
小説家になろう講座
(3月講師・池上冬樹氏/ゲスト・深町秋生氏)
『作家志望から評論家になるまで』
3月の講師は、文芸評論家の池上冬樹氏。毎回、年度末の講師は講座の世話役の池上さんが務めている。 ゲストは「このミステリーがすごい! 大賞」第3回受賞者の深町秋生氏。深町さんは元講座の受講生で、作家としてデビューした後は、ここ数年毎年夏に講師を、それ以外にも数回ゲストを務めている。
今回は通常のテキストのなかに、池上さんが20代の頃に書いた小説をシークレットテキストとしてもぐりこませた。それを知っているのは池上先生本人と深町さん、そして数人のスタッフだけ。日頃、人の作品を講評している池上さんの作品が、どのように講評されるかも、今回の講座のみどころとなった。
今月のテキストは4作品。
『バレーW杯とスポーツ報道』(遠藤貴之作/エッセイ・原稿用紙6 枚)
『ぎんなん日和』(卓地樫樹作/小説・原稿用紙50枚)
『肉饅頭』(吉梨れい子作/小説・原稿用紙21枚)
『白い掌』(池上冬樹/小説・原稿用紙20枚)
■『バレーW杯とスポーツ報道』(遠藤貴之作)
ワールドカップバレーに関するスポーツエッセイ。
▼深町氏の講評
非常に興味深く読んだ。文章は推敲されていて読みやすいし、とても配慮の行き届いた文章である。バレーボールW杯をたてつつも批判をするところに、作者の性格が出ていると思う。
ただ、これは記事なのか感想なのかという話になってくる。このエッセイは批評というより感想に徹していて、それでいいのかという問題が出てくる。感想でも批評でも、大切なのは書き手の個性。それが、このエッセイからは感じられなかった。
レポーターにタレント起用することに批判的な人間は、ブログ世界ではすでに基本中の基本で、佃煮にするほどたくさんいる。エッセイのなかに出てくるアナウンサーへの感想も、作者は褒め称えているが、アナウンサーはみんなやっていることで、褒めるならば作中に出てくるアナウンサー独自のものを書かなければいけない。もっと、作者の独自の視点がほしかった。
あと、悪い意味で文学的なところが見受けられた。文章としては流麗だが、プレーをしている姿が浮かばなくて残念だった。コラムニストの小田嶋隆さんの著作なんかが参考になると思う。
▼池上氏の講評
署名原稿というよりも匿名原稿の書き方をしている。つまり作者の個性がない。個性をだしていない。冒頭から目配りはいいし、きれいに仕上がっているが、きれいだけで終わっている。つまり味がないのだ。
深町さんは文学的と言ったけれども、文学的といえるほど文章が独創的で、文体をもっているかどうかという疑問である。そもそも常套句が散見される。常套句を変えるだけでまったく違った原稿になる。もっと自分の言葉を使って個性を出さなければいけない。
僕は評論家の前に翻訳家を志し、数冊本も出しているが、そのときわが我が師匠の小鷹信光(こだか・のぶみつ)さんにいわれたことが、いまだに覚えているし、それが評論家としての戒めになっている。単純にいってしまうなら、自分の言葉を使え、ということである。とくに翻訳する場合は英語辞書の言葉をそのまま使う人が多いが、それは怠慢であるし、そもそも辞書の言葉は生きていない。意味を理解したあとで、それに類した言葉を日本語からひっぱってこい。それが訳す者の個性である、と。
つまり自分の“辞書”を作れということだ。あらゆる小説を読み込んで、言葉を拾い、それを自分のものにしろということである。借り物ではない自分の表現にしろということだ。それは簡単にはできないし、時間もかかるだろうが、しかしそれを意識的にしていかないかぎり、自らの“個性”は生まれない。
■『肉饅頭』(吉梨れい子作)
・著者の概要より――
かつての中国、英傑好漢があばれまわる「江湖」。だがそれは危険とも隣り合わせの世界である。いわくありげな酒楼を訪れる時、あるいは高い名声を持ちあわせたとき、その状況を生き延びるには機転と力が必要となる。さもなければ「喰われるまで」。
▼深町氏の講評
映画に詳しい人ならこの作品を読んですぐに『人肉饅頭』と『片腕ドラゴン』という映画を思い出すと思う。この作者の場合、オンリーワンの個性である。この講座にこのような作品を書く人は思い当たらないし、全国的にも少ないと思う。この個性はとてもすばらしいと思う。しかし、もっと丁寧に物語をつくる必要がある。句読点のうちかたひとつにしても、読者が引っかかってしまう文章が続く。
あと、この作品の後半は別な作品が混在してしまっているという話だが、これは明らかに読者に対する意識の低さであり、文学賞に応募した場合、間違いなく一次予選で落ちる。もっと読者に向かって丁寧な作品が書けるようになればデビューもできるのではないかと思うくらいの個性がある。もっと腕を磨いてほしい。
▼池上氏の講評
この作品は前半と後半が乖離しているので、まったく別々にするか小見出しをつけるかすべきである。文章に関しては描写が軽い。風景描写などもいれるべきだろう。もっとさまざまな色合いを含む文章を書かなければいけない。
ストーリーそのものは面白い。ヒーローとヒロインが次々といれ変わっていく軽妙さ、スピーディな展開はとてもいい。ただ、この作品のように人肉をくらったり、人の体を切断したりといった暴力や残酷な作風は、映画やマンガなどですでに溢れていて、人は驚かなくなる。そのためにどんどんエスカレートして過激さを追求しなくてはいけなくなる。読んでいる側も「もっともっと」と要望する。それに見合わないと飽きてくる。しかしそのインフレとのつきあいには限界がある。
では、何をすればいいのか? もっと根本的な読者の欲求に答えることである。この小説の欠点は、“人肉”料理の味に関する言及がない。「味」を想像させないのだ。
池波正太郎の鬼平ものがなぜ人気あるのかを考えてほしい。人気はいくつもあるが、なかでも重要なのは、食欲の充足である。味や食感がしっかり書かれていて、いつの時代の人間が読んでも「食べてみたい」と思わせる力がある。小説というのは読者がもっている「食べたい」「してみたい」「行ってみたい」という願望を描かなければいけない。この作品も肉饅頭の味をもっと書き込むべきだった。
■『ぎんなん日和』(卓地樫樹作)
・著者の概要より――
まさるは夏の終わりに20年ほど勤めた会社を辞めた。販売企画の仕事をやりたい、という一心で会社を飛び出したものの、なかなか現実は厳しく、これはと思う会社を見つけることさえ出来ないでいた。彼が40代であることも、管理職の経験がないこともその転職活動には不利に働いているようだった。
そんな最中、まさるはふとした気まぐれから、10数年ぶりに作曲コンテストへ作品を投稿することにする。ピアノを弾き、アレンジを次々決めていく。仲間とバンドを組んでいた頃と同様、水を得た魚のようにまさるの作業は順調に進む。作品が完成し、応募も済ませたとき、まさるは、この先ずっと曲を作り続けていくことへの情熱がこれまでにないほど高まってきているのを感じた。
そんな音楽との蜜月関係とは相反して、彼の職探しは仕事を辞めてから2ヶ月以上たっても難航していた。やるせない出来事が重なり、まさるは飲んでうさを晴らさずにはいられない。
二日酔いに苦しむ翌日の昼過ぎ、作曲コンテストで入賞した知らせを受け取る。思わず涙ぐんで喜ぶものの、妻は冷静で、喜びに水をさすようなことをいう。
翌日の夕方、妻の発案で、まさるたちは買い物帰りにぎんなん拾いをすることになった。それは、昨晩から続いていたまさる達夫婦の険悪な雰囲気に、ちょっとした変化をもたらすのだった。
▼深町氏の講評
リストラと妻とのギクシャクした関係、そして臭いぎんなんという三本の柱で、ひじょうに嫌な気分にさせてくれた(笑)。これは読者の感情を喚起させるという意味では成功している。
しかし、この作品には腑に落ちないところがあった。「この主人公の行動どうなんだろう。この終わり方でいいのか?」という思いが最後まで拭いきれなかった。作者も言っているが、その理由は主人公の幼稚さにあると思う。そこに読者が難色を示してしまっている。どんな作品でも、腑に落ちるということは大切だと思う。
▼池上氏の講評
卓地さんの小説では、夢を抱く主人公が出てくる作品が多い。これもそのひとつ。ただ、その夢をどのように扱うのか、どのように展開させるのかが、重要になってくる。その追求が、卓地さんはやや甘い。
一言でいうなら、エンターテインメント的にストーリーを展開するのか、純文学的に掘り下げるのかである。もっと具体的にいうなら、キャラクターをたてて、起伏あるストーリーで物語を運んでいくのか、それとも、ストーリーの起伏はないけれど、象徴的な場面と細部とイメージで主人公の心象を描くのかである。どちらに重きをおくのか。
この作品にそくしていうなら、とまどう男の焦燥感や不安感を、もっと風景、たとえば銀杏がこぼれおちていて、強烈なにおいをはなっている風景との対比で捉えると、もっと深みのある作品になった。つまり銀杏というものは当人にとってはうまいが、周囲のものには臭いからしてはた迷惑なものである、ということにすると、主人公と夢の位置、奥さんとの関係などがみな重なってくる。何かに託して象徴的に描くという方法をもっと考えるべき。
エンターテインメント的な資質としては、主人公と面接官の対峙が迫力があって面白い。つまり主人公を凌駕する他者をきちんと描いている。主人公を凌駕する他者の存在、というのはエンターテインメント(とくにミステリ)ではきわめて重要です。
■『白い掌』(池上冬樹作)
・著者の概要より――
女子大生の容子の背中には白い影がある。拳ぐらいの大きさの淡い影が、ちょうど右の肩甲骨の下にある。その影に彼はしばらくの間気がつかなかった。
いくどめかの朝を迎えたとき、それが目にとまり、指摘すると、今ごろ気付いたの、生まれたときからの傷なのよという答えが返ってきた。撫でていた掌が、<傷>という言葉の棘に刺されて、手を引いた。容子の<傷>という言葉に、いわれのない愛おしさと諦めの感情がきざしたからだ。
半年前、山野先生が飛び下り自殺した。定かではないが、先生と容子が関係をもっている噂があった。ちょうどそのころ容子とは連絡がとれなかった。いったい二人に何があったのか。容子と酒をのみ、飛び下り自殺した場所を眺め、容子の表情を追う。
それは、部屋のベッドのなかでも続いた。背中の白い<傷>を撫でながら、間近に横たわる彼女の肉体をまさぐり続ける。彼はさまざまな幻影を見ながら、彼女の深い喜びのむこうにある悲しみをつかもうとする。
▼受講生の感想
○時系列がわかりづらく、何度も読まないと物語がつかめなかった。主人公の友人の口調が一定しておらず、どんな人物なのかわかりづらい。
○メインになっている主人公と容子という女性の官能的な場面はとてもよかった。
○時代背景的には昭和だと思うが、きちんとした世界観が出ていてよかった。性描写も、お互い繋がっているけど繋がっていないやるせなさが漂っていてとてもよかった。
○会話が薄い感じがした。もっと深みのある会話があってもよかったと思う。
○改行で過去にとんだり、現在にもどってきたり、読んでいて、福永武彦を思い出した。
▼深町氏の講評
この作品を最初から「池上冬樹が書きました」と言ってしまうと、忌憚なき意見は出なかったように思ったので、あえてシークレットテキストにした。自分としては、素直に面白かった。上品で比喩が美しい。全体的なトーンとしてタナトス(死)に向かっていく暗さを描いている。
この「夜の掌」以外にも、もうひとつの「向日葵」という作品も読んだが、その作品も「死」にとりつかれている話だった。
それ踏まえて考えると「池上先生は20代、暗い青春を送ったんだろうな」と思った(笑)。
▼池上氏(作者)の弁明
そうです。とても暗い青春を送りました(笑)。
これは僕が24歳のときに書いた小説です。毎回えらそうなことを10年近くいってきているし、一度ぐらい池上冬樹を罵倒したいだろう、というみなさんの気持ちを考えまして(笑)、恥ずかしながら提出したわけです。講座の受講生の名前を借りて、シークレットにしました。
僕は20代のときに山新文学賞(毎月行われている山形新聞主催の短篇小説コンクール)に3回入選しているのですが、「夜の掌」は1回目の作品。2回目が2年後の「向日葵」です。
受講生の感想に「出来事が入れ替わってわかりづらかった」というものがあったが、改行したとたんに時制が変わるという手法は福永武彦の『忘却の河』、丸谷才一の『笹まくら』などでも顕著です。小説の方法にもっとも敏感だった1960年代によく使われた手法なのですが、いまはほんとに見かけない。
今回、僕が提出した気持ちのなかには、そんな「昭和の小説」への郷愁があった。自分でいうのもなんですが、1実験的な手法を使う、2幻想・幻視を使ってテーマを象徴させる、3比喩を使ってエロティシズムを描くということですね。この三点を読んでほしかったし、いまでもそういう小説をどんどん書いてほしいと思った。小説家を志す以上はもっと多くの小説を読んでほしいし、とくにむしろ、いまとは異なる時代の小説から学んでほしいと思う。同時代の作品というのは、しらずしらず似てしまうものです。
それにしても、いま読み返すと「彼」「彼女」が多すぎるし、何々がいった、と話者を特定するのもうるさいし、翻訳小説の悪影響がもろにみうけられますね。
ただ、今回わかったのは、自分の作品に対してコメントしてもらうことの嬉しさですね。褒められれば嬉しいが、でも、批判でも非難でも嬉しい。残り2作ほどあるので、いずれまた、シークレットの形でだしたいと思います。お楽しみに。
■池上冬樹インタビュー/作家志望・翻訳家・評論家
■小説を書いていた/暗い20代/当時パソコンがあれば
深町 池上先生とは10年の付き合いになりますが、いまだに謎の部分が多いですね。
池上 謎なんかないよ(笑)。ただ話していない部分は多いかもしれないけどね。
深町 では、その話していない部分を、今日はいろいろお聞きしたいと思います。今回、20代の頃に書いた作品を読みましたが、作家を目指していたんですか?
池上 10代の頃から作家になりたいと思ってましたね。でも、なかなかうまく書けなくてね。いまのようにパソコンがあったらよかったんだけど。けっこう手書きって疲れるんですよ。まあ、疲れる疲れないなんて理由にすぎないかもしれないが、でも、ワープロもパソコンもない時代は、執筆というのは肉体労働の部分がある。集中力のない人間には辛いものがある。パソコンのある時代に生まれていたら、僕はテクニックを磨いて、エンターテインメント的な作品を書いていた気がする。
見方をかえていうなら、パソコンがなかったら、現在作家として活躍している現役作家の半分以上は作家になっていないと思う。別の仕事についていたんじゃないかな。
深町さん、パソコンがなかったら、小説は書いてないでしょ? 手書きでしこしこ書いていた?
深町 たしかに手書きはつらいなあ。というか想像できない。
池上 僕の書庫の奥深くに眠っているけれど、創作ノートのようなものがあり、そこに小説の下書きをしてましたね。それを原稿用紙におこして、文学賞にも応募したけど通らなかった。山新文学賞は3回とったけれど。
いま自分の作品を読み返すと下手ですよね(笑)。なかなかうまい表現じゃないか、文章もいいんじゃないかと思うところもありますがね・・と自画自賛させてね(笑)。今回、講座にだした小説は、僕が24歳、昭和55年(1980年)の作品ですよ。
深町 おれが5歳のときの作品ですね(笑)。当時、池上さんが書いていた他の小説(「向日葵」も読ませてもらったんですが、ものすごく純文学的ですね。
池上 「夜の掌」も「向日葵」も、結局、幻視や夢の力をかりて、女性の精神の奥深くにある哀しみを見いだす小説なんです。そのためにイメージ、挿話、文章を組織して象徴的なものを作り上げる。ストーリーやキャラクターなんてぜんぜん考えていない(笑)。
深町 主人公は観察に徹している部分がある。「夜の掌」では先生の死、こちらは祖母の死というタナトスを扱った作品になっています。どちらの作品からも、深い失意や諦めを感じたんですが、池上さんは20代の頃どんな感じの青年だったんですか?
池上 ものすごく暗かった(笑)。
深町 ものすごく、ですか(笑)。
池上 そう、ものすごくね(笑)。いまからは想像できないし、いま、あの頃に戻りたいかと聞かれたら、まったく戻りたくない、と答えるね。僕は大学を出るまで6年かかっているんです。いま考えると親に申し訳なかったと思うね。
大学を出たあと2年間東京にいて、その後、山形に帰って来た。半年後に、作家や翻訳家や編集者が集まったハードボイルドのファンクラブ「マルタの鷹協会」が設立されたのですが、半年早かったら、たぶん、僕はずっと東京にいたでしょうね。たぶんこの講座も存続してたかどうか。みなさんの人生とクロスすることはなかったと思う。
深町 大学時代、バイトなどはしていたんですか?
池上 家庭教師のバイトはしてましたが、やっぱり親掛かりでしたよね。山形に帰って来ても、就職できなくて。年に2回ほどマルタの鷹協会の例会にいくと、当時、東京都立の英語教師で、翻訳デビューして間もない田口俊樹さんがいて、よく説教されました。「君はいま何をしているの?」と聞かれて「無職です」って言うと「20代後半で無職なんて駄目じゃないか、何を考えてるんだ」と毎回のようにいわれました(笑)。
でもそれから20年後、田口さんはご存じのように翻訳家の大家になったし、「池上冬樹もそこそこ有名になったじゃないか」なんて言われて(笑)。あれは嬉しかったな。
■作家志望から翻訳家へ/小鷹信光さんとの出会い/年収30万円(!)
深町 作家を目指していながら、翻訳をされたきっかけはなんですか?
池上 「マルタの鷹協会」の会報に毎月書評を書いていたのですが、それを、翻訳家で評論家の小鷹信光さんが気にいってくれたみたいで、ある日突然電話をくれたんです。一面識もなかったのですが、どうやら僕の原稿を読んで、こいつなら仕事を頼めそうと思ったのでしょう。君はいま何をしているの? ときかれたので、何もしていませんといったら、じゃ、僕の仕事を手伝ってくれないかなと。小鷹さんは当時、たくさんの仕事をしていました。アンソロジーの編纂、翻訳、評論、叢書の企画ほかたくさん。
それで、最初は、ハードボイルドの名場面集の収集、リーディングといって原書を読んで翻訳する価値があるかどうかを決める仕事などをしていた。英語は話せないけれど、英語は読めたので、翻訳されないハードボイルドもけっこう読んで、会報に書評も書いていた。そのうち小鷹さんの編纂で「アメリカン・ハードボイルド全10巻」(河出書房新社)がたちあがり、「君も翻訳しないか」と言われて。それがきっかけでしたね。10巻の1冊、エド・レイシイの『死の盗聴』。これは小鷹さんの下訳という話だったんだけど、第1章を訳してみせたら「下訳の必要はない。もう君の名前で出すから」って言われて。それで翻訳家になってしまった。
深町 それはすごいですね。
池上 でも、これがダメだったんだよね。ここで人生の教訓をいうとね、「とんとん拍子は人を育てない。苦労しないと駄目」ということになる(笑)。
小鷹さんには門下生はたくさんいて、みんなしごかれているんですよね。でも、僕の場合しごかなくても形になっていたのでいいと思ったんでしょうけれど、そんなに甘くはない。というか、当然ながらプロの世界だからものすごく厳しい。僕の場合、下手だし、仕事が遅い。一応、30歳で翻訳家デビューしたけれど、1冊訳すのに1年かかった。つまり当時の年収は30万でしたよ(笑)。
深町 年収で30万!
池上 ポケミス一冊訳して30万。当時、1年間に1冊しか訳せなかったから年収30万が3年続いた(笑)。
深町 翻訳家から書評家に転じた理由はなんですか?
池上 マル鷹の書評が注目されていたこと、それから訳書第2冊『悪党パーカー/怒りの追跡』(リチャード・スターク著、ポケミス)の後書きで、悪党パーカー名場面集を長く書いたら、それがけっこう面白いといわれて。「ミステリマガジン」に何回か原稿を書いているうちに、新刊レヴューを担当している評論家が体調を崩して降板、その後任として連載をはじめた。それがきっかけですね。
そのうち文庫の解説の話がきて、文庫解説第2弾、ジェイムズ・クラムリーの『さらば甘き口づけ』の解説が、当時文芸評論家の北上次郎さんの目にとまって、「本の雑誌」に原稿を書き、連載がはじまったんです。
深町 「本の雑誌」って北上次郎(目黒考二)さんがつくっている本ですよね。
池上 目黒さんが発行人、椎名誠さんが編集長でした。あとになって目黒さんから「本の雑誌は知り合いにしか原稿を頼まなかったんだけど、お前が唯一知り合いじゃなかったやつだった」って言われましたね。「ミステリマガジン」と「本の雑誌」はそんなにたくさん部数は出ていないけれども、業界の回読率が一番高い雑誌なんですね。それで名前が売れて書評の仕事が来るようになった。
最初はハードボイルド関係が多かったけれど、だんだん回りからたくさん純文学を読んでいるということをわかってもらえるようになって、純文学的なミステリ、普通小説など幅が広がるようになった。「週刊文春」の編集者の目にとまって文春の仕事をするようになったのも大きい。仕事が増えていったのはそのあたりからですね。
深町 年収も30万から大幅アップしたわけですね(笑)。
池上 数倍アップを大幅というなら、そうでしょうね(笑)。
深町 数倍ではなくて、十数倍なのでは?
池上 十数倍になったのはデビュー10年後かな。ようやく人並みになったかなと思ったら、“え? それしか年収がないの?”と当時の高校の恩師にいわれたときにはショックだった。いったい高校の先生っていくら稼いでいるの? と思いましたね。
■池上氏と深町氏の出会い/どじょうは2匹いなかった
深町 10年前に知り合ったときは、すでにミステリ評論家の大家として知っていたのですが、その池上冬樹が山形にいることを知らなかったので、「え? そんな有名な人が近所にいるの?」とおどろきました。そして、私が山新文学賞に出して知り合った。
池上 1999年、僕がはじめて山新文学賞の選考委員を務めたときに、深町さんが応募してきたんですよね。中学生のいじめの話で文体がすっかりジェイムズ・エルロイ(笑)。「中学生のいじめをエルロイの文体で描くやつはいないだろう」って思って読んだら、これが上手い。その作品を入選にしたんだけれど、彼はそこから年間9本応募してきた(笑)。
深町 そんなに送っても賞をもらえるわけないのに(笑)。
池上 でも、どれも上手かったよね。そして僕が、講座に来ないか、と誘った。それから時が経って、あるとき出版社から、有名な映画のノベライズの話が来た。だれかライターはいませんかという打診だった。それで深町さんに話をふったら、彼は断ったんだよね。それである評論家集団に話をふったら、そのうちのひとりが担当して、これが大当たり(笑)。36万部の売り上げで数千万稼いだ。あの仕事を引き受けていたら、いまごろ山形に一軒家をたてて、なおお釣りがきたね(笑)。
深町 あれはたしか1ヶ月くらいで書けと言われて(笑)、絶対無理だと思ったんですよ。
池上 君も会社員だったからね、そのときは。そのあと太田出版から、映画『自殺マニュアル』のノベライズの話が来て、こんどこそは引き受けるだろうと思って深町さんに振ったら、彼はそれも嫌だと断ったんだよ(笑)。
深町 あれも締切りが40日くらいという、これまた地獄のようなスケジュールだったじゃないですか(笑)。
池上 たしかにね。でも、数千万になるような話をだれかにふるような愚はおかせないわけでね(笑)。深町さんを説得して、もうひとり講座の佐藤広行君をスカウトして、僕も一枚加わり、チームを組んで書いたんだけど、これがまったく売れなかった(笑)。映画の脚本にしばられずに、もっと自由に結末を作った。どんでんがえしをいろいろ作って、けっこうサスペンスのある作品になったと思ったけどね。柳の下にどじょうは2匹いなかったね(笑)。
■講座の歴史/そうそうたる面子
深町 池上さんは2002年に『ヒーローたちの荒野』(本の雑誌社)という本を出されていますよね。このころすでに辛口評論家で有名でしたね。
池上 そういう風にはいわれてましたね。僕は本のなかで、大沢在昌さんの『北の狩人』を書評したときに「これは大沢レストランの定食である」と書いたんですよ。で、僕の出版記念パーティが開かれたとき、大沢さんも来てくださり、大沢さんが開口一番「定食屋のおやじ、大沢在昌です」と挨拶された(笑)。ちゃんと読んでくださっているんだなあという嬉しい思いと、正直困ったなあという思いが半々でした(笑)。でも、評論家と作家の関係というのは、このくらいの緊張関係があったほうがいいんだという思いもありました。
深町 大沢在昌氏といえば、講座の講師に来てくださってますよね(2002年7月)。私は当時会社員で、福岡支店にいました。でも、大沢さんにテキストを講評してもらいたくて、当時、福岡から山形まで8万かけてとんできて、講評してもらったのですが、いやあボロクソでしたね(笑)。
池上 直木賞をとるまえの石田衣良さんのときも、福岡からきたんじゃなかったっけ? 伊坂幸太郎さんのときもテキストを提出してくれたような。
深町 テキストを提出してもいつもボロクソでした。でもこんなに豪華な作家さんたちにあえて嬉しかったです。昨年からさくらんぼテレビの協力を得るようになりまして、すこしはギャラ的にはよくなったのですが、それまでは本当に、こんな安い値段でいいんだろうと思ってました。みんな手弁当的なところがありました。それでもよくいろんな作家や編集者が来てくれましたよね。
池上 文春の女性編集者に、「日本でいちばん豪華な、日本でいちばんギャラの安い講座ね」といわれたことがあります(笑)。でも、みなさん意気に感じて、けっこう来てくださいました。さきほど名前のあがった大沢さん、伊坂さん、石田さんのほかにも、逢坂剛さん、志水辰夫さん、荻原浩さん、朱川湊人さん、盛田隆二さん、瀬名秀明さん、小池昌代さん、北重人さんほか多数。
深町 しかも常連講師が熊谷達也さん、佐伯一麦さん、残念ながら亡くなってしまったけれど打海文三さんでした。そうそうたる面子です。
池上 長年世話役として関わってきて思ったのは、ギャラの問題ではなく、やはり講座そのものが面白いかどうかだと思う。生徒のテキストのレベル、態度、人柄、土地柄すべて含まれる。
深町 池上さんは、懇親会の飲み会の席でも教育的指導を入れますからね(笑)。そういう態度は講師に対して失礼だというね。陰のほうで、こっそりとですが(笑)。
池上 最近はいわないでしょう(笑)。いう必要もなくなったのですが。ようするに酒場の作法ですよね。若い居酒屋世代は酒場の作法を知らない。この飲み会の席では誰がいちばん偉いのか、誰のための集まりであるのか、まず講師の話は私語をつつしんで聴け、と(笑)。態度や礼儀ってけっこう大切なんですよ。中年になってよくわかった(笑)。
深町 幸いにも、講座の受講生が熱心だし、いいテキストがそろっているし、みなさんに気にいってもらえて、何度となく足を運んでくれる人がふえた。
池上 単純に山形を好きになってくれて、その人が「山形はいいところだよ」って作家さんに伝えてくれるようになったんですね。「それなら行ってみようか」と次の人が来るという感じでしょうか。とくに編集者のアシストが大きいですね。文春のBさん、Tさん、徳間のKさん、集英社のI君、小学館のIさんほか、お世話になりっぱなしです。
深町 山形は料理も美味いし酒も美味い。それにいい温泉もありますからね。
池上 肉好きの女性作家には「美味しい肉がありますよ」と誘い、温泉好きの冒険小説の作家には「いい温泉がありますよ」と誘った。逢坂剛さんには、ものすごい西部劇ファンがいますよ、おいしいトンカツ屋がありますよと誘ったなあ。自分が興味あるものを出されると、人間その気になるんですよ(笑)。でも、本当にみなさんよく来てくださいましたね。感謝しています。
深町 あと講座には「講座の講師にきた作家は賞をとる」という縁起のいいジンクスもありますよね(笑)。
池上 そう。不思議なことに、講座に来る作家はみんな賞をとるんだよね(笑)。最近では東山彰良さんですね。大藪春彦賞を受賞された。打海さん、北さん、そして東山さんと大藪賞だけで3人とっている。まあ、あまり詳しくいうと厭味に聴こえるので、ここは謙虚に歴代講師リストを見て判断してもらいましょう(「小説家(ライター)になろう講座」案内と歴代講師リストは、http://www.sakuranbo.co.jp/special/narou/info.html)。
深町 受講生もいろいろ賞を受賞しています。一昨年は受講生の女性が木山捷平賞をとったし、昨年は私と同じ「このミステリーがすごい!」大賞を、受講生だった柚月裕子さんがとった。ほかにも、いろんな文学賞で最終まで残った人も多くいます。結果を出す受講生も増えてきていますが、講座から受賞者が出ない時期は、正直、あせりはありましたか?
池上 あせりはなかったけれど、来てくれた作家や編集者に申し訳ない、という気持ちはありましたよね。一応、深町さんがデビューし本も出していたけれど、やはりもうひとりくらいは大手文学賞の受賞者を出したいとは思ってました。そんなときに柚月さんが受賞して、肩の荷がおりた感じはしましたね。“着実に成果をあげていますね”と文春のBさんにいわれて、とても嬉しかった。願わくばあと数人、デビューさせたいね。
深町 それには、まだまだ池上先生にがんばっていただかないと(笑)。
池上 深町さん、柚月裕子さんもね。プロの評論家と作家が関わっている小説家講座はたぶん全国でもないと思いますよ。みんなで力をあわせて講座をもりあげていきましょう。
深町 今日はお忙しいなか、ありがとうございました。
text by K
【講師プロフィール】
◆池上 冬樹 (いけがみ・ふゆき)
1955年山形市生まれ。
立教大学日本文学科卒。文芸評論家。
週刊文春、本の雑誌、ミステリマガジン、日経新聞ほかで活躍中。2004年から3年間朝日新聞書評委員。
著書に『ヒーローたちの荒野』(本の雑誌社)、訳書にリチャード・スターク『悪党パーカー/怒りの追跡』(ハヤカワミステリ)、編著に『ミステリ・ベスト201日本篇』(新書館)、共著に『よりぬき読書相談室』(本の雑誌編集部編、本の雑誌社)ほか多数。
さくらんぼ文学新人賞の運営委員ほか、複数の文学賞の予選委員、下読みも担当。レヴュー「あなたに有利な証拠として」(http://www.sakuranbo.co.jp/special/review/index.html)もある。
山形市在住。