第7回は、作家の柴田哲孝さん(聞き手は文芸評論家の池上冬樹さん)。
幼少から大学までの読書体験、ノンフィクションライター時代や各小説のエピソード、
新人賞を目指す方々へのアドバイスなどを話していただきました。
■豊かな読書体験/夢は小説家
―― まずは、幼少の頃の読書体験からお伺いしたいのですが。
柴田 小さい頃から読書は好きでした。父親が本好きだったので、家に蔵書が山のようにあったんです。当時、家にあったのは岩波文庫が多かったですね。『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』、ニーチェなど。子どもにとっては難しかった。読みやすいものでヘッセの『車輪の下』あたりです。
―― その頃、一番面白かった本は何ですか。
柴田 デュマの『モンテクリスト伯』ですね。あれは面白かった。本当に深い。でも『罪と罰』なども楽しんで読みましたよ、長かったですけれど(笑)。ほかに面白かったのはメルヴィルの『白鯨』とか。
―― 『白鯨』は柴田さんの『TENGU 』(祥伝社文庫)の文中に、スタインベックの『怒りの葡萄』と並んで出てきますね。
柴田哲孝氏
柴田 『怒りの葡萄』も好きな作品です。とくに最後、飢えて死にそうになった労働者に、死産した女性が母乳を与える場面がとても印象に残っています。人が死ななくても、残酷な描写がなくても、あの場面は精神的にきつくて見ていられない。そういうものを描けるのは、作家の力量だなあと思いますね。
池上冬樹氏
―― 作家になりたいという夢はその頃からあったんですか。
柴田 この間、小学校5年生の「将来の夢」という作文を見つけたんです。そこには「小説家になりたい」と書いていました。その頃すでに小説家を目指して、奇妙な小説を書いていましたね。ある夫婦が南米を旅行している最中に、奥さんが行方不明になる。どれだけ探しても見つからない。しょうがなく日本に帰る直前、主人公は街の土産物屋で「これを買ってください」と手渡される。よく見るとそれは、行方不明になった奥さんの干し首だった……そんな筋書きです。どうしてそんな話を書いたかというと、当事、上野の博物館で「ニューギニアの干し首展」というのをやっていたんです(笑)。それを見に行って、感動して書いた作品ですね。そうやって自分でも小説を書きつつ、中学生になって本屋に自分で行くようになると、もっと読みやすくて面白い本が世の中にはたくさんある事に気づきました。レイモンド・チャンドラーとかね。
―― 中学生でチャンドラーを面白く感じましたか! 僕は中学生の時に読んでもちっとも面白くなかったけれど(笑)。
柴田 それまで読んでいたのが『罪と罰』だったので読みやすかったんです(笑)。ほかにはジェイムズ・ハドリー・チェイスなんかも読んでいましたよ。テンポが良くてストーリーも面白かった。なかでも、いちばん影響を受けたのは、日本の作家になるけど、開高健ですね。『オーパ!』だったか『フィッシュ・オン』だったか、とにかく魚関係の本を読んでハマってしまい、開高さんの著作はすべて読みました。その読書体験がもとで釣りも始めたんです。
■ノンフィクションライター時代/『KAPPA』連載秘話
―― その後、高校、大学時代も小説家を目指していたんですか。
柴田 高校から大学にかけては、まったく書いていなかったですね。その頃、僕はカメラにハマってしまって、戦場カメラマンをめざして日大芸術学部の写真学科に通っていたんです。ところがちょうどベトナム戦争が終わって、卒業する頃には戦場カメラマンがフリーでやっていける時代ではなくなってしまった。どうしようかと思っているところに、モータージャーナリストとしての仕事の依頼が来たんです。
―― そこで書いたのがノンフィクションライターとしてのデビュー作『私のサンタよオーストラリア大砂漠4WDの旅』(交通タイム社、1984年10月)ですね。
柴田 たまたまオーストラリアに行ったときの旅行記を出版社に持ち込んだら、あれよあれよという間に出版が決まったんです。その後、1986年、88年にはパリ・ダカールラリーにも出場しました。当時、僕はレーサーになりたかったんです。文章以外で才能があるものをあげろと言われたら、迷わずにドライビングのテクニックと答えます。どんなポンコツ車でも早く走らせる自信がありました。今はもう動体視力が落ちたのでダメですけれど。
―― その後に『小説 KAPPA 』(CBS ソニー出版、1991年3月。『KAPPA』と改題して07年4月に徳間書店から復刊。現在徳間文庫)を発表します。モータージャーナリストとして活躍している忙しい中で、どうして小説を書こうと思ったんですか。
柴田 当事、ライターとして仕事をしていたアウトドア雑誌の編集長が、ある作家の方と喧嘩しちゃったんです。怒った作家さんが「お前のところにはもう書かない」と言って、締め切り当日に連載がストップしてしまった。困った担当編集者が「何でもいいから校了までに原稿を書いてもらえないか」と僕に泣きついてきた。「これはチャンスだな」と思って(笑)小説を書いたんです。一計を案じて校了日ギリギリに持っていったら、担当編集者が原稿を見るなり「柴田さん、“連載第1回”ってどういうことですか」と聞いてきた(笑)。でも載せないとページに穴が開いてしまいますからね。作戦勝ちです(笑)。
―― それで連載が始まったと(笑)。
『KAPPA』(徳間文庫)
柴田 編集者が「何回くらいで完結するんですか」と不安そうに聞いてきたので「うーん、5回かな」と答えたけれど、結局12回くらい連載しました(笑)。400枚ほどの文量になったので、なかなか面白いから出版しようという話をいただいて本になりました。「ニューギニアの干し首」に続く、人生で二作目の小説ですね(笑)。
あらためて読みかえすと稚拙な部分などもあるけれど、全体的な完成度は高いなあと我ながら思います。ライター時代に常々心がけていた「難しい言葉を使わず、誰にでもわかる文章」が、読みやすく、独りよがりにならない小説をすんなり書かせてくれたのかな、と思いますね。
―― ハードボイルドの大家、大藪春彦からも賛辞を貰ったとお聞きしましたが。
柴田 大藪さんからは「きちんとハードボイルドになっているのに、一人も悪人が出てこないのは凄い」と評価を頂戴し、以来、懇意にさせていただいきました。大藪さんをはじめとする何人の作家が集まって作ったアンソロジー『小説アイヌ犬』(スタジオ類、1993年12月)にも、大藪さんからの依頼で短編を掲載しました。それを改稿したのが『白い猫』(徳間書店)の中にある「魔霧」という作品です。
■『下山事件 最後の証言』/『TENGU』出版のエピソード
―― その後も競馬やアウトドアなどにまつわる、数多くのノンフィクションを手がけ、『下山事件 最後の証言』(祥伝社、05年7月。→『完全版 下山事件 最後の証言』祥伝社文庫)で、第59回日本推理作家協会賞・評論その他の部門と第24回日本冒険小説協会大賞をダブル受賞しますね。
柴田 1949年7月5日、国鉄初代総裁の下山定則が三越に立ち寄ったまま行方不明になり、翌日未明に常磐線の線路上でバラバラ死体で発見されたのが、いわゆる「下山事件」です。警察の最終見解は自殺だったのにもかかわらず、後の自民党の国会答弁では他殺とされました。謎を多く残して迷宮入りした、戦後を代表する事件のひとつですが、現在では物的証拠などもあり下山総裁は他殺だというのが一般的な見解になっています。ならば犯人は誰なのか、いったい何があったのか。それを探ったのが本作です。
―― 柴田さんと下山事件には因縁があったそうですね。
柴田 実は僕の祖父が下山事件の関係者だったんです。それがきっかけで、14年間あたためていたテーマでした。資料もすべて読みこみ、存命の100人以上の関係者にも話を聞きました。結果、皆さんに高い評価をいただきましたが、やはりノンフィクションは最終的にイマジネーションで書くことが出来ないもどかしさがある。そこでミッシングリンクの部分を想像して小説にしたのが、1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災を題材にした、来年刊行予定の『GEQ』(角川書店近刊)という作品です。
『TENGU』
(祥伝社、06年7月)※単行本
『TENGU』(祥伝社文庫)
―― やはり柴田さんは小説を書きたいというお気持ちが強いんですね。『KAPPA 』に続くシリーズの『TENGU』にも、出版に至るまでの秘話があるそうですね。
柴田 ええ、実は『TENGU』は、ある文学新人賞に応募して落ちているんですよ。一次審査も通らなかったので「ああ、この小説はつまらないのかな」と思っていて。それで『下山事件』を受賞したあとに、祥伝社の編集長に「実は小説も書いているんだけれど」と持ちかけて(笑)、『TENGU』の原稿を渡したんです。
ところが、僕をノンフィクション畑の人間だと思っているから、なかなか読んでくれない。唯一、僕に「こういう文章が書けるのだから、柴田さんは小説を書いてください」と言ってくれたのは、今回小説家講座に同行してくれた徳間書店の国田昌子さんだったんです。
原稿を渡してから半年経っても返事がこない。そうこうしているうちに、ほかの出版社が「うちで小説を出しませんか」と言ってくださったんです。そこで祥伝社の編集長に「別なところで来週の編集会議にかけるそうだから、それで通ったら、そちらから出しますよ」と伝えた。向こうも「はいはい、じゃあ週末に時間があったら読んでおきますから」なんて適当な返事で(笑)。そうしたら日曜の朝七時に、彼から「他の出版社の話、止めてくれ!」と、慌てて電話がきたんです。前日の夜から徹夜で一気に読んでしまったらしい。こっちも寝ぼけながら返事をしました(笑)。そうして出版されたのが『TENGU』なんです。
おかげさまで『TENGU』は、北重人さんの『蒼火』とダブル受賞という形で、第9回の大藪春彦賞をいただきました。現在までおよそ15万部ほど売れていますから、「落選したけれど、新人賞を受賞した作品より売れているぞ!」と自負してます(笑)。
―― 『TENGU』は、群馬県の寒村からはじまって、東京から沖縄へと舞台が移り、ベトナムからニューヨークの9.11テロまで広がっていくという非常にスケール感のある、先の読めない物語ですね。『KAPPA』もそうですが、こういったストーリーは、どんな着想から生まれるんですか。
柴田 具体的な例を出すとネタバレになってしまうので秘密にしておきますが(笑)、普段見ているニュースなどが頭の中で交差して、漠然としたストーリーが出来るんです。起承転結、キーポイントになる部分が4つ浮かびます。キャラクターよりも先にプロットが出来ますね。キャラクター描写も、どういう人間なのかを書かず、どんなタバコを吸っているのか、どんな銘柄のウィスキーを好むのかなど、周りから作り上げていきます。
―― キャラクターも個性的ですね。特に『KAPPA』はもちろん、『TENGU』『RYU』(徳間文庫、09年4月)そして『ダンサー』(文藝春秋、07年7月)のシリーズに登場するルポライター、有賀雄二郎が印象的です。
柴田 有賀雄二郎のモデルは僕自身です。『KAPPA』は初めての長編でしたから、等身大で自分の行動パターンに当てはめたほうが、キャラクターが動いて描きやすいだろうと考えたんです。何作か書き続けるうちに、いろいろな人間のレパートリーが書けるようになりました。
■手書きの重要性/小説家を目指す人へ
―― 柴田さんは最初から全ての構成を考えて書くんですか。
柴田 いやいや、最初と最後だけをきっちり決めて、あとは書き進めながら考えます。やはり全部の構成を練ってから書き始めるというのは難しいですね。
小説家を目指す皆さんへのアドバイスとして申し上げるなら、冒頭の書きはじめで読者をつかむ一行を心がけること、そして最後をしめる一行を考えること。この二つです。マラソンだってスタートとゴールが無いまま走り出す事が出来ないように、小説も、スタートとゴールを決めて走る。それがいい小説を書くひとつのヒントだと思います。
―― 執筆のときに心がけていること、決まりなどはありますか。
柴田 必ず手書きで書く、という事でしょうかね。ライターをしていた時代はワープロのはしりでしたから、かなり早い時期から使用していたんですが、ある時、ワープロ(パソコン)で書くと文章が単調になってしまう事に気がついたんです。書きやすいし早いけれど、文章にヤマを作れない。それで、試しに連載していたエッセイを手書きで書いてみたところ、ひじょうに密度の濃い文章になった。それがきっかけで「物書きとしてやっていくなら、ワープロで書くべきではない」と決めて、すぐにワープロを捨てました。以来、手書きのみで書いています。
―― 僕の世代も手書きが主流でしたから、その感覚は良くわかります。僕も本を読んだあとは、かならず手書きで感想のメモをとる。パソコンでメモをとるのと手書きでメモをとるのとでは、出てくる文章が微妙に違う。はっきりいって手書きのほうが脳と直結していて、すんなり言葉がでてくる。ただ、原稿執筆となると、僕はもう手書きにはもどれないですね(笑)。柴田さんもメールで原稿を送ることもあると聞きましたが?
柴田 コラムの締め切り間際に、担当さんから催促が来たときには、メールで送ったこともあります。飲んでいた居酒屋から携帯電話をピコピコと打ってメールで送信したことが何回かあります(笑)。
―― それにしても手書き派が減りました。新人賞の応募原稿など95から98パーセントはパソコン原稿ですね。ただ、作家では意外とまだ多い。
柴田 この間、大沢在昌さんたちと飲んでいたときに、その話になったんです。「今、エンターテインメントの世界で生き残っている作家連中には50代前後、いわゆる手書き世代が多いよな」という話をしていたんです。はじめからワープロで書いている若い世代は、単調な文章を書くのに慣れてしまっているんじゃないかと。
ですから、小説家を志す方々には、一度パソコンを閉じて手書きで書いてみることをお勧めしますね。禁煙と同じで我慢して(笑)、頑張って2、3本書いてみると変わりますよ。書きあげてからワープロで打ち直せばいいんです。
―― エッセイで知ったのですが、高橋源一郎さんが同様の方法で執筆してますね。まずは手書きで書いて、ワープロで清書するそうです。
柴田 作家というのは原稿用紙に自分の血をインクにして書くものだ、という格言もありますからね。いや、僕は鉛筆で書いているんですけれど(笑)。
―― 他に自分に課していることはありますか。先ほど「難しい言葉は使わない」といってましたが。
柴田 全く使用しないわけではないです。ただ、使う言葉の必然は考える。どうしても使いたい言葉がある場合には、その他の文章はなるべく簡単にする。平坦な場所に木が一本あるから際立つわけで、森の中にどれほどの名木を植えても埋没してしまう。それと同じです。体言止めや疑問符などに関しても、安易に使わず、この物語で使う必然はあるのかどうかはきちんと区別してます。
会場にて 右=徳間書店の国田昌子氏
―― 手書きで執筆することも含め、柴田さんは、肉体的な感受性、ご自身の感覚をとても大事にしてらっしゃる印象がありますね。あらためて、小説家を目指している人間にアドバイスはありますか。
柴田 重ね重ねになってしまいますが、人に読んでもらうということを常に心においてほしいですね。そして、とにかく書いてください。自分自身で締め切りを設定して書き続ける。仮に、月に1本書けば1年に12本。万が一新人賞を受賞して、出版社から原稿を依頼されても、ストックが12本はあるじゃないですか(笑)。
あとは、今まで誰も書いたことのないものにチャレンジしてほしいと思います。『KAPPA』にしても『TENGU』にしても、誰も書いた事のないものを目指して書きましたから。
―― ひじょうに的確なアドバイスであるとともに、作家・ 柴田哲孝のポリシーも垣間見える言葉でした。今日はどうもありがとうございました。
(09年10月 遊学館にて)
柴田先生のプロフィールと講座の模様は
こちらを参照してください。