パッとしない性と暴力『ワイルド・ナイツ』
クヨクヨネチネチという陰湿な性格のせいか、どうも竹を割ったような性格の熱血ヒーローが苦手である。「やってやろうぜ、みんな!」などとスポ根モノに出てきそうなキャプテンのかけ声の裏で、こっそり「……うっせえんだよ、バーロー」とうつむきながら呟く。いつも団体生活になじめなくて、隅のあたりでぼんやりしていてはコーチや先輩から小突かれる。
そんな暗い青春を送るタイプの人間だったゆえに、古泉智浩の作品に出会ったときは衝撃であった。じつに凡庸な表現だけれど「雷に打たれたような」とはまさにこのこと。書店で立ち読みしながら、「同志よ!」と心のなかで叫んだのを覚えている。
古泉智浩は現代の日陰者を描かせれば天下一品である。童貞、ニート、オタク、いじめられっ子。社会からハズレた男を執拗に追い続けるマンガ家である。『ジンバルロック』(青林工芸舎)に登場する剣道部員の高校生は、大会になっても最後までやる気ゼロ。さっさと家に帰りたくて、思わず団体戦で敵の応援をする始末。また『ライフ・イズ・デッド』(双葉社)はゾンビと化すウイルスに侵された青年が、残り少ない人生を趣味や恋に打ちこもうとするが、残酷なくらいに報われない物語。某マンガ誌の「努力、友情、勝利」というコンセプトとは正反対に「怠惰、身勝手、敗北」と、まるで後ろ向きに全力疾走するかのようなパンクロック的な力強さを感じさせる。
なかでも『ワイルド・ナイツ』(双葉社)はすばらしい。危険な臭いのするタイトルを掲げているものの、やっぱりそのストーリーはこわいくらいに等身大かつ現実的だ。新潟の田舎が舞台(著者は新潟在住)で、パチスロ店員の国森は、別れた元婚約者と子供のためにしぶしぶ養育費を払い、底意地の悪い同僚や野蛮な客を相手にしては、鬱屈した毎日を過ごしている。ふとしたきっかけで彼は空手を習い始め、日ごろの鬱憤を晴らすために、コンビニの前などにたむろしている我が物顔のヤンキーや肉食系の男たちを、覚えたての空手技で次々に痛めつける。その一方で性欲を発散させるために女を求め、テレクラや風俗通いに熱意を燃やす。ローカルで地に足の着いた性と暴力の物語なのだ。
国森が進む道は、ベトナム帰りの孤独なタクシー運転手が荒んだ都会をさまよううちに、やがて大統領候補の暗殺を企てようとするスコセッシの傑作『タクシー・ドライバー』のようでもある。ただしあちらが背徳の都市ニューヨークが舞台だったのに対し、こちらは土着的な臭いのする日本の地方都市だ。
さてこの厳しい時代、努力や向上心なくしてはサバイバルできないことは嫌というほど知っている。賢く生きる。自分を変える。ポジティブになる。書店にでも行けばそんなタイトルのついた本であふれているが、ただもう見かけるだけでヘトヘトに疲れるときがある。しかし古泉作品だけはいつも裏切らない。そこに登場するのはこっけいなくらいに場当たり的で、スマートさのカケラもなく、自分の欲望をコントロールできない弱い男たちである。ざっくり言えば負け犬だ。しかしそれゆえ彼らの叫びは、弱く疲れきった人間たちの心にやさしく届く。
国森は、作者の言葉を借りるなら「駄ケンカと駄セックス」の果てに、ある境地にたどりつく。嫉妬や憎悪を突き抜けたかのような衝撃的とさえ言える清々しいラスト。暗黒に染まった男たちを追い続けた作者ならではの渾身のメッセージがそこにはあった。疲労と孤独を感じたときに、とくに読んでもらいたい一冊だ。