第11回は作家の小池昌代さん(聞き手は文芸評論家の池上冬樹さん)。
詩人として世に出るまでの経緯、それぞれの作品のエピソード、
言葉に対しての思いなどを話していただきました。
■詩を書くまでのこと/『感光生活』と『ルーガ』/『タタド』の解説
―― 詩の分野では詩集『永遠に来ないバス』(思潮社)で、現代詩花椿賞を、詩集『もっとも官能的な部屋』(書肆山田)で高見順賞、『ババ、バサラ、サラバ』(本阿弥書店)で小野十三郎賞を受賞しています。そのほかにも、エッセイ集『屋上への誘惑』(岩波書店)で講談社エッセイ賞、短編小説「タタド」で川端康成文学賞など、小池さんほど数多く受賞なさっている詩人はいないですよね。
小池昌代氏
小池 それは誤解です(笑)。ありがたい賞ばかりいただいていますが。
―― やはり、小さい頃から詩人になりたいという夢はあったんですか。
小池 6歳か7歳の頃から「詩」というものに惹かれていました。中学生の時には、小説を書いたりしていましたが、詩は題名を書く程度で、なかなか本文が作れませんでしたね。
―― じゃあ、将来的に小説家や詩人になろうという考えはなかったんですか。
小池 詩というものを何かの形で表したいとは思ってましたが、即、小説家や詩人になろうというふうには考えませんでした。大学を卒業して最初は福祉関係の研究所に入ったんですが、そこがすぐに潰れちゃったんですね。
私は非常にぼんやりとしており、就職活動もせずに過ごしていたところ、大学の方が心配して「ここに行ってみたら」と法律関係の会社を紹介してくださったんです。「とりあえず行ってみよう」と通い始めたら思いのほか面白くて、結局10年以上もそこに勤める事になりました。そのあとまた、別の会社へ移って、詩を初めて投稿したのは27歳の頃です。
―― 初めての詩集が、詩壇の芥川賞と呼ばれているH氏賞の最終候補に残ったんですよね。
小池 『水の町から歩きだして』という詩集です。水の町というのは、私が生まれた、東京の下町、深川のことです。家は祖父の代から材木屋でした。その土地が詩の舞台です。
―― それでも詩人で食べていこうとは思わなかったんですか。
池上冬樹氏
小池 最初から、詩を書いて暮らしていけるわけが無いんだから働きつつ詩を書こうと決めていました。ところが注文がだんだん増えてきたころ、会社とのあつれきが生じ、うまくいかなくなった。結局、クビです。精神的な打撃が大きく医者にもかかりました。今は、あれも運命だったと思っていますけれどね。
―― その後、フリーで活動を始めるわけですね。
小池 最初は、無署名の原稿から書評から何でも書きました。漬物の取材で全国をまわったり。そのうち少しずつエッセイなどの、散文の注文が増え始めたんです。
『感光生活』ちくま文庫
(2007年11月)
―― そんな中で2004年に出版されたのが『感光生活』(筑摩書房、現在はちくま文庫)です。登場人物である“こいけさん”が日常生活を語りだすので、一見、普通のエッセイかと思って読み進めると、次第にとんでもない話になっていく。いやあ、傑作ですね。
小池 最初は通常のエッセイを依頼されたんですよ。ところが書くと、虚構になっていく。そのほうが面白いんです。自分で“こうしよう”と予定していないものが出てくると面白いですよね。
―― そして2005年には『ルーガ』(講談社)も出版なさってます。
小池 小説を書くと決めて、初めて形になった本です。 当時、文芸誌「群像」の当時の編集長だった石坂秀之さんから「書く書くと言いながら、いつまでもダラダラと書かないじゃないですか、どうするつもりなんですか」と、煎じ詰めれば、そのような内容のことをきつく言われ、今、そんなことを言ってくれる人はいませんので、ありがたいことでした。ともかく、最初の小説は、出だしを書くまでが大変でした。怖かったんです。
―― この『ルーガ』は第26回野間文芸新人賞の候補作になっています。野間文芸新人賞は「講談社の芥川賞」と呼ばれているほどで、村上春樹や佐伯一麦など受賞した作家が大きく成長する賞として有名です。そこに候補として選ばれたというのは、やはり大きかったのではないですか。
小池 うれしかったけれど、満足に書けたとは思いませんでしたね。そのあとに書いた「タタド」で川端康成文学賞をいただきましたが、それでも未だに満足のいく作品は書けていないです。
―― 「タタド」は50代を迎えた男女が海辺のセカンドハウスに集まり、過ごしていく一昼夜を描いた傑作ですが、あれでも上手く書けたと思えませんでしたか。
小池 詩を書いているせいか、小説にも修飾語が多くなったり格好良い言葉を選んでしまうなど、表現そのものに入りこんでしまうところがあって、自分でもすごくクドいなと思うことが多かったんです。言葉の荷物をなるべく捨てて、軽く軽くやってみようと試みたのが「タタド」でした。
―― その「タタド」が表題作となっている『タタド』(新潮文庫)、解説はなんと作家の片岡義男さんです。
『タタド』新潮文庫
(2010年01月)
意外に思えるかも知れませんが、実は仙台でおこなわれている小説家講座に小池さんを講師としてお招きした際に「来月の講師は片岡義男さんなんですよ」と言ったところ、「片岡さんの大ファンなので来月も出ます」と返事が来たんです(笑)。
小池 結局、残念ながら仕事の都合でお邪魔できなかったんですけれどね。それから池上さんに「文庫の解説を片岡さんにお願いしたいんですが」と相談して。
―― 「片岡さんは変な話が好きだから、いかに自分の作品が変であるかアピールする手紙を書いてください」とアドバイスしました(笑)。それからしばらくして、大晦日の夜に突然、片岡さんから電話が来た。「小池さんの小説、面白いね。この人は怪奇小説を書いたほうが良い」と絶賛していました(笑)。
小池 おかげさまで、とてもユニークな解説をいただきました。
■気持ち悪さをのぞきたい/文章の注意点/本当の一行目
―― 片岡さんが「怪奇小説を書いたほうがいい」と言った理由が、僕自身はとてもよくわかりますね。小池さんの小説にある。自然で普通な世界が変わっていく様子が、非常に不気味で素晴らしいんです。その作風がもっとも顕著なのが、小説としては5冊目となる『ことば汁』(中央公論新社)です。童話やおとぎ話を小池さん流の奔放さでリライトした作品が並んでいます。書評でも書きましたが「人の頭を、鼻歌を歌いながら蹴飛ばしてゆく」ような雰囲気がある。非常に気持ち悪い世界を、作者が喜々として書いているのが良くわかりますね(笑)。
小池 おっしゃるとおりです(笑)。気持ち悪いものを見たい、覗きたいという気持ちがあるんです。そういう物語はジャンルを踏みこえて書く事が出来るので、とても楽しいんですよ。
そういえばこの間、雑誌に「箱」という短編を書いたんです。自分ではSFとして書いたつもりは全く無かったんですけれど、SFのアンソロジーに入ることになって「SFとして読んでくれた人がいたんだ」と、とても驚きました。読む方によって色々と広がっていく事が最近は多くて、それがとても嬉しいですね。
―― 良い作品はひとつのジャンルに留まりませんからね。『ことば汁』の前に出版された『裁縫師』(角川書店)も、非常に官能的な話を巧みに書いた短編集ですが、エロティックな世界観を磨きあげているのは、やはり小池さんならではの文章の美しさですね。言葉、文章で気をつけている部分はありますか。
小池 先ほどもお話したとおり、私はどうしても文章がクドくなるんですね。説明して繰り返してしまう体質なんです。だから、なるべく言葉をシンプルに、格好つけないように書いています。そして、無様な自分を出していく、前と同じ事をしないように、常に変わっていこうと気をつけています。
―― 詩の場合は感情を歌いあげる難しさがありますが、小説は具体的な説明描写が必要で、かつ、その中に喚起力のある文章を書かなければならない難しさがありますよね。
『ことば汁』中央公論新社
(2008年09月)
小池 それ以前に、私は一行目を書くのが、怖ろしく厭で、どうやって始めようか考えて考えて、たいてい“本当の一行目”にたどり着くまでに、たくさん時間を使ってしまいます。
―― どうやって“本当の一行目”にたどり着きますか。
小池 教えてください。身体をウォーミングアップ、ならしていくしかないんですが、未だに、それにめぐりあっていない気がします。冒頭はよく直します。
■イメージとストーリー/初の長編小説/新人へのアドバイス
―― 今のお話を聞いていて、小池さんはイメージを先行させて物語を作っていくのかなと感じました。『裁縫師』に収録されている短編に「リボン」という作品がありますね。作中に女の子のリボンを切る場面があって、そこが非常に気持ち悪いんだけれども、読み手はある種の快感をおぼえてしまう(笑)。五感に訴えてくるものがありますよね。
小池 どんな方でも生きていく中で得た事のある感触、この場合は厚い布をジョリッと切るときの感覚ですね、そういった感覚を何とか言葉に移し変えたいと思って、読者の側に立ちながら「まだ足りないまだ足りない」と考えに考えて「これならあの感覚が伝わるかな」と思ったところまで自分を追い詰めていきます。時間はかかりますけれど、そこまでしないと書く意味が無いですからね。
―― そうやって生まれたストーリーに対して、どうやって決着をつけていますか。
『転生回遊女』小学館
(2009年11月)
小池 短編に関しては、ストーリーは考えていませんね。一箇所の場面を思いつくと書き始めます。このあいだ書いた長編では、ある程度は考えましたけれど。
―― いまお話にあがったのが、初の長編小説となる『転生回遊女』(小学館)ですね。どういったお話なんですか。
小池 桂子という奔放な役者の卵が主人公です。花というよりも樹のような女の子で、それぞれの章にも、樹木の名前がついています。樹木が育って絡まりあっていくように、桂子もまた、生命力を謳歌しながら、たくさんの男の人たちと関係を結び、別れ、また出会いを繰り返していきます。彼女を導いていくのは、死んだ母の声と、銀杏の大木。母も役者でした。桂子は現代の遊女なんです。家族も子どもも居ない、何のしがらみももたない彼女は、全国を回遊し、古い衣を脱ぎすて、転生していく………。そんな話です。
―― ご自身としては初の長編を書いてみて、いかがでしたか。
小池 自分としては長編を書いた感覚が無いんです。25回くらいの連載をつなげたという印象があって。それに私の中ではまだ桂子の物語は終わっていないんですよ。だから続編を書きたいなという気持ちがありますね。小学館の方は「とりあえず次に行きましょう」と言っているんですが(笑)。
―― 今後、ご自身でこんなものを書いてみたいと言う思いはありますか。
小池 今は長編を書きたいですね。特に何というのかな、ぐにゃぐにゃした小説を書きたいんです。短編を書いていると、どうしても風呂敷でくるっと包んで「出来ました」と持っていくような感覚になってしまうので、終わらない小説、解決できないと言うんでしょうか、綻びのある小説を書きたいですね。
―― 小池さんをはじめ、詩や小説の世界で活躍している方を見て、自分もそうなりたいと作家を目指している人々も多いのですが、そんな彼らに対して、何かアドバイスはありますか。
小池 そうですねえ、詩も小説も、失敗や破綻にこそ新しい可能性があると思うんですけれど、破れかぶれを意識して実行するのは、とても難しいことですね。社会がそうなっているのかな、同調や協調に行きやすく、人と違うものを押し出していくのが難しい時代なのかなと思いますけれどね。
―― 確かに、パソコンが普及しているために誰でも書けるようになった反面、味の無い、ひっかかりを持たない文章が増えましたね。
いま、ふと思い出したのが、さくらんぼテレビが主催している「さくらんぼ文学新人賞」の第2回大賞を『熊猫の囁き』で受賞いたケイ彦(けいえん、ケイは刑のりっとうがおおざと)さんです。
彼女の文章は、新潮社の編集者をはじめ、皆が絶賛した。けれども、別に文章が新しいわけでも上手なわけでもない。なのに何故こんなに良いんだろうと皆がモヤモヤしていた。そんな時、受賞パーティーで小池さんが「ケイ彦さんの日本語には埃がついていない」と言ったのを聞いて、上手い表現だと思いました。
小池 インドなんかもそうなんですけれど、中国の方の感性って、すこし昔の日本を思い起こさせるところがある。決して感性自体は新しくない。
けれども普遍的で広がりがある。そして日本語が母国語でない分、外側から日本語に触っている、素朴な手の感触があります。野性的なものが残っているというか、それが、とてもいいんですよね。
―― 小池さん自身は、今後も小説と詩を両立させて活動なさるつもりですか。
小池 今は何となく詩から見放されている感じがしますね(笑)。今はとにかく、小説のほうで、もがいて苦労しています。ここで得た苦労は、私にとっては宝物のようなものですから、もうひとふんばり、重い荷車を転がすように書いていきたいと思っています。
―― ぜひ、詩も小説も、新しいことにチャレンジしつつ精力的に書いていただきたいと思います。今日はありがとうございました。
(2010年3月28日 遊学館にて)
小池さんのプロフィールと講座の模様は
こちらを参照してください。