
小説家になろう講座(4月講師・熊谷達也)『本に恋してください』
■4月の第4日曜日に「やまがた遊学館」(山形市緑町)会議室で、今年度はじめての「小説家になろう講座」がおこなわれました。 4月の講師は、山本賞&直木賞作家の熊谷達也先生(仙台市在住)。熊谷先生は2000年5月から、毎年一回講座の講師を担当されている常連講師です。作家が講師をつとめられる場合、編集者がゲストとして同行する場合が多いのですが、4月はなんと、角川、文春、新潮、講談社、小学館、実業之日本社の編集者が計13名もつめかけてくれました(予定では集英社の編集者も来形の予定でしたが、校了の都合でキャンセルされました)。 みなさん第一線で活躍されている文芸編集者で、そのなかには取締役や文芸局長などもおられました。 いつもは、黒板前に講師席があるだけなのですが、この日はゲスト多数ということで、会場の斜め前方に、ゲスト席を特別に設けました。事務用の長机に2列に渡り、ずらりとならぶ講師陣の姿は、まさに壮観かつ圧巻!! つくづく本講座の受講生でよかったと、目の前の光景を見ながら痛感しました。
■講座は通常、14時から始まりますが、当日読みのテキストを読むことも考え、だいたいみなさん、30分前くらいから、会場におこしになります。この日も、13時半を過ぎた頃から、受講生の姿がちらほら見えはじめ、開講10分前には会場はほぼ満席。座る場所を探さなければいけないほど席が埋まりました。
毎回の講座の流れは、受講生が提出したテキストを、受講生が講評したあと、講師の先生が講評するというもの。その後に、講師の先生の講義や、講座の世話役で司会を担当する文芸評論家の池上冬樹先生と講師の方の対談などがあります。毎回、講座が終わると講師の方を囲んでの懇親会がありますが、この日は特別イベントとして懇親会の後にライブハウス貸し切りで、熊谷先生率いるB'zのコピーバンド「K'z」のライブがありました。こちらのほうも講座同様(もしかしたら講座以上?)に盛りあがりました。
今月のテキストは、斎藤健太さんの『憶里花火(おくりはなび)』(原稿用紙換算12枚)と、佐野紫音さんの『それは、あるべき場所に』(同24枚)、紺野真美子さんの『背中の傷』(同50枚。今年度の木山捷平短篇文学賞受賞作品)の3本。
■1本目のテキスト/『憶里花火』 斎藤健太
【あらすじ】
物語の主人公は花火職人の善三。その年もまた、打ち上げ花火の支度をはじめるが、しかし善三が打ち上げるのは普通の花火ではなかった。あの世に居る、生者ではない者にしか見えない特別の花火、すなわち憶里(おくり)花火だった。生者には何も見えない。見えるのはあの世の死者と、そしてもうすぐあの世にいく者たち。その年、見えないはずの花火が、老齢の善三は見えるようになって・・・
この作品は、作者が東北地方の架空の世界を舞台にした連作のひとつ。意識的に漢字を多用し、作者が創りあげた造語と独特な世界観が特徴的な作品です。
【生徒の感想】
「作者独特の世界観がある」「漢字はもっと開いた(平仮名にした)ほうがいい」 「いつの時代かわからないのが逆にいい」
【ゲストの感想】
「筆者独自の世界観が完成されていて、魅力的である」「教えられたものではないセンスを感じる」「食いつきが足りない。中篇のラストシーンのような感じがする」「もう少し実際に存在するものを文中に使うと、もっと現実味を帯びてくる。少しの真実を踏まえての大ウソが、読者を騙すコツ」。
【熊谷先生の講評】
「PCの普及で漢字を多用する作品が増えたが、それがいいか悪いかは別にして、常に頭に入れておかなければいけないことは、書き手の意識と読み手の意識は違うということ。その意識の違いをどこまで言葉で埋めていくかが、作品と読者の距離感を決める。「読者に読んでもらいたいと思うか、それとも、自分をわかってくれる人だけに読んでもらえればいいと思うか、そこを考えると、実際の行動として、漢字をひらくかひらかないかも違ってくる。僕としては、造語は漢字でいいけれど、地の文章は、ある程度ひらいたほうがいいのではと感じた」「作品冒頭の文章『掃われた緑の欠片(かけ)が風に身をまかせて散る度、草(くさ)熟(いき)れが鼻の奥に染みた。いつもの年よりも青臭さを強く感じるのは鼻が利くようになった訳ではなく、腕の力が衰えた為だった。雑に刈りこまれて切り口の毟れた草が、強い香を撒いている。年々痩せてゆく躯の所為で、着慣れた筈の燻(いぶし)半纏(ばんてん)が鎌を振る度に何度も肩口からずり落ちた。』がいい例だが、健太君がうまいのは、歳をとるということを、そのまま言葉で表すのではなく、行動や匂いの感じ方といった描写で表している点である。これが実にうまい。微妙なニュアンスとともに、身体が衰えたという実感が伝わってくる」「ただ、ラストの締めくくりが問題。ラストはあと一・二行ほしかった。ここに、いい描写が少し加わるだけで、作品の締りがぐっと違ってくるのに残念である」「健太君は、自分の世界観をしっかり持っている、いい書き手だ。このシリーズの作品がまとまったら、もう一度、書き直してみることを勧めたい」。
このシリーズの作品を、すでに何篇も書いているという健太君。彼の別な作品も読んでみたいと思ったテキストでした。
■2本目のテキスト/『それは、あるべき場所に』 佐野紫音
【あらすじ】
物語の主人公はニューヨークに住む悠子。彼女は必死になって夫のパソコンを開こうとしていた。いつもどおりに出かけていった彼が行方不明なのだ。あの日(9.11)から、彼は戻ってこない。彼のメールにアクセスし、目に留めた一通のメッセージ。彼の消息を追い続ける悠子は、やがて、思いも寄らない形で一枚のスケッチ画に遭遇する・・・
【生徒の感想】
「状況は理解できるが感情移入ができない」「舞台が海外というよさが出ていない」「作品のなかに出てくるエピソードに唐突さを感じる」等々。
【熊谷先生からの「この作品で、なにが書きたかったのですか」との質問をうけての作者の弁明】
「昨日まであった普通の生活がなくなる感覚が書きたかった」。
【熊谷先生の講評】
「作品のテーマをつかみましょう。つまり、書きたいことの、もう一歩奥に踏み込んだところにあるものを見いだすことです。佐野さんのテキストは、いまひとつわかりづらい。なぜ読者にわかりづらいものになっているかといえば、崩れる日常の先にあるものを見きわめていないからです。何が書きたかったのかが見きわめていたら、こまぎれになっているエピソードもうまく繋がっていただろうし、登場人物の感情も、もっと深く描けていたと思う」「9・11のように、実際に起きた事件を題材にすることは難しい。誰もが知っている出来事を取り上げるときは、ジャーナリストから得られる情報のほかに、プラスαがなければいけない。ニュースではない目新しさがあるかないかで、作品が生きも死にもする。そこが、今回、テーマが絞りきれていないところだと思う」
作者である佐野さん自身のなかに、先生の講評を聞いているうちに、この作品で本当に書きたかった何かが見えてきたようで、先生の講評を聞きながら熱心にうなずかれていました。
■3本目のテキスト/『背中の傷』 紺野真美子(木山捷平賞受賞作品)
【あらすじ】
物語の主人公は、万作。息子の嫁の父親である庄吉の葬儀に出席するため福岡へ向かう。生まれも育ちも違う万作と庄吉だが、お互いを認め合い、庄吉は自分にもしものことがあったときのために娘の杏子に渡して欲しいもの(封筒)を万作に託していた。庄吉の最後を見送った後、万作は預かっていた封筒を杏子に渡す。封を開いた杏子は家族が見守る中、子どものころに受けたいじめと凄惨な出来事を語り、庄吉への想いを吐露する。
【ゲストの意見】
「大変よく出来ているが、小説のなかにある、よじれの辛さがわかりづらい」」「描写と構成がしっかりしている。なかでも山形のお父さんが大変魅力的だった」「よく出来ているが、印象に残らない。理由は、登場するふた家族の問題が読み取れないから。いい人たちばかりでなく、もっと生々しい変な人物を出してもよかったのではないか」
【熊谷先生の講評】
「方言がとてもいい。地文で方言を使ったというだけで、なにか賞をあげたいくらい。方言を使うときは、そのまま書くのではなく、方言とわかりながら、共通語しか普段遣っていない読者にも伝わるように書かなければならない。そのバランスのとり方が非常に、読んでいて心地いい。それだけで、主人公の人柄が伝わる」「ただ、残念なことに、小説の勢いが後半けずれている。その理由は、作品のなかのふたつの謎提起が、後半の数ページで、会話による標準語で説明されてしまっているから。作品は、描写と回想と説明と会話のバランスが大切。説明を会話でするのはなるべく避けるべき」
この日、急遽、講座に参加できなかった紺野さん。会場にいらっしゃったら、どのような弁明をされていたのか、お聞きしたかったところです。
「ボードを使っての講義は熊谷先生恒例」
「講義にも思わず熱が入ります」
■簡単な講演/視点の問題について
テキストの講評のあとにおこなわれた熊谷先生の講義は、一人称・三人称といった「視点」の問題についてでした。
「小説を書き始めたころに、書き手が一番無自覚なのは、どんな人称で主人公を設定するかということ。高校生だと一人称(僕・私)が多い。理由は、自分たちは常に日常一人称で動いているから。自分の見たこと、感じたことを書いていけばストーリーになりやすい。ただ、それだけだと情報が不足してしまう。作品のなかにはいろんな情報があり、その情報をいろんなかたちでやり取りして、主人公の行動が変わっていく。一人称だけでは得られない情報が必要になる複雑なミステリーなどに、三人称多視点が多いのはそれが理由」
それぞれの人称の視点を、カメラアングルに例えて説明をする熊谷先生。その後、ご自分の作品である『邂逅の森』(文藝春秋)や『箕作り弥平商伝記』(講談社)、『群青に沈め-僕たちの特攻』(角川書店)などを例にあげながら「なんとなく書き始めるのではなく、これから書こうとしている作品を意識しながら、どの視点が一番いいのかということを考えるようにすると、作品も変わってくるのではないでしょうか」と、生徒にアドバイスをくださいました。ホワイトボードを使っての講義はとてもわかりやすく、視点の問題に悩んでいる受講生には、大変参考になったのではないでしょうか。
■生徒との質疑応答/作家を志す者にとって必要なものは何か。
終わりの時間も迫り、池上先生が「質疑応答」の時間をとると、ある受講生から「作家を志す者にとって、これだけは必要だ、と思うことを教えていただきたい」との質問が出ました。 この質問に、ゲストの方全員が答えてくださいました。(以下順不同)
| *とにかく書き続けること(実業之日本社Sさん) *書き上げる根気(角川男性Kさん) *何をどう書きたいのか意識すること(文春Bさん) *体力・エンドマークを打つ勇気・作品の文句を言ってくれる読み手(角川Sさん) *持続する志・毎日書き続けること、無駄な文章を削る勇気、 そして、いい短編を座右の書として手元におくこと(文春Sさん) *書き続ける情熱が才能・書き続ける体力(講談社女性Kさん) *自分はこれを書くという情熱、自分の作品を客観的に見る目(新潮Fさん) *書くと同時に読むこと。書くことと同じくらい吸収すること(新潮Kさん) *ぜったいこの作品を世に出すという欲望と、 その欲望が世間でいったいどれほどのものかと突き放す客観的視点(角川Kさん) *読みなおす力・推敲力(角川Gさん) *オリジナルの視点(文春Aさん) *読者の心を揺り動かすためのサービス精神(小学館Tさん) *客観性を身につけて、ひとりよがりの作品にしないこと(新潮Mさん) |
出版界の第一線で活躍されている13人13通りの豪華な答えを、一言一句聞き逃すまいと、講座の生徒一同、ゲストの方々の声にじっと耳を傾けていました(かくゆう自分も、じっと耳を傾けながら安堵のため息。『必要なものは才能』とか『持って生まれた感性』とか言われたら、そのどちらも持っていない私は「もうペンを折るしかない(実際ペンは使用していませんが)」と思っていましたから、安堵号泣)。
そして最後に、今回の講師である熊谷先生から、受講生にむけて一言。 [ある時期、本が一番大事な時期がありました。死ぬほど本が好きで、誰よりも本が好きだと思える時期。恋愛とおなじで、好きになることはいつでも出来ます。本に恋してください。」
text by K
【今回の講師プロフィール】
◆熊谷達也(くまがい・たつや)
1958年、宮城県生まれ。84年東京電機大学卒業後、数学教員、保険代理店業を経て、97年『ウエンカムイの爪』(集英社文庫)で第10回小説すばる新人賞、2000年『漂白の牙』(同)で第19回新田次郎文学賞をそれぞれ受賞。2004年にマタギの苦難の人生を描いた『邂逅の森』(文藝春秋)で第17回山本周五郎賞および第131回直木賞を受賞する(ダブル受賞は史上初)。代表作は他に『山背郷』『相剋の森』『荒蝦夷』(すべて集英社文庫)。最新作は少年兵たちの苦悩を描く『群青に沈め―僕たちの特攻』(角川書店)。仙台市在住。
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