◆第12回

生命のスーパーエリート「百姓貴族」

 あー、つまりあれか、農業体験モノかと、それほど期待もせずにレジへと持っていった。荒川弘の『百姓貴族』(新書館)である。作者があの荒川弘だからかろうじて手にとったという感じ。


hyakusyoukizoku.jpg 成功を収めた実業家や俳優さんなどが、エコな農業にチャレンジするという例が昔からよくある。しかし正直なところ農業や自然を相手にした体験記やエッセイが私は大変苦手だ。その手のジャンルといえばおおむね説教くさく、黄門さまの印籠のように「この大自然が目に入らぬか」と上から物申すかのような態度が露骨ににじみでるケースがやたら多いからだ。「ちょっと自然に触れたからって、なにを偉そうに」などと、ひねくれものの私などは反感を抱くときさえある。人気マンガ家が農業にトライするという内容なのかなと勝手に想像しながら読んだ。


 これがとんでもない思いちがいであった。恐れ入った。付け焼刃程度に農業を体験するのではない。まったく逆である。作者は本物の「百姓」であり、マンガ家に転身するまでの話を描いた回顧録だったのである。作者の実家は北海道の専業農家であり、作者もまた農業高校出身の農民エリートだったのだ。


 その作者がかつて過ごした自給自足の百姓生活は他の追随を許さない。北海道の高級メロンや国産牛肉が食べ放題。野菜に金なんか払ったことなどなければ、米も親戚から譲ってもらう。夏に日本が水不足に陥れば「水がなければ牛乳を飲めばいいのに」とまるでマリー・アントワネット風にうそぶいてみせる。まさにタイトルのとおり貴族のような上から目線だ。だがその意図的な傲慢さや自慢話は鼻につかない。スケールがあまりに大きく、常識の枠を軽々と越えるような驚愕エピソードにただただ「うへえ」と頭がさがる。


 荒川弘(あらかわ・ひろむ。男っぽい筆名だが女性)は、日本でもっとも成功したマンガ家のひとりだ。代表作『鋼の錬金術師』(スクウェア・エニックス)は累計4000万部を突破し、テレビアニメ化やゲーム化、映画化もされ、あらゆるメディアを賑わせている。先日、最終回を迎えたが、その回が掲載されたコミック誌『少年ガンガン』はあっという間に売切。ネットオークションにてプレミア価格で取引されるほどの人気ぶりだ。


 異世界を描いたこの『ハガレン』とはちがい、『百姓貴族』はのどかな十勝地方が舞台。酪農と畑作の両方を手がける荒川家に関するエピソードが披露されるが、どの話も同じ日本で起きているとは思えないほど、ダイナミックかつ野性味にあふれている。


hagarenn1.jpg そこでは北海道の味覚にはふんだんにありつけるものの、朝から深夜にまで及ぶ農作業の厳しさが描かれる。早朝は牛の世話、午前と午後に畑仕事、夕方は牛の世話をし、夜は野菜の箱詰めに追われる。家畜や農作物を荒らす熊や鹿といった野生動物とは「ふれあい」などという優しい言葉では片づけられず、農作物を奪われないように必死の攻防が日夜繰り広げられる。重労働であろうが、事故で肋骨を何本も折ろうが、ふてぶてしく生きる荒川家の人間たちのタフな姿は、現代社会の日本人の生活とはあまりにもかけ離れていて衝撃的ですらある。


 ギャグとワイルドな話が大半を占めるなかで、はっとするようなシリアスさも忘れてはいない。脊椎を痛めた仔牛をどうにかして立たせようと、マッサージと歩行訓練を毎日繰り返すエピソードが印象的だ。けっきょく手間と努力はむくわれず、仔牛は最後まで立つことができない。めずらしい症例だから実験動物として提供してくれと獣医に乞われるが、作者の母親は「ひといきに殺してくれ」と首を振るのだ。


 生き物の命に対して否応なく考えざるを得ない立場で育ったことが、その後の『鋼の錬金術師』という大作を生む原動力になったのかもしれない。死んだ母を蘇らせるために禁忌とされている秘術に手を出したがゆえに、身体を失ってしまう兄弟の物語で、彼らは生命の重さを思い知らされながら冒険を続ける。この二つの作品は、舞台こそはまったくちがうものの、どちらも読者から見ればユニークな異世界であり、生命と正面から向き合わざるを得ない立場に生きる人間を描いている。『百姓貴族』もまた荒川弘イズムがみなぎる誠実な作品だった。

 



◆深町秋生(ふかまち・あきお)

1975年、南陽市生まれ。第3回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、2004年『果てしなき渇き』(宝島社、現在は宝島社文庫)でデビュー。累計24万部をこえるベストセラーに。著書に『ヒステリック・サバイバー』(同)『東京デッドクルージング』(宝島社)、『ダブル』(幻冬舎)がある。
ブログ「深町秋生のベテラン日記」も好評。ブログはこちらからご覧いただけます。

深町氏は山形小説家(ライター)になろう講座出身。詳細は文庫版『果てしなき渇き』の池上冬樹氏の解説参照。詳しくはこちらからご覧いただけます。