ファミコンキッズの狂気と誇り「ピコピコ少年」
よくインタビューなどで「十代のころはどんな本を読んできましたか?」と訊かれる。
その質問の裏には「物書きなんかしてるぐらいだから、たんと本は読んでいるはずだろう」という断定的な思いこみがある。さぞや目がつぶれるほど読書をされてきたのでしょうねえという無言の圧力というか。相手の気持ちをくみとって、「ええまあ、冒険小説とかハードボイルドとか……海外ミステリなんかを少々。むにゃむにゃ」なんてことを答えてきた。
だがそれはみんな嘘であって、本なんかきれいさっぱり読んでいなかった。とくに十代のときは。高校のころはもっぱら帰宅部で、スポーツだってまったくやっていない。なにをしていたかと言えばもっぱらゲーム。家に帰ってスーパーファミコンのコントローラーを握っているか、ゲームセンターで『ファイナルファイト』や『ストⅡ』に熱中しているかのどちらかだった。それはもはや依存症と呼ぶにふさわしく、たまに親がどこかへ旅行に連れていってくれたとしても、観光名所など目もくれず、その土地のゲームセンターへとまっしぐらに走っていくほどである
中学の修学旅行もその調子だった。東京ディズニーランドで自由行動となり、クラスメイトたちがド派手なアトラクションをひとつでも多く楽しもうとあちこち駆けずり回っていたときに、私はといえば施設内のちっぽけなゲームコーナーで、カプコン社の『ストライダー飛竜』なんてビデオゲームをちまちまとやっていた。「山形にはなかなか見かけないゲームだ。ラッキー」などと、それなりに満足していたのだから我ながら呆れてしまう。タイムマシンがあったら、「お前は一体、なにを考えてやがるんだ。え?」と、あのころの私を叱りつけてやりたいと思っている。
1983年に任天堂から発売されたファミコン、それに最先端のビデオゲームが設置されたゲームセンターは、その時代に生きる子供たちをおそろしい勢いで虜にしていったのだけれど、今回紹介する押切蓮介の『ピコピコ少年』は、同じくゲームにのめりこみすぎた著者と友人たちの青春時代を描いた自伝コミックである。
見回りに来る教師やこわい不良の目を盗みながら通ったゲームセンター。ついつい熱くなりすぎて、友達とリアルな喧嘩に発展してしまう対戦ゲーム。スケベな成人向けゲームであの当時の青少年を幻惑したNECのPC-98。ゲームの世界だけでは飽き足らず、声優やアニメを追いかける非モテな十代。他人とは思えない青春がそこにはあった。
作者は思い出をまったく美化しない。全身全霊で親にゲーム機を買ってもらうように迫り、勉学そっちのけでゲームの腕を磨きまくる日々。対戦ゲームで百円を湯水のように使っては親から拳骨をくらい、あるいは教師に見つかってビンタをもらう。それでも懲りずにひたすらゲーム道にまい進する姿はある種の狂気さえ感じさせる。
しかしそうした暗部を包み隠さず提示しているからこそ、ノスタルジーの味わいもぐっと引き立つ。うるさい大人のいない秘密基地で、誰にも邪魔されずにお菓子をつまみながら『ゲームボーイ』をやる楽しさと言ったら!
本作品には、ゲーム文化が華開いた1980年代から90年代の若者文化が嘘偽りなく描かれている。ソフトをいっぱい持っているお金持ちの友人宅にたむろし、ファミコンのカセットにふっと息を吹きかけ、タバコの臭いが漂うアダルティな雰囲気のゲームセンターに緊張しつつ、家庭用とは異なるハイクオリティなビデオゲームに胸をときめかせる。おもに団塊ジュニア世代くらいの中年たちのハートを、タイトル通り「ピコピコ少年」に戻すおそろしい一冊だった。