その人の素顔
高橋義夫(作家)×池上冬樹(文芸評論家)
「時代小説は一種のファンタジー。だからモラルが描ける」
2009年8月4日

第4回目は、作家の高橋義夫さん(聞き手は文芸評論家の池上冬樹さん)。
少年時代、学生時代のの思い出や、山形を舞台にした作品のエピソード、
時代小説への思いなどを話していただきました。


■幼少時代/小学生でノロ高地を読む

―― 今回は直木賞作家の高橋義夫先生に、作家になるまでの過程や生き方、苦しみなどをお聞きします。高橋先生はご出身は千葉県ですよね。どのようなご家庭に育ったんですか。

高橋 父親は最高裁判所の書記官で、母親は印刷会社の娘でした。芸者さんが230人くらいいる蓮池という町の近くに店がありました。どちらかといえば、固い両親でしたね。

―― 少年時代はたくさん本を読まれたんですか。

高橋 本は子供の頃から好きでしたね。でも、僕は昭和20年の生まれですから、本がそんなに多くあったかというとそうではない。千葉大空襲で物がほとんど焼けてしまっていますからね。闇市みたいなところから古本を買ってきたものが少しあったぐらいじゃなかったかな。

―― どのような本がお好きだったんでしょう。

高橋義夫氏


高橋 江戸川乱歩の少年探偵団や怪人20面相シリーズなどは覚えていますね。でも、子供の本といわれているものはすぐに卒業して、小学校の四年生くらいからは大人の本ばかりを読んでいましたね。担任の教師にばけものを見るような反応をされたのが、ノモンハン事件のことを書いた『ノロ高地』という本のとき。草葉栄という戦車隊長が書いた手記なんだけど、ぼろぼろだったから、きっと父親が古本屋で買ってきたものだと思う。それを読んで夏休みの感想文を書いたんですよ。そうしたら先生が「どうしてこんな本の感想文を書いたんだ」って怒ってね(笑)。昭和30年ごろは、戦争ものは悪でしたからね

―― そのころは作家になろうとは思っていなかったんですか

高橋 普通、思わないでしょう(笑)。小説を書いて生きていけるなんて誰も思わないし、僕も思ったことはなかったですね。


■大学・ライター時代

―― 大学では仏文科ですよね。選んだ理由はなんですか。

池上冬樹氏
高橋 なんだかかっこいいような気がしたから(笑)。その頃、一番人気がフランス文学だったんですよ。戦後すぐはロシア文学、そして僕らの頃はフランス文学でした。でも、フランス文学に限らず、いろいろなものを読んでいましたね。

―― ご両親は文学の道に進むことに反対はしませんでしたか。例えば経済学とか経営学に行けとか。

高橋 うちの親はそういうことは一切言いませんでしたね。親からこうしろああしろと言われたことはないですね。

―― 戦後の転換期で価値観が変わっているから、子供にかまっている暇がないってことでしょうか。

高橋 いえいえ。貧しいサラリーマンの家にしては私立の大学まで行かせてくれましたからね。子供のことは一生懸命してくれたと思いますよ。ただ「何になれ」というようなことは言われたことがないですね。

―― いつごろから作家になろうと思ったんですか。

高橋 いま思うと不思議なんだけれど、18・9歳の頃から僕は「自分は物書きになっている」と思っていたんですよ。雑誌のコラム欄とかにちょこちょこ書いたものが、お金になっていましたからね。「新宿プレイマップ」とかそんなミニコミがあって、そんな雑誌に書いて小遣いをもらっていたんですよ。物を書いてお金をもらうことに慣れてしまっていたんですね。

―― それはライターの仕事であって、小説家の仕事ではないですよね。

高橋 本当はそんなことはやらないほうがいいですよね。ライター稼業をすると小説を書く気力がなくなってくる(笑)。


■編集者時代/作家デビュー『幻の明治維新 やさしき志士の群』

―― 就職して編集者になります。「現代評論社」ですか。

高橋 「現代の眼」という雑誌を出している会社ですが、その雑誌は1970年ごろは「明日にでも東京がゲリラ戦争で火の海になる!」というような特集を組むと売れるようなものでしたね。

―― その頃も、まだ作家になろうという気持ちはなかったんですか。

高橋 もはや、もっと遠くなっていましたね。編集者のときは原稿を書くより、いただくほうが大切でした。僕は直接原稿をいただきに行ったことはないけれど、当時、その雑誌に執筆していたスターは寺山修司と高橋和巳でしたね。一種のサブカルで、決して文壇的なおふたりではなかったですけれどもね。

―― では、どうして作家になったんですか。

高橋 人に言えないはずかしい本とかがあるんですよ(笑)。友達から「この新書一冊書いてよ」なんて頼まれてやっつけで書いたものとかね。そういうことをアルバイトとしてやっていたので、当時からすでに原稿を書いてお金は稼いでいたんですよね。だから、新人賞に応募しようなんて考えなかった。つまり、変な言い方だけど、私はまっさらな身体じゃないから堅気の人の嫁にはなれない(笑)、みたいな考えは持っていましたね。

―― 人に言えないはずかしい本(笑)とは、どんなものだったんですか?

高橋 いろいろあったけど、そのなかに歴史物もありましたね。友達がいろいろアドバイスをしてくれて、歴史学者の奈良本辰也さんに紹介してくれたんですよ。奈良本さんに読んでいただくというので書いた原稿が、最初の本『幻の明治維新 やさしき志士の群』(創世記、1977年)です。

―― これが小説家デビューになるわけですね。

高橋 小説というよりはノンフィクションかな。歴史物語ですね。それを出したときに、文芸評論家の中田耕治さんから「バカモノ!」って怒られましてね。「うかうかと人に勧められて、小さな本屋さんから本を出すものじゃない。君はもっと自分を大事にしなさい」と(笑)。中田さん曰く「小説を出すんだったら文藝春秋か新潮社か講談社、このみっつからしか出しちゃいけない」とおっしゃったんですよ。


■直木賞受賞/山形を舞台にした作品

―― そこから『闇の葬列』(講談社、87年)で直木賞候補になるまで10年くらいの時間があるわけですね。

高橋 僕は草思社からノンフィクションを出したんです(『田舎暮らしの探求』、1984年刊行)。長野県の木島平村というところに住んで、そこで見たものや暮らしをエッセイ集のような感じで書いたんですね。自分としてはいい加減に書いたつもりだったんですが、それを講談社と新潮社の編集者が見て「会いたい」といってくださったんですね。そして、講談社の編集者と会ったらその編集者が「あなた小説書きませんか。3冊までうちで責任もって出しますから」と言うんです。そして、そこから本を出したんですが、これが運よく直木賞の候補になった。

―― 『闇の葬列』のあとにも『秘宝月山丸』(新潮社、89年)、『北緯50度に消ゆ』(新潮社、90年)、『風吹峠(かざほことうげ)』(文藝春秋、91年)と続けて直木賞にノミネートされていますが、『秘宝月山丸』は現代の山形(おもに西川町)を舞台にした宝探しで、『北緯50度に消ゆ』はミステリで、『風吹峠』は昭和20年前後の西川町の女医さんの話です。まだまだ時代小説という感じではないんですね。

月山秘宝丸

高橋 そうですね。むしろ、一番最初の『闇の葬列』は明治のはじめの頃ですが、それも、いわゆる時代小説というものを書いたつもりもなかったですね。

狼奉行
 自分で「時代小説を書こう」と思って書いたものは『狼奉行』(「オール讀物」91年12月号所収。翌年文藝春秋刊。現在は文春文庫に収録)。これが(5回目の直木賞候補になり)直木賞を受賞したんですが、そのとき受賞の挨拶で「このジャンルでいただいたので、このジャンルを大切にしていきたいと思う」と余計なことを言ってしまったんです(笑)。そうしたら、時代ものの注文ばかり(笑)。

―― では、普通の小説を書く気持ちはあったわけですね?

高橋 僕は仏文科ですから(笑)。でも、あちこちのジャンルを書けるほど多才じゃない。直木賞をもらった前後にミステリなどを書いていれば、ミステリの作品も出来たと思うけれども、そのときにはもう時代小説で手いっぱいでしたね。




■山形を選んだわけ/調べる楽しさ

―― 山形を舞台にした小説を書いた頃は、もう山形に住んでいたんですよね。なぜ山形を選んだんですか?

高橋 さきほどお話した長野県の山村の家が、道路工事で立ち退きになったんですね。その頃、たまたま仙台で村おこしの大会みたいなものがあって顔を出したら、本を読んでくれた人がいてその人が「山形に来ないか? 家ならいくらでも探すから」と言うんです。それで、お願いして山形に来たんです。それが西川町でした。

風魔山獄党
―― 山形は昔、「散文不毛の地」と言われていた時代があったんですよね。高橋さんが山形に来てからこのような講座も出来たし、作家も生まれた。いまとなってはそう呼ばれていた時代がなつかしいですよね。高橋さんは小説家講座と同じように、持ち出しで山形盛り場研究会を作って、山形を盛り上げようとしていらっしゃいましたよね。山形にかなり貢献されています。

高橋 あの頃は僕も少しは元気だったし、個人的バブルの時代でしたよね(笑)。

―― 高橋さんの場合、現代小説のみならず時代小説も、山形を舞台にした作品が多数ある。単発ですが、『風魔山嶽党』(文藝春秋、97年。→文春文庫)も山形の竜山ほかが舞台ですね。



高橋 これは最初、忍びのもののパロディを書こうと思ったものです。出来るだけいろんな忍術も考えようとしたんですが、連載が週刊文春でしょう。だんだん余裕がなくなって、そういう遊びがなくなってしまった(笑)。でも、骨格はパロディです。

―― 時代小説のシリーズもいくつかありますが、舞台はほとんど山形ですね。「花輪大八湯守り」シリーズ(中公文庫『湯けむり浄土 花輪大八湯守り日記』ほか)は肘折り温泉が舞台ですし、「御隠居忍法シリーズ」(中公文庫『御隠居忍法帖』ほか)が新庄のあたりでしょうか。それから「鬼悠市シリーズ」(文春文庫『眠る鬼―鬼悠市風信帖』ほか)は庄内ですね。これは最初からシリーズにしようと思って書かれたんですか?

高橋 いえいえ、どれも最初は一冊です。あとから「ちょっと長く書いてみないか?」という話になってシリーズになったんです。長く書くことを望んでくれる編集者と話が一致しないと、シリーズものはなかなか書けないですよね。

―― 『御隠居忍法帖』の御隠居は、高橋さんとだぶりますよね(笑)。

湯けむり浄土


狼奉行
高橋 よく言われますね。でも、登場人物と作者を重ねて読まれると、ご隠居さんがいきなりインポになっちゃうと、書いた人もそうだと思われちゃう(笑)。そういう誤解が生まれる(笑)。

―― 時代小説を書くにあたってかなり勉強はされたんじゃないですか。
高橋 勉強と言うより、子供の頃から時代小説を読むのは好きでしたね。

―― 直木賞作家の逢坂剛さんが言っていた話ですが、時代小説を書くにあたって勉強してから書こうと思ったんだけれど、藤沢周平さんから「時代小説は勉強しながら書いてもいいんだよ」と言われてすごく楽になった、と。



高橋 調べること自体が一種の娯楽的要素があるから、楽しいときもありますよね。調べながら書くということは当然ありだと思います。勉強会というものは、昔、山手樹一郎さんの全盛時代は山手さんがいろいろ新人を集めて勉強会をしていたけれど、藤沢周平さんの時代からはないでしょうね。みんなそれぞれ別々に書いていますよね。

―― 時代小説を書くうえで「これは読んでおいたほうがいい」という資料本はありますか。

高橋 たくさんありすぎて困りますね。山東京伝(江戸時代の戯作者)などを読むと面白いかなと思うけれど、手っ取り早いのは洒落本とかを読むことでしょうかね。あと『江戸語の辞典』というのが講談社の学術文庫で出ているんだけれど、それに出典、用例が出ているのでそれもいいと思います。
 あと、明治の20年代くらいに出た落語の筆記があるんですが、それの復刻版が出ています。それも役に立つと思いますね。ちなみに僕が小説を書くときに一番利用している本は、青森の安藤昌益という人が書いた医術の本ですね。その時代の病気に対する認識や治療法が書かれていて役に立ちますね。

眠る鬼


■時代小説ブーム/新人に必要なもの

―― いま、時代小説のブームですが、どう思われていますか。

高橋 戦後の時代小説ブームは、映画とリンクしているんですよね。だから、小説そのものも映画の影響を受けるようになった。今の小説は、マンガとリンクしているように思いますね。僕は「小説とはこうあるべきだ」という感じはあまりなく、なにをどう書いてもいいと思っているので、少女マンガのような時代小説もありだと思っています。

―― 時代小説を書くうえでの失敗談などはありますか。苦労されたこととか。

高橋 失敗は人に指摘されるまでは言わないことにしてます(笑)。苦労といっても、小説を書いて生きてきた人は、基本的に小説が好きなんだと思うんですよね。だから、書くことを苦労だと感じたことはないです。怖い女の人にいじめられるより、原稿用紙に向かっているほうがよっぽど気持ちが安らぐ(笑)。書いていることが自分の精神安定剤になっている部分はありますね。

―― 作家としてデビューするために必要なことはなんだと思われますか。

高橋 人から「なにこれ!?」と思われるようなものでしょう。特に新人は。文章が書きなれていて上手いとか、構成が上手いと評価される新人は、だいたい新人賞で終わってしまう。「いやだな、こんなやつ」と思われる人が伸してくる。

―― いままでそのような新人はいましたか。

高橋 一番「なにこれ!?」と思ったのは村上春樹ですね。僕より10歳くらい下の人たちは「面白い」って言ってましたけど、僕が彼の小説をはじめて読んだときは「どうしてこれが小説なんだよ」って思いましたね。年下の人たちは精神の波長が合ったんでしょう。でも、僕たちは合わなかった。その頃は「カマトトぶりやがって」みたいに思ったんだよね。彼の作品には上の世代を傷つけるメッセージがどこかにあるんですよ。そういうものじゃないと、新人は残っていけませんよね。

―― いま、新人賞がたくさんありますが、みんな滑らかな文章で展開も上手く完成度が高い。だけどなかなか続きませんよね。以前、新潮社の編集者の佐藤誠一郎さんがいらしたときに、キャラクターと文体とテーマと文章などの要素があるが、それは時代によって変わってくると言っていました。昔となにか変わってきていると思いますか。

高橋 僕の場合、仕事が時代小説に特化してしまったものだから、読者の年代層も大体決まっている。だから、その変化はよくわかりませんね。でも、昔に比べて字を読まなくなったな、とは思いますね。


■時代小説でなければならないもの/今後の予定

―― いま、一日はどのように過ごしていらっしゃいますか。朝からきちっと原稿に向かわれているんですか。

高橋 だんだん怠けもの化してきてますよね(笑) いま考えると一番忙しかった頃は「よく生きてたな」と思いますね。新聞と週刊誌2本と、月刊誌4本くらいの連載がいっときにあって、その間に書き下ろしの文庫もしたんですよ。それが3年くらい続いてガクっときましたね。あんなことはやるもんじゃないですね。

―― 時代小説でなければならないものはなんだと思われますか?

高橋 僕は時代小説というのは、一種のファンタジーだと思っているんです。例えば友情とか恋愛、仁義など、基本的なモラルにかかわることを現代で書くのは難しいでしょう。藤沢さんの小説がいい例だけれども、あれを現代小説にしたらはずかしくて読めないよね。庄内の架空の藩の物語だから読める。作品に出てくる侍たちが持っているモラルや価値観は山本周五郎の世界なんか大嫌いだものね。もし、いまの人があんなこと考えていたら恐ろしい世界だなと(笑)。でも、ファンタジーだから、人の心をうったり和ませたりすると思うんですよね。

「時代小説は一種のファンタジー」と語る高橋氏



―― 僕は藤沢作品では「隠し剣シリーズ」(『隠し剣孤影抄』『隠し剣秋風抄』)が好きなのですが、高橋さんもお好きという話を何が読みました。剣豪の葛藤があり、アクションがあり、サスペンスもある。高橋作品にも剣豪、アクション、サスペンスがあります。やはりそのようなものが書きたいんでしょうか。

高橋 書きたいというよりお約束ですからね。侍を出して刀を抜かせないわけにいかないでしょう(笑)。

―― 小説を書くうえで、心がけていることはありますか。

高橋 文章に関してはないですね。体言止めをするな、とかいろいろあるけれど、自分のリズムでしか書けませんしね。最近は「結局、自分の寸法ぐらいのものしか書けないんだな」って思うようになりましたね。いろんなことをやりたくて相当冒険したつもりでも、あとから読んでみると「同じこと書いてるな」って思いますよ(笑)。

―― 先ほど講義で、人物になりきって書くべきだ、とおっしゃっていましたが、若いときは主人公の視点だけで書いてしまいますよね。

高橋 でもそれは、小説を書く以前の、自分の暮らし方の問題だと思いますね。人を見て「この人はどんなところに住んでいるのか」とか「恋人はいるのか」とか想像することってあるでしょう。そういう日ごろの想像が大切だと思いますね。

―― 今後の執筆の予定は?

高橋 恩返しじゃないけれど、山形の隠れた物書きのことを紹介するような本を書いてみようかなと思っています。江戸時代の庄内に、下級武士で温泉が大好きな人間がいたんですよ。そういう人とか、庄内方言で書かれた滑稽本もあるんですよね。そのようなものをまとめて「みちのく温泉記」のようなものにしたいなと思いますね。調べることが妙に好きになっちゃってね(笑)。

―― 今日は貴重なお話をありがとうございました。


(09年6月 遊学館にて)

高橋義夫さんが講師を勤められた「小説家(ライター)になろう講座」の模様と、高橋さんの略歴はこちらを参照してください。

このページの先頭へ