
小説家になろう講座(5月講師・東山彰良×深町秋生)
5月25日(日)、今年2回目の「小説家(ライターになろう講座)」が「やまがた遊学館」(山形市緑町)会議室でおこなわれました。今回お招きした講師は、東山彰良先生&深町秋生先生。
東山先生は第1回「このミステリーがすごい!」で大賞銀賞・読者賞を受賞し、2003年『逃亡作法 TURD ON THE RUN』(宝島社)でデビュー。疾走感あふれる文体と、独特の作品世界は各方面で高い評価を受けており、今もっとも読んでおきたい作家の一人です。今年2月に新作『路傍』(集英社)を発表されたばかり。
東山彰良先生
また、深町氏は山形県南陽市在住の作家で、第3回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞、2005年『果てしなき渇き』(宝島社)でデビューしました。ちなみに、この作品は昨年文庫化されましたが、なんとすでに15万部をこえるベストセラーに!この夏、待望の新著『東京デッドクルージング(仮題)』が刊行されるそうですが、会社勤めのかたわら精力的に作品を書き続けている、我らが誇る講座出身作家です。
深町秋生先生
そして、このお二人に加えて今回ゲストとして参加くださったのは集英社の編集者・I氏。I氏は東山先生の『路傍』の担当編集者で、本講座には何度かいらっしゃったことのあるおなじみの方です。
さて、講座で取り上げるテキストは、講師の方の作風やジャンルを考慮し、コーディネーターの池上冬樹氏が毎回吟味して選定します。 このたびテキストに選ばれたのは小説2本とエッセイ1本。
まず、小説2編はいずれも“犯罪”や“倒錯した性”を淡々と描いたハードボイルドな短編作品。これらはまさに池上氏が今回の講師にあわせて選んだ作品で、テキストを提出した受講生の2人も、この分野における気鋭のお二人に講評いただけるという幸運に、終始興奮気味。そしてもう一編、今回唯一のエッセイは、小説2作品とはまったくテイストの違う、控えめながらも幸福感漂うほのぼのとした作品でした。
そんなわけで、5月の講座は、あまりにも極端な(?)2ジャンル(ノワール調の短編とほのぼのエッセイ)を取り上げることになってしまいましたが、東山先生のエスプリのきいたざっくばらんな語りと深町先生の素朴で堅実な語りは、言葉一つ表現一つをめぐって自由自在に交差し、「書く」ということにおいて、ジャンル共通の問題を広く鮮明に浮かび上がらせていたように思います。
■1本目のテキスト/短編「鳥かご」
【あらすじ】
『国分町から程近い雑居マンションで、不動産業者の主人公「おれ」は、
不良マンション管理人「今井」と隠しカメラが映し出す住人の痴態を見ていた。
そこに映し出されていたのは、二年前に「おれ」の元を去っていった「亜希子」。
「おれ」は、衝動に駆り立てられるがままに「亜希子」のいる部屋へ向かった。。。。。』
愛する女性と別れて二年。悶々と毎日を過ごしていた「おれ」は、ふとしたことで彼女と再会。
はたして、その再会は「救い」なのか「絶望」なのか…?
出口のない日々の中で、偶然にも新たな入り口を見つけてしまった主人公が、
ドアの向こうの破滅に身をゆだねようとするお話です。
【受講生の感想】
「 時間の経過がわかりにくい」「登場人物たちの会話がワイルドでかっこいい」
【講 評】
出来事の順番を入れ替えて叙述する「錯時法」は小説の世界ではよく使われる手法ですが、
エピソードをよほど綿密に組み立てないと読者は迷子になる危険性があります。
この「鳥かご」の筆者いわく、今回はあえてその「錯時法」を選んで書いてみたとのことですが…
どうやらこの作品、それがいまひとつこなれていなかったせいで、読み手にだいぶ混乱を招いてしまったようです。その点について、深町先生は作品の推敲不足を指摘。
とりわけ「時間」を語るときは、プロットへの細やかな目配り、時系列の念入りなチェックは怠ってはならないとのことでした。
また集英社のI氏は、「冒頭にこそ“読ませる”仕掛けを」とアドバイス。
作品を最後まで“読ませる”ためには、読み手を惑わさない構成と冒頭の工夫が重要とのこと。
…とはいえ、考えてみれば、深町先生やI氏が述べられたことは、書く上でごくごく基本的なこと。
たいていの書き手の方ならよく理解していることなのかもしれません…が、侮ることなかれ!実は、こうした基本的なことは、作品を読んで批評してくれる人がいないと、そう気づくことなんてないのかもしれません。このやりとりを聞いた受講生の多くは、あらためて「読み手」の存在の大切さに気づかされたことでしょう。
一方、東山先生は、「鳥かご」の文章を「読者を(いい意味で)つきはなした男前度の高い文章」と評価。文体が持つ雰囲気は、たとえば、逆説の助詞「が」一つの使い方によってもだいぶ異なるということを説明しながら、“東山流”文体へのこだわりを披露。この話題には、受講生はもちろん深町先生や池上氏までもが興味深く耳を傾け、「思い切った主語の省略」や「斬新な言葉の組み立て方」など、文章そのものに緩急を生みだすコツについて活発に意見が交わされました。
講師の話を熱心に聞く受講生たち
■2本目のテキスト/エッセイ「来世は絶対多数派!」
【あらすじ】
『私は若いころから一風変わっていて、おばさんみたいな女の子だった。。。。。』
周囲に足並みをそろえることのできない、ひねくれた少女だったという筆者。若い時から“少数派”であることを自認し、それを引きずりながら現在まで生きてきたものの、還暦を過ぎて初めて読んだ『方丈記』の一節に、ひどく感銘を受けてしまう。日常の中のささやかな発見が、すがすがしく描かれたほのぼのエッセイ。
【受講生の感想】
「筆者は“多数派”を羨んでいるようだが、実は逆で、“少数派”であることに自負を持っているような印象を受けた」「タイトルに“!”がついているのでポップな感じがする。」
【講評】
筆者は、タイトルに「!」をつけて“多数派”への憧憬を強烈に表現。ところが、講座内での感想はまるで逆。このエッセイを読んだ受講生たちには、どうやらタイトルの意味が逆説的に響いたようで、多くの人が「“少数派”である自分を肯定的に見つめる筆者」を読み取ったようす。同様に、講師の先生方も「一読して幸せな気持ちになった」「かわいらしい作品」と目を細め…もうこれには、当の筆者も驚き半分、照れ半分。でも、こうして予期せぬ解釈・感想が聞けるのは、書き手にとってはとても楽しいことに違いありません。
さて、いろんな感想がとび交う中、
池上氏が作品中山形弁がそのまま使われている箇所をいくつか指摘すると、話題は自然と方言の問題に。
たとえば、博多在住の東山先生の場合。
先生は、作品内で方言(博多弁)を使うことに抵抗があるとのことでしたが、それはこんな理由からでした。
「舞台の地域性を描き出そうする際、方言を使ってしまうとそれに頼りかねない。表現が安易に流れる恐れがあるんです…」
先生の著書の中で博多弁が出てくるのは今のところ『イッツオンリーロックンロール』だけ。
「方言はあくまで“必然性”の中で使いたい」
…東山先生らしい発言。
先生にとって『イッツオンリーロックンロール』は「博多弁との決別」という意味も込めた作品だったそうですが、それはまさに先生の「書く」ための態度表明だったのかもしれません。
一方、「いつかは山形を舞台にした小説を書いてみたいのだけれど…」と話し始めたのは深町先生。
実は、ここまで言いかけて一瞬間があったので、その場の誰もが期待をこめて耳をそばだてたのですが…
先生続けていわく
「だって、山形弁の発音をそのまま活字にして、いったいどれだけの人がわかるのかな!(苦笑)
むずかしいですよねー(笑)」
…会場爆笑!!
おっしゃる通り、関西弁と違って、山形弁は活字化が難しそうです。けど、深町先生、山形弁が登場する大作、楽しみに待ってますからね!
作品を個性的にも没個性的にもしてしまう“諸刃の剣”としての方言。方言を使う場合はその点を意識する必要があるということでしょう。
ときには笑いも起こり、講義は和気藹々とすすんでいきます
■3本目のテキスト/短編「きけんなあなた」
【あらすじ】
『このごろ、おれはあなたが気になって仕方ない。もちろん、名前は知らない。一度、電車でとなり合わせたきりだ。妻と別れてからも、あまり遊び相手に不自由はしていないが、あなたのことがあたまの隅からずっと離れない。しばらく、この東京を離れることになった。その前に、どうしても会いたくて、こうして、さがしていた……だからどうか、この悪い夢のような虚しさを終わらせてくれないか。。。。。』
ある「出来事」を通して、一人の女性のことが頭から離れなくなってしまった「おれ」。あのときの「出来事」は現実なのか、それとも「おれ」の妄想なのか。抑圧された中年男性の暴走する狂気が描かれた作品。
【受講生の感想】
「主人公の中年男性の造形がステレオタイプな感じがした」
「読者が男か女かでもだいぶ解釈に違いがありそうな作品だと思った。」
【講評】
「主人公がどんどん転落していく姿」と「70年代の流行曲の中の女性イメージ」。
作品の構想段階で、すでに2つの明確なモチーフがあったと語る作者。
それを受けて、まず集英社のI氏がコメント。
「一種の“ファム・ファタル(Femme fatale 運命の女)”ものとして読めるところもあるけれど、主人公の“おれ”がきわめてマジメに語っているからこそなおさら、全体をコミカルな方へと持っていくべきだったのでは?」
確かに、この作品のどこかに、主人公「おれ」のシリアスな語りをズラしていくような仕掛けがあったら、また違った面白さ、趣があったかもしれません。このI氏の指摘、つきつめれば、読者との関係を構築する“語り”の問題に発展しそうな重要なテーマをふくんでいます。
これには受講生も頷きながら、あるいはメモをとりながら、真剣に聞き入っていたようです。
また、それにリンクする問題として、東山先生は作品における“性”描写に触れて次のような感想を述べておられました。
「“性”描写を字義通り主人公の願望・欲望として読ませたかったのか、それとも何か(比喩的な)表現として読ませたかったのか…もちろん、“性”を書くことは物語の必然だったのかもしれませんが、結局何がいいたかったのかがわからなかった」
すなわちこれは、作者にとっては必然であるはずの“性”も、描き方によっては読み手に意図が伝わらない場合が往々にしてある、ということ。この発言には、受講生の誰もが、“性”に限らず「対象を描くことの意味」について考えさせられたに違いありません。
以上のように、取り上げられたテキストたちは、講師やゲストの方、そして多くの受講生たちによってさんざん解体(?)されたわけですが、人物の造形のあり方に触れて、深町先生が次のように締めくくってくださいました。
「不動産業、農業、飲料メーカーのサラリーマン、どの作品も、それぞれの職業性がよく出ていた。もっとディテールを書き込む必要はあるけれど、いろんな職業の人間を主人公に据えることでより面白いものを書こういう貪欲さを感じて大変よかったと思う」
池上氏によれば、少し前の日本では、作品内で職業が詳細に語られることは珍しいことだったそうです。でも、ここ最近は、その傾向もだいぶ変わってきて、“職業を読みたい”という需要が徐々に高まってきているとのこと。そういう意味で、今回のテキストは、きわめて現代風で意欲的な3作品だったといえるかもしれません。
さて、今回の講座、最後の“おまけ”は、東山先生&集英社I氏による『路傍』誕生秘話。作品にまつわる裏話を作家や編集者の口から直接聞くことができるのもこの講座の醍醐味。。。ああ、なんという贅沢!!
『路傍』を紹介する池上氏
「滑稽で洒落てて、それでいて悲惨。気の利いたセリフにくすっと笑えて、同時にほろりと泣ける…とにかく形容する言葉が次々湧き出る、そんな小説です」(池上談)
「面白すぎて嫉妬を覚えました(笑)」(深町談)
『路傍』はハチャメチャにかっこいい作品。間違いなく、傑作です!ぜひ読んでみてください!!
東山彰良『路傍』(集英社刊)
「 自分にとって“書く”こと?…“麻薬”みたいなもの、ですかね・笑」(東山)
「書きたいと思うときの衝動は“ロック”に似てるかな…」 (深町)
【今回の講師プロフィール】
◆東山彰良(ひがしやま・あきら)
1968年、台湾生まれ。第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞し、2003年『逃亡作法 TURD ON THE RUN』(宝島社)でデビュー。著書に『ワイルド・サイドを歩け』(同)『ラム&コーク』(同)『さようなら、ギャンググランド』(同)『愛が噛みつく悪い星』(カッパノベルス)『イッツ・オンリー・ロックンロール』(光文社)。翻訳にドナルド・ゴインズの『ブラック・デトロイト』(ヴィレッジ・ブックス)がある。
◆深町秋生(ふかまち・あきお)
1975年、南陽市生まれ。第3回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、
2005年『果てしなき渇き』(宝島社)でデビュー。昨年宝島社文庫に入り、15万部をこえるベストセラーに。著書に『ヒステリック・サバイバー』(同)『東京デッドクルージング』(同近刊)、赤城修史名義で『小説自殺マニュアル』(佐藤広行との共著。03年太田出版)がある。ブログ「深町秋生の新人日記」も好評。※深町氏は本講座出身。詳細は文庫版『果てしなき渇き』の池上冬樹氏の解説参照
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