「小説家(ライター)になろう講座」だより・・・vol.12(2009.5.20)

小説家(ライター)になろう講座 

(4月講師・長岡弘樹氏  ゲスト・深町秋生氏 柚月裕子氏)


 4月の講師は、作家の長岡弘樹先生。長岡さんは山形市在住で、2003年に「真夏の車輪」で小説推理新人賞でデビュー。昨年は「傍聞(かたえぎ)き」(「小説推理」08年1月号)で第61回日本推理作家協会賞を受賞した。受賞作を表題作にした作品集『傍聞き』も昨年双葉社から上梓され、各方面から注目を集めている新進気鋭の作家である。


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  ゲストは「このミステリーがすごい! 大賞」(宝島社)の第3回受賞者の深町秋生先生と第7回受賞者の柚月裕子先生。おふたりは講座の卒業生で、今年度から顧問として講座をバックアップしていく。(先生方のプロフィールはページ下に記載)。


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 講座はまず、講座の世話役をつとめる文芸評論家の池上冬樹氏の挨拶からはじまった。

「09年度最初の講座です。今年度から世話役のほかに顧問として、講座の卒業生の深町秋生さんと柚月裕子さんを迎えることになりました。深町さんは講座の常連講師として、柚月さんは講座の裏方をつとめていましたが、「このミス」大賞という、いまでは江戸川乱歩賞よりも偏差値が高いといわれているミステリの賞を受賞されていますし、もっと前面に出てもらい、講座の顔になってもらうことにしました。
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 日本にはたくさんの小説家講座・小説教室があるかと思いますが、大手の文学賞受賞者を輩出している講座はそうそうないでしょう。また、歴代の講師をみても、山形の「小説家(ライター)になろう講座」ほど豪華なものはないと思います。そういう歴史をふまえて、あらたな発展をとげるべく、新体制を作りました。今年も作家や編集者などをよぶ予定ですので、どうぞご期待ください」
 







そして、今月の講師の紹介となった。

「今年度の最初の講師として、長岡弘樹さんをおよびしました。推理作家協会賞を受賞した作品をおさめた『傍聞き』がものすごい評判をよんでいて、昨年から長岡さん詣での情況が続いています。各社の編集者がたくさん山形にきています。
 長岡さんは、講師としては初めてですが、数年前に「このミス」祭りをしたときに、さらに昨年度は6月の佐川光晴さんと2月の角田光代さんのときにゲストとして参加してくださいました。ひじょうな読み巧者でして、またボードを使って懇切丁寧に説明されるのが得意な人なので、今回はごらんのように(と黒板を示して)、講師とゲストの名前を上に書き、下の方をあけてあります(笑)。推理作家協会賞を受賞されたときの記者会見でも、記者にある質問をされたとき、“ここにボードがあると、とても説明しやいのですが”と長岡さんが答えられて、会場の笑いを誘った話は有名です(笑)。
 では、長岡さん、思う存分ボードを使って、講評のほうよろしくお願いします」 


 そんな池上先生の挨拶をうけて、長岡さんが自己紹介をされる。

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 長岡先生は独特のユーモアをお持ちで、ジョークが面白いことで知られているが、今回も最初の自己紹介で、早速、長岡節が飛び出した。


 「生まれも育ちも山形で、県外で暮らしたのは大学時代だけでした。家はこの会場から近くですので、今日は歩いてこようかと思ったのですが、あいにくの雨なので運転手つきのロールスロイスで(笑)、参りました。
 今日は池上先生のたっての頼みで講師を引き受けましたので、私になにか言われてムッとしても、私ではなく池上先生にムッとしてください(笑)。どうぞよろしくお願いいたします」


会場が笑いで包まれるなか、09年度最初の講座がはじまった。


 今月のテキストは3作品。 

『靴音』(木村敏美作/小説・原稿用紙53枚)
『この世の子ら』(鴇田大介作/小説・原稿用紙38枚)
『涼しい家はできたけれども』(佐竹幸子作/エッセイ・原稿用紙13枚) 



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■『靴音』(木村敏美作)

・概要――

 
その日は、沢田葉子の二十三歳の誕生日だった。
 葉子は恋人の富沢俊一と二人で誕生日を祝う予定で、レストランにも予約をいれていたが、急な残業が入り、葉子は会社に足止めされる。重大な書類ミスが見つかり、その直しの作業だった。前ほどには仕事がとれないし、会社の情報が他社にもれているのではないかという噂も流れていて、部長は神経質になっていたのだ。
 午後十時すぎにようやく解放され、葉子は俊一への秘密のプレゼントを手にして、会社を出る。
 だが、最寄りの駅に到着したのは十一時近くで、最終バスに乗り遅れてしまう。葉子は俊一が待つ自宅のマンションまで歩いて帰ることにするが、そこにはさまざまな障害が待ち受けていた。
 しかも、彼女をひそかにつけるストーカーとおぼしき人物もいて、彼女は恐怖を覚えながら、自宅へと駆けていく。そこには彼女の想像を超える、ある事実が待ち受けていた・・。

 
▼柚月氏の講評

○とても面白く読めた。作品を読んでいて阿刀田高を思い出した。阿刀田氏は、ごく普通の日常のなかでなにか起こるのではないかという不安を書くのがとても上手い作家だが、それと同じ匂いをこの作品に感じた。しかし、その匂いが漂ってくるのはかなり後になってからである。
 単行本や雑誌では帯やリード文で作品の方向性が読者にあらかじめ提示されているが、テキストにはそれがない。その分、テキストに関しては、読み手をいかに最後までひっぱっていくか強く意識しなければいけないと思う。小説は最初の一行が大切だ、といわれているがそれと同じくらい、作品の方向性を早い段階で出すことも大切だと思う。作品の結末に絡めた複線を、もっと早い段階で出したほうがよかった。
 あと、女性の異常性をもっと書いたほうがよかったように思う。「自分の誕生日に彼氏と過ごしたい」という主人公の異常なまでの固執を書くと、女性が犯罪を犯す動機にも繋がるし、別な面白さも生まれたのではないだろうか。


▼深町氏の講評

○エンタテインメントとしては過程が面白かった。ストーカーの怖さは、女性に比べて男性の自分には理解しがたいところがあるが、警察に追われる場面の怖さはリアリティがあり一気に読まされた。
 さきほど作品の方向性の大切さが出たが、それと同じくらい大切なのがタイトルである。作品の方向性を読者に提示する情報としてタイトルはとても重要なのだが、この作品はそこが弱い。新人賞に応募する場合も、選考委員の目を引くために、タイトルは粘ったほうがいい。
 あと、全体的に独特の古さを感じた。誕生日のデートにフランス料理を予約するくだりなど、類型的な古さが随所に出てくる。主人公のセリフにしても、昔のマンガのセリフのような古さを感じてしまう。そのあたりをもっと今風に直すといい作品になると思う。

 
▼池上氏の講評

○これは最後に犯罪が露見する話です。どう露見するのか、どういう過程でミスをしたのかなど、結末から逆算して伏線を作り直すといいでしょう。読者は潜在的に騙される快感を望んでいる。最後に「騙された!」という快感を味わいたいのです。ミステリはとくに。
 この小説の前半は、OLのラブストーリーです。ところが、それがすべて仕掛けで、終盤に至って犯罪小説であることがわかる。でも、伏線があまりないから、その転換が読者にはぴんとこない。どうみても結末から作っていない。この小説で重要なのは、主人公の女性の感情でしょう。会社の秘密まで盗んで男に渡している。犯罪を犯してまで男性につくす女性の感情を、前半で書き込んだほうがよかった。
 それから、女性が男性に渡すプレゼントはなんなのか、という謎で読者をひっぱる努力も必要です。プレゼントの描写が少ないというか、一カ所だけです。読者の「騙された!」という快感を高めるためにも、ミスリードする必要がある。Aと思わせて実はBでした! という驚きですね。驚きを高めるためにもミスリードは必要です。

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▼長岡氏の講評

○自分は、登場人物に感情移入できるかということよりも、プロットの姿形を重視している。この作品はかなり面白いと思った。まず、作品のなかに流れている時間の長さがいい。素材が短篇に合っている。結末も意外性がありよかった。この物語は主人公が無事に家にたどり着けるかどうか、という方向性で進んでいくが、着地点はまったく別なものになっている。自分はこういう話が好きである。
 ただ、書き方が親切すぎた。全部で6節あるのだが、場面が重複している箇所がある、もっと場面を省略すると、話がスピーディになる。ひとつの章に同じ場面を2回出さないほうがいいと思う。あと、起きた出来事の結果を順序良く説明しないで、時間差をつけて書いたほうが言いように思った。そのようなテクニックを使うと作品が引き締まるように思う。
 文章表現としては「安堵感」とか「恐怖感」「孤独感」というものを使わないほうがいい。これは自分も編集者から言われたことだが、小説というのはその「~感」をリアクションで表現するべきである。「安堵感」なら「肩から力が抜けた」など行動で書いたほうがいい。

 


■『この世の子ら』(鴇田大介作)

・概要――

 
父を海でなくした清吉は、上戸家の若だんなに気に入られ、付き人のように奉公していた。不思議なことが大好きな若だんなは、なぜか「清吉とぼくは似ている」と共感を示すのだった。
 若だんなが結婚した年の大晦日、夫婦は祈祷師の一団に囲まれてお堂に一晩こもる。

 そして新年が明けた朝、清吉が目の当りにした酸鼻な光景とは。
 気の触れてしまった若奥さまがつぶやく謎の言葉「てけりり」とは。
 似ても似つかないはずの清吉と若だんなに、共通していたこととは。
 清吉は若だんなの残した記録を手に取る。そこに記されていたのは、常人の想像を超えた秘密であった。

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▼柚月氏の講評

○一番の問題点はパロディなのかオマージュなのかオリジナルなのか、作者が誰に向かって書いているのかが見えない点だと思う。私はこの作品を書く上で作者が参考にした本に関して詳しくないが、オリジナルとして面白く読めた。しかし、後半からストーリーがわかりづらくなってしまう。それは後半がホラーではなくファンタジーの要素が強いからだと思う。
  ファンタジーを書く上で大切なのは作者が自分の頭のなかにある世界を紙面でどこまで構築できるかだと思う。後半、その世界が構築されきれていないために、読者が安心してその世界を楽しめなくなってしまっている。次回はこの作者のオリジナルを読んでみたいと思う。


▼深町氏の講評

○全体のリーダビリティは優れていると思った。独自の世界観が構築されていてとてもいいと思う。しかし、残念なことに起承転結の転まで来ていながら、そこで話が終わってしまっている。本人は最後まで書ききっているつもりかもしれないが、本当の終わりはその先にあるように思う。
 あと、先ほどのテキストにも言ったことだが、やはりタイトルが気になる。このタイトルでいいのか、もう一度考えてほしい。

 
▼池上氏の講評

○これはラヴクラフトのクトゥルー神話へのオマージュです。ラヴクラフトが作り上げた世界観を借りて何を描くのかですね。何を盛り込んで“新しさ”を出すのか。どこに読者の感情移入できるポイントを見つけるのか、でもある。
 読者ひとりひとりの潜在的な欲望によって、その物語はいろいろな読み方がされますが、僕は、「自分が自分でない恐怖」に着地すればもっと面白かったと思う。このテキストの着地点から逆算すると、前半はその恐怖を描くには程遠い話になってしまっている。前半と後半の食い違いの大きさが、読者が最後までついてこれない要因だと思う。
 もうひとついっておきたいのは、ミステリでもなんでもそうですが、謎が解明される過程の重要さです。ミステリの読者は真相に興味を持ちますが、しかしミステリのいちばんの面白さと昂奮は、その謎が解かれていくプロセスにあります。それを省略してはいけません。解かれていく過程をとばして、いきなり真相を説明されても面白くもなんともありません。
 読者に提供する「事件という謎」のプレゼントは厚みのある箱にいれられ、綺麗に包装され、リボンをかけなくてはいけません。逆に言うなら、プレゼントをもらったときの嬉しさを考えましょう。リボンをといていくときのドキドキ感、包装紙のテープをはがすときの喜び、箱をあけるときの昂奮・・。そういうプロセスですね。それを大事に作りましょう。


▼長岡氏の講評

○楽しく読ませていただいた。なにより作品が独自の雰囲気を纏っているのがいい。それは文章がしっかりしているからだと思う。  
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  これを読んで感じたのは、あらすじとシーンの違いである。あらすじというのは、昔話の桃太郎に例えるなら「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。云々……」これがあらすじである。シーンというのは、例えばおばあさんが呉服屋に桃太郎を連れて行くところからはじまり、おばあさんがなぜ桃太郎に新しい着物を買ってやるのか、というくだりを経て、桃太郎の生い立ちを語る、これがシーンである。同じ内容を読者に伝えているのだが、表現の仕方でまったく違うものになる。それを踏まえてこのテキストを読むと、場面によってはシーンで書かれている箇所もあるが、前半の部分は大半があらすじの書き方になっている。作者は昔話の雰囲気を意図して書いたのかもしれないが、現代の小説ならばシーンで読みたいところである。それがまた、現代の小説の基本でもあると思う。

 


■『涼しい家はできたけれども』(佐竹幸子作)

・概要――

 
“家というものは、天井を高くして、蚕(かいこ)みたいな弱い生き物も住めるようにしないと、人間にとっていい家とはいえないぞ”という父親の教えをもとに、新たな家を建てる。風が通り抜ける、クーラーのいらない家が目標だった。そのためにどのように苦心したかを綴ったエッセイ。


▼柚月氏の講評

○エッセイを書くうえで大切なのは、書き手の価値観が書かれているかどうかだと思う。それがこのエッセイには書かれていて、大変面白く読んだ。ただ、文章の表現として曖昧な部分があり、その良さを半減させてしまっている。エッセイは読み手を納得させる強さが必要。「誰かが言っていた」とか「何々なのだそうだ」という又聞きの表現を多用せず、自分の言葉として「何々だった」と言い切るようにしたほうが、より力強いエッセイになると思う。

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▼深町氏の講評

○改築の悪戦苦闘ぶりを楽しく読んだ。しかし、ところどころ読みづらいところがある。この作品には方言が出てくるが、方言を出す場合は場所を特定する必要があると思う。場所をある程度特定させなければ、方言を出す意味がない。作者は山形を舞台に書いているようだが、読み手は県内だけではなく全国の人が読むことを前提に書くと、もっと読者に親切な書き方になると思う。
  それから気になったのは、冒頭に関して。方言の会話ではじまる出だしだが、これはもっと考えたほうがいい。エッセイのキモは冒頭の一行二行にある。冒頭でひっかかると、読者は後を読んでくれない。冒頭の一行にもっと意識を向けて、いろいろな出だしを考えてほしい。


▼池上氏の講評

○佐竹さんのエッセイのいいところは、生活する人間の手触りがあることです。生活感がにじみ出て、なんともいえない味わいがある。でも今回はちょっと薄かったですね。
 このエッセイにはふたつのテーマが入っている。ひとつは亡父の教えに従って涼しい家を作るというもの。もうひとつは、クーラーのない家を作ると経済的に大変であるということ。これはどちらかのテーマに絞ったほうがよかったですね。エッセイは読者の共感を得られてナンボなので、ひとつのテーマに絞って読者に分かりやすく提示したほうがよかった。


▼長岡氏の講評

○エアコンに頼ることがあたりまえになっている自分にとって、自然の風を求めるこのエッセイはとても面白かった。13枚という長さだが、エッセイとしては長いように思う。このエッセイにはみっつのテーマが入っているように思う。まず、涼しい家について。もうひとつは普請の苦労。最後は普請後に出てきたトラブルである。この作品のタイトルからすると、作者にとって一番重要なテーマは最後のものなのかと思ったが、それぞれが面白いテーマなので、いっそのことひとつのテーマを3枚か4枚にまとめて、みっつのエッセイにする方法もあったと思う。


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 煩雑になるので上の講評ではいちいち説明しなかったが、長岡先生はボードをフルに使って具体的な講評をしてくださった(写真参照)。

 
 3本のテキストの講評のあとは、柚月先生が聞き手になり、長岡先生の話をうかがった。長岡先生の幼少時代の話や、小説を書くようになったきっかけ、創作秘話などで、とくに『傍聞き』を中心としたアイデア型サスペンスについて詳しくインタヴューした。 そちらの模様は数日中に、同サイト内、「BOOK トピックス」でアップいたします。あわせてご覧ください。 


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◆長岡先生ご自身が新刊『傍聞き』について語る『BOOKトピックスvol.4』はこちらから 

 


【講師プロフィール】

◆長岡 弘樹(ながおか・ひろき)氏

筑波大学第一学群社会学類卒業。
団体職員を経て、2003年「真夏の車輪」で第25回小説推理新人賞を受賞。2005年7月、第一作品集『陽だまりの偽り』(双葉社。現在双葉文庫)を上梓。2008年5月、「傍聞(かたえぎ)き」(小説推理、2008年1月号)で第61回日本推理作家協会賞短編部門を受賞する。2008年11月、第二作品集『傍聞き』(双葉社)を上梓し、各社からの原稿依頼が殺到する。今、もっとも注目されている新進気鋭の作家である。山形市在住。


【ゲストプロフィール】

◆深町 秋生(ふかまち・あきお)氏

1975年生まれ。山形県在住。
2004年、宝島社主催の第3回「このミステリーがすごい!大賞」大賞を受賞。受賞作である『果てしなき乾き』(宝島社)でデビュー。2006年11月『ヒステリック・サバイバー』、2008年8月『東京デッドクルージング』(ともに宝島社)出版。新聞雑誌においてコラムやエッセイを多数執筆。独自の鋭い視点には定評がある。


◆柚月 裕子(ゆづき・ゆうこ)氏

岩手県出身。山形県在住。
2008年、宝島社主催の第7回「このミステリーがすごい!大賞」において『臨床真理』で大賞を受賞。現在、フリーライターとして、地域のタウン誌の取材、および地元テレビ局の仕事に従事している。著作『臨床真理』(宝島社・2009年1月)。現在、河北新報「微風旋風」と山形新聞「日曜随想」にエッセイを連載中。