その人の素顔
角田光代(作家)×池上冬樹(文芸評論家)対談 「怒りからうまれるアイディア」
2009年4月2日

第2回目は、作家の角田光代さん(聞き手は文芸評論家の池上冬樹さん)。
デビューするまでの葛藤、影響をうけた作家、同時代の作家たちへの思い、
創作における具体的な方法などを話していただきました。


■押しがひとつ足りない/ジュニア小説から純文学デビューに至る苦悩

角田光代氏
―― 角田さんは1990年、いまはなき純文学の文芸誌「海燕」(福武書店)の新人賞でデビューされています。この「海燕新人文学賞」は、干刈あがた、佐伯一麦、吉本ばなな(現在・よしもとばなな)、小川洋子などを生み出したすごい新人賞ですが、デビューする前に、苦悩や葛藤などありましたか?

角田 デビュー前に私は、(早稲田大学の)文芸学科という創作科で、ゼミで小説を習っていたんです。そこでとにかく小説を書いて先生に見てもらっていたんですが、20歳くらいで一度自分が望まないジャンル、ジュニア小説の分野でデビューしたんですね。
 いまふりかえってみても、自分がやりたいと思っていないジャンルで働かなければいけないのは、ひとつの苦悩でした。そこから抜け出すために3年間、文学賞に応募し続けるのですが、最終までいっても落ちてしまうんですね。最終までいって落ちるということは、押しがひとつないんだと思って、その押しはなんなのかとすごく考えていましたね。


―― その押しはなんだったんですか?

角田 うーん、わかりませんね。でも、自分が文学賞の選考委員をするようになって思ったんですが、選ぶ基準って本当に簡単なんですよね。誰も書いてないものを書けばいいだけなんです。それがとても難しいんですが、そう考えると私が新人賞を受賞できたのは、誰も書いていなかったものが書けていたのかな、と思います。

―― 男二人と女ひとりの若者の共同生活を描いた受賞作「幸福な遊戯」は、たしかに、女性のダメさと男女間の微妙な空気を見事に掬い取っていたとおもいますね。


■純文学とエンターテインメントの書き方の相違/“嫌なものを書く”個性

―― 角田さんの場合、デビューは純文学なのですが、いまはエンターテインメントも書いていますよね。エンターテインメントと純文の書き方や発想の違いはなんでしょう。

角田 出発点はどちらも同じなんですが、私は文芸誌と呼ばれているほうで仕事をしてきたんですが、あるときエンターテインメントの小説の依頼が来て、そのときに「どういうものを書けばいいのか」と訊ねたんですね。そうしたら「先を読みたくなるような小説を書いてほしい」と言われて驚いたことがあるんです。私がいままでやっていた文芸誌での仕事は、ページをめくらせたくないものだったんですね。一文一文をじっくり読んで、その一文で作品世界に入っていけるようなものを書きたかったんです。
 でも、こちらの雑誌では違うものを求められている。一文で立ち止まらせてはいけないんだ、と思ったときに、一文というものにあまり凝りすぎないもの、というように発想は変えてきました。

―― 影響を受けた作家や小説はありますか?

角田 デビューしたあとですけど、28歳のときに開高健の『輝ける闇』を読んで打ちのめされました。

―― 唯一無二の文豪ですね、開高健は。僕もほとんど全部読んでいます。『輝ける闇』は、ヴェトナム戦争に従軍した作家の体験を濃密な文章で描ききっていて圧倒されます。

角田 未だに打ちのめされっぱなしです。開高健以外では、20代前半の頃は、内田百閒と尾崎翠が好きでよく読んでいました。ふたりとも違うタイプの作家なんですが、現実という場を借りて現実じゃないところを書いているところが似ていて、ふたりはいまでも好きです。

池上冬樹氏


―― 内田百閒の『冥途』なんてとてもこわいですからね。どんどん不気味になって、どこに連れられていくのか不安でしょうがなくなる。ある種のホラーともいえるのですが、そういう純文学もエンターテインメントも書く自分の個性というものを、考えたことがありますか?

角田 考えたことがないですね。

―― 多くの新人作家は自分の個性を考えるものですが、角田さんも新人のときは自分の個性を考えたことがあったんじゃないですか?

角田 たぶん考えていたと思います。私は23歳でデビューしましたが、ちょうどバブルの頃だったんですね。だから、私の周りにはフリーターが多かった。
 私もデビューしたけれど、定期的な仕事はないし、立場的にはフリーターで、あるとき、フリーターであることが他の人にはないなにかだ、と思ったんですね。だから、フリーターというところにあえて自分を置いて書いていましたね。
 たとえば、年長の評論家に叩かれたときに、「おっさんはフリーターじゃないからわからないよ。これは私の世界だし、世の中、今こうだし!」っていう抗弁ができた。だけど、それって、そのときは自分を前に進ませるためにいい立場の使い方だったと思うけれども、それは決して個性ではなかったと思いますね。

―― 個性ではなかったですね(笑)。

角田 私は嫌なものを書くのが好きなんですが、嫌なものを書いて喜んでいる作家って、あまりいないと思うんです。強いていうなら、それが私の個性かなと思っています。

―― お受験殺人を題材にした『森に眠る魚』(双葉社、2008年12月)などは、主婦同士の嫉妬・敵意・憎悪など厭味なものをとことん書いてますからね。驚くほど緻密に。

角田 最初は書いていて愉しかったんだけど、だんだん息苦しくなってきて、途中で本当に、「嫌! 誰か引っ越して!」って思ったんですよ(笑)。


■“怒り”からの発想/“キャラクターが動かない”/重視するのはテーマ

―― 「小説新潮」(2009年3月号)で角田さんが山本文緒さん、唯川恵さんと鼎談されていますね(「座談会 女性作家の頭の中」)。そこで角田さんは「作品を書く最初のとっかかりは怒りである」と述べています。アイディアは怒りから生まれるんですか?

角田 『八日目の蝉』(中央公論新社、2007年3月)という小説がありますが、あれを書いたきっかけも怒りでしたね。(厚生労働大臣の)「女は産む機械」発言があったのもその頃だし、幼児虐待がとても多い時期だったんです。
 それに対してテレビのコメンテーターや新聞などは、なぜ母性があるのにそういうことをするのかと、母性があることを前提に話をしているんですね。でも私は、母性って前提なんだろうか、という疑問を持っていた。母性って、母性を育む文化がないと育たないものだと思うんですよ。
小説新潮(09年3月号)


 食べるものもなく、子供もどんどん死んでいくアフリカの貧しい地帯に、母性なんてないですよね。「自分が食べなくても子供を生かさなければ」という意識って生まれてこないんです。そういうことに対して、「あまりに無自覚に母性があることを前提に話すのってなんなの?」という怒りがあり、それが小説を書くきっかけだったんですね。

―― 怒りから、どのようにストーリーを展開させるんですか?

角田 まず怒りを捨てますね。怒りをもっていると怒りに引きずられるので、もう怒っちゃだめと(笑)。

八日目の蝉
 『八日目の蝉』に関しては、テーマの母性となるのは母と子ですよね。そうすると、普通のお母さんと子供じゃ面白くない。じゃあ、子供がなにも覚えていないときに誘拐されて、育てた人を母親だと思っていた場合に、この子は母性を感じるのかとか、誘拐した女性は母性を子供に対して感じるのかどうかなど、いろいろな想定をして話を組み立てました。

―― ストーリーラインを重視するほうですか? それともキャラクター重視ですか?

角田 私の場合は、まずテーマですね。そのあとにストーリーがきて、その次にキャラクターです。

―― 「小説新潮」の鼎談で「キャラクターが動けばいいけれどなかなか動かない」といっていますよね。



角田 同業者の方から「勝手にキャラクターが動き出す」という話をよく聞くけれど、私の場合そんな素晴らしいことは一切ないんですね(笑)。だから、自分で考えて搾り出し、動かないものを動かさないといけないですね。


■オチをつけたことがない/角田的文章と心理描写

―― エンターテインメントの場合、カタルシスの問題がありますが、物語の結末を考えるときに、そのことを考えますか?

角田 私は純文学と呼ばれている場所での仕事が長かったので、終わりにオチをつけてはいけないと思ってきたんですね。オチをつける終わり方を書いたことがないし、自分の読書体験のなかでオチのあるものを読んだことがない。だから、私が純文雑誌じゃないところで書いても、たいがいオチがないんです。
 そういうこともあって、文学賞の応募原稿を読んでいても、不必要にオチがついていると鼻白んでしまうんです。この自分の考えが偏っていることは、自覚はしています(笑)。

―― いやいや、そんなことはないと思いますよ。要するに自然であるかどうか、リアルであるかどうかなんです。角田さんの作品にオチがないかもしれない。でも、僕が解説を担当した傑作短篇集『太陽と毒ぐも』(文春文庫)がいい例ですが、結末までに至るまでに実にこまかい変化に富んでいてリアルなんです。それにオチをつけたら嘘っぽくなる(笑)。下手なオチをつけるならつけないほうがいいと思います。
 やはりそのへんは純文学で訓練されたたまものだと思いますね。そもそも純文学の場合、まずは文章ですものね。角田さんにとっての文章観、たとえば上手い文章とはどのようなものだと考えています?

角田 一文を読んだだけで作者がわかる文章は、上手いと思います。だけど、自分が書くときはそれをしないようにしていますね。出来るだけ特徴や自分のクセや比喩をそぎ落として、誰が書いたかわからないような文章を書くように心がけています。

―― なるほど、それがある種の切迫感や凄みを出しているんですね。『八日目の蝉』や『森に眠る魚』の後半は読むスピードがましてはらはらするようになる。そのときに効果を発揮するのが、心理描写です。角田さんの作品では心理描写が多いですよね。

角田 私は心理描写を書くのがもともと好きで、この人がこういう行動を取るからには理由がある。その理由は周りの人には絶対伝わらないし、とても理不尽なんだけれども、読者が読んだときに思わず納得してしまうような心理描写がとても好きです。
 でも昨今、あまりにも心理描写を書く作品が多すぎるので、ちょっと現代の日本の小説が行き詰っているようにも思えますね。いま、もっと大きな物語が求められているんじゃないかと思い始めています。



■書きつくされた恋愛小説の可能性/川上弘美に惹かれる理由

―― 小説のなかには、恋愛小説や家族小説やミステリといったジャンルがあります。ジャンルの境界も中身もずいぶん曖昧になってきましたが、角田さんのなかではどうでしょう、ジャンル小説を書こうという意識はありますか?

角田 自分の問題と密接にリンクさせたテーマを使うことが多いので、そうなると人間関係を描く作品が多くなってくる。関係を書きたいときに、家族という関係があうのか、恋愛の関係があるのか、もしくは友人の関係があうのかなど、その小説に一番あう関係はなにかという意味でのジャンルわけはします。

―― 「小説新潮」の鼎談で山本文緒さんが、「若い人の小説を書いているときは、その主人公たちの恋愛が成就するかどうかで小説を引っ張っていけたのに、今はそんなことでは自分も読者も引っ張れない」と述べられている。ミステリだったら殺人事件があり、誰が犯人なのということで進められるが、「今私が恋愛小説を書くと、この二人はどうなるんだろうということは二の次で、むしろそんなことはどうでもいい。恋愛以外の何で物語を引っ張っていったらいいんだろう」と、とてもいま考えているといってます。

角田 そうですよね。一昔前の少女マンガだったら幻想でも成り立っていたけれども、いま、ページをめくらせる力はふたりがどうなるのか、ではなく、別な何かがないとだめですよね。

―― 今は昔と違ってセックスも結婚もゴールではない。むしろそれがはじまりだったりする。離婚もありだし不倫もある。そのようななか、恋愛小説というジャンルで、何が読者を惹きつけるのでしょう。




角田 私は「こうする」「こうなる」という行為ではなく、いままで言葉で説明されたことのない気分や気持ちなど、恋愛というものが生みだすものが書かれていると読みたくなるんですね。それを私が感じるのが川上弘美さん。『どこから行っても遠い町』(新潮社、2008年11月)という連作短篇集があるのですが、あれは恋愛小説ではないけれど、ちょっと恋愛が含まれていると思うんですね。川上さんが書く男女って決して細かく書いてないけれど、書かれたことのない微妙さがあるんですよね。

―― 微妙な感情、微妙な関係を丁寧に追って、恋愛を体感させますよね。いま、川上さんの代表作のひとつ『夜の公園』(中公文庫4月刊)の解説を書いている最中で、そのへんの分析が難しくて悩んでいるんですけどね(笑)。ただ読んでいて、とても新鮮ですよね。

角田 そう、ある意味、恋も愛も書き尽くされてしまった部分があるのに。

―― 書き尽くされた部分はあるけれど、川上さんの恋愛小説を読むと、まだまだ開拓の余地があると思ってしまう。角田さんの『森に眠る魚』の結末を読んだとき、純文学出身でないと書けない、ある種の純文学ミステリの成果だと思ったのですが、川上さんの恋愛小説も、純文学畑でないと書けない観察力のすごさがある。恋愛の中の純粋な気持ちの流れ、ほんとうのエロティックな部分、やわらかな心情といったものを丁寧にひろいながら、生々しく恋愛を体感させつつ、恋愛の本質に迫ろうとしている。ストーリーやキャラクターに負わない恋愛小説の可能性がそこにあるんですね。


■「もう書かなくていい」といわれる恐怖/作家であることの喜びと覚悟

―― 角田さんは若いときから作家をずっと志されていたわけですが、作家という職業を選んだ喜びはなんでしょう。

角田 誰にも気兼ねなく、正々堂々と小説を書けることです(笑)。もし、自分が作家じゃなかったら、周りの人間にいい訳をしながら小説を書いていると思うんですね。

―― 雑誌のインタビューを読むと、仕事を断らずに、たくさん仕事を引き受けている。いまは多少情況がかわったようですが。そんなふうに仕事を引き受けるのは、もう誰もわたしに仕事を発注しないのではないかという不安があるからだと述べている。いまだにそういう不安があるんですか?

角田 ありますね。だから30代で仕事がないときは、コンビニの店員でも、と思っていたんですよ(笑)。だけど30代後半でコンビニは年齢的に無理かなと思って、今は社員寮や学生寮の賄いを考えています(笑)。

―― そこまで不安になるというのは、ちょっと信じられないのですが、なにかあったのですか?

角田 あるひとつの体験があるからなんです。さきほどもいいましたように、私は「海燕」でビューする前に、ジュニア小説を書いていました。それは私が19歳のと きに、ある文芸誌に応募して最終で落ちたときの編集者が紹介してくれた仕事だったんですね。
 当時、ジュニア小説ってすっごい売れていたんですよ。どんなに売れない人でも年間1000万円は稼いでるという世界で、私はそこで2年仕事をしていましたが、私だけ極端に売れなかったんですね。その2年の間にどんどん部数が下がっていったんですが、ジュニア小説の世界を知らなかった私は、部数をキープしなければいけないとか、まったくわからなかったんです。書きたいものを書いてどうしていけないの?って思っていた。
 そしたら、仕事をしていた最後の年に、編集者に靖国神社に呼び出されて、紙コップのコーヒーを渡されて、「もう書かなくていい」って言われたんですよ。

―― え? 靖国神社で、紙コップのコーヒーを渡されて、縁切りですか?

角田 それまでは普通のレストランや喫茶店で打ち合わせをしていたのに、そのときは屋根もない寒い靖国神社で、70円のカップコーヒーを渡された(笑)。
 そのときにはじめて「こういうことってあるんだ」と思ったんです。いまはね、売り上げで判断されるといっても、また部数が落ちたからといっても、即紙コップはないと思うけれども(笑)。やはりどこかで、「もう書かなくていい」と言われることがあるのは当たりまえだと思ってるんですね。

―― なるほど、だからダメなとき用に転職を考えておくと。たしかに作家として生きていく、作家になるということは大変ですからね。
 それと関係がありますが、そしてこれが最後の質問になりますけれど、作家になるために必要なことはなんだと思われますか?

角田 自分の目線と世の中との接点を大事にする気持ちでしょうか。私はすっごいおこりんぼうなんです(笑)。いつも持っているのが、ものすごい怒りなんですね。でも、この怒り・喜び・悲しみなりが、世の中と自分を繋いでいる繋ぎ目みたいなものだと思うんです。それががないと小説が書けない。小説を書くときのとっかかりになるんですね。

―― 創作の動機が“感情”からということがよくわかりました。怒りが生む新たな 傑作をまちたいと思います。
 今日はありがとうございました。


(09年2月 山形市遊学館にて)


新作『森に眠る魚』についてのインタヴューと、角田光代さんの略歴はこちらを参照してください。

森に眠る魚

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