その人の素顔
志水辰夫(小説家)講演&池上冬樹(文芸評論家)トークショー
「アイディアをもったいないとは思わないで、出たものはどんどん使ってください。使えば使うほど次のアイディアは出てきます」
2016年12月01日
 第80回は小説家の志水辰夫さん。今回はやや趣向を変えて、「人工知能と小説」と題した講演や、作家としてのキャリアについて、小説を書くために最も大事なものなど、お話していただきます。


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基調講演「人工知能と小説」
 
 
◆出版界の現状/インターネット時代の到来/その次に到来するもの

 ごらんの通りよぼよぼのじいさんになってしまいまして、みっともないからもう人前へは出ないことにしております。ですからこういうところでお話するのはこれが最後、まあ遺言のようなものだと思って聞いてください(笑)。

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 小説を書きはじめて約40年になります。40年前というと、小説の全盛時代でした。それがこれほど見る影もなくしょぼくれてしまうとは、夢にも思いませんでしたね。恐らくだれも思わなかったはずです。40年前どころか、10年前ですらこういう状況は考えられなかった。
 わたしが前回ここでしゃべったのは、9年前の2007年のことになります。わたしの本がいちばん売れたのが、じつは10年前の2006年だったんです。それも新刊ではなく、その10数年前に出た文庫本でした。なぜかいきなり売れ出しはじめまして、その年だけで何10万部も売れた。わたしにとって唯一で、最後のバブルでしたけれども、そのころはまだ、文庫の増刷が毎年何冊かかかったものです。定期預金の利息か、株の配当金をもらうようなもので、これで老後は安泰だなと思っていました。
 それがこの5、6年で、あっという間に変わってしまった。それくらい時代の変化が激しくなったということです。いまはだれも、10年先どころか、5年先すら読めなくなっています。
 これほどの時代の激変は、じつは有史はじまって以来のことです。なぜこうなったかといいますと、きっかけはインターネット時代の到来です。
 これまでのわれわれは、情報というと上から知らされるものでした。上から降ろされてくる、あるいは既成メディアから発せられてくる、われわれが発信する情報というものはないに等しかった。せいぜい口コミ、影響を及ぼす範囲がきわめて狭かったんです。
 それがインターネットによって根底から変わりました。一方的だった川の流れが、逆流しはじめたようなもので、だれもが発信元となり、情報が行き来しはじめた。一方通行だったものが双方向性を持ったものに、インタラクティブというそうですけど、そういうものに変わってきた。
 ネットという表現手段を持ったことで、これまで声を挙げたことのなかった大衆が、言いたいことを言いはじめたと表現してもよいと思います。国民総評論家時代が到来したのです。ある大学教授が、そのころ現れた新手の学生を評して「このごろは馬鹿が自分の意見を言いはじめた」と発言したのを、いまでもよく覚えております。正直言って昨今のネットにあふれているのは、歯止めのなくなった誹謗や罵詈雑言。インターネット時代の正当な評価は、まだできていないというのが現状だろうと思います。
 新聞テレビなど既成のメディアは、いまだに自分たちが世論のリーダーだと思い込んでいますから、ネット世論というものを馬鹿にしているところがあります。ネット世論にあふれているのは、そういう既成メディアに対する不信感や反感が基本になっているんですね。ここではこれ以上申しませんが、結果はいずれ、なんらかのかたちになって出てくるだろうと思います。
 インターネットの評価がこのようにまだ定まっていないにもかかわらず、時間的にはもうつぎの時代がはじまってしまいました。
 人工知能、A・I、アーティフィシャル・インテリジェンス時代の到来です。本当はもう20年以上前にはじまっていたんですが、日本人は気がつかなかった。進化の速さが目に見えはじめて、いまあわてているというのが実情です。
 
◆人間対コンピューター/チェス、将棋、囲碁/人間の尊厳を守るために
 

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 その象徴的な出来事が、今年3月に行われた人間とコンピューターとの囲碁対局でした。世界トップクラスの棋士が、完璧なまでに打ち負かされた。こんなに早くコンピューターに逆転されるとは、じつは誰も思っていなかったんです。
 わたしは囲碁、将棋とも一応やりました。われわれの子どものころは、ゲームといえば将棋か碁しかありませんでしたから、ヘボですけどやれることはやれます。30過ぎてからはチェスもやりました。これが、目から鱗でした。西欧的な感覚のどこかに触れたような気がしたからです。
 チェスというのはきわめてシンプルなゲームです。盤面も8×8と小さいし、一度取った駒は使えません。ゲームとしては、完全な消耗戦なんです。消耗戦の代表というと、戦争なんですね。西洋では20年30年、延々とつづいた戦争が珍しくない。それくらい長引くのが当たり前だったんです。ところが日本は、最大の戦争であった関ヶ原の戦いでたった半日です。戦争は消耗戦だという考えがどれくらい根づいていたか、太平洋戦争のことを考えたら、もっと議論されていい問題だと思います。
 したがってチェスの場合は、グランドマスタークラスの対局になると、圧倒的に引き分けが多くなります。初めから最悪の場合でも引き分ける、という考えのもとに対局します。7回戦って4勝3敗なんてあり得ない。ひどい場合は7戦して全部引き分け、ということもある。引き分けは負けじゃないんです。留保付きの勝ちみたいなもの。これはサッカーのワールドカップやJリーグで、引き分けは勝ち点1という制度が導入されるまで、日本にはなかった考え方ではないかと思います。
 そのチェスは、1997年に世界チャンピオンがコンピューターに負けました。そのときはさほど驚きませんでした。コンピューターにいちばん先に負けるものがあるとしたら、チェスだろうと思っていたからです。しかし碁や将棋は、チェスと手数がまったくちがいます。コンピューターが追いつくには、4、50年はかかるだろうと思っていました。
 チェスの手数がどれくらいあるかというと、10の120乗通りあるそうです。大きすぎて億、兆という数の単位で表現できない数です。いちばん大きい数の単位は無量大数といいますが、これは10の68乗だそうです。1兆が10の12乗、1京(けい)が10の16乗、1垓(がい)が10の20乗。チェスは10の120乗、無量大数よりはるかに上です。
 これが将棋になると、10の220乗になります。囲碁は10の360乗。地球上の人類が数として認識できる最大の数は10の80乗。これは観測可能な宇宙全体の水素原子の数だそうです。将棋や囲碁の手数は、まさに天文学的であることが、これだけでもよくわかります。

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 ところが将棋は、2012年に永世棋聖の米長邦雄さんがコンピューターに負けました。米長さんが名人のころ、わたしは対局していただいたことがあるんですよ。将棋会館まで行って、しゃっちょこばって、じかに指していただきました。ひとりではなく、船戸与一、逢坂剛と、3人で指していただいたんですけどね。「いや、みなさんなかなかお強いですよ」とお世辞を言われましたが、そんなわけはなく、まるっきり将棋になりませんでした。あの方はよくこう言っていたものです。「わたしは兄弟のなかで、いちばん頭がよかったから将棋指しになった。兄貴は馬鹿だから東大に行った」(笑)。
 その米長さんが負けた2013年には、現役ばりばりの七段を中心とする若手棋士が対局して、やはり負けました。このときコンピューター側は、東大にある670台のコンピューターを動員し、1秒間に3億手を読んだそうです。
 要するに、その段階で人間とコンピューターとの勝負づけは終わったことになります。ところがまったく知らなかったことですが、今年もまだ対局をやっていたんですね。そしてまた人間が負けた。
 これにはびっくりし、あきれましたね。もうコンピューターに、人間は勝てるわけがないんです。それをこうなったら、つぎは羽生名人を担ぎ出そう、なんて声まで上がっています。そんなばかなことはするんじゃない、と怒鳴りつけてやりたくなります。相手は人間じゃない、機械なんです。飯を食う必要もなければ、休む必要も、寝る必要もない。スイッチが入っている限り、いくらでも働きつづけるマシンなのです。
 そう思っていた矢先、今度は三浦九段という人が対局中にスマホで将棋ソフトを盗み見ていたという疑惑が持ち上がりました。この三浦という人は、2013年にコンピューターと対局した棋士のひとりで、七冠王時代の羽生に勝ったほど人なんです。要するに日本のトップ棋士のひとり。そういう人が参考にするような将棋ソフトが商品化され、スマホでだれでも使えるようになっていた、ということです。
 チェスに勝ったのはIBMのコンピューターで、碁に勝ったのはGoogleのコンピューターでしたが、対局が終わったあと、目的は達したというので解体されたと聞いています。これ以上は必要ないということです。コンピューターの力を際限なく強くして人間に勝ったからって、どれほどの意味があるんです。そんなことは人間の尊厳を貶めるだけではありませんか。そんなソフトがどうして必要なのだ、と声を大きくして叫びたくなります。コンピューターというものの本質を、日本人はわかっていないのではないかという気がしてならないのです。
 
◆深層学習と技術革新/コンピューター政策の失敗/映画『2001年宇宙の旅』に見る人工知能の脅威
 
 将棋や碁の指し手をコンピューターに学習させ、同じ過程を自ら何回も復習することでさらに能力を高めていく、ということがいまのコンピューターにはできるようになっています。これは人間の脳の神経回路と同じ働きだそうで、こういう学習過程をディープ・ラ-ニング、深層学習というそうです。
 ディープ・ラーニングの進化で、2020年には完璧な外国語翻訳機ができるだろうといわれています。すべての言語に対応でき、使う人はスマホさえ持っていれば、いつ、どこでも使えるようになるというのです。
 車の自動運転も急ピッチで進行中です。こちらも10年以内に、だれもが安心して使えるレベルに達するだろうといわれています。それどころか、ドイツでは自動車のエンジンを禁止しようという声まで出はじめています。電気自動車の開発もそれくらい進んできたからです。

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 こういうA・Iの進化は、日本人が得意としている技術革新を、無にするおそれがあります。携帯電話の普及が、有線電話というインフラ整備を無力化したように、このような技術の進展は後進国ほど恩恵を受け、世界が平準化して、横並びとすることに貢献します。自力では何一つ開発しなかったサムスンが、あっという間に世界を席巻したようなことが、これからも起り得るということです。トヨタだってけっして安泰ではないんですよ。何十年か先には、Googleのロゴをつけて走ってるかもわからないです。
 Googleの創業は、1998年です。資本金10万ドルからスタートし、2004年に上場したときは時価総額が230億ドルに達していました。10年後の2014年には、3500億ドル、これはトヨタの約2倍です。なにか特別なものを、作り出した会社というわけではないんですよ。はじまりはただの検索会社。コンピューターを使ってそれをやれば、可能性は無限に広がると、そういうことを思いついた人が慧眼だったということです。技術革新しか頭になかった日本は、そういう流れにものの見事に遅れてしまいました。
 じつは1982年に、日本は国を挙げて第5世代コンピューターの開発に乗り出しているのです。このときは世界がびっくりして、大いに警戒したのですが、このプロジェクトは10年の歳月と、1000億円近い巨費を投じて大失敗に終わりました。なにものも生み出さなかった。
 すごいコンピューターを、つくったことはつくったんです。ところが使い物にならなかった。なぜか。ソフトがなかったからです。コンピューターはソフトだ、ということがわかっていなかった。コンピューター、ソフトなければただの箱というわけです。
 その大失敗のおかげで、日本のコンピューターは1990年代にものすごく停滞してしまいました。もっとも大事な時期を、無為に過ごしてしまったことになります。いまになって、ディープ・ラーニングだなんだと、必死に追いつこうとしていますが、日本人のことですから、いずれ技術的には追いつくでしょう。しかし世界をリードするところにまで立てるかどうか、これまでのことを考えたら、わたしは疑問に思います。
 ところが人工知能の進歩は、ここにきて新たな危惧や不安を生み出しました。人工知能革命がどこまで進むかという問題です。
 人工知能がさらに進化を重ねていくと、いつか、人間より賢くなってしまう時点を迎えるそうです。これをシンギュラリティ、技術的特異点というそうですが、そうなるとどうなるか、人間の暮らしや環境は激変せざるを得なくなります。多くの学者はそれを、2045年と推定しています。2045年にはシンギュラリティがやってくる。早まりこそすれ、遅くはならないだろうと。これは絵空事ではありません。いずれやってくる現実。みなさんが必ず体験、直面しなければならない問題です。
 それで思い出すのは、50年ぐらい前につくられた『2001年宇宙の旅』という映画です。映画史上不朽の名作として広く喧伝されていますから、ご覧になった方も多いと思います。どこかの惑星に向かって飛行している宇宙船の物語ですが、登場人物は6人の宇宙飛行士と、宇宙船の機能を一手に取り仕切っているHALというスーパーコンピューターのみ、きわめてシンプルなストーリーです。
 HALは完璧なコンピューターで、赤く光る目を持ち、人間との会話もできます。このHALが優秀すぎるがゆえに、単調で長時間の宇宙飛行をつづけている乗組員の間に、だんだん不満が貯まってきます。つまり人間がHALに使われているような気がしてくるんですね。それでHALの機能を、すこし落とそうじゃないかと、陰でこそこそ言いはじめる。聞かれていないところでしゃべっていたつもりですが、HALに見られていたのです。聞こえなくても、口の動きで、何をしゃべっているかわかったんですね。
 それでHALが、乗組員にそうはさせまいとする。つまり反乱を起こし、乗組員をひとりずつ殺しはじめるのです。最後に残った船長がHALの仕業に気づき、怒って対決します。つまりHALの機能スイッチを、ひとつずつ落として行くんです。狼狽したHALが「ちょっと待ってくれ。話し合おうじゃないか」みたいなことを言うのですが、その声が弱々しくなり、声が間延びしてきて、最後は止まります。目の光も失せて、HALは死んでしまったのです。とても難解な映画だったのですが、コンピューターが人間に背くということが衝撃で、そこだけはいまでも鮮明に覚えています。
 人工知能が、人間より賢くなってしまう結果起こることに関しては、多くの科学者が同様の心配をしています。車椅子で有名な、イギリスの科学者スティーヴン・ホーキング博士もそのひとりで「完全な人工知能の開発は、人類の終焉を意味するだろう」と警告を発しています。
 一方で肯定派もいます。そんなことはない、人間はそうなる前に対策を施し、コンピューターと共存できるはずだというのです。わたしもどちらかといえば、肯定的に考えようとしています。人間が自分たちを破滅させるような、愚かなことをするはずはないと信じたいのです。
 
◆時代と人間の年齢/1割の法則、2:6:2の法則/フェイルセーフの本能
 

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 人間は生き物ですから、その生命には限界があります。江戸時代の平均寿命は30歳といわれています。これは乳幼児の死亡率が圧倒的に高かったからです。
 その30年が80年になるまで、150年かかりました。だがいまでは、これがほぼ限界、平均寿命が100歳になることはないだろうといわれています。昔は40を過ぎたら老人でした。女性は15、6で嫁に行き、5人も10人も子どもを産みましたから、30になったらもう歯はぼろぼろ、顔はくしゃくしゃで、しわだらけというのが当たり前でした。
 斎藤茂吉は15歳のとき、父親に連れられて初めて東京へ行ったそうですが、そのとき46歳だった父親はもう腰が曲がっていたそうです。「初老」という言葉がありますが、これは40歳を指すことばです。「不惑」ということばもあります。要するに40というのは、かつては老人だったということです。
 何年か前、中公新書で『ゾウの時間ネズミの時間』(中川達雄)という本が出ました。生物学者が書いたものですが、それによりますと、生物が生きている間に打つ脈拍数というのは、だいたい決まっているというんですね。およそ15億回。人間は1秒に1回ぐらいの割合で脈動しますが、ハツカネズミは0.1秒に1回だそうです。身体が大きくなるにつれてゆるやかになり、馬だと2秒に1回、象だと3秒に1回、要するに図体が大きいほど脈拍がゆっくりになるということです。ですからハツカネズミが、とくに短命というわけではないことになります。人間の15億回というのは、26.3歳に相当するそうです。それを栄養状態や衛生、インフラの向上などでここまで押し上げてきたということです。
 人間は単体ではなく、国、家族、会社といった組織、コロニーに属して生きています。この組織の総体、つまり全体には、健常者もいれば、障碍者や生存不適格者、つまり弱者や落伍者もふくまれています。エリートだけの集団というのはあり得ないんです。
 自衛隊関係者の間では、1割の法則というものがあるそうです。全国から優秀な兵士を選抜して組織した部隊でも、しばらくすると個々の能力の差がはっきり表れてくるというのです。優秀な兵士のなかからさらに1割の、より優秀な兵士が現れる。と同時に、落伍者というか、落ちこぼれも1割生まれてくる。ではというので、さらに優秀な1割の兵士だけを集めて再編成しても、しばらくするとやはり優秀1割、落伍1割の層が生まれてくるというのです。
 これは人間だけの話ではありません。北大がアリの研究から同じことを明らかにしています。アリの世界は1匹だけが女王アリで、卵を産みつづけます。ほかはすべて働きアリ、女王の産んだ卵の世話をして、一人前のアリに育てることに専念します。
 この働きアリが、しばらくすると脇目も振らず働くアリと、適当に働くけど適当にサボる普通のアリ、そしてまったく働かない怠けものアリとに必ず分かれるのだそうです。その割合は2:6:2、この割合は変わらないといいます。それではというので働きアリばかり集め、新しいコロニーをつくってみても、しばらくするとやはりこの2:6:2の割合に分かれてしまうのだそうです。
 とするとこれは、全滅を防ぐため生物に備わったフェイルセーフの本能ではないか、という考えが導き出されます。それが証拠に洪水とか火事とか、天変地異によってコロニーの存続が危ぶまれるような事態に陥ってしまうと、それまで働かなかった怠けものアリが突然豹変して働きアリに変わり、群れ全体のためせっせと働きはじめるそうなんです。
 多分人間も同じだろう、ということが言えるように思います。世の中というものには、役立たずや、落ちこぼれがいても仕方がないということです。それが常態なのです。社会や組織に早急な効果を求めたり、役に立つ順位が低いから予算配分を減らしたり仕分けをするのは、あまりに視野が狭いということになります。相模原の養護施設で起きた大量殺人とか、人工透析の医療費問題を罵倒してブログが炎上した某局のアナウンサーとか、彼らが主張していたことは疑いなく正論なんです。しかし人間というものを、選ばれた上の1割の目線でしか見ておらず、総体的なものとして捉えていないということで、やはり正しくないということになるのです。
 
◆技術的特異点の向こう/人間の仕事、コンピューターの仕事/A.I.に小説を書かせるには
 
 つぎに人工知能がシンギュラリティ、つまり技術的特異点を超えると何が起こるか、という問題について考えてみます。
 まず、多くの人間が職を失います。これはすでにハーバード大学が「10年先になくなる職業、20年先になくなる職業」というリストを発表していますから、みなさんもごぞんじだと思います。要するに人間が目で見てわかる仕事は、すべて機械に置き換えられるというのです。人間が身体を動かして行う仕事のほとんどが該当します。
 いちばん打撃を受けるのが医師、弁護士、教師など、いわゆる士業です。頭脳というコンピューターに膨大な知識を蓄積し、それを駆使することで高い報酬と社会的地位を得た人たちが、もっともワリを食うというんです。
 ただし、失業即、食うに困る、ということではないみたいです。こういう人たちはもともと応用力が高いですから、いまの職業に行き詰まったら、べつの分野に活路を求めることができると思われます。またなにかの仕事がなくなると、必ず新しい仕事が生まれてくるものです。なくなる仕事がある反面、いまのわれわれには思いもつかない新しい仕事が生まれてくることも考えられるのです。
 シンギュラリティの時代にいちばん強い仕事があるかというと、底辺の職業がそれだと言われています。とくに対人コミュニケーションを必要とする仕事は、コンピューターにはできません。セラピスト、レストランのウェイターやウェイトレス、保育士、営業マンというような職業は、なくなる要素が考えられないのです。客の身になってみたら、コンピューターに応対してもらうより、気の利いた人間に応対してもらうほうがはるかにうれしいでしょう。ですからこういう職業は必ず残ります。最強の職業は家政婦、つまり女中さんだと声もあるくらいです。コンピューターにハタキかけとか、雑巾がけはできませんから。
 ただこれも、学者によって意見が分かれます。弁護士はなくなるという人がいる反面、弁護士は生き残るという人もいます。営業でも代替性の低いものはダメだとか、人によって意見がちがうのです。要は、はっきりしたことは、まだだれにもわかっていないということです。ですから不必要に怖がることはありません。そのときに備え、いまから意識改革ぐらいはやっておいたほうがいいですよということです。
 では、アーティフィシャル・インテリジェンスの時代になったら、小説はどうなるだろうか、ということを考えてみます。
 まず、コンピューターに小説が書けるだろうか、という問題があります。
 今年8月、『賢人降臨』(零、クエリーアイ株式会社)という本が出版されました。名古屋大学とベンチャー企業が協力して、福澤諭吉の『学問のすゝめ』と、新渡戸稲造の『自警録』の内容をコンピューターに読ませ、理解させ、あらたな文章を人工知能に書かせたものだそうです。世に問うため、あえて校正せずに出したという触れ込みです。
 すぐ買いに行ったんですけどね。どうしても見つかりませんでした。検索機で調べてもらったところ、本ではなくて、電子ブックだったんですね。仕方がないからダウンロードしようとしたら、スマホならできるが、パソコンではできなかった。ですから残念ながら、まだ読んでおりません。
 ところがもうひとつ、似たようなプロジェクトがありました。『きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ』という名称で、公立はこだて未来大学が中心になって進めているものです。これは星新一さんが発表した約1000篇のショート・ショートを解析し、本人が書いた創作の秘密みたいな文章も加えてコンピューターに読み込ませ、新たな作品を作り出そうという試みです。2012年にスタートして、来年2017年には作品が発表されるそうです。
 それとはべつに、日経新聞が「星新一賞」というショートショート賞を設けてまして、今年がその第3回目でした。この賞に、きまぐれ人工知能プロジェクトが、コンピューターに書かせた作品を何篇か応募していたんですね。そのうちの1篇が1次選考を通りました。これはダウンロードできますから、だれでも読むことができます。
 その作品の最初のほうを読み上げてみましょう。
 
 
第三回星新一賞応募作品
コンピュータが小説を書く日
 
 その日は、雲が低く垂れ込めた、どんよりとした日だった。
 部屋の中は、いつものように最適な温度と湿度。洋子さんは、だらしない格好でカウチに座り、くだらないゲームで時間を潰している。でも、わたしには話しかけてこない。
 ヒマだ。ヒマでヒマでしょうがない。
 この部屋に来た当初は、洋子さんは何かにつけわたしに話しかけてきた。
「今日の晩御飯、何がいいと思う?」
「今シーズンのはやりの服は?」
「今度の女子会、何を着ていったらいい?」
 わたしは、能力を目一杯使って、彼女の気に入りそうな答えをひねり出した。スタイルがいいとはいえない彼女への服装指南は、とてもチャレンジングな課題で、充実感があった。しかし、3か月もしないうちに、彼女はわたしに飽きた。今のわたしは、単なるホームコンピュータ。このところのロード・アベレージは、能力の100万分の1にも満たない。
 
 どうです、なかなかのレベルだと思いませんか。選考にあたった作家は、60点の出来だと言っているそうです。
 ただこれは、全部コンピューターが書いたわけではありません。登場人物の設定や話の筋、文章の細部などは人間が用意するかチェックして、その上でコンピューターに書かせています。つまり、指示は人間が行っている。コンピューターがいくら進化したとしても、これは基本的に変わらないだろうといわれているところです。
 ですから2050年ごろは、コンピューターさえ使えばだれでも大作家になれる、というわけにはいかなさそうです。詳細で、緻密なプロットが書けるくらいの人でないと、優れた作品は生み出せないということです。
 そういうことを考え合わせますと、将来の小説執筆は、こういう風になるだろうと思います。
 まず人間がどういう小説を書くか、詳細なプロットを作ってコンピューターに入力する。それを基にコンピューターが第1稿を書き、それに人間が手を入れ、さらにまたコンピューターに書かせる。そういった過程と推敲を繰り返した上、はじめてひとつの作品ができあがる、ということになります。
 
◆潜在能力を目覚めさせるには/「友情・努力・勝利」時代の終わり/信じた道を手探りで行くしかない
 
 今日ここへいらっしゃっている人は、この先、いやでも、そういう時代に向き合わなくてはなりません。
 だいたい小説を書きたいというような人は、社会のトップの1割層にいる人ではありません。その人たちには、もっとちがう使命があります。シンギュラリティ社会が必要とするものは、小説に要求される能力とはちがうものです。そういう人は、小説を読みません。小説のようなものを必要としていない人たちなのです。
 はっきり言いますと、それ以外の人、どちらかというともっと下の、落ちこぼれ層に近い人が多いはずなんです。わたしがそうでしたから。自衛隊でいえば1割の落伍層、アリでいえば2割の怠けものアリ層です。ただこの怠けものアリは、ひとたび危機が訪れ、全体の存続が危うくなる事態が持ち上がると、即座に働きアリに変貌し、仲間ために黙々と働きはじめる層でもあります。ということは、だれでも潜在能力は持っているということです。
 しかし潜在能力というものは、潜在させたままでは能力といえません。発揮してはじめてなんぼであり、発揮しなければゼロ、ナッシングなのです。大方の人は、その能力を発揮する機会がないまま、無名のままで終わってしまいます。世の中というものは、そういうふうにできているといって過言ではありません。
 この中には、自分は天才だ、すごい能力を持っている、と自負している人もいるでしょう。世の中が俺の能力に気づいてくれない、みんな目が節穴で、この世は論ずるに値しないほど愚かだ、と内心歯ぎしりしている人もいると思います。

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 その通りなんです。人間の持っている潜在能力を腐らせ、みすみす無名で終わらせてしまうのが世の常なんです。無名のまま朽ちてしまいたくなかったら、どこかで意識を切り替え、自分で目覚めるしかありません。最後は自覚の問題。自分で自分を変えるしかないんです。
 世の中はただの入れ物。特定の人や才能を、ピックアップしてくれる機能は持っておりません。自分の能力は、自分で掘り起こすしかないということです。あとは目覚めた意志を、志を果たすまで持ち続けることです。継続こそ、最大の力なのですから。
 最後にこの前、ある出版社社長のインタビュー記事がネットに出ていましたから、それについて気づいたことに触れておきます。
 最近のライト小説について述べたくだりでした。その人が言うには、最近のライトノベルの主人公は、努力するものはだめなんだそうです。努力して何かを得る、というのでは読者の共感が得られないと言います。
 友情・努力・勝利というのは「少年ジャンプ」のモットーだったんですが、そういう考えはもう通用しなくなっているということですね。主人公は何もしなくていい。すべて向こうから都合よく来てくれる。美しい彼女も、類まれな超能力も、気がついたら手に入っている。
 そういう主人公でないと、読者は感情移入できないというのです。人間関係のつながりが希薄になり、交際範囲がますます狭くなっているいまの人にとって、関心までがプライベート化しているということですね。最近ヒットしているゲームは、すべてひとりで遊ぶゲームだということが、それを裏づけていると思います。
 小説を書く側の立場からいえば、これは見過ごせない問題です。ライトノベルに関心のある人も、そうでない人も、そういう観点からいま一度、現代というものを見直してみる必要があるからです。いまの読者がなにを求めているか、自分が書きたい小説の読者はどんなものに関心があるか、再検討してみる必要があるということです。時代の空気を読み取ることは、自分の小説が活字になる、いちばんの近道なのですから。
 もうひとつ気がかりなことがありました。それは今後ますます増えていくであろう、バーチャル・リアリティの影響です。いずれまちがいなく3Dの時代がくるというので、いまさまざまなものがわっと出てこようとしています。
 3D映画は一度観たきりですが、ああこんなものかと思っただけでした。まだ多分に、見世物レベルだったからです。しかしVR、つまりバーチャル・リアリティは、間違いなく今後のエンターテインメントを一変させてしまう力を持っています。つぎの時代の革命の引き金になるかもしれません。ただそれは、市民がパンとサーカスを要求したローマ帝国末期の様相と重なるような気もします。
 バーチャル・リアリティの最大の売りは、臨場体験です。スリリングで、サスペンスに富んだ場面が、あたかもそこに立ち合っているかのような、臨場感を持って体験できます。いまはアイマスクみたいな醜いものをかけていますが、いずれ小型のプロジェクターのようなものができてくるでしょう。それに映し出され、自分の部屋や前の空間が舞台となり、目の前を恐竜が走り回ったり、鉄砲を持った兵士が鮮血に染まって倒れたりする場面を、間近で見ることができるようになります。究極にして迫真のエンターテインメントが楽しめるのです。
 わたしたちが子供のころ、いちばん胸躍らせてわくわくしたのは、戦争から帰ってきた大人の話を聞くことでした。実際に弾の雨のなかをくぐり、生き抜いてきた人たちの話ですから、面白くないわけがないんです。
 ある人がいみじくも言いました。
「世の中でいちばん面白いのは戦争だ」
 たまたま生き残ったからそう言えるのです。雨あられと飛びかう鉄砲の弾が、自分には絶対に当たらないとわかっていたら、これほど面白いものはないでしょう。
 VRの面白さは、それと同じようなものです。どんな危険な場面に遭遇しても、自分は絶対に死なないのです。何の努力もいらない。ビールを飲みながら、目をぎらぎらさせながら、人の死ぬ場面を楽しむことができる。究極の遊びになりかねないことはたしかなのです。
 そういう時代がやって来ても、まだ小説の果たせる役割がありますかと問われたら、わたしはわからないと言うしかありません。小説が死滅してしまう可能性も、ないとはいえないと思います。要はこの先、なにが起こるか、正確なことはだれもわからないということです。あとは自分を信じて、手探りしながら、前に向かって進んで行くしかありません。
 最後にもう1回言います。
 世の中はあなたをあてにしていません。
 あなたがいなくてもなんら困りません。
 だったらあなたのほうで、世の中から必要とされる人間になるしかない、ということです。
 それをあなた方は、小説というジャンルでやろうとしているということになります。
 そこから先は、あなた自身の問題です。自分で考えてください。以上です。
(場内拍手)


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◆潜在能力と自分を追い込む力/週刊誌の時代から小説家へ/大切なのは「ワクワク感」
 

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――貴重なお話をありがとうございます。いろいろお聞きしたいんですけど、いま「潜在能力は誰にでもある」とおっしゃいましたね。でも、潜在能力をどういうふうにして引き出すのか。志水さんはどういうふうにして、自分の能力を引き出してきたのか。そこをうかがいましょうか。
 
志水 自分の生きる道は、これしかないと思うことでしょうね。ほかに選択肢はないのだと、徹底するしかありません。
 
――作家になる以前は、週刊誌のアンカーとして活躍されていたそうですが、花形職業だったのですか。
 
志水 一時期はそうでした。週に2日働けば食えた。しかしそれほど長くはつづきませんでしたね。35を過ぎたころから、急速に仕事が減ってきた。結婚が遅かったから、子供はやっと小学生ですよ。「こりゃ40を過ぎたら確実に食えなくなる」と。それからですよ、本気になったのは。この先どうやって食うかと考えてみたら、文章を書くよりほかできることがなかったんです。
 
――祥伝社の「微笑」という、わりとエッチ系の女性週刊誌でアンカーをされていたんですね。アンカーというのは、取材記者の上げてきたデータ原稿を最後にまとめる仕事でしょう。だったらほかの会社の仕事も、できたんじゃありませんか。
 
志水 わたしの30代というのは、昭和でいえば40年代に当たります。週刊誌全盛の名残がまだ残っていた時代です。ライターはそのころ技能職と見られ、条件がすごくよかった。しかも時代は高度経済成長時代のさなかですから、すべてにわたって、それ行けドンドンみたいな、熱気があふれていました。いまはもうありませんが、お堀端の千鳥ヶ淵にフェヤーモントホテルというホテルがありまして、仕事をするときはたいていそこに籠もっていました。行くと何部屋もライターが占拠している。なかにはもう、1週間ここにいるといった豪の者もおりまして、その間の飲み食いは一切ただなわけです。そういうことが許されていた時代でした。時代が落ち着いてきて、成長が頭打ちになってくると、経費節減とか、時間の短縮とか、だんだん窮屈になってくる。しかもそのころになると、ライターという商売はだれにでもできるということがばれてしまって、若い人がいくらでも出てきた。35を過ぎたらおっさんは、海千山千のすれっからしですから使う側にしてみたら使いにくいんです。40を過ぎて落ちぶれたライターを何人も見てきました。
 
――デビュー作『飢えて狼』(1981年講談社刊、現・新潮文庫)は、かなり直されたんですか。
 

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志水 直したというより、何年かかけて、こつこつ書きためたものです。わたしは懸賞小説に応募したことはありません。日々の合間を見て、ひとつの作品を仕上げていったからかなり時間がかかった。約800枚の作品でしたが、書いていたときがいちばん苦しかったですね。ライターですから、お金をもらえる仕事なら、いくら原稿料が安くても書けるんです。金になるかならないかわからないものを、夜中にこつこつ書くというのは、じつにつらい。しかしそれをやったから、なんとかものになったのであって、やってなかったらいまごろはどうなっていたか、それを思うとぞっとします。
 
――その原動力になったのは、やはり家族や、子供さんのためですか。
 
志水 そうなりますね。子供が大きくなってから言ったんです。なんとか格好がついたから大きな顔をしているけど、もし作家になれていなかったら、いまごろお前たちの前には出てこれなかっただろうって。
 
――今日のお話で面白いと思ったのは、時代によって読者の求めるものが変わってくるということでした。ライトノベルの主人公は、努力しないで、転げ込んできた幸運をつかんだという設定が多い。それに読者が共鳴してくれる。これは時代の気分なんですね。僕も女子大で講師をやってまして、小説の創作を教えているから学生の原稿をいっぱい読むんですけど、いまの学生の作品に特徴的なのがこれですね。草食世代です。性の話がない。僕らが学生のときはいわゆる「妊娠小説」がいっぱい書かれていたんですけれどね。いまはそういうものがまったくありません。村田沙耶香さんがセックスのない世界を書いたことの影響もあるのかもしれませんが、そういった生々しい話は、書かなくてもいい時代になってきました。性的な関係とか、社会的な関係、切磋琢磨して成長していくというような話は、もう受けないんですね。だからかえってむずかしくなったところがあります。
 
志水 書くとしたら、それを逆手に取ったほうがいいと思います。そういう時代だからこそ、じゃあどういうものが受けるか、考えなければならない。いまの話はそのヒントになると思います。
 
――人工知能で小説を書くとしても、プロットの構築が欠かせないんですね。
 

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志水 それがいちばん大事です。どんなプロットができるかで、作品の出来が決まってしまう。これは、人工知能がいくら発達しても変わりありません。プロットづくりにはいくらでも時間をかけてください。
 
――先ほどの講評のなかで、書いても気に入らなくてボツにした作品がいっぱいあるとおっしゃっていましたが、どういうところが気に入らなくてボツにされるんですか。
 
志水 簡単に言えば、読んで興奮するようなワクワク感がないということです。一応普通のレベルには達していると思うけれど、それでは自分の作品として発表する意味がない。変な言い方になりますが、わたしがなにか発表したら「今度は何を書いたんだろう」と、そういう目で見てくれる読者が多いと思っているんです。そこで「なんだ、このまえのと同じじゃないか」と思われたら、名折れですから。常に人のやらないことをやり、1回やったことは2度と繰り返さない。それを次から次へとやれるのがプロだと、自分に言い聞かせているんです。
 
――先ほど、10年前にバブルがあったとおっしゃいましたが、あれは『行きずりの街』(新潮文庫)のことですか。
 
志水 そうです。1991年の「このミス」で1位になりましたから、そこそこ売れはしましたが、その後止まっていました。それに目をつけた新潮社の営業マンが「最近のこのミス1位と読み比べてみよう」という帯にして出したんですね。そしたらいきなり売れはじめたんです。
 
◆幻の新作と真の新作/山形との地縁/原点回帰の「ワクワク感」
 

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――そろそろ時間もなくなってきましたので、新作についてお聞きします。今日のゲストである国田さんが担当された『疾れ、新蔵』(徳間書店)ですが、これはどのように書かれたんですか。
 
徳間書店 国田昌子氏 『疾れ、新蔵』をいただく前に、近江の湖東三山を舞台に長篇のご執筆をして頂けることになり、取材もして、お原稿を頂きました。ところが、その後、打ち合わせのご連絡をしたら、「あれはもうやめた」とおっしゃいました。こちらは、もう呆然でした。
 しかし、それからしばらくしたら、『疾れ、新蔵』をボンといただきました。うわーい、面白い、さすが志水さん!と、大喜びしました。
 
――連載ではなくて書き下ろしなんですね。
 
志水 取材までして書いたものを捨てたわけですから、代わりを書かなきゃしようがなかったんです。それでいっぺん頭を空っぽにして、今回はじめて、3人称で書いてみたんです。これまですべて1人称、1視点で書いたものでしたから。3人称、多視点で書いたのははじめて。自分のなかでは、これまでのものとは抜本的にちがう一大リニューアルのつもりだったんです。それで国田さんに「この作品、わたしのものだってわかりますか」って聞いたら「そりゃわかりますよ」と即答されたのでがっかりしたものでした。自分としては180度の転回でしたからね。私は常に自分を変えたいんです。これは自分を変えたつもりで書いたんです。
 
――これは江戸からお姫様が国元に戻るまでの、ロードノベルなんですね。小国のあたりを通りますので、山形の道路がいっぱい出てきます。これは地図を見ながら書かれたんですか。
 
志水 いや、この界隈には何回も来てますから。七ヶ宿街道から川西町にかけての一帯は、かなり詳しいんです。農業をやっているせがれのために、農地を買おうとして何回か見に来ています。
 

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――そういえば、そうでしたね。初めてお会いしたときその話をうかがいました。「山形の土地は高い」とおっしゃっていましたね。だから土地勘がおありで、それを活かしたのがこの作品なわけです。みなさんぜひお読みください。
 志水さんは新境地を開こうとして、今までと違う作品を書いたつもりでいらしたわけですね。でも、書評にも書きましたが、初期に戻ったなと感じました。初期の作品にあった、ロマンティックというか、抒情的というか、血沸き肉躍る冒険小説の味わいがありました。初期に戻った感じは、ご自分にはありましたか。
 
志水 いいや。全然思いもしなかった。
 
――僕も、北上次郎さんも、初期の冒険小説が戻ってきた感じで興奮しました。
 
国田氏 そうですね。みずみずしいですね。主人公の新蔵が鮮烈ですし、物語の背後に諸々の謎をつめこんでいて、時代の動きに伴うリアリティがあるし、新しい。そういう意味では本当に志水さんらしい作品だと思います。登場する女性の書き方も、今年80歳になられる方が書かれる女性像としては、非常に瑞々しいし、 艶めいています。それに、エンターテインメントとは何かということを、本当によく考えられたんだと思います。展開のテンポがとても良いし、読者の方からもそういう感想をいただいています。
 それから、昨日は小説の舞台にも近い白布温泉に泊まったんですが、そこの息子さんに今日の話をしたら「シミタツさんですか! 大ファンだったんです!」とおっしゃいましてね。初期のころのハードボイルドのファンは、根強くいらっしゃいます。
 
◆謳い上げるシミタツ節/江戸時代と地続きの感覚/携帯電話の奇跡
 
――初期の名作『背いて故郷』(1985年講談社、現・新潮文庫)は、庄内平野で始まって庄内平野で終わるんです。
 

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志水 あのときは、鶴岡をずいぶん歩き回りました。当時は車の免許を持ってなかったんです。
 
――小説に出てくる、山形の女性ナンバーワンは誰かといわれたら、これは『背いて故郷』の女性ですよ。ものすごく耐えて耐えて、ずっと男の人を待っていて、そして最後には……ね。素晴らしい作品で、新潮文庫に入ったときは僕が解説を書きました。庄内平野で終わるラストの、改行、改行で畳み掛けるシミタツ節が素晴らしいんです。でも、今はああいう謳い上げる文章はお好きでないんですか。求めている読者はいっぱいいると思いますけどね。別宮さんはどうですか、初期の文章は。
 
文藝春秋 別宮ユリア氏 暗唱してましたよ(笑)。素晴らしかったですよねえ。
 
――今回、この『疾れ、新蔵』を書こうと思われたきっかけというか、動機は何でしょうか。書きたかったのはやはりロードノベルですか。
 
志水 ロードノベルというか、もう一回もとにもどって、純粋に面白いもの、読む人みんなが楽しめ、喜んでくれるものを書こうと思ったことはたしかです。これは、歳のせいかもしれません。若いときは、情緒もくそもない、ぶった切ったようなものを書いて「どうだ!」みたいな気持ちになったことがありましたけど、いまはそんな恥ずかしいことできない。お金を出して読んでもらう以上、幸せな気分になってもらわないと、といまは、後味のよいものしか書きたくないと思っています。
 
――小さなお姫様を抱えて、江戸から国元の小国まで行く話で、それを助けるのが駕籠かきのふたり。これがコメディリリーフで面白いんです。プラス、ちょっと莫連(ばくれん)風の、訳ありの女性が絡んでくるんです。この女性が、猪の子どもを抱えている。ペットとして可愛い。また、これを江戸から追っていく悪人がいるんですけど、この悪人がまたいいんです。双子でね、タランティーノの映画に出てきそうな感じで、非常に現代的な、悪いんだけどかっこいい。これが喜劇的な味わいを出していて、しかも怖いところもある。志水さんはわりと映画も観てるんですか。タランティーノとか。
 
志水 タラ……誰?
 
――クエンティン・タランティーノです。同時代ということで繋がるんですね。無意識に。みなさんもぜひお読みください。帯には、表紙側には北上次郎さんの、裏表紙側には僕の賛辞が載っています。
 
志水 すごくいい書評を書いていただきました。
 
――でも、次の新作はどうされるんですか、という問いには沈黙されるんですよね(笑)。考えてはいらっしゃるんでしょう?
 
志水 まあ考えてはいますけどね。しょうがないから(笑)。生きている限り、しょうがないから書きつづけるつもりです。ただ数多くはもう書けません。
 

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――最近は時代小説に専念されていますが、なぜ現代小説は書かないと宣言されたんですか。
 
志水 現代ものも書きたいという気はあるんですが、いまはそこまで手が回りません。時代小説って、新しい書き手がいないでしょう。わたしの占める分野がまだあると思ってます。気分としてはまだ40のつもりですから。
 
――でも、時代小説を書くにはいろいろ勉強が必要で、大変じゃないですか。
 
志水 そうでもありません。昭和11年の生まれでして、これは前にもどこかで言ったことですが、昭和30年ぐらいまでの日本人の暮らしは、江戸時代のつづきだったんです。江戸時代の行灯が電灯に変わり、障子がガラス窓になり、桶がバケツになったのが、昭和だったんです。暮らし自体はそんなに変わっていなかった。ですから江戸時代のことは、肌でわかる部分があるんです。
 現代小説では、読み手は少なくなるだろうけど、主人公が老境という小説はあまりないように思うんですね。それはちょっと、書いてみるべきかなと思いますが。
 
――明日は羽黒山に行きたいとのことですが、それも何か今後の作品に活かすお考えがあるからですか。なかなか教えてはもらえませんでしょうけど(笑)。朝7時のバスで羽黒山に行かれるって、本当に元気ですよね。たしか以前、京都の東山で遭難されたと聞きましたが。
 
国田氏 応仁の乱のときの、山城の空堀に転げ落ちられました。運よく数日前に買ったばかりの携帯電話を持ってらしたとかで、それでSOSしてレスキューに助け出されたんです。ヘリコプターまで出てくる騒ぎだったそうですよ。(場内どよめく)
 ですから、今回も志水さんはおひとりで行きたいとおっしゃっているんですが、わたしがどうしてもついていきます。
 
志水 今回は大丈夫だよ、登山道を登るだけだから(笑)。
 
――そのとき、怪我はされなかったんですか。
 
志水 足と手首を骨折しました。左手の握力はまだもどっていません。
 
◆題材を選ぶ嗅覚/「自選ベストスリーは」「ない」/アイディアは使うほど出てくる
 
――講評で「20枚で書く訓練をするといい」とおっしゃっていましたが、志水さんは20代のころ、読売新聞の短篇コンクールに応募して、入賞されたことがあるんですね。
 
志水 これははじめから賞金目当てでした。20枚の枚数で、賞金が5万円というのは、現代でも悪くない原稿料です。当時サラリーマンをやってたわたしの給料が1万1000円か1万2000円くらいでしたから、これは取ってやろうと思いました。それで、時流にかなった題材はないかと考えて、思いついたのが、そのころ社会問題になりはじめていた交通事故を扱うことでした。狙いは的中して、1回目はそれで取った。
 
――昭和何年ぐらいの話ですか。
 
志水 26歳のときだから、昭和37年ごろかな。それで2回目のときは、そのころ炭鉱の閉山が相次ぎ、多くの社会不安を巻き起こしていたから、それを題材にした。時代の空気を読み取るというか、そういう感覚というのは当時からあったんです。そういう小器用なところが、自分ではすごくいやなのだけれど(笑)。時代を読む感覚というのは必要ですよ。昨今のライトノベルがそういうふうに変わってきたのだったら、じゃあ自分はどうするか。たとえライトノベルを書くつもりがなくても、なにが受けるかということはいつも考えてください。
 自分のこだわりはいりません。小説講座にいらっしゃる人には「これだけは書かないと死ねないんです」というような人が多いんですけどね。はっきり言ってそんなのは、どうでもよろしい。そんな小説に値打ちがあるかといえば、多分ありません。小説というのは商品なんです。売れる商品をつくらなきゃ、だれも見向いてもくれませんよ。自分の思い込みにこだわる人はだめです。
 
――だったら、ボツにしないで本にしてもいいじゃないですか(笑)。ボツにした原稿はどのぐらいあるんですか。
 

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志水 ずいぶんありますよ。雑誌に連載したものとか、途中でやめた原稿もありますし。プロットを立てている段階でやめた作品ならもっとあります。
 
――別宮さんから見た「志水辰夫像」はどうですか。
 
別宮氏 本当にいっぱい原稿をお捨てになるんですけど、ご自分に求めるレベルがやっぱり高すぎるんだと思うんです。なので、自分が気に入らない、納得いかないと思ったらそれを活字にするのは拒否する。原稿をいただいたときに「これは単行本には入れない」と言われたこともあります。その後いろいろあって、けっきょく本にはなったんですけど(笑)。狷介ということはないんですけど、こだわりは強くお持ちだというところはありますね。
 わたしはもともと志水さんの初期作品を読んでいて、ファンだったんですけど、文藝春秋とはあまりお付き合いがなかったので、志水さんがよく新宿で飲んでいらっしゃるというお店にとことこ顔を出して、いつも「何か書いてくださいよ」と言っていたんですが、なかなか「うん」とおっしゃってもらえませんでした。それで単純に何度か飲むのを繰り返していたんですけど、ある日、わたしが帰宅して、お風呂にも入ってパジャマに着替えてたときに、他社の編集者から電話がかかってきまして。
 まだ携帯電話を持っていないころだったんですけど、そうしたら「今、銀座でね、船戸与一さんと志水辰夫さんと飲んでいるんだよ。ちょっと替わる」と言われて、志水さんがお出になって「お前、俺に全然原稿の依頼をしないじゃないか。俺はいつでも書いてやるつもりで、電話の前に待っているのにシーンとも鳴らない」と言われまして。あわてて、パジャマからまた着替えて銀座まで行って、そこで「本当に書いてくださるんですか、お願いします!」と言ったら、その1月後か2月後に、初めて短篇をいただいて。その作品を読みながらも緊張に震えたのが、今でも思い出に残っています。
 
――いい話だなあ(笑)。国田さんも、志水さんとは長いですよね。
 
国田氏 わたしも『飢えて狼』を読んですぐに飛んでいって「お願いします」と言ったんですが、それから何年も全然(笑)。
 
志水 処女作は講談社から出たんですが、それを読んで初めて来てくれた編集者が彼女だったんです。もう40年も前のことになります。そのころからまったく変わっていません(笑)。
 別宮さんがいま言ったことは、全然記憶にないんですね。わたしが覚えているのは、新宿のさるオカマバーで、亡くなった坂東眞砂子さんと彼女とがふたりで飲んでいるところです。ふたりともすごい大酒飲みなんですよ(笑)。酒豪で知られていた坂東さんを向こうに回し、平気でつき合っている女性を見て「どこのホステスだろう」と思ったくらいです。長い髪をしてましたから、編集者だとは思いもしなかった。それはいまでも忘れられません。
 

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――その頃の別宮さんは髪が長かったですね。さて、今までの作品で、これはうまく書けたなという自選ベストスリーは何ですか。
 
志水 ない(即答)。
 
――(笑)でも、『飢えて狼』はいいんじゃないですか。
 
志水 それはまあ処女作ですから。
 
――『背いて故郷』も非常にいいし、新しい作品も素晴らしいですよ。話を変えますが、新人作家に求めるものは何ですか。
 
志水 小説はなんだってできるわけですから、既成のものを一切排除するぐらいの気持ちでやってほしいですね。どこかで聞いたような台詞だとか、どこかで見たような場面だとかではなく、いままでどこにもなかった小説を書くんだ、くらいの気持ちでやってもらいたいのです。小説というものは、制約がまったくないからこそそれができるということです。
 一度使った手は、惜しげもなく捨ててください。もったいないとは思わないこと。アイディアというものは、使えば使うほど出てくるものなんです。アマチュアの方ほど、自分のアイディアにこだわります。これは苦労してひねり出したアイディアだから、こんなところで使うのはもったいない。そんなことはありません。頭というものは井戸と同じ、汲めば汲むほど、あらたなものが湧き出してきます。考えるという操作が、頭の働きにはいちばん大事なんです。
 
――これは非常にいい話ですね。みなさんも、この言葉を胸に刻んで、小説を書いてください。時間もなくなりましたので、今日はこの辺で終わりにします。ありがとうございました。
 
(場内大拍手)





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【講師プロフィール】
 
◆志水辰夫(しみず・たつお)氏
 
 1936年、高知県生まれ。81年『飢えて狼』でデビュー。巧みなプロットと濃密な文体で、熱烈なファンを獲得する一方、『あっちが上海』などドタバタユーモア劇で読者の意表をつく。86年『背いて故郷』で日本推理作家協会賞、91年『行きずりの街』で日本冒険小説協会大賞、2001年『きのうの空』で柴田錬三郎賞を受賞。『情事』『暗夜』『生きいそぎ』『男坂』『約束の地』など。07年、初の時代小説『青に候』を上梓後は『みのたけの春』『つばくろ越え―蓬莱屋帳外控―』など時代小説に専念している。
 
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