その人の素顔
白石一文( 作家) ×池上冬樹( 文芸評論家) 対談
「自分が何者なのかを考えぬく。自分自身こそ大切な小説の種である」
2011年08月30日

  第23回は作家の白石一文さん(聞き手は文芸評論家の池上冬樹さん)。小説家になるための方法や、デビューまでの苦労などについて、語っていただきました。
 

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◆作家の父をもつこと/たくさんの本を読んで/仕事で年に6万枚読む/しつこく書く


――白石さんのお父さんは、白石一郎という歴史小説の大御所です。作家を父に持つというのは大変ではないですか?


白石 どうなんでしょうね。たださきほどの講座で話したように、「一章を何枚で書くか」といった話を父としてきたわけですよ。「パパは8枚で、ぼくは9枚半だ」とか。そういう話をしてきたので、あんがい実践的には役に立っている気がしますね。


――小さいころから、いっぱい本を読んできたと聞きましたが。


kaijosiraisisugao.jpg白石 本は読んでましたね。できるだけたくさんの本を読むというのは、小説家になろうとする人間にとって絶対的な条件だと思いますね。自分がどういうジャンルのものを書きたいのかというのは、あんまり意識的に考える必要はないんですけれど。プロになるきっかけとなるコンテストはいっぱいありますからね。ただ、実際書くときにジャンルを決めて書くわけなんですけれど、やっぱり付け焼刃でやっても、なかなか受賞のレベルには達しないわけです。千数百本のなかから一本という厳しい倍率ですからね。資料を読んで書くというのは、なかなかプロにならないと難しいですから。できるだけ自分が持っていたものを使って書くというのが、大事だと思います。たくさんのいろんな街を見て歩くんじゃなくて、井戸を深く掘るというようなことが大事だと思いますね。
 たとえば石田衣良さんの場合だと、『公募ガイド』の新人賞なんかを見て、作品を順番に出していったらしいですよ。いろんな賞にまずは3本。それが全部最終候補にまで行ってるんですよ。4本目の『池袋ウェストゲートパーク』(文春文庫)で、オール読物推理新人賞を受賞しているんですね。3本は最終選考でダメだったけれど、これならけっこうちょろいじゃないかと思ったと、先だってのオール読物誌上での桜庭一樹さんとの対談でおっしゃっていましたけれど、こういう方は稀有な例で、ほとんどそういう人はいないだろうと思いますね。


――日本ホラー小説大賞の下読みの仕事で、無名時代の石田衣良さんの作品を読んでいます。朱川湊人さんの作品も。ほかの新人賞の下読みでも、たくさん。どこでどういうふうになるかはわかりませんね。作家というのは。


白石 なかなか難しい。ぼくが『文學界』という雑誌の編集部にいたとき、文學界新人賞というのを年二回やってたんですね。それで一回に100枚前後の小説を集めるんですけれども、毎回1500本くらいくるわけですよ。編集部5人ですから、各人300本くらいずつ読むんです。100枚のを300本ですよ。つまり3万枚。仕事している合間に。半年に一回だから年に四百字詰め原稿用紙に換算して6万枚読むことになる。
 そうすると先輩から言われるわけですよ、「白石、そんなこと言ったって大丈夫だよ。最初の2~3枚読めば、たいていダメなものはダメだから」と。おおきなバツをつけて箱に戻せばいいんだからって言って、それはそうだよなと思って読み始めたんです。でもまったくそうじゃないんですよ。ほとんどが最後までちゃんと読めるんです。そりゃそうですよね、一生に一度これはと思ってね、とっておきのネタを出してくるんですから。いつまで経っても、おもしろくならない場合が多いんだけれども、いつおもしろくなるのかなと思って、最後まで読んでしまう。


――それはえらいですね。


siraisisugao2.jpg白石 ラストにとんでもないどんでん返しがあったらどうしようと思うわけじゃないですか。けっきょくそれでほぼ3万枚読むんですよ。“てにをは”が間違っているとか、文章がおかしいものはそんなにないんです。文章がうまいとほめられるレベル。これはカラオケがうまいと言われるのと一緒ですね。いっぱいいます。だけどそれではプロになれない。なにかを持ってないといけないわけですよ。うまいんだけれど、それだけじゃ足りない、なにかがいるんですね。
 これは二種類あって、まずは体験です。決定的な体験をしている。そういう人はものすごく有利ですね。たとえば誰も行ったことがないところに彼だけが行ったとか。野口聡一さんが宇宙に行ったことを小説に書こうとすれば、これはもういいところまでいきますよ。だってみんなが知らないことを書くだろうし、知らない体験していて、本当かどうかも検証ができないわけでしょう。しかも、そういう体験を経て作家になった人たちというのは、その後もずっと変な体験し続けるものですから、息長く書き続けられるんです。ただ、おおかたの人はそういうタイプの作家にはなれないですね。
 どうやったら、そうじゃないタイプの小説家になれるかというと、それはすごく簡単で、しつこく書くことなんです。たとえばスピルバーグという映画監督の作品をみなさん観たことがあると思うんですけれど、あの人は才能もさることながら、とにかくしつこい。終わったと思ったら終わってない。また終わったと思ったら終わってない。死んだはずの人が生き返って、また死んだと思ったら生き返る。そのしつこさというか、これでもかこれでもかとやっていく。つまり綿菓子を食べているときに、急にカロリーメイトを食わされるようなものです。密度が濃いんですよ。つまり性格的な才能が必要なんです。執念とかしつこさとか。ちょっと人としてつきあうのは嫌だなっていうくらいに、ネトっとしたものですね(笑)。そのしつこさというのは、鮮烈な体験と匹敵するくらいのパワーがあるんですよ、一見地味だけれど。だからこれといった体験がないのならば、とにかくしつこく書くことですね。
 しつこく書くというのは、どういうことかというと、ストーリーを複雑にすることです。ボールを投げるときに、1個だけ投げれば、ころころと転がりますよね。それを10個いっぺんに投げたら、ボールは異様な動きをするわけですよ。だから投げたあとに後悔しますよね。そのボールを全部追いかけるとなると。だけど10個投げなきゃ、ボールの異様な動きは見られないわけでしょう。それと同じで、最初からめちゃくちゃに複雑な物語を作る。人間関係でもいいし、なんでもいいですよ。心理描写でも。そうすると、こんなの長くもたないし、最後まで書けないなと思いますよね。でも、それを書く。だいたいの人は最初であきらめるんです。「ああ、もうわけがわからない」って。わけがわからなくならないように注意しながら500枚書けたら、それはかなり力のある小説になります。設定は何でもいいし、主人公は何歳でもい。本当のことをいうと、鮮烈な体験とか、強いパーソナリティを持っていて、作家になる人は多いんですけれど、じつはそのエアポケットというかな、それが、異様なしつこさを持った人ですね。
 それで、そのときにテーマを決めてもいいと思いますね。たとえば人が殺されるという話でもいいです。最近は人が殺される話が受けているじゃないですか。警察官が出る小説が受けている。そういうのもいいでしょうね。ただ、小説を書くというのは、そう容易ではないんですね。最初はものすごい時間をかけてもいいんですよ。だんだんと時間を短縮できるようになるので。そういうことをひとつ経験すると、あとは自動的に小説のほうが、感応してくれるようになるというんですかね。そうするとはじめてプロとして、小説を書き続けるという能力を獲得できるんですね。
 みなさんがどういったものをお書きになりたいのかはわからないんですが、とにかく浮気はしないで、ツマミ食いをしないで、自分で「これは」というものがあったら、それを何回も書き直したり、長くしたり、というのをぼくはお勧めしますね。今のようなフラットな時代に、驚異的な体験ってなかなかないと思うんですよね。だけどしつこさがあれば、こういう話を書きたいなと思ってて、三ヶ月なり六ヶ月なり書いているうちに、入ってくるんですよ。その話に見合ったなにものかが。
hokanaranu1.JPG たとえば、何年ぶりかで会った同級生からとんでもない話を聞いたりするわけですよ。じつは小説ってそうやってできてくるんですね。大切なことは、強い力でなにかを叩くとか、強い力でなにかを掘り続けることであって、掘り続けた先にあるのは、自分で用意したものではないんですね。勝手に見つかるんですよ。
 書いているうちに、誰かが急にやって来て、おもしろい体験を話してくれたとか、新聞を読んだらびっくりするような記事があったから使ってみようとか、なんでもいいんですけれど、セレンティビティっていうんですかね。それがあれば、その小説はかならずうまくいくんですよ。
 神がかったような物言いになって申し訳ないんですけれど、そういう体験をした人が、プロになれるとぼくは思っています。だから大事なことは執念とかしつこさ。他にとりえがないから何回も言いますけれど(笑)。ぼくは子供のころから小説ばかりで、さっきも山形新幹線に乗りながら、「ぼくって本当に青春がなかったなあ」とつくづく思いながら、こっちに来たんですけれども。


◆青春がない/人生で楽しいことがなんにもなかった/「そんなこと言うなら、お前、書いてみろ」/世の中にこんなにおもしろいことがあるのか


――青春がないというのは、どういうことですか。


白石 人生で楽しいことがなんにもなかったんですよ。それはひどいわけですよ。たとえばこの時期ならばみんなは「夏だ、海だ、太陽だ、そして恋だ!」って楽しそうじゃないですか。ぼくはそういう経験が全然できなかったので。あまりに恥ずかしがり屋だからですよ。人と話すのもきつい。こうやってべらべら喋ってますけれど。これはひとえに、先輩面して喋れる場だから話せるのであって。なかなか人と深くかかわったりできなかったので、そうすると必然的に青春は難しいんですね(笑)。


ikegamisugaosiraisi.jpg――学生時代に年間200~300冊読んでいたという話ですが。


白石 他にすることがないからです。未だかつて仕事以外でカラオケにも行ったことがない。たとえ仕事でいやいやながら行っても、歌ったことはいっぺんもない。恥ずかしくてできないんです。だから高校野球でも、仲間同士で抱き合ったりするじゃないですか。考えられないもの。とても無理(笑)。そうすると陰気な楽しみっていうことで、本を読んでるしかないし、しょうがないから小説を書くじゃないですか。19歳のとき、小説ってものをはじめて書いたんですけれど。


――それまで書いてなかったんですか。


白石 書いてなかったですね。小説家になろうとも思ってなかったので。これはいろんなところで話してるんですけれど、親父の小説をよく読んでたんですよ。それで実家に帰省したときに、親父に意見したんですね。「この小説はこうしたほうがいい」ってね。というのは、親父が書く小説というのは、「白石一郎の作品に出てくる侍は、刀を差していない」と言われるくらいに人が死なないんですよ。「なんで死なせないの?」だいたい主要登場人物の誰かが死んでしまえば、読んでいる人間は「うわっ」っと思うわけじゃないですか。だけど父に言わせれば、「日本刀なんかで斬られたら、本当に痛いんだぞ」って言うわけですよ。「パパはそんな残酷なことはできない」って(場内笑)。
「それじゃダメだ」と延々と意見をしていたら、ぼくと違って穏やかな人なんですけれど、そのときだけは本当に怒ったんですよね。あんまりずうずうしくあれこれ言うもんだから。それで絶対に言ってはいけないひと言ですけれど、「そんなこと言うなら、お前、書いてみろ」って、父が言ったんですよ。
 それで東京に帰って、当時はパソコンもワープロもないですから、コクヨの原稿用紙を500枚も買ったんです。ふつうは30枚ぐらいにしておくじゃないですか。最後まで使えるかわからないわけですから。でも、ぼくはビニールに入っているやつを何十冊も買ったんです。家に帰って、ビニールを全部取って。畳まれているから。500枚ってけっこうあるんですよ。それを机上にどんと積んで、父からもらったシェーファーの万年筆を使って、「見てろよ!」と思って、19歳のときに書き出したんです。


――それはすごい話ですね。どんなのを書いたんですか。


siraisisugao1.jpg白石 SFみたいなものですね。でも、人生なにも知らないわけです。マージャンもダメ、酒も飲めば赤くなって倒れてしまう。体力がないから外を走ればすぐに死にそうになる。もちろん陰気なやせっぽちで、口を開けば皮肉しか言わないような男ですから女の子にもまったくもてない。本当になんにもとりえもないわけですよ。同性の相手と口を利くのさえ不得意でしたから。だから勉強以外で徹夜するってことができないわけですよ。
 なにかに熱中して徹夜するってよく言うじゃないですか。ぼくからすると青春の一齣のひとつなんですけれど。それができなかったんですよ。親父に言われてから、四畳半の部屋に戻って、大仰に書き出した。これで三日徹夜したんですね。はじめて。そのときに「あ、世の中にこんなにおもしろいことがあるのか」と思いましたね。信じられない楽しさでした。まさしく自分はこれさえあれば生きていけるって感じですよ。
 基本的に小説を書くというのは、いろんな人がいると思いますが、楽しくないとね。楽しくなければ、どんなにベストセラーが出てもしょうがない。書くことが楽しくなければいけないですね。ぼくはいまでもそう思っていますし、自分も書いているときというのは、なんだかんだ言っても本当にたのしいですね。
 で、これを一生の仕事にできたらいいなと思ったんですよ。それが19歳のときでした。作家になったのは40歳でしたから、それから21年間、作家のさの字にもなれない。しかも出版社に入ってしまった。周りがみんな物書きなわけです。なんていうか、盾を持った機動隊に囲まれているようなものですね。ものを書いて生きている人たちがすぐそばにいるのに、全然遠くにいるわけですよ。ものすごく分厚いガラスで仕切られている。「うらやましいなあ」と思いながら編集の仕事をやるわけです。小説家になれないまま、40歳近くになったときは「もうダメだ」と思いましたね。


◆デビューまでの苦難/編集者たちに拒否されたデビュー作/編集者たち否定されても怯む必要はない


――編集者や記者をしながら、いろいろと書いていたんですか?


konomuneni2.JPG白石 書いてました。最初はすばる文学新人賞に応募して。それは佳作をもらったんですけれど。31歳ぐらいのときですか。「ああ、もう作家にはなれないのかな」と思ったら、たまたま佳作に引っかかったんです。それで一応、発表されて、「すばる」の編集長から次を書けと言われたわけですよ。「ありがとうございます」って言って書きますよね。「おもしろいから載せます」ってゲラにもなる。そうしたら立松和平さんが、『すばる』に連載していた作品で、盗用疑惑の渦中に投げ込まれるわけですよ。これで版元の集英社が大騒ぎになった。結果、掲載誌である「すばる」の編集長とデスクもろとも、解任されてしまったんです。それで新しい編集長が、ぼくの作品を改めて読んだんですが、「とても読めたもんじゃない」ということになって終わりですよ。それからまた作家になるのにさらに8年かかりました。
 その間も出版社にいるもんだから、なんかコネがありそうな感じがするじゃないですか。知り合いに見せるわけですよ。すごかったですよ。ある講談社の有名な編集者からは、喫茶店に呼ばれて、まずなんて言われるかというと、「白石さん、この小説がダメだというのは、あなたが一番よく知っているよね」って。こっちとしては、そんなものを渡すわけがないじゃないですか(場内笑)。でもその方は有名な編集者ですからね。どこがいけないかというのを、延々と話してくれるわけなんです。悲しいのは、全然同意してないのに、うなずいてしまうことです。「そうかなあ、そうですよねえ」なんて。ただ意地があるから、「すみません、この原稿だけは返してください」と。
 原稿を返してもらって、会社行って、会社の仕事をするわけですよ。似たような仕事だけど、全然違う仕事をしている。いつも夜2時か3時に帰る。人生最悪の日のひとつですよね。ぼくはそういうことが何度もあったんですけれど、ただその講談社の人にお説教されたときの作品は『不自由な心』(角川文庫)っていう小説なんですけれど、じつはこの二百数十枚の小説は、書き上げたときに特別ななにかがあったんですよ。「自分は誰も成し得てないことをやったんじゃないか」みたいな直感が。だから有名な編集者に持っていったわけじゃないですか。そうしたらけんもほろろの扱いで返されてしまった。
hujiyuunakokoro.jpg で、ふだんはいろんな人のいろんな意見をもらって、相手は小説読みのプロなんだからとちゃんと咀嚼しなきゃと思うんですけれど、やっぱりそのときだけは素直になれなかったんですね。「いや、そんなはずはないんじゃないか」と思って、それで午前3時ぐらいから読み直すわけですよ。返してもらった原稿を。バツとかアカとかいっぱい入ってる。朝6時ぐらいに読み終わったときに、やっぱりこんな理不尽な仕打ちは許せないと思いました。これは僕の持論なんですが、小説の読めない編集者というのはこの世界に山ほどいて、彼らは単に面白いものを面白いと言えても、自分が気に入らないものをどうしても面白いと感じられないのではなく、彼らが面白いというものは実は面白くなくて、本当に立派な小説を彼らは平気であしざまに言うということです。だから、一人や二人の編集者にダメだと言われてもちっとも怯む必要はないし、自信を失う必要もない。
 ぼくのデビュー作は『一瞬の光』(角川文庫)で、これは1200枚の小説なんですね。病気になりながら書いた小説ですけれど、これもまたおもしろい経験をしましたよ。また、講談社に持っていったんです。ぼくは満々たる自信がある、もう後もないし。パニック障害になっちゃって、会社を半年以上も休職して戻ってきてる。そういう最悪な状態だから、「もうそろそろ救われる」って思うじゃないですか。すべてを捨てたらなにかがあると。
 そうしたら、今度は待てど暮らせど連絡がない。ここで編集者出身として一言言わせてもらうと、ちゃんと連絡してこない編集者は絶対付き合うべきでない。届いたこと、それからいつ読むのかを必ず知らせるのは編集者のいろはのいです。彼らもみんな忙しいですからすぐには読めない。ただし、いつ読むのかを教えてあげないとね。そうしないと郵便ポストに原稿を投げ込んだ瞬間から、作家はずっと連絡を待ち続けるわけですよ。
 で、なんで連絡ないんだろうと。読んでないだけなんだけれど、こっちはそう思わないからね。ずっと時計やカレンダーを睨んで待つわけですよ。でも無能な編集者はいつ読んだのかも言わない。届いたのかも言わない。催促するまでなんの反応もない。けっきょく半年待たされて。たまりかねて電話したんですよ。そうしたらなんと言われたか。「お目にかかって話がしたい。とにかくお目にかかりたい」と。
 こういうときは絶対ダメなんですよ。よかったら、「すごいよかったから会いましょう」となる。だけども半年待たされてるので、しかもダメだとわかってるわけだから、あなたに会う必要はないと思うわけじゃないですか。もういいですって言って。こんな半年も待たせたんだったら、返してくださいと。それで返してもらったんですよ。1200枚の原稿を。そうしたら、ものすごく長い手紙がついていたんです。いかに『一瞬の光』がダメだったかをずっと書いている。最後には、「小説家になるということは、あなたが考えているよりもはるかにハードルが高いのです。そのことを自覚して精進してください」と結んであるんですよ(笑)。


◆誰かがダメだと言ってもあきらめるな/小説を書くことは子供を生むことと同じくらい尊い/たくさん書いて蓄積しろ


--いやはや、そこまで厳しく否定されたとは知りませんでした。


issyunnnohikari.jpg白石 それから集英社にも見せたんですよ。こちらの反応もおもしろかった。まず1200枚ということで、「白石さん、新人の1200枚もの小説が、本になるなんてことはありえない、という前提で読んでいいですか?」というわけですよ。これも失礼な話ですよね、読む前から。しかも集英社の新人賞をもらっているわけじゃないですか。向こうの都合で一回ボツにもされているわけでしょう。もうちょっと義理堅くてもいいじゃないかと思ったんですけれど、読んでもらえばわかるさと思って、読んでもらうことにしたわけですよ。
 集英社は偉かったです。すぐに返事がきました。ひと言「白石さん、大丈夫ですか?」って(笑)。「はい、大丈夫です。わかりました、ありがとうございました」って泣きそうになりながら返事をしました。 
 結局どうなったかというと、ぼくは休職前まで会社の組合の委員長をやっていたんですが、当時そういう状態でしたから、副委員長だった後輩が心配して「白石さん、あなたこのままじゃ生きていけないけれど、なんかしてるの?」と言ってくれて、「小説書いてる」って答えたら、「じゃあ読ませてくれよ」と言うわけです。で、その1200枚の小説を読んでもらったんです。そうしたら彼は、「これは傑作だから」っていうわけですよ。
 ぼくは編集者の頃は業界では案外有名だったんです。こんなことをいうと自慢話めきますけれど、腕っこきの編集者として名前が通っていました。で、「白石さんが書いたって言ったら、きっと偏見もあるだろうから、ぼくの大学時代の友人の商社マンが書いたことにして他社の編集者に見せてみる」と彼が言って、それで角川書店に持ち込んでくれて。そしてようやく三社目で出版が決まったんです。
 こんな些細な体験談から導ける教訓なんてなにもないのかもしれないけれど、とにかく誰かがダメだと言っても、あきらめないことが大事ですね。この小説がいけるかどうかっていうのは、やっぱり自分自身が一番よく知ってますよね。だから自分に確信が持てないはずですね、つまらない作品であれば。でも自分に確信が持てる作品なら、悪いはずはないです。自分の作品は言ってみれば自分の産んだ子供ですから。だからぼくは才能があるなと感じる女性にはよく言うんですけれど、子供を産まないのなら小説を書けばいいんじゃないかって。子供を産むのも尊いですけれど、小説を書くのも同じくらい尊いことだと思いますからね。
 とにかく自分は「これだ!」って思ったのなら大丈夫です。もし大丈夫じゃないと思ったら、自分自身が難しいと分かっているんです。
 dorekuraino.jpgそういえば、さっき山形市在住の高橋義夫さんの話をしていたんですが、ぼくは当時、直木賞と芥川賞の事務局をやってたんですよね。文藝春秋が主催してますから。で、高橋義夫さんが『闇の葬列―広沢参議暗殺犯人捜査始末』(講談社文庫)という小説を書かれたんですね。当時のぼくの仕事というのは、一日中小説を読むことだったんです。夢のような仕事だと思ったら、現実は地獄だったんですけれど(笑)。とにかく本屋に毎日行って、目についた直木賞をもらってない方の作品を全部買って読むことだった。そして、マジックでバツとか偉そうにつけて捨てていく。
 で、『闇の葬列』を読んで、圧倒されたんです。すぐに直木賞候補にしようと思うわけですよ。受賞するかもしれないと。だけど直木賞というのは、なかなか一回では受賞させないという妙な伝統があるんですよ。次を見てみたいとか、そういうのがままある。ぼくはタイムマシンに乗って高橋さんのところへ駆けつけて『闇の葬列』を本にするのを思い止まって、もう一作書いて、そちらから先に出すようにって言いたかったですね。けっきょく高橋さんは候補五度目の『狼奉行』で見事受賞されるのですが、『闇の葬列』が最初ではなくて二作目の候補作になっていたら、それで受賞していたと思いますね。
 なにが言いたいかというと、たくさん書くことが大事だし、それを蓄積しておくことがすごく大事。誰かからダメだと言われても決して捨てないほうがいいということです。


◆書くことによって生み出された個性/とにかく書く/女性視点で語る面白さ/人生経験がないから本を読んで考える


――どういうふうに自分を客観的に見て、自分の個性を見出してきたんですか。人とはどう違うのか、というのを考えましたか。


白石 19歳ではじめて小説を書きましたが、他に何もできることがないじゃないですか。だから結局読むことと書くことしかないわけですよ。で、死ぬほどおもしろかった。これはずっとおもしろい。今もおもしろい。だからぼくがやったのは一つだけで、どんなに遅く帰ってきても、どんなに忙しくても、必ず書く。中身はどうでもいいんですよ。ただ書く。それを必ずやりましたね。雑誌編集者となると、すごく忙しいので、帰ってくるのは夜2時~3時なんですよね。そこからちょっとシャワーを浴びて、2、3時間仮眠して、それで6時ぐらいに起きて、それから書いてましたね。それを10年間やりました。
 どうやったら小説家になれるかというのを言える人は誰もいないと思いますが、ただ小説を書かない人が小説家になれないというのは事実だと思いますね。とにかく書く。異常なぐらい書くことが必要だと思います。


watasitoiuunmei.jpg――傑作『私という運命について』からでしょうか、傑作短篇集『どれくらいの愛情』のいくつかもそうですが、白石さんは女性の視点の小説が多いですね。どうしてですか。


白石 ぼくは女性に全然詳しくないんですね。だから女性を主人公にしたものは書かないことにしてたんですよ。そうしたら、父の闘病とかもあって、精神的にもいろいろ大変で、そのうち、小説を書くことにだんだんと疲れてくるんですよ。最初は自分の書いたものが活字になって、本になるだけでも奇跡みたいなことなので、すごく嬉しいんですけれど、だんだんとそれが当たり前になってくる。
 人間というのは怠惰な動物で、その感動がなくなるんですね。違うことしなきゃ、と思うようになる。自分に刺激を与えないといけない。そのときにはじめて、自分の知らない女性という存在を一度主人公にして書こうと思った。それが『私という運命について』(角川文庫)でした。この小説は評判になってかなり売れたんですけれど、そのときにわかったのが、要するに女性を主人公にすると、相手になる主要登場人物は男なんですよ。
 で、男だったら、ぼくは全然たいした男ではないけれど、まがりなりにも男なので、だいたいわかるわけです。「こんな男はいないよね」っていうのは書かないで済む。信じられないぐらい楽だと思いましたね。それまでは男が主人公で、まったく理解不能と言ってもいい女性というものを詳しく描いているわけです。で、女の人ってなにを考えているのか、今でもわからないわけですよ。そういう人を書くのはすごくきついことだったんだって知りましたね。
 だから女性の作家は、あんがい男性を主人公にするといいですね。自分と同族である女の人のことが書けるから。男の作家は女性を主人公にすると、男のことが書ける。主人公というのは舞台を回す狂言回しじゃないですか。かなりきちっと造形したとしても、それでも小説の大半は周りの人間を動かすことによって進行させていくものです。
 そうすると大体は、男性が主人公だと女性が出てきますよね。要するに女性が主要人物として物事を動かしていく。だから女性作家はすごく書きやすいでしょう。男性作家は女性を主人公にすると書きやすいと思いますね。はじめて女性を書いたら、800~900枚ぐらい書けたんですよ。なんて書きやすいんだということで、最近は女性の主役ばっかり。気づいたらそんなことになっていましたね。


tubasa sinizama.jpg――「死様」をテーマにした競作小説『翼』(光文社)も女性が主人公です。これも型破りな作品です。主人公の女性に一目惚れした男性が、自分と一緒になろうと言い寄る。その男性の奥さんは女性の友人でもあるので拒否するわけですが、それでも友人としてのつきあいが十年続く。それが読ませるんです。なぜなら、白石さんの小説はいつも「人生とはなにか」を真剣に考えぬくからです。ひとつひとつの問題を正面か捉え直していく。ひじょうに真摯で力強い。こういう作風は最初からあったんですか。


白石 人生経験がないですし、恥ずかしがり屋過ぎて人生経験を欲する衝動も持てないわけですよ。趣味のたぐいも何にもない。みんなで集まってお酒を飲むこともなければデートもしない。とにかく時間が余るんです。そうすると、人間はものを考えるようになります。本を読んでものを考える。偏った人間ですが、それは自分の特性になったと思いますね。で、今みたいにみんなが忙しく働いているときに、家でぼうっとしながらものを考えているでしょう。夢のように楽しいというかね。そういう感じはしますね。


◆自分が何者なのか/なんで生まれてきたのか/避けられない前世と輪廻の問題/自分自身こそ大切な小説の種


――主人公が人生について真剣に悩んで、解答を得る。だからあちこちに箴言があります。うまい表現があって、生きるヒントになり、生きることが楽になる。昔からこういった作品が好きなんですか? 人生をまじめに考える作品が?


白石 好きでしたね。トルストイなんかもそういうところがあるんですけれど、カフカやサルトル、それからカミュとか。そういう実存主義文学には大きな影響を受けたと思いますね。太宰にもそういうところがありましたからね。自分の手元でできることをやるっていうんですかね。つまみ食いをしても仕方がないというか。
 ただ、ぼくはそうは言っても、文藝春秋にいるときは、さきほどもちょっと自慢してしまいましたが、けっこう優秀な編集者だった。主に政治を担当していたので、政治の世界にはかなり詳しいです。だから「白石さん、こんな社会的な出来事とか、社会的な問題とかありますよね。取材はお手の物でしょうから、小説にしたらどうですか」って、みんなから言われるんですよ。「白石さんなら書けますよ、『白い巨塔』のような大作が」って。で、ちょっと心が動くんですけれど、余りやりたくないんですよね。やっぱりそういうのは。
 ぼくは、自分というものがどういう人間なんだろうというか、そればっかりが気になる。すごいジコチューなので、自分にばかり興味があるんですね。なんで生まれたんだろうとか、死んだらどうなるのかとか。サイキックリーディングのできる人に見てもらったりすると「あなたの前世は○○でした」とか、いろいろ言われるじゃないですか。で、生まれ変わりって、信じているような、信じてないような、わけのわからないことになってるでしょう。みなさんは初詣に行きますよね。で、お寺と神社を回るというめちゃくちゃなことを日本人はするわけです。手を合わせて「今年一年息災で」とか。誰にお願いしてるんだとか、ときどき真剣に考え込みませんか? 自分は本当に信じているのだろうか、神様というものが本当にいて、願いをかなえてくれるとか、なんか特別な頼みごとをしたら、自分に果実を与えてくれるのかとかいうことを。だけど初詣なんて何百万人も一緒に行ってるから、やっぱり無理だよなあなんて思いますよね。それでも我々は延々と初詣を続けてるわけですよ。いざとなったら、「ああ、神様」って日本人だって言うんですよ。それは、どういうことなんだろうと思うわけじゃないですか。まあひとつは心理学的な作用ってことですよね。不安から生まれる心理的な作用だとか、いろいろ説明を受けますよね。説明を受けても、改心できない。それでも信じようとしてしまう心が自分の中にあることはまぎれもない事実ですね。
 ふつうの人は、なかなかそんなバカらしいことは考えないんですけれど、ぼくはそれを考えるんですね。たとえば、こんなことを言うと呆れられるかもしれませんが、ぼくは前世というものや輪廻というものは存在するだろうと考えています。なぜなら、そうじゃないと説明できないことがものすごくいっぱいあるんです。またそれをひとつ仮定として認めたときに、説明できやすいことがいっぱいある。だからぼくはあるんじゃないか、いやこれは間違いなくあると思うようになっています。
 で、それを自分のなかでもっともっと詳しく知りたいんですよ。死ぬまでに自分を知りたい。一生懸命知りたいんだけれど、「知りたい、知りたい」と言っても、生活はできないでしょう。だから途中経過を作品で報告するわけですよ。みなさんに。たまたまそれを買ってくれる人がいて、ぼくには印税が入るわけですよ。それでぼくは職業として、延々と考えつづけるわけです。それがぼくの日常であり人生ですね。とにかく自分が何者なのかということに最大の興味があるんです。自分が何者であるかが分かれば、きっと世界中の人々のことやこの世界の成り立ちについても完全に理解できるとぼくは信じています。
yugakukannomaedesiraisi1.JPG 小説家にはいろんなタイプがいると思うんですけれども、ぼくみたいなタイプはじつは少数ではなくて、たぶんたくさんいると思います。自分というものに興味がある人はね。私小説を書いている人はたいがいそうでしょうね。太宰治もそうですね。自分にしか興味がない。自分の死に方にしか興味がない。
 そういう感じで、自分自身に興味があるということが、大切な小説の種なんですよ。そうすると、なにか小説を書こうとしたときに、取材とかではなくて、身近でもなんでもいいんですけれども、さっきも言ったようにしつこく考えたり、しつこく書いたりとか、執着を持って書くとか、そういうことが、作品の価値を上げていく。価値が上がるということは希少性が大きいということですね。
「熱中時間」ってNHKのBSの番組があるじゃないですか。とんでもなく変なことに熱中している人たちが出る。ああいうことを小説においてやるようなところはあります。ある種、マニアックな資質が必要だと思いますね。


――自分のことを書いていると言いつつ、白石さんは抜群のストーリーテラーですから、本当に話がおもしろい。ぜひみなさん、読んでください。今日はありがとうございました。

 

 

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