
小説家になろう講座(2月講師・角田光代)
ゲスト ・ 双葉社編集者 反町有里/作家 長岡弘樹
『作品と作者をリンクするもの/心理を書く』
2月の講師は、直木賞作家の角田光代先生(プロフィールはページ下に記載)。
角田さんが山形を訪れたのは今回で3回目。3年前にテレビの旅番組「遠くへいきたい」で庄内地方をまわり、昨年の夏には作家の森絵都さんや編集者たちと東根のさくらんぼマラソンに参加して、今回が3回目。本講座を後援しているさくらんぼテレビ主催の「さくらんぼ文学新人賞」の選考委員でもある。
ゲストは、双葉社文芸出版部の反町有里さんと、山形市在住の作家、長岡弘樹さん。反町さんは、角田さん以外に、昨年の6月の講師の佐川光晴さんの新作『ぼくたちは大人になる』や長岡さんの『傍聞き』などを担当している。長岡さんは短篇「傍聞き」で、昨年第61回推理作家協会短篇賞を受賞している。
講評にはいる前に、角田さんから、ご自身の小説観の話があった。
「これは私個人の小説の捉え方なんですが、小説は、書いている人間となんらかの形でリンクしていなければいけないと思っています。リンクの仕方には二つのパターンがあります。
パターン1は、自分がいま抱えている問題やテーマが、小説の持つ問題やテーマと密接に関っている場合。それは作者個人のことを書くのではなく、作者が疑問に思ったこと、知りたいと思ったこと、間違いだと思っていること、欲していることなどが小説の核になる場合のことです。パターン2は、自分の切実さが小説にリンクしていなくても、人をびっくりさせたい、感動させたい、面白がらせたいなど、小説を介して人に「自分はこういう表現をしたい」という強い思いが核になる場合です。
パターン1を突き詰めていくと、純文学といわれるものになると思うし、パターン2を突き詰めていくと、ミステリーやサスペンスといわれるエンターテインメントと呼ばれるものになると思う。そのふたつのどちらかが、自分の気持ちと強くリンクしていることによって小説は書かれるべきだし、その作者の思いが小説の核になると思う。
そのことを踏まえて、今回3つの小説を読ませていただきました。よろしくお願いします」
講座は多くの受講生の拍手ではじまった。
多くの生徒で埋まる会場
今月のテキストは3作品。
■『風鈴』(木村 敏美 作/原稿用紙換算30枚)
■『行き先、キャラメル・カラー』(卓地 樫樹 作/原稿用紙換算32枚)
■『葡萄のにおい』(吉村 龍一 作/原稿用紙換算37枚)
■『風鈴』(木村 敏美 作)
・著者の概要より――
『交番巡査の岡部は道路渋滞を起こしているリヤカーの主、簗瀬と出会う。簗瀬は近所の公園に寝泊りし、小学生から「ダメ、ダメじじい」と呼ばれるホームレスだった。
岡部は巡回中、早朝公園でのホームレス仲間との言い争いや、深夜、暴走族とのトラブルなどで、たびたび簗瀬を見かける。
ある日、簗瀬がリヤカーに老婆を乗せて運んでいるのを岡部は見つける。問い掛けると、衰弱しているのでテント小屋に運んで手当てしてやるのだという。簗瀬との言葉のやり取りに、岡部は腹立たしいものを感じる。
簗瀬と婆さんが一緒のテントで暮らしていることを、ホームレス仲間の前田にからかわれる。岡部は用意した薬を簗瀬に手渡そうとするが、拒絶されてしまう。同時に、前田から暴走族取締り強化の依頼を頼まれる。
ある夜、前田が大慌てで交番に駆け込んでくる。テント小屋が放火されたという知らせに、岡部は公園にかけつける。公園のテント小屋は破壊されていた。簗瀬と婆さんが住んでいたテント小屋は全焼し、二人は死亡していた。
岡部は小学校へ出かけ、簗瀬が貯めていたお金を寄付したいと願っていたことを子供たちに知らせる。岡部は、小学生たちと簗瀬の冥福を祈る。空には風に舞って風鈴の音が流れる。』
▼ゲストの講評
○長岡氏
「手堅い筆致で安心して読めた。しかし、自分には主人公がただの傍観者のように思えた。これだったら、巡査ではなくても新聞記者かルポライターという職業でもいいのではないかと思う。
せっかく主人公を用意したのだから、最初と最後で人物像が変わってもよかったのではないかと思った。たとえば、小さい頃は風鈴の音が嫌いだったのだが、ホームレスのおじいさんとの交流を通じて最後は風鈴の音が好きになった、というような変化をつけたほうが、より小説っぽくなったように思う」
○反町氏
「巡査を主人公に据えているのだが、老人との接触が希薄すぎて、老人が遺書めいた手紙を書く相手としか機能していない。巡査を登場させるのであれば、もう少し老人との接触を描いたほうがよかったように思う。
老人のキャラクターの整合性にも問題があった。老人が段ボールを集めていた理由を手紙に残すのだが、おばあさんを助けるときは他人に理由を明かさず黙って自分の意思を貫く。そういう人間が、簡単に手紙に書いて自分の意思表示するのは安易なように思う。手紙で事実を明らかにするまでを丁寧に書いているのに、最後に手紙という簡単な方法で事実を明らかにしてしまったのはもったいない」
▼池上氏の講評
「主人公が巡査である必然性がない。巡査を主人公に選ぶなら職業小説として徹底させるか、この主人公がなぜ巡査でなければいけないのかを明確にしなければならない。
僕ら読者は主人公によりそって世界をみる。いわば主人公は読者の窓口。どうやってその窓口から世界をのぞかせるかが重要なのに、その窓口が曖昧。主人公はいい人間なのか悪い人間なのか、その一貫性も見えてこない。巡査をもう少し大人に設定するか、若々しい青年にするかでも作品の味が変わったように思う。無味無臭のところが主人公の弱いところだと思う」
▼角田氏の講評
「この小説は、先ほど述べたパターンでいうならば2の最たるもので、作者の方がどうしてもこれを書かなければいけない理由が思いつかなかった。主要人物がその職業や立場でなくてはならない理由もつかめなかった。
私はこのテキストを読んで、ホームレスをずっと見ている目が、必ずしも界隈を巡回している警察官でなければならないとは思わなかった。家出している女子高生でもいいし、帰宅拒否のサラリーマンでもいい。もっといろんな選択肢があったと思う。そのなかで、どうして主人公を警察官にしたのか理由が見えてこない。
しかも、この警官が小説自体の目になってしまっていて、それ以上になっていない。読者は警察官の目を借りて見ているのだが、見ているだけで小説に入っていけない。その理由は、警察官とホームレスとの心の交流がないからだと思う。
先ほど述べたパターンの2の場合は、パターン1よりももっとストーリーを練らなければいけない。この小説は作者の意図がかなり早い段階で読み手にわかってしまう。パターン2の場合は、読者が最後まで読んだ時に驚くものがあったほうがいい。容易に作者の意図をわからせないストーリーの作り方が必要だと思う」
上写真・テキストを、一作一作丁寧に読み込む角田氏
■『行き先、キャラメル・カラー』(卓地 樫樹 作)
・著者の概要より――
『バブル景気が弾けて数年経った頃。
主人公のしげるは、少し前まで都内のコンサートホールで音響エンジニアをしていたが、左耳の聴力に異常が起きてからは現場を離れ、事務の仕事についていた。 ある夏の日、同居していた母が旅行先の事故で急に亡くなってしまう。その葬儀を終えた後、しげるはこれまで疎遠になっていた母の故郷・沖縄市を訪れた。
そして、ふとしたきっかけで立ち寄ったライブハウスの中で、しげるの目に留まったのは本番30分前にして、鍵盤の音を出せなくて困っているアマチュアバンド5人組の姿だった。
出演者たちに満足のいく演奏をさせたい――。
しげるが、かつて抱えていた気持ちに今、再び火がついた』
▼ゲストの講評
○長岡氏
「面白かったが、ふたつの話を読ませられた感があった。作品全体がふたつに分断されている感じがする。どちらかひとつをベースにして、もうひとつの話を溶け込ませる構成でもよかったように思う」
○反町氏
「この分量にしては内容を盛り込み過ぎのように思う。音響エンジニアという職業の主人公を設定したのであれば、高校生バンドの窮地を救ってあげたあとの演奏シーンは不可欠。そこが難聴というハンデを持ち、鬱屈した日々を過ごす主人公に光の差す瞬間である。音楽シーンを活字で書くことはとても難しいが、この手の小説を書くのであれば、そこは覚悟して書ききらなければいけない。
そのほかでは、難聴に対する悩みを、主人公が早い段階で母親の一言で吹っ切れたのは、あまりにも安直な感じがした」
▼池上氏の講評
「東京での話と沖縄での話、たしかにふたつの話を読まされた感は否めない。前半、母親の思い出話などなかなか読ませるものの、沖縄に行ってからの展開が早すぎるし調子がよすぎる。いい人間を登場させるのはいいが、そればかりでは物足りない。どこかで意地の悪い人間が出てこなければ溌剌とした世界にならない。
また、人物たちが、簡単に心の交換をしてしまうのも問題。心って簡単に交換できる場合もあるけれど、小説でそれを安易にやっていはいけない。作品のリアリティがなくなってしまう。ストーリー自体も、もう二転・三転あってもよかったと思う」
上写真・本講座世話役の池上冬樹氏
▼角田氏の講評
「小説の素材そのものには、短篇向きと長篇向きとの二つがあると思う。この小説は完璧に長篇の素材なので、短篇にするには無理があるということを前提にお話しします。
この小説は、さきほどのパターンでいうならば、2のパターンに加えて1も交じっていると思った。作者は、「主人公が失いかけている何かを得る」というストーリーを書きたいのだと思う。小説の舞台となる沖縄という場所も作者のなかでははっきり決まっていたのだから、あと、作者がしなければいけないのは、主人公を沖縄にもっていって失いかけていた何かを得るチャンスを与えることである。しかし、沖縄に行く方法にしても、ライブハウスに行く過程にしても、作者の作為を感じてしまう。ここまで無理に話を作らなくても、もっとシンプルにことを運べたと思う。
主人公が失いかけていた何かを得るためには、主人公を目覚めさせる大きなきかっけがなければいけないが、これも高校生のライブという事件では弱い。この小説を主人公が成長する話にしたいのであれば、この場面にもっとページを割いて、主人公が昂奮して何かを直している図がなければいけない。
いま言ったことは、長篇にすればぜんぶ出来ることである。もう一度長篇で書き直してみてはいかがかと思う」
■『葡萄のにおい』(吉村 龍一 作)
・著者の概要より――
『有香は中学二年生で、坂を越えて自転車通学をしている。
夏が終わるころ、坂の葡萄畑は一面に色づき始めるのだが、有香はそのにおいがとても好きだった。美術部員の有香は、その景色をスケッチし、創作に取りかかることにする。
ある日の放課後、美術室で作品を仕上げていると、凄まじい音が聞こえてきた。窓向こうには、たった独りで足場を組む、作業員の姿があった。彼はローラーをふりかざし、校舎のペンキ塗装をしていた。それ以来、有香は作業員が気になるようになった。有香は学校で孤立し、友達がいなかった。
ある雨の日、合羽姿で足場たちすくむ作業員を見た。彼の軽トラックはペンキのしぶきがとびちり、使いこまれていた。車の中で弁当を食べる彼に、痛々しい共感を覚えた。禿げた頭の、うす汚れた作業着が、その仕事ぶりに思えた。
やがて有香のもとに、朗報が届く。葡萄畑を描いた作品が、コンクールで入賞したのだ。会場で自分の作品にみいる有香の前に現れたのは、あの作業員だった。』
▼ゲストの講評
○長岡氏
「たったひとりでペンキにまみれて仕事をしているおじさんの、ふたつの姿を見せられて面白かった。その場面が立体的に鮮明に立ち上がってくる瞬間を感じて、とてもよかった」
○反町氏
「14歳の女の子が出てくるが、14歳の子供の言葉としては古い感じをうけた。少女が、仲間を作れずひとりで美術室にこもって絵を書くということと、作業員が黙々と作業を進めるというふたつが、あまりに同じすぎる。
14歳くらいの思春期の少女は、大勢の友人と笑っていたり、会話を進めていてもどこか居場所がなかったり、孤独を感じることがあると思う。大勢のなかにいても孤独を感じる少女が、作業員の姿を見て共感を覚えるほうがいいように思う。まったく違う局面を出しながら、そこに共通点を提示するほうが、奥行きが出るように思う」
▼池上氏の講評
「これは匂いの話なんですね。葡萄の匂いに魅せられた少女が、最後はハゲ頭を愛おしく思うようになるのだが、そこに無理がある(笑)。そこまで持っていくには、少女に匂いの経験をさせる必要がある。
匂いを中心に純文学的に書いたほうがいいように思う。人工的な匂い、体臭の対比を経験して、作業員のハゲ頭の匂いを愛おしいものに昇華しなてくはいけない。これはとても難しい作業だが、そこを書かなければいけない。
ストーリー展開も、時間を前後させて、導入部分を練り直したほうがいいように思う」
▼角田氏の講評
「この小説はパターンでいうならば1だと思う。さきほど作者の方から、「14歳を視点にするのではなく、自分自身に近い年齢の人間を主人公にしたほうがいいのではないか」という話があったが、それは違う。私は、小説の“私”と自分との距離はとるべきだと思う。書いている本人は、性別と年齢を逆転させることによって、自分の問題がそこに残りつつも、自分は小説から消える。だから、私はこの小説は、主人公を14歳にして正解だと思う。
あと、よかったところは、匂いと光景と手触りと湿気、熱気などが書かれているところ。匂いから入って葡萄畑の光景に入ることにより、言葉で説明しなくても、読み手を小説世界に連れていくことに成功している。この作者は自然を書くのが上手いと思った。
ただひとつ気になったのは、絵を書いている少女が、たったひとりで働いている人を見て孤独を共有するが、共有を得る方法はほかにもいろいろあると思う。 あと、もうひとつ、私がこの小説を面白いと思った理由は、まったく音がしないこと。学校を書いているのに主人公のまわりは何も音がしない。窓の向こうでひとりで働く男の音のなさと、自分のなかの音のなさという共通点でふたりを結び付けてもよかったと思う。そして、ラストで敢えて意識して音を出す。そうすることで、小説がより立体的になるように思う。」
■三作を読んで思ったこと(角田氏)
書こうと思ったとき、ストーリーを書きたいのか、自分が持っているテーマを書きたいのかを整理してから書いたほうがいいと思う。
自分のテーマを書きたい場合、自分を主人公にしてはいけない。小説を自分から切り離して、作者の意図、自分の状況、感想などを徹底的に書かなければいけない。
ストーリーを書きたい人は丁寧に伏線を張って、構成をしっかりさせて、不自然な点がないかどうか見聞する作業が必要だと思う。
角田光代×池上冬樹インタビュー
■『森に眠る魚』をめぐって/自分のなかにGOサインが出るまで
池上 昨年12月に出た新作『森に眠る魚』(双葉社)が好評ですね。各紙誌で絶賛され、もう7刷です。この作品は「小説推理」に連載したもので、1999年に起きた「お受験殺人事件」をモチーフにししています。主人公は5人の主婦で、こまめに視点が切り替わり、それぞれを照射するスタイルです。家庭環境も経済環境も違うの
に、五人の主婦が同じ地点を目指そうとする。そこで依存心・疑心暗鬼・憎悪などが渦巻くんですが、この作品は心理描写をかなり濃密に書いていますよね。
角田 私が小説を書くきっかけのほとんどは、怒りによるものなんです。ふと耳にした発言、たとえば「女は子供を生む機械」ってどういうことだよ、とか、最初に何か怒っていることがあって、それじゃ怒らずに話にしよう、どういう話なら表現できるかなと考えていくのですが、この小説はめずらしく違うんですね。
被告のノンフィクションを読んだんですが、読めば読むほど興味がわいてくるんです。いつか書きたいと思っていたんですが、あまりにも私にとって興味深い事件なので、現実に小説は勝てない、と思っていたんですね。でも、いろんなきっかけがあって書くことになりました。
池上 事件よりも、犯人がそこに至るまでの過程のほうに興味があったんですか?
角田 そうですね。もっというと、お受験殺人と呼ばれた事件に対しての興味ですね。ただ、実際の事件を小説にする場合、ふたつを絶対切り離さなければいけないと思っているんですね。関係者の方たちのことを考えても、なおかつそれを書く必要があるのと普通の小説を書く以上に自分に問わなければいけない。そう考えた時に、私は最初はお受験殺人と呼ばれた事件への興味だったかもしれないけれど、小説にしたいと思った時点で、彼女を書きたいのではないと気づいたんですね。ちょっとしたボタンのかけ違いで、お互いの関係が根腐れを起こしていく。その心理の動きを書きたいと思ったんです。
自分は事件を書きたいんじゃない、ましてや加害者や被害者を書きたいのではない、心理を書きたいんだ、と思ったときに、自分のなかでGOサインが出たように思います。
池上 実際の事件では母親が殺人を犯しますが、この小説では別な結末が用意されています。その場面が圧倒的ですね。ぐいぐいひっぱられますし、ものごく怖いし、一種、幻想的で象徴的でもある。これは純文学出身の作家でなければ絶対に書けないと実感しました。
角田 ありがとうございます。とても嬉しいです。
池上 それにしても、人物たちの負の感情を直視しなくてはならず、連載は辛かったのでは?
角田 最初は愉しかったんだけど、だんだん息苦しくなってきて、書いてて本当に「嫌!誰か引っ越して!」って思うんですよね(笑)。
池上 女性同士の怒り、いやらしさ、弱さ、底意地の悪さが前面に出ている。相手のいいところをまったく見ないんですよね(笑)。それがすさまじい。ここまで書かれると、逆に女性は共感するのでは?
角田 わからないことをわかった風に書きたくない、というのがあるので、心理を書きたいという時点で、最終的には感情のぶつかり合いになるのはわかっていました。でも、上っ面だけぶつからせるのは絶対に嫌だし、それでは読者は呼び込めないと思ったんですね。共感をよんでもらえたのは嬉しいですが、でも書いているときは、主人公たちの気持ちに自然に沿うようにしていると、どろどろとした嫌な気持ちになりました。
■文学賞で選ぶ基準
池上 さて、文学賞の話に移ります。いま角田さんは、文芸賞、小説宝石新人賞、小説現代長篇新人賞、さくらんぼ文学新人賞など全部で7つぐらいの文学賞の選考委員をされていますね。新人の応募原稿を見て、どこに注目されますか?
角田 いままでにないテーマや気分などですね。
池上 純文学とエンターテインメントでは、選ぶ基準が違いますよね。
角田 純文の場合は、作者がそれを書かなければならなかった必然ですね。それが見えてくるか来ないかです。純文作品の多くは枚数も少ないし、意味がわからないものが多いんですね。そのわからなさが、作者のどうしようもない必然である場合があるんですね。それは読んでいてわかるんです。「この人、意味がわからないかもしれないという不安のもと、でも、絶対書かなければいけなかったんだろうな」と。それが純文学では強みですね。
エンターテインメントの場合は長いので、400枚を書ききる力が最低限必要ですよね。まず、その力ありきで、ほころびがあってもいいから最初のテンションが最後まで続いていること。それから、作者のご都合主義ではないところがエンターテインメントは大きいかな。作者のご都合主義が見えてしまうと弱くなりますね。
池上 本講座の長年の常連講師である佐伯一麦さんの『芥川賞を取らなかった名作たち』(朝日新書)という作品が出色なのですが、そのなかで作家の島田雅彦さんとの対談で、「新人賞は作品のジャッジメントなのか、新人のスカウトなのか」という話をしているんです。角田さんはどちらだと思われますか。
角田 後者だと思います。自分もそう思っているし、選考の場でよく聞く言葉に「のびしろ」というものがあって、みなさん「この小説だけで見てはいけない」と必ず言うんですよね。「この次になにが出てくるかを考えなければいけない」と。そう考えると、完成度が高いものって逆に授賞に至らないかもしれない。そういうケースをいくつも見てきました。だから、新人賞はジャッジではないと思うし、その作品の良し悪しではないと思います。
池上 荒削りであっても、力のある作品ってありますよね。では、授賞にいたる決め手はなんでしょう。
角田 決め手は「独自性」だと思います。でも「独自性」って「突飛さ」と勘違いされやすいんですよね。ある出来たばかりの文学賞で、「こういうの読んだことないよね」って選考委員で大賞にした作品があったんですけれども、次の年に突飛な応募作がたくさん来てしまって(笑)。「独自性」であって、「突飛さ」ではないのに。
池上 そのあたりの面白さや凄さを、具体的に作家であげると誰になりますかね。
角田 川上弘美さんですね。川上さんが書く恋愛小説の独自性には目を見張ります。
池上 そうそう、川上さんの恋愛小説はすごいですよね。実は、いま『夜の公園』(中公文庫4月刊行予定)の解説を書いているんですが、ほんとうに新しい。新鮮な驚きがある。それまで多くの人たちが書いてきた恋愛小説とはまったく異なる。
角田 誰もが書いてきた男女の話を書いているのに、川上さんはいままでにない恋愛を体感させてくれるんです。誰も書くことができなかった感情を書いているんですね。日常のわかりやすい話であっても、独自性が出ればとても面白いんですよね。
■自分の禁じ手/作家を目指す者へ
池上 書くうえで自分に禁じていることってありますか? 例えば常套句を使わないであるとか。
角田 自分がまったく知らないことを、さも知っているように書かないことでしょうか。私は、子供がいないのに子供のことを書くこともあるけれども、子供を持つってどういうことかっていうのは、自分の親を見ていたりして想像は出来るじゃないですか。その想像を広げて書くのはいいけれど、子供のことをいかにもわかった風に書くのはやめようと思っている。あとは、まったく興味がないのに書くことも禁じています。政治にまったく興味がないのに、政治についてなにか言いたい気持ちを描くとか、そういうことはしませんね。
池上 最後に、作家を目指す方にひとことお願いします。
角田 ひとことでいうならば、作家になる方法はいろいろあるけれど、私は応募が一番手っ取りばやいと思っていますね。応募する場合は、応募先を間違えないでほしい。自分に合った場所に送ってほしいですね。
池上 下読みをしていると「どうしてこの賞にこの作品を応募してくるんだ?」というものがありますよね。あきらかに場所を間違えている。
角田 力があるのに、そこで認められないんですよね。それはとてももったいないことだと思います。
池上 今日はお忙しいなか、ありがとうございました。
【講師プロフィール】
◆ 角田 光代(かくた・みつよ)
1967年 神奈川県生まれ。
1990年 「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞し、デビュー。
1996年 『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞受賞。
1998年 『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞受賞。
1999年 『キッドナップ・ツアー』で産経児童出版文化賞。フジテレビ賞と路傍の石文学賞をダブル受賞。
2005年 『対岸の彼女』で第132回直木賞受賞。
2006年 「ロック母」で第32回川端康成文学賞受賞。
2007年 『八日目の蝉』で第2回中央公論文芸賞受賞。
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