。
 その夜、涼は美晴の寝顔を見ながら、ふたりの出会いのことを思い出した。打ち解けるきっかけを与えてくれたのは母親だった。目覚めた美晴は、やはり住所を教えてやって、と告げる。涼がうなずくと、美晴が身を寄せてくる。


▼池上氏の講評

 障害者を主人公にした小説です。冒頭のトイレで失禁する場面から生々しく、障害者たちの切実に生きる苦しさや悲しみが書かれている。障害者小説に限定されかねないが、障害者に限らない普遍的な苦しみや悲しみを想像させる喚起力があるのがいい。ただし、作者が自ら規定した20枚の小説のようだが、そして20枚なりにうまくまとまってはいるものの、盛り込みすぎの感は否めない。結婚に反対する両親の話をカットして、ふたりの愛の生活だけでも描いていいのではないか。 また、ここにはセックスのできない夫婦の問題が書かれてあり、通常の性ではえられないエクスタシーや精神的な満足感を、もっと踏み込んで書いてもよかったと思う。僕が解説を担当した小池真理子さんの『欲望』(新潮文庫)は性的不能の青年を愛した女性の物語であるが、そこにはきちんと別の愛の形が書いてある。一般的には、性的な結合が愛の到達、もしくは重要な関係と思われているが、しかしそれは一つの見方でしかないことが、大人になればわかります(笑)。コミュニケーションの可能性のひとつとして、障害者たちの愛の形を踏み込んで書いても良かったのではないか。

▼安達氏の講評

 20枚の縛りを設けた短編であることをいま知りました。そのような縛りがあるとは考えていなかったので、20枚では短い、両親の反対をもっと膨らませて、枚数を4、50枚ぐらいにしてもいいように思ったほどです。両親との軋轢があり、彼女と自分のがんばっている毎日を対比させるだけの枚数があればいいと思いました。
 でも、20枚という制約のなかで上手に書いています。最初にインパクトがある。インパクトのある出だしは短編には有効だと思う。ただ、とても上手い入り方をしているが、文章が進んでいくうちに説明をはじめてしまう。切迫感のある場面を読者に提示したい場合は、五感に訴える箇所をどこにいれるかも重要になってくる。
 文章の面で気になったのは、同じ言い方を数行の間に繰り返していること。純文学の場合、そのあたりは編集者に指摘されると思うので、もっとバリエーションをつけたほうがいいと思う。
 視点の問題になりますが、一人称で書いている場合、もっと感情的なものを描いていてもいいように思う。それと同時に、一人称の場合に大事なのはリアクションです。ほかの登場人物がアプローチしてきたときの反応を重要視してほしい。
 タイトルとかかわりますが、最後の場面に「蟻」がでてきます。「蟻」の存在を象徴的に使って上手にまとめていますが、前のほうで描かれた両親との軋轢を考えると、「蟻」できれいにまとめてしまって、もったいないとも思う。これは完全に好みの問題なので自分は判断つかないが、ラストをきれいにまとめすぎたがゆえに、前のほうの話が台無しになってもいけないし、きれいにまとまってましたね、という感想で終わってもいけない。そこを気をつけなければいけないと思う。
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▼山田氏の講評

 感心したところが多い作品だった。登場人物のはずかしいところも汚いところもさらけ出すというのが小説家に求められる才能でもあるが、その点ではすべてをさらけ出す表現をしている。そこに非常に感心した。ただし、20枚という制限を考えたとき、もっと違う表現があったのではないかと残念に思うところもある。親との葛藤を描くならもっと枚数が必要だし、一場面を切り取るならば、親との葛藤を削り、ふたりの描写を多く描いたほうが、この作品はもっと豊かになったと思う。
 問題点をあげるなら、ある頁のなかで同じ描写・同じ表現が重なっていること。推敲がたりないからでしょう。掌編・短編の場合はとくに場面描写が厳しく見られるので、推敲がとても大事になってくる。
 また、小説を書くにあたって場面を展開することに苦心してしまうと、1の内容を1で書いてしまうことが多い。理想は10の内容を1に凝縮するくらいの作業が望ましい。そうすることによって行間の出る文章、重みのある一行を生み出すのだと思う。短編ではそれが求められる。
 それから、作家の「カラー」の問題です。プロとしてやっていくとなると、逆に身障者をはずした作品にも挑戦していただきたい。そのうえで読者を引きずりこむ感覚が出せれば、のちのち身障者を書いたときに、それが武器になると思う。プロは一作品だけ書くわけではない。プロの作家はいろいろな人物になりきって物語を生み出しているのです。いろいろな人物になりきることを意識して、小説を書かれるといいと思う。

 


■『釘煮』(吉村龍一作)

○概要

 仁は新人設備工。工業高校を卒業後、タカシマ設備で働いている。二ヶ月に一度、風俗店に通うのをひそかな楽しみとしている。
 小学校でトイレがつまったとの連絡があり、仁は現場に直行する。小便器が尿石でつまり、悪臭があふれていた。仁はマイナスドライバーを片手に、かりかり汚れをかきおとしていく。そうした汚れ仕事に一瞬嫌気がさしたものの、修復後児童の歓声をきいて、仕事の達成感をおぼえる。
 仁とペアを組む先輩の笹原は元不良で、いまでもポマードをつけたリーゼント姿だった。そんな笹原と、市役所のヒーターメンテナンスにでかけ、作業を通じてつくづく自分は機械いじりがすきだと実感する。学生時代に思いをはせ、一般教科がからっきしだった自分のふがいなさを、苦々しくおもいだした。
 そんなある日、かりんとう工場に換気扇交換にでかける。工場の湯気をみているうち、仁は母のことを思い出す。湯気のむこうに、母のつくる釘煮がだぶってみえてくるのだった。


▼池上氏の講評

 タイトルの「釘煮」というのは、佃煮のことです。関西では春の風物詩となっている「いかなごの釘煮」のことで、関西の友人が毎年送ってくれていて、個人的にも大好きな食べ物です。
 そんな僕の個人的な話はどうでもよくて、大事なのは、小説において、そういう個人的な体験をいかに読者と共有するかでしょう。作者の話をきけば、トイレ掃除などはすべて経験だという。風俗の話は経験しているかどうは聞き忘れましたが(笑)、この描写がもつリアリティの確かさ、場面場面の描写のうまさは、さすがに経験したことがないと書けないですね。凄味がある。ものすごい喚起力がある。風俗嬢との絡みはいまひとつですが。だから経験していないのかな(笑)。
 いやいや、経験している・経験していないは関係ないと思います。経験しているからといって、すべてうまく書けるわけではありません。ミステリにはたくさんの生々しい殺人が出てきますが、作家はだれも殺人なんて経験していない(笑)。ようするに書き方の問題です。
 このトイレの場面が圧倒的なのは、注意深く読んでもらうとわかるのですが、読者に、くさい、くさいと説明していないからです。読者はいきなりトイレにつれていかれ、悪臭のみなもとである尿石を見せつけられる。さらにわかめのような排泄物の固まりまで視覚的に捉えて、臭いまで喚起させられる。その抑制された描写のたまものだと思う。
 しかし、残念ながら、ストーリーの部分で繋がっていないところがある。風俗嬢との絡みのあとに掃除の場面があるが、むしろ、トイレ掃除→セックスというふうにしたほうが、生きものの営為として力強いのではないか。おしっこの臭い、体臭、性器のにおいなどを並列していって、生きる行為の意味をほりさげていったほうがよかった。その意味でも、主人公がいい人すぎるのは問題。くさいものと共振・共感・対立するような悪意があると、もっと物語の世界が広がったのではないか。


▼安達氏の講評  adachi-3.JPG
 
 たいへん描写がすばらしい。でも、問題がある。場面の描写は上手でも、プロとしてやっていくにはひとつひとつが長いと思う。上手だからたくさん書けてしまうのでしょう。いくらでも書けたものをぜんぶ出されてしまうと、「それ、さっき聞いた」と思ってしまう。あと、同じ場所での言い回しなど、推敲不足が感じられた。
 最初、露悪的な小説になるのかと思って読んでいたが、労働に入るととてもまじめな勤労青年の姿になる。露悪的な感じの場末の描写は優れているし、勤労青年を描いたときの労働の描写もすばらしいが、小説としてはバランスが悪い。
 繰り返しますが、場面の描写はいいのです。母親を回想する部分もとてもなめらかでいい。その部分をもっと前に出すことによって、いい作品に変わるという考え方もある。その逆で、露悪的な部分を表面に出してもいい作品になると思う。いっぽうで、勤労に関する場面を全面に出してもいい作品になる。この三つを混在させてしまったことが混乱の原因でしょう。作者が「どれも自分は書きたい」と思うなら、フォーカスを定めたほうがいい。
 ジャンルにおける書き方の問題にもふれておきましょう。純文学を目指しているなら、仕事に関する緻密な書き方はとてもいいと思う。でも、もしもエンターテインメントを目指しているなら、この緻密な書き方はやめたほうがいい。平面的にきれいに描かれると、読者はかえって大切なところまで読み飛ばしてしまうからです。大切な部分をしっかり読んでもらうにはメリハリも必要です。


▼山田氏の講評

 場面の描写に感心しました。力のある方だと思います。掃除するシーンはリアルで臭いが立ち上ってきそうなくらいだった。しかし、感心するとともに、逆に全体の構成と伝えることが分散していると感じた。
 冒頭、非常に雰囲気がある書き方で、さらに主人公の抱えるものをさらけ出す才能を持っていて期待したのですが、途中のいくつもの話が消えて、結局、物語の展開そのものが終盤の母との思いに重ねているだけになってしまっている。それが不満でした。
 母親の話に収斂するなら、母親に関わる違う描写が前半にもっと必要でしょう。主人公の疎外感や孤独感を出すのであれば、主人公がもっとはじけないといけない。
 文体からみて、花村萬月さんが浮かんだが、花村さんは細かいディテールの描写をされて、そこに社会からの疎外感が投影されているので場面が生きている。しかし、この作品はいくつかのテーマを入れすぎていて、全体のストーリーのぎくしゃくした感じが出てしまっている。
 もっと焦点を絞り、自分がどこに向かっているのか、客観的に作品を読んでみてどれが一番いいのか、などを見極めたうえで書いていかれたほうがいいと思う。描写力は生かしつつ、内容とテーマとのリンクを考えていただきたい。jukousei0905.JPG


池上 3作の講評ありがとうございました。山田さんが見事な講評されることはわかっていたのですが、安達さんも見事な講評ぶりで驚きました。作家のかたには口下手で、うまく分析できない方も少なからずいるのですが、安達さんの講評は具体的で、実にわかりやすい。ずっと山田さんが恐縮して、困ったなあという顔をしていtたのが印象的です。

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安達 いや、そんなことはないですよ。

山田 いえ、そうですよ(笑)。

池上 講評がうますぎるうえに、自分がしゃべろうと思っていることを安達さんが言ってしまうから、困ったという顔をされていたんですよ。
 ところで、個々の感想はわかりましたが、山田さん、安達さん、テキストを3本読んでの印象はどうでしょう。

山田 今回の三作品すべてにいえることですが、みなさん場面を描く力はあるんです。でも、逆に、本当に言いたいことを把握しているのかとなると疑問です。自分の読者は誰なのかということも、想定しきれていないように思う。純文学は自分が書きたいことを優先していくところはあるが、そうはいっても読者に読んでもらわないとどうにもならない。あくまで読者を想定して何を伝えるかを考えてほしい。そのためには、構成やストーリーで読ませていく方法を考えて書いていってほしいと思いました。

池上 安達さんはいかがでしたか?

安達 期待したよりもレベルが高かったです。もう少し独りよがりでナルシスティックな作品がくるのだろうと勝手に予想していたのですが、思っていたよりも客観性をもたれている方たちが多かったと思いました。

池上 ありがとうございます。・・

 
 このあと池上氏が聞き手になり、新作『かれん』をはじめ、ベストセラーとなった『モルヒネ』『あなたがほしい』など、安達作品について語っていただいた。
 そちらの模様は、同サイト内、「BOOK トピックス」でアップいたします。あわせてご覧ください。


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【講師プロフィール】

◆山田剛史(やまだ・たけし)氏

1972年東京生まれ。95年、祥伝社に入社。文庫編集部を経て、ノン・ノベル編集部に異動、入社以来文芸を担当する。安達千夏『モルヒネ』、本多孝好『FINE DAYS』、新堂冬樹『黒い太陽』、柴田よしき『観覧車』、原宏一『床下仙人』、石田衣良、伊坂幸太郎、本多孝好などが参加したアンソロジー『I LOVE YOU』等のベストセラーを次々と生み出す。恋愛小説誌「Feel Love」をたちあげたあと、2008年角川書店にうつり、中村航『僕の好きな人が、よく眠れますように』、飴村行の『粘膜人間』、石田衣良『再生』、そして安達千夏の満を持した六年ぶりの長編『かれん』(角川書店5月末刊行予定)を担当している。 


【ゲストプロフィール】

◆安達千夏(あだち・ちか)氏

 山形県生まれ。1998年「あなたがほしい」ですばる文学賞を受賞しデビュー。社会からはみ出した男女の絆を、性愛を通して描いた同作は選考委員から絶賛され、話題となる。2003年に上梓した書き下ろし長編『モルヒネ』は、06年に文庫化されるや究極の恋愛小説として話題となり、40万部を越えるベストセラーとなる。著書に『おはなしの日』『見憶えのある場所』がある。最新作は5月末刊行の『かれん』。